教育相談室 かけはし 小中連携版

ある小学校に設置された教育相談室。発行する新聞「かけはし」が、やがて小・中3校を結ぶ校区新聞に発展しました。

人権学習教材「歯型」学習ノート

2009年07月15日 | 人権
「歯型」学習ノート
          1年  組   番  名前

*Ⅰ章を読んで、考えてみましょう。
1.「ぼく」、「しげる」、「一郎」の3人は、「男の子」にとんでもない暴力をふるって、彼を追い詰めていくことになるのですが、その、1番初めの、きっかけとなる、「しげる」のセリフを、20字以内でP.1から抜き出してみよう。

                                            

                                                
2.3人の暴力行為や、「男の子」に投げつけたセリフについて、考えよう。
A P.1(下から14行目)「そんな……」のセリフの続き(……部分)を各自で想像して書こう。

                                          

                                         
B P.2(上から12行目)「でも……」のセリフ(……部分)を各自で想像して書こう。

                                               

                                              
C 「ぼく」や「一郎」が、次第に、大胆に、暴力行為に加わっていくのは、どのあたりからですか。P・行で答えなさい。

                                             

3.「男の子」の気持ちについて考えよう。
 A P.1(下から5行目)車イスに乗って道を通っていることを「じゃま・・・迷惑」と言われて、「男の子」はむっとしたが、この時はまだ黙っています。でも、心の中では、何と説明(言い返し)したかったのでしょうか。

                                          

                                              
 B 「男の子」が、「しげる」のふくらはぎにくらいつくまでには、「男の子」の胸の中には、何度も体が震えるような屈辱、くやしさがこみあげていたはずです。『特にひどいなぁ、あんまりだ!』とあなたの班が思うのは、その部分でしたか。班で話し合い、2つ出して下さい。(例 P○、○行目~○行目の~のところ)

                                                

                                            
 C P3(上から3行目)、顔中、汗とほこりにまみれても、「しげる」の足を放さない「男の子」は、「しげる」のふくらはぎをかみながら、心の中で、どんなことを言いたかったのでしょう。2行を超えるように各自で書きましょう。

                                           

                                                   

                                               
* Ⅱ章を読んで、考えてみましょう。
1.「しげる」は、母に、事件をどう伝えましたか。

                                                     
2.P.4(下から5行目)に、『後ろめたいこと』とあります。「ぼく」にとって本当に後ろめたいこととは、何ですか。3つ書きなさい。

                                                   

                                                     

                                               

* Ⅲ章を読んで、考えてみましょう。
1.校長室に呼ばれた人は、誰ですか。(      )(      )
  ぼくたちが校長室に入った時、すでに校長室にいた人は、誰ですか。
         (       )(      )(      )
2.P.7(上から11行目)に、「ぼく」の言ったことばがあります。「ぼく」は、  なぜ、こんなことを言ったのですか。

                                               

                                               
3.同じくP.7(上から12行目)に、『自分でもおかしいほどふるえ、かすれていた』とあります。それは、なぜですか。

                                       

                                                
4.P.8(下から8行目)に「男の子」が文字板で「き」「み」と言いかけたとあります。「男の子」はそのあと、どう言いたかったのでしょうか。「男の子」の気持ちになって、続きを書いて下さい。

                                             

                                               

                                                  
5.P.9(下から3行目)に『「しげるを」でなく、「ぼくを」かんでいてくれたら……』とあります。「ぼく」はなぜ、そう思ったのですか。

                                               

                                                   

                                                 

6.「ぼく」の心にくっきり残った『歯型』。少しでも消していくためには、「ぼく」は、何をするべきなのでしょうか。

                                      

                                      

                                                                 

                                                   

                                                       























☆ あなたは、「しげる」に近いですか。それとも「ぼく」や「一郎」と似ているでしょうか。あるいは、3人とは全く違いますか。自分を登場人物の誰に近いか、書いて下さい。(                             )
  
  
 

人権学習教材~歯型6

2009年07月09日 | 人権
渥美清に似た先生は、あくまでも静かな調子で言った。
「…………」
「ほんとのことをはなしてくれないか?」
「……しげるがいったとおりだけど……」
すると、あいつがテーブルをどんとたたいた。そして、もどかしそうに文字板をひきよせると、「あ」を指さした。それから、「し」。
校長先生は身を乗り出して、「あ」「し」と、声をだして読んでいた。
「か」
ぼくも、そのぎくしゃくした指の動きを見つめていた。
「け」「た」
「わかったかな?きみたちが足をかけたと、いっているんだよ。」
「……足なんか、かけたりしなかった。肩がふれただけだよ、なっ。」
一郎にあいづちをもとめた。一郎は黙ってコクンうなずくと、ごくりと音をたててつばを飲み込んだ。
「肩がふれてどうしたんだい?」
「その子の肩をちょっとつついた。しげるが。」
「それから?」
「それから、その子がひっくりかえった。」
「で、どうしたの?」
「そしたら、その子が、急に足をかみついたんだ。」
「なにもしないのに?」
ぼくはだまってうなずいた。
「本当かい?」
「……うん。」
すると、あいつがまた文字板をおさえた。
「う」「そ」
手がぶるぶるふるえているのがわかった。
「きみはどうだい?」
渥美清の先生は、一郎のほうに矛先を向けた。一郎はしどろもどろになりながら、いった。
「肩がふれたので……、しげるくんが生意気だといって、つついて……、たおれて……、その子が、急にかみついて……、はなさなかたので、おじいさんたちがきて……」
「つまり、きみたちはなにもしてないのに、この子がかみついたんだね?」
「しげるがつついて……」
「きみは、なにもしなかったのかい?」
「う、うん……」
「きみたちは、それ以前にも、この子をからかったりしなかったかい?」
「……しません……、でした。」
「ほんとうかい?」
「……はい。」
一郎の声は消え入りそうだった。先生は四角い顔を、いっそう四角にして、腕を組んでだまった。校長先生が語調をつよめていった。
「本当なんだな?えっ?正直に言いなさい。きみらは、この学校の名誉を、傷つけることになるんだぞ。えっ?本当のことを言いたまえ。」
ぼくは泣きたい気持ちだった。どうしていいか、わからなくなっていた。それでもぼくは、自分を必死に守ろうとして、こう繰り返した。
「肩がふれて、しげるが肩をつついて……、その子がかみついたんだ。」
あいつは文字板を引き寄せると、もどかしそうに「き」と指差し、「み」と続けた。と、次の瞬間、ぼくはびっくりして飛び上がった。彼がその文字板を、ぼくらめがけて投げつけたのだ。そして彼はぐわーと泣き出した。自分の胸を、頭を、利き手の左手で、ごんごんとたたいて、わき目もはばからず、ごうごうと泣いた。渥美清の先生は、だまって肩に手をかけていた。やがて、その細い目で、ぼくたちをにらみすえていった。
「本当のところは、どうなのかわからないが、ぼくはこの子を信じるよ。きみたちにはわるいが、ぼくはこの子を信じる。」
校長室に、あいつの悲しげな泣き声が響いていた。
「きみたち、教室へ帰りなさい。」
と、校長先生がいった。立ち上がると、あいつはぼくらを、涙の目で見た。目があった。ぼくの全身を、電流が走った。
学校からの帰り道、ぼくは何度足を止めたことだろう。ぼくは全身を貫き通すような、あの子の視線が、頭のなかに浮かんでは消えた。自分の頭を、胸を、こぶしでたたきつけ、おいおいと泣いているあの子の姿が、ぼくの心を揺さぶり続けていた。見上げると、町の向こうに、白い入道雲が、山のようにわきあがっていた。ひどい夕立が来そうだな、とぼんやり思った。ぼくと一郎は、黙って歩いた。
一郎がどんな気持ちで歩いていたかはわからない。ときどき、遅れがちになるぼくを、振り返っては、困ったような顔で見ていた。ぼくは一人になりたかった。そして、思い切って、学校へ飛んで帰り、校長先生に、
「みんなウソです。ぼくたちがあの子をいじめたのです!」
と、叫びたくなる思いに駆られた。
なぜ、そうしなかったのか。なぜ、そうできなかったのか。今もその思いがぼくを苦しめる。
あのとき――と、ぼくは思うのだ。あのとき、あの子が、しげるではなく、ぼくをかんでいてくれたら、と。
ぼくの心に、あの子の歯型がくっきりと残った。

人権学習教材~歯型5

2009年07月08日 | 人権

それから、二日たった日の昼休み、担任の先生がぼくと一郎をよんで、校長室へいくようにいった。ぼくは、例の一件だなと、ピンときた。でも、いったいだれがばらしたのだろう。ぼくと一郎は廊下で、不安な顔を見合わせた。
(どうする?)
一郎の顔がそういっている。
「しげるのいったように話せばいいさ。」
と、ぼくは自分をはげますようにつぶやいた。
校長室に入ったとたん、ぼくはどきっとした。あいつが座っているではないか。ぼくは内心うろたえた。校長先生にうながされて、ソファーに腰をおろしたが、体がクッションのなかにうまって、いっそう気分が落ち着かない。
ぼくらの前には、あいつと、渥美清に似たおじさんが座っていた。
「先生。」
と、校長先生が、そのおじさんにむかっていった。
「このふたりが、しげるくんと一緒にいた子どもらです。こちらは、桜養護学校の先生と生徒さんだ。この生徒さんの顔は覚えているだろうね。ここにきみたちをよんだわけは、もうわかっていると思うが。」
校長先生はそこで一息つくと、先を続けた。
「きのう、しげるくんのお父さんが桜養護学校に行かれて、いろいろ話をされたそうだ。ところが、しげるくんのいっていることと、この生徒さんがいっていることが、だいぶちがうので、きみたちの話を聞きにみえたのだよ。気を楽にして、本当のことを残らず話してごらん。」
校長先生はおだやかにそういったが、度の強いめがねの奥の目は、いつもより厳しかった。
「こんにちは。」
いきなり、おじさんみたいな先生がきりだした。ほそい目が、まっすぐぼくらを見ていた。ぼくは、思わずうつむいてしまった。
「この子がおととい、しげるくんをかんだそうだね。しげるくんのお父さんが、ぼくたちの学校へやってこられてね、だいぶしかられてしまったよ。ところがだ、この子が、しげるくんのお父さんの話は違うというんだ。この子は自由に話ができないので、こういう文字板を使ってしか、自分のことを伝えられないのだよ。」
先生はそういうと、一枚のベニヤ板に紙を貼り付けたものを、机の上に乗っけた。それには、ひらがな文字や、いくつかの漢字が、ます目の中にぎっしり書かれていた。
「だから、話をするのに、ひどく時間がかかるんだ。きのう、しげるくんのお父さんが帰られてから、この子と二時間ばかり話をしたんだが、この子がいうには、自分からしげるくんにつっかかっていったのではなく、きみたちからケンカをしかけられたのだ、というんだよ。それも、おとといだけじゃなくて、何日も前から、きみたちがからかっていたそうだね。足をわざとひっかけて、たおしたりして、違うかい?それできのうは、追いかけられて、けったり、なぐったりされたので、自分も抵抗したんだというんだ。
この子は、きみたちみたいに、手や足が自由に動かないから、口でかむよりほか手がなかったんだ。かんで人を傷つけてしまったことは、理由がどうであれ、わるいことだし、あやまらなければならないことだけど、なんにもしないしげるくんをかんだんじゃないはずだ。ちがうかね?ほんとうのところ、どうだったんだい。正直に話してくれないか。」
ぼくと一郎は、だまったままうつむいた。上目づかいにあいつを見ると、あいつはまっすぐ射るように、ぼくらを見すえている。首をやや左にかしげ、口をへの字にひん曲げて、――と、あいつがあのときのように笑った。いや、笑ったのではなかった。顔の筋肉が唇のはしをつりあげるために、そうみえたのだった。
「どうだね、きみたち。」
校長先生が答えをうながした。一郎は、ぼくをひじでつついた。ぼくは思い切っていった。
「しげるが、いや、しげるくんがいったとおりです。」
その声は、自分でもおかしいほどふるえ、かすれていた。すると、あいつが、テーブルをたたくようにして、文字板の上を指で押さえた。
「う」そして、「そ」と。
(うそ!)
ぼくは、あいつの顔をまともに見る勇気がなかった。うなだれたまま、自分のひざにゆびでそっと、「うそ」と、書いていた。
「うそだっていってるが、どうだい?」

人権学習教材~歯型4

2009年07月07日 | 人権

ぼくは家へ帰っても、そのことはだまっていた。しかし、それはすぐに、お母さんにばれた。夕方、しげるのお母さんが、家へやってきたからだ。
玄関先での話を、ぼくは居間から耳をすましていた。おばさんは入ってくるなり、
「おたくは大丈夫だった?」
と、きいてきた。
「大丈夫って、なんのこと?」
「あら、きいてないの。きょう学校の帰りに、うちの子、かまれたのよ。」
「かまれたって、犬に?」
「それが犬じゃないのよ。人間によ!養護学校の子に、かまれたのよ。」
「えっ、ほんと?うちの子、なんにもそんなこと、はなさなかったわよ。でも、けがなんかしてないみたいだけど。」
「そう。そりゃよかったわね。うちのしげるなんか、あやうく、ふくらはぎの肉をくいちぎられるところだったのよ。」
「そんなにひどくかまれたの?」
「そうよ。思っただけでも、ぞっとするわよ。足がこんなにはれて、歩けやしないの。熱まで出て、うなされてるわよ。肉をくいちぎられてたら、あなた、歩けなくなってたかもしれないのよ。まったく、気ちがいざたよ。」
おばさんは、興奮をおさえきれないようすだった。
「まったく、気がしれないわ。肩がふれたからって、急にかみついてくるなんて。」
「肩がふれただけで?」
「そうよ、そうなのよ!」
「こんなところじゃなんだから、あがってよ。」
ふたりは部屋へあがってきた。居間にはいってきたおばさんは、ぼくを見つけると、
「あら、あんた、なんともなかったの。」
と、冷ややかにいった。それは、うちのしげるを、ひとりおいて逃げたんだってね、と非難しているように聞こえた。
「なんにもいわないから、わからないのよ。」
「いえないような、後ろめたいことがあるんでしょう。」
おばさんの言葉が、いやに耳にまとわりつく。
「しげるくん、かまえてけがしたっていうじゃない。いったい、何があったの。話なさいよ。」
「なにもないよ。あいつが、しげるの足をかんだだけだよ。」
「あら、かんだだけなんて、ちょっと冷たいんじゃない。」
おばさんは、どこまでもからんでくる。
「…………」
「あんたたちが、その子をいじめたんでしょう?」
「それがちがうのよ。しげるがいうにはね、肩がふれたので、生意気だってその子をおしたら、足がわるいでしょ、すぐころんじゃったらしいのよ。そしたら怒って、がぶりよ。そうなんでしょう?」
しげるの話は、ずいぶんとこちらの悪いところが省略されていた。けれども、ぼくにとっても、そのほうが都合が良かったから、「うん」と、こたえた。
「そりゃねぇ、最初におしたしげるのほうが悪いわよ。だけど、かみつくことないじゃない。それも、肉がちぎれそうになるまでよ。病院へつれていってくださったお年よりがいっていたわよ。まるで狂犬だって。すごい力よ。体はわるいくせに、力はあるのねぇ。手加減できないのよ。バカだから。しげるはショックで、熱までだしてるわよ。もう、腹が立つやら、くやしいやら。そいつが目の前にいたら、思いっきりかみついてやりたいくらいだわよ。」
おばさんは、はなせばはなすほど、気が高ぶるようすだった。
「そいでね、お年寄りがよってかかって、やっとのことで、しげるをたすけだしたんだけど、その子ったら、あやまれといってもあやまるどころが、くってかかったそうよ。まったくひどいじゃない。そんなやつが、このあたりをうろついているんじゃ、安心して子どもを外へだせやしないわよ。そうでしょ。」
「そうよねぇ。ほんとに、こわいわ。」
ぼくは、しげるがどういう具合に話をしたのか、だいたい察しがついた。
買い食いをしたことも、あいつの足を引っかけて、たおすカケをしたことも、公園の中まで追いかけて、三人で襲ったことも、一切隠されていた。それらは、ぼくとしても、隠しおいてもらいたいことだったけれど……。
ここはしげるの話に、あわせておくべきだと思った。
それからしばらくのあいだ、おばさんはぐちぐちと、同じ話をくりかえして、引きあげていった。帰りぎわ、ぼくに、
「先生には、二、三日、休むっていっといてちょうだい。」
それから、わざわざ付け加えてこういった。
「あんた、ほんとにけがなくてよかったねぇ。」

人権学習教材~歯型3

2009年07月06日 | 人権

翌日は肩透かしをくった。待っても待っても、あいつは来なかった。自分の番だと緊張していた一郎は、なかばほっとした気分だったに違いない。あいつはきっと、道をかえたに違いなかった。
その日から、ぼくたちは、獲物を追う猟犬の気分になった。
どこの学校の子か、家がどこなのかもわからなかった。けれども、あの道を通って帰るとしたら、およそのことは見当がつく。ぼくらは、毎日、道をかえて、しつこく探しまわった。
ぼくはぼくで、なんとしても、あのときのしかえしをしなくちゃと思っていた。しかし、三日間探しまわったけれども、あいつに出会わなかった。
四日目は、掃除当番で遅くなった。学校を出るとき、ぼくはふと思った。あいつは道をかえたのではなく、時間をずらしたのではないかと。
「そうだよ。きっと、そうだ。いってみようよ。」
一郎がいきおいこんでいった。
「よし、今からいってみようぜ。」
と、しげるもうなずいた。
ぼくの推理は、はたして当たっていた。ぼくらが、公園の植え込みから、二十分くらい見張っていると、あいつの姿が、道の向こうに見えたのだ。
「きた。」
息をひそめて、あいつが近づくのを待った。二、三十メートルに近づいたのを見計らって、ぼくらは道へとびだしていった。あいつは、すぐに気がついたらしく、立ちどまってこちらを見ていた。ぼくらは一郎を先頭にして、ゆっくり歩いていった。あいつにも、ぼくらにも、これからなにが始まろうとしているか、わかっていた。突然、あいつはくるりと背を向けた。そして、急いで、道をひきかえし始めたのだ。
「おい、逃げるぞ!」
しげるがどなった。ぼくらは後を追った。
あいつがいくらがんばっても、足の速さで、ぼくらにかなうはずがなかった。公園の入り口近くで、ぼくらは追いついた。
すると、あいつは助けを求めて、公園の中へ逃げ込もうとした。
公園の広場では、老人たちがゲートボールを楽しんでいた。あいつはそっちへ向かって、口をパクパク動かした。しかし、声にはならず、のどの奥のほうで、アぉーと、かすかな音がもれただけだった。ぼくらは、とりかこんでこづいた。しげるがあいつの足をけった。
「バカ!」
一郎も足をけとばした。
「このやろう!」
しげるが、頭を平手でたたいた。ぼくも負けずにたたいた。あいつは、それでも泣かなかった。抵抗もせず、唇をかんでいた。
ぼくらは大胆になり、荒っぽくなった。しげるが、ドンと肩をつくと、あいつは無様にひっくり返った。ぼくらは頭を殴りつけ、背中をけり続けた。
しげるが、あいつの手の甲を、右の足で踏みにじったときだった。突然、くるったように、目の前のしげるの足に、むしゃぶりついてきた。そして、むき出しのしげるのふくらはぎに、がぶりとくらいついたのだ。
しげるは、一瞬、何が起きたのかわからなかったのか、ぽかんとつっ立って、あいつを見下ろしていた。それから、血相をかえて、
「いたい!はなせ、はなせっ!」
と、叫びながら、あいつの頭をぽかぽか殴りつけた。
けれども、あいつの口はひらかなかった。しげるは火がついたように泣き叫んだ。
「いたいよう、いたいよう!」
ぼくと一郎は、あわててあいつの体をひきはなそうと、後ろから引っ張ったが、むだだった。
しげるの激しい泣き声に、なにごとかと、老人たちがあつまってきた。
「いたいよう、いたいよう。」
しげるは泣き叫んでいる。その足に、顔中、汗とほこりにまみれた男の子が、しがみついていた。そして、その子が、しげるの足にかみついているのを見た老人たちは、おどろいて口々にさけんだ。
「これ、はなしなさい!」
「はなせといったら、はなさんか!こらっ、はなせ!」
そして、ぼくと一郎がやったように、あいつの体を引き離しにかかった。あいつはしぶとくくらいつき、しげるは泣きわめきつづけていた。
「強情な子だ。」
「はやくしないと、肉が食いちぎられてしまうぞ。」
そのとき、老人のひとりが、棒きれをひろってきた。あいつの歯と歯の間に、その棒きれが無理やり突っ込まれた。そうして、やっとのことで、しげるの右足は開放されたのだった。
そのとたん、あいつは、地面を手でたたきながら、くるったように泣き出した。
しげるはしげるで、かまれた足をかかえて、ごーごーと泣いていた。ふくらはぎは紫色にはれあがり、歯のあとがくっきりとついていた。
「こりゃひどい傷だ。すぐ病院へつれていかなきゃ。」
「いったいどうしたんだ。え、おまえたち。」
ぼくらは、しどろもどろになりながらいった。
「こいつが急にかみついたんだよ。」
すると、あいつはさっと顔をあげた。そして、ぼくらを指差すと、なにやらわめいた。なにをいっているのか、わからなかった。が、そのことで、老人たちはその子が障害児だということに、やっと気がついたようだった。
「おまえたち、なにをしたんだ?」
老人の言葉がきつくなって、風向きがかわった。一郎が突然泣きだし、逃げだした。ぼくはすっかりあわてて、
「知らないよ。なんにも知らないよ!」
と、さけぶと、半分泣きたい気持ちで、一郎のあとを追ってかけだした。

人権学習教材~歯型2

2009年07月05日 | 人権

次の日は、ぼくの番だった。
ぼくらは公園でジュースを飲みながら、ときどき通りへ出て、あいつがやってくるのを待った。ジュースも飲み終わって、だいぶたっていた。今日は来ないかなと思っていると、
「来たっ。」
と、通りのほうから見張っていた一郎が目を輝かせて声をかけてきた。放り出してあったランドセルを背負うと、ぼくを先頭にして、通りへ出た。五十メートルくらいに近づいたとき、あいつが顔をあげた。
一瞬、あいつは立ちどまったが、すぐにまた歩き始めた。
ぼくの心臓は、飛び出すかと思うほど鼓動を打っている。二十メートルほどになったとき、しげるがぼくの背中を小突いて、小声で言った。
「いけ。」
ぼくは足を速めた。首筋から足まで、なんだかコチコチになっていて、歩くのがひどくぎこちなかった。
ぐんぐん近づいていく。あいつの目が、ぼくの全身を射た。
(よこを通り過ぎざまに、さっと足をとばせばいいんだ。)
しげるのことばを、頭のなかで繰り返しながら、ぼくは近づく。
(いまだ!)
あいつの右足を、横へはらった。次の瞬間、思いがけないことが起きた。その足がさっと、ぼくの足の上をまたいだのだ。
ぼくの足は空を切った。おかげで、ひざをがくっとついて、したたか打ってしまった。
ぼくは顔が赤らむのを感じた。
あいつは、ちらっと振り向くと、にやっと笑った。それから、例のオオワシの踊りを踊りながらいってしまった。
ぼくはあいつを憎らしく思った。
ひざの痛みを隠しながら、ほこりをはらっていると、しげると一郎が、ぼくを小突いて駆け抜けていった。そして、十メートルもいかないうちに、ふたりはこらえきれずに、げらげら笑いだした。
ぼくが苦笑いしながら、走って追いつくと、ふたりは、もうたまらないといった具合に、腹をかかえて笑い転げている。ぼくもひざは痛かったけれど、なんだか自分でもおかしくなってきて、しまいには、三人で体をぶつけあいながら笑い転げてしまった。結局、しげるたちのジュース代を、ぼくが持ってくることになってしまった。

人権学習教材~歯型

2009年07月03日 | 人権
歯型
中学生になったいまでも、僕は足の不自由なひとをみると、逃げ出したくなる。それは、あの事件以来身についた、悲しい癖といったらいいのだろうか。

五年生の夏のことだった。その日、ぼくは級友のしげると一郎と、つれだって帰った。暑い日だった。校門を出たところで、一郎が「あれっ」と、立ちどまった。でかいお尻ではちきれそうなズボンのポケットから、そっとぬいた手のひらに、百円玉が二枚光っていた。
「学校にはお金持ってきちゃいけないんだぞ。」
ぼくが冷やかし半分にいうと、一郎は口をとんがらせて弁解した。
「ちがうよ、きのう、おつかいにいったときのおつりなんだ。わたすの忘れちゃったんだよ。」
すると、野球帽をよこちょにかぶったしげるが、あっさりと、
「ちょうどいいじゃん。」
といった。
「暑くって、のどがからからだよ。ジュース買ってのもうぜ。」
「こんなところじゃ、みつかっちゃうよ。」
「だいじょうぶ。おれにまかせとけったら。」
そういうと、しげるは一郎の手のひらから、百円玉をひったくり、さきに立って走りだした。ぼくらは暑いなかをかけていった。
通学路から外れて、しばらくいったところに、ひっそりとした公園があった。ぼくたちは途中の、自動販売機でジュースを買うと、公園の木陰で、ゆっくりと二本の缶をまわし飲みした。
まだ太陽は高かったが、風がそよっと吹いてそこはまるで別天地のような気分だった。その帰りのことだ。いつもとはちがう、ひと通りの少ない公園のわき道を、ふざけあいながら歩いていると、ぼくたちは、道のむこうからへんなかっこうで歩いてくる人影をみつけた。
「あれ、よっぱらいかな?」
「……よっぱらいじゃないよ。子どもだぜ。」
しげるがいった。
「子ども?」
よく見ると、ランドセルを背負っているのが見える。よっぱらいのように見えたのは、歩くときに、その子の体が大きくゆれていたからだ。足が外側にふりだされるたびに、上体がぐらぐらとゆれ、片手が羽のように、ゆっくり空を切った。
ぼくの歩調が遅くなった。
こんな子どもに、正面から出くわすのは、初めてだった。しげるが先頭で、つぎがぼく。一郎は不安そうな表情で、いちばんうしろをあるいていた。一郎は体がでかいのに、からきし臆病なのだ。
かんかん照りの大気の中を、その子は黙々と、泳いでいるように歩いていた。右手のわきの下にかかえるようにして、左手をワシの羽のように大きく動かしている。その左手の動きにあわせて、右足が外にふりだされるのだ。
二、三十メートルまで近づいたとき、急にしげるが、にやっと笑ってふり向いた。
「おい、カケをしないか?」
「カケ?」
「おれが、あいつの足を引っかけて、転ぶかどうかカケようぜ。」
「…………」
「なっ、転んだら、おまえたち明日のジュース代もって来る。いいだろ?」
ぼくと一郎は、顔を見あわせた。
「うん。」
と、ぼくはいった。一郎もつられてコクンとうなずいた。小柄で、すばしこいしげるは、ぼくらの返事を聞くやいなや、もう、すたすた歩きはじめていた。
ぼくと一郎は、息をのんで見守った。
しげるは、どんどんその子に近づいていく。
二人がすれちがった。その瞬間、しげるの右足がさっとのびた。相手の上体がグラリと前へつんのめった。だが、その子は倒れなかった。
ところが、体を何とか立て直したように見えたとき、意外にも、その子はすとんとおしりから落ちて、大仰に仰向けにひっくり返った。しげるはというと、ウサギのようにすばしこく、すでに数メートルさきをかけだしていた。
ぼくと一郎は、はっと我にかえると、もそもそ起き上がっているその子のわきを、急いでかけぬけた。
そのとき、ぼくはちらっとその子を見た。しげると同じくらいの体格の、その子のひたいに、汗がキラキラ光っているのが見えた。
「やったぜ!」
五十メートルも走ったところで、しげるは鼻をひくひくさせて、追ってきたぼくらにいった。
「成功、成功!」
ぼくたちはおたがいに肩をたたきあった。振り返ってみると、男の子は、やっと立ち上がったところだった。ちらっとこっちを見たが、何もなかったように、そのまま、さっきと同じぶかっこうな歩き方で、白い光の中を、ゆっくり歩きはじめていた。

I Have a Dream~キング牧師暗殺からの40年

2008年11月20日 | 人権
 2008年11月4日、アメリカ第44代大統領にオバマ候補が選出されました。たとえわずかであっても1960年代のアメリカ公民権運動を知る私にとっては(黒人解放運動指導者キング牧師が暗殺されたのは私が中学生になった1968年)、涙が流れるほど深い感銘を受けたできごとでした。40年前に、いやたとえ4年前であっても、アフリカ系アメリカ人が大統領に選ばれることを、世界の誰が予想したでしょうか。

 公民権法が制定されるまでのアメリカは、多くの地域で学校・教会からバス・レストランに至るまで、白人用と黒人用に分けられていました。1964年の公民権法制定により、差別は法的に禁止されましたが、皮膚の色を理由とした差別はアメリカ社会の中に根強く残っていました。その中にあって、黒人解放運動が掲げた「BLACK IS BEAUTIFULL=黒色は美しい」というスローガンは、子ども心にも衝撃的でした。

 公民権運動の象徴であったキング牧師暗殺から40年。差別撤廃と人々の和解を掲げた彼の願いは、オバマ大統領の出現という形で大きく花を咲かせました。テレビ映像は「この結果は私たちの民主主義の誇りだ」という若い白人女性の喜びの声を伝えていました。私の感激は、オバマさんの当選ではなく、人種差別や偏見を乗り越えようとしているアメリカ人たちの決断への感激でした。

 中学3年生の英語教科書には、キング牧師の演説が掲載されています。小学生の皆さんには難しいと思いますが、日本語訳をつけて一部を紹介します。

I Have a Dream.
I say to you today, my friends so even though we face the difficulties
友よ、私は今日皆さんに 申し上げたい。 今日も 明日も いろいろな 困難や挫折に
of today and tomorrow, I still have a dream. It is a dream deeply rooted
 直面しているが それでもなお 私には夢がある。 それは アメリカの夢に深く
in the American dream. I have a dream that one day this nation will rise
根ざした夢なのである。 私には夢がある。 いつの日か この国が 立ち上がり、わが国の
up and live out the true meaning of it's creed, "We hold these truths to
 信条の次の言葉の真の意味を貫くようになるだろう。  『私たちはこれらの真理を自明の
be self-evident, that all men are created equal". I have a dream that one
ことと考える。すなわち、全ての人間は平等に造られている』。私には夢がある。いつの日か
day on the red hills of Georgia, the sons of former slaves and the sons
ジョージア州の赤土の丘の上で、 かつての奴隷の子孫たちと かつての
of former slave-owners will be able to sit down together at table of the
奴隷主の子孫たちとが、 共に兄弟愛のテーブルに着くことができるようになるだろう。
brotherhood. I have a dream that one day even the State of Mississippi,
私には夢がある。 いつの日か このミシシッピ州も、 このような不正義の
a state sweltering with the heat of injustice, sweltering with the heat
暑さにうだっており、 このような抑圧の暑さにうだっている この地域でさえも
of oppression, will be transformed into an oasis of freedom and justice.
いつの日か 自由と正義のオアシスに変えられることであろう。
I have a dream that my four little children will one day live in a nation
私には夢がある。いつの日か私の幼い四人の子どもたちが、彼らの肌の色によって評価される
where they will not judged by the color of there skin but the content of
のではなく 彼らの人格の深さによって 評価される国に住めるようになることであろう。

友達ってね~人権作品から

2007年03月12日 | 人権
友達ってね(小学校4年生)

友達ってね
私が泣いていたら、
「どうしたの?だいじょうぶ?」って
しんぱいしてくれる人

友達ってね
私が笑っていたら、友達も
「あっはっはっはっ」と
いっしょに笑ってくれる人

友達ってね
ケンカしても、
「さっきは、ごめんね」って
すぐにあやまってくれる人

あ~ぁふしぎだな~
友達の言葉ってまほうみたい

たかが言葉の言い換え

2006年10月08日 | 人権
私が教職に就いた70年代には、教育現場で「欠損家庭」という言葉が残っていた。それがしばらくして「母子家庭」に変わった。しかし父親と暮らしている家庭の子どもも含めなければ、ということで「母子・父子家庭」という言葉に変わった。最近では「ひとり親家庭」という言葉が使われだしている。

私にとって、欠損という言葉には冷たく暗いイメージがある。小指の欠損、片足の欠損、片目の欠損・・・それは、幼いころ街角で見かけた傷痍軍人さんの思い出に重なる。そこにあるべきものが、戦争という大きな暴力で奪い取られてしまった、そのぽっかりあいた空間が、傷痍軍人さんの苦しみを表しているように思えたのである。その冷たく暗いイメージが、家族という暖かな言葉とくっついていることへの違和感があった。

言葉の言い換えは、家族の在りようの変化とともに始まった。今や日本の総理大臣だって離婚を経験するようになったのである。両親いるのが普通で、そうでなければ「欠損」という時代は過去のものとなっている。その変化にふさわしい言葉を選ぶことが必要だと思う。

学校では過去にも「父兄」を「保護者」に、「保護者呼び出し」を「保護者面談」に、「内申書」を「成績調査書」に言葉を変えてきた。その背景には、社会の成長に遅れまいとする学校の努力があった。そして言葉を言い換えることによって教員の意識改革にも役立ったのである。

たかが言葉の言い換えと言われるかも知れない。しかし意識が変わったからこそ、使う言葉が変わったのだとも言える。意識が変わるからこそ、使う言葉を選びなおすのではないだろうか。「ママ」「お母さん」「ババア」。「パパ」「お父さん」「オッサン」。これらの言葉には、「たかが言葉の言い換え」と済ますことができないような大きな意識の差があるのとおなじように。

運動会のお弁当の思い出~大阪府職員研修から

2006年09月29日 | 人権
大阪府の教職員研修で、ある食品メーカーの人事担当者からお話を聞きました。新入社員の採用という場面で、企業側が人権という問題をどう考えているか、というお話の後、ご自身の子どもさんの運動会のときのお話をされ、深く考えさせられました。このような内容です。 

…私が妻を亡くしたのは息子が3年生に進級してまもない春のことでした。それまで会社人間であった私は、それを契機として、子どもの授業参観や懇談会に参加し、子育てと向き合おうとしたのです。秋になり、運動会がやってきました。妻は料理上手でした。私は子どもをガッカリさせないよう、前日の夜から料理本を見ながらお弁当の準備をしました。運動会の日、私は二人分の弁当を持ち、子どもの競技を見逃すまいと観戦し、応援しました。そして昼食時間。子どもの通う学校では、親子でお弁当を食べることになっていたので、解散と同時に子どもたちは親元に走り寄って来ます。二人でお弁当のふたお開けたときに、隣から「お母さんの作ってくれたお弁当おいしい!」という女の子の声が飛び込んできました。私の体は一瞬にして硬直してしまいました。気にしないでおこうと思えば思うほど、「お母さんが…」「お母さんの…」という会話が耳に飛び込んでくるのです。私はその場から逃げ出したい気持ちを必死でこらえ、砂を噛むような思いをしながら弁当を食べました。息子の顔をまともに見ることはできませんでしたが、声を殺して泣いていたのが伝わりました。みなさんの学校では、子どもたちは運動会のお弁当を誰と食べるのでしょうか。みなさんのクラスには、親を失くしたばかりの子どもさんはいないでしょうか。常に少数者がいることを頭に置くことが、人権尊重の一歩だと思うのです。… 

かけがえの無い肉親を亡くした後の悲しさを打ち消すことは不可能です。しかし、学校の配慮で、その悲しさや寂しさを軽減することができると思います。東町中校区でも10月1日には北町小・東町3丁目小の運動会、10月5日には東町中学校の体育大会が行われます。優しい心遣いが必要だと教えられました。

中学公民「裁判所」で何を学ぶか

2006年08月17日 | 人権
社会科の授業で裁判制度を学んだ中学三年生三人が、ぜひ裁判の傍聴をしたいと言ってきました。その三人に手渡したのが次の新聞投書です。犯罪者や被告人は、遠く離れたところにいるのではなく、被告人にも家族がいて、事件を起こす前には、ごくありふれた市民生活があったし、これからもあらねばならないのです。裁判は、人を抹殺するために行うのではなく、罪を犯した人を再び私たちの社会の仲間に迎えるにはどうすればいいかを、社会の構成員全体が考えるためにあるのだと思います。そんなことを気づかせてくれる投書でした。

斧孝明(団体職員42歳)
 小学三年生の息子を連れて裁判を傍聴しに行った。弁護士会が子供向けに開いている夏休みの催しに参加したのだが、私自身も裁判所に入ったことがなかったので興味深かった。テレビや映画で十分見慣れているはずだったが、手錠と腰縄で拘束された被告人が法廷に現れたときには、これはドラマではないことをはっきり思い知らされた。
 被告人は二十代の女性。容疑は覚せい剤の使用と保持。再犯。裁判は調書などを棒読みしていくだけで、退屈な流れ作業を見ているようだった。しかし、女性はずっとわれわれの方を振り向いては泣いていた。正確には、傍聴席後方にその女性の赤ん坊がいるのを見つけて、涙が止まらなかったようだ。一ヵ月余り拘束され、その間子どもに会うことを許されなかったらしい。その後もおそらくは何年かは子どものそばにいることはできないようだ。
 ほんの三十分ばかりだが、裁判を眼前にして初めて罪を犯すことの重大さが分かったような気がする。息子は身じろきもせずじっと裁判を見続け、閉廷後、再び手錠と腰縄を打たれて女性が出て行くと、「あの女の人はこれからどうなるのか」と心配顔で聞いた。息子なりに何かを感じ取ってくれたようだ。(朝日新聞1998年8月)

今日は、国際識字デーです

2006年03月18日 | 人権
手紙・・夕やけがうつくしい
わたしは いえがびんぼうであったので
がっこうに いっておりません。
だから じをぜんぜんしりませんでした。
いま しきじがっきゅうで べんきょうして
かなは だいたいおぼえました
いままで おいしゃへいっても うけつけで
なまえをかいてもらっていましたが ためしに
じぶんでかいて ためしてみました。
かんごふさんが 北代さんとよんでくれたので
大へんうれしかった。
夕やけを見ても あまりうつくしいと
思はなかったけれど じをおぼえて
ほんとうに うつくしいと思うようになりました。
みちをあるいておっても
かんばんにきをつけていて ならった
じを見つけると 大へんうれしく思います
すうじをおぼえたので スーパーや
もくよういちへゆくのも
たのしみになりました
また りょかんへ 行っても へやの
ばんごうを おぼえたので
はじもかかなくなりました
これからは がんばって
もっともっと べんきょうをしたいです。
十年ながいきを したいと思います。
四十八年二月二十八日  北代色

この作文は昭和48年、今から30年ほど前に書かれたものです。作文を書いた北代さんは、70歳を過ぎたおばあさんでした。学校に行ってなかったため字が読めず、つらい思いをしたので、なんとか字を覚えようと、『識字学級』に通いだしたのです。

『識字学級』(しきじ)とは、差別や貧困のため、学校で学べなかった人たちが、文字を獲得するため、公民館などで自主的に開いた学習サークルです。『識字学級』の取り組みは、人権を大切に思う多くの若手教師が参加することで、全国に広がりました。

月曜日の朝会で、校長先生は、字を読めない人と出会ったときのことを話しておられました。校長先生は、ちょうどこの作文が書かれたころに『識字学級』のスタッフをしていたのです。学校の仕事を終えたあと、字を学びたいという願いをもった人たちとともに、学習に取り組んでいたのです。

今日は、国際識字デーです。1965年のこの日に、イランが軍事費を削り識字教育を進めようと提案しました。この提案をユネスコ(国連教育科学文化機関)が取り上げ、国際識字デーとして世界に呼びかけたのです。現在世界には、戦争や貧困のため字を読めない人たちが10億人もいるといわれます。アメリカのハリケーン被害の中で、イラク戦費を災害防止や援助に使うべきだとの論議が起こっていると報道されています。戦争のためのお金が、人々の幸せのため使われることを願って国際識字デーの日を迎えたいと思います。(「かけはし」9月8日号より)