教育相談室 かけはし 小中連携版

ある小学校に設置された教育相談室。発行する新聞「かけはし」が、やがて小・中3校を結ぶ校区新聞に発展しました。

改定 地域・親の教育相談とどう向き合うか~いわゆるモンスターペアレントの問題を中心に

2009年07月13日 | 地域連携
以下の内容は、教育相談についての研修会レポートです。

 教員をしている30年間に、学校の教育相談(=苦情)の質と量は激変した。教育相談に割く時間は、時には深夜にまで及び、学校業務を妨げる要因にもなりかねないケースもある。ここでは、私自身が生徒指導担当者や小中学校兼務担当者として経験したケースを踏まえながら、学校への教育相談の裏に何があるのかを考えたい。

 私は、苦情という言葉を使わずに、敢えて『学校への教育相談』という言葉を使うことにしている。それは、苦情という言葉は、苦情処理という作業につながり、そこに教育課題を見出そうという教員の姿勢をあいまいにしてしまうからである。
しかし、それら教育相談の中には、明らかに学校への筋違いの要求と思われる場合もある。

 私自身は中学校教員であるが、小中連携事業のため、4年間(2005年度~2008年度)校区の小学校への兼務を経験し、高学年での社会科授業と教育相談を経験した。その小学校は、授業規律は高く、子どもたちは仲が良く、卒業生全員が地元の公立中学校に進学するという、落ち着いた学校であった。しかし集合住宅の建て替えが進む中で、地域の様子は一変した。その後の小学校で経験した教育相談の内容は、中学校教員の私には考えられないようなものも多くあった。

 例えば、急な雨が降ったとき、学校の電話回線がパンクするのではないかと思うほど電話が鳴り続ける。電話がかかってきた段階で、多くの場合、既に声は怒っている。「うちの子は、傘を持っていません。こんな雨の中、子どもを帰すのですか。」傘を持たせなかったのは誰なのかという問題は相手の意識からは飛んでしまい、「配慮のない学校教員のせいで、わが子がずぶ濡れになって帰ってくるに違いない」という想像が親の頭の中を支配しているのである。

 怒りをグッとこらえ、「大丈夫ですよ。学校には貸出用の傘をたくさん用意していますから、それを子どもさんにお渡しします。それでも心配なら、お迎えに来ていただいてもかまいませんよ。」という電話対応が、延々と続くのである。その間、傘を借りにきた子どもたちは待たされっぱなしの状態となる。

 また通行中の地域の方に、ボールを当ててしまって謝らなかったという高学年の児童を指導した際には、「どうして担任でもない先生がうちの子を叱るのか」という叱責を受け、面食らった。同時に「うちの子を 叱ってくれて ありがとう」という地域連携のスローガンの難しさを実感した。

 私は、これら小学校の経験により、中学校教員は『中学生の良識』というフィルターによって守られていたんだとつくづく学ぶことができた。同時にこのような、親の対応が出てくる背景についても考えざるをえなかった。

 親の意識の底にあるのは、第1に行政や公務員に対する根強い不信感である。年金制度の崩壊、政治家や官僚と金、食の安全の危機など、行政の機能が麻痺している中で、保護者たちの中には、「教員という公務員が、子どもたちのためを思って働いているはずがない」「公務員は大声を張り上げたり、脅さなくては働かない」と心から信じている層が少なからず存在するのである。

 第2に、親たちを包み込む社会的連帯の喪失である。父親はリストラの恐怖に対峙しており、この職がいつまで続くのか不安にかられている。地域のネットワークが崩壊する中で、母親も地域で孤立している。親たちは、自分が地域や社会から支えられていると実感できなくなっている。

 第3に、拡大する新自由主義的教育政策と自己責任論が親たちを萎縮させ、攻撃的にさせていると考えられる。「どの道を選ぶかは、親と子の自由」「失敗したら自己責任」という風潮は、保護者の中に、先制攻撃論者を作り出している。「やられる前にやれ」というわけである。
 
 第4に、残念ながら、親や子どもが経験した学校や教育行政の中に、このような親の意識を確信させるような対応が、どこかにあったのである。その意味では、全ての『モンスターペアレント』は、学校や教育行政が、初期対応を誤ったために作り出してしまったものだとも言える。

 第5に地域や保護者の主権者意識の崩壊である。主権者意識と消費者意識は、似て非なるものである。地域や保護者は子育てサービスを受け取るお客様ではない。主権者として、言い換えるなら地域や家庭での子育ての当事者として、問題に携わらなければならない。そのためには不満を口にするだけでは不十分である。主権者として、学校と共に問題解決に取り組む必要があるのである。学校は地域の重要な教育力であるが、地域も家庭も、大切な教育力なのだ。そのことを意識して、学校は地域や家庭が真の教育力になるよう、発信し、(上から目線に聞こえるが)育てていかなければならない。

 一人の教育相談の陰には、声として届かない数十倍の不平や不満がある。不満を訴えるのは、期待があるからである。一人の声を軽視せず、その学校の抱える教育課題改善のポイントを見出せば、必ずや歩み寄れるものがあるはずである。

 そのために必要なものは、①教育相談を担任だけが抱え込むのでなく、職員集団の中で解決の道を探ることである。一つの学級で起きていることは、形を変えて他の学級でも生じている。そこでの成果や失敗を共有することが、大きな失敗を防ぐためにも、必須である。

 第二に②情報公開(特に結果だけでなく、取り組みの過程も)である。知らないこと、分からないことが、間違った憶測を生む。教員の心意気も含め、こちらの取り組む姿勢を、できるだけ、問題発生前から、伝えておく必要がある。問題や課題のない学校やクラスはない。信頼を持ってもらうには、必要な情報や職員の取り組む姿勢を明示することが大切だと考える。


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