緑の街の水先案内人

都城市で緑の街の水先案内人として移る日々を写真と日記で綴ります。

日田市を訪ねて

2012年11月01日 18時21分16秒 | 旅行
11月01日(木) 



MAP:大分県日田市大原グラウンド

 今年は大分県日田市へ三回も訪問する機会を得て、何かしら心に落ち着いたものを頂いた気分であります。きっかけは、ライオンズクラブ国際協会337-B地区に関連しますイベントですが、二回目は三隈川の川開き花火大会見物で、すっかり観光客気分にひたりました。五歳から八歳までの三年間を、父親の仕事で三隈川添いの旅館街に住みました。幼少とは言え物心つく頃で、様々な場面が記憶に残りました。今回も記憶に残った町角を訪ねますと、昔のまま、記憶通りに残っている光景に出逢いました。ビックリというか、感銘したというか、六三年前の光景がそのまま重なるわけですから、これはショックというか、日田の真髄に触れた感がしました。

 二日目の午前中に豆田町探訪に時間を割いて、天領日田資料館を訪問しました。天領とは江戸時代における江戸幕府直轄領であり、代官所が置かれた場所でもあります。九州の天領は豊前四日市、日向富高、長崎、天草富岡にありました。当然の事ながら、天領では年貢の取扱や郡代役所の経理担当で有力な商人が誕生してきます。商人の誕生は町人文化の繁栄へと繋がっていきます。そんな、過去の資料を展示した天領日田資料館を丹念に見学していきますと、思いがけないものに出逢いました。

 戦後、昭和天皇は日田市へも行幸しております。記憶では昭和二三年か二四年か定かでありませんでしたが、昭和天皇御行幸の図が絵巻物として展示品の中に有ります。絵巻物は七枚の日本画で構成されており、三枚が表に見えます。その一枚は大原グランドで昭和天皇が国民に手を振る日本画があります。小学生として参加した記憶があり、日本画には小学生の姿も多数描かれております。日隈小学校と大原グラウンドまでは二キロ強か、数多く描かれた小学生の一人が、自分であると意識しますと、雰囲気ががらりと変わる気分であります。当時は天皇と国民の距離は数メートルしかなくて、もちろん、ガラスなどの遮蔽物もなくて、身近な存在でした。宿泊先の旅館が数軒離れた亀山亭旅館であったと記憶します。蛍を庭に放っていましたので、季節は六月頃でしょうか。

 こうして、訪問するごとに六三年前の記憶が形で現れますと、日田が天領で栄えた町人文化が持つ中身が自ずと伝わって来ます。その土地を離れて数十年を経ても、記憶がそのまま残る町並みを有する都市とは、いつまでも心の中で生き続けるものだと思いました。




























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