寛文2年(1662年)に旱ばつが地域を襲った。生活の窮乏から脱出するため開田への希望が高まっていき、旱ばつの被害を防止して安定した生活を確保する為には、筑後川の水を引き入れるより他に方法はなかった。こうした時代背景の中で山田井堰や堀川が誕生した。
筑後川の水を堀川用水に取水したが、一部では土地が高かった為、約220年前自動回転式の重連水車が設置された。日本最古の実働する水車として全国的にも有名な「朝倉の楊水車群」は、平成2年に「堀川用水」と共に国の史跡に指定。
現在、朝倉市には「菱野三連水車(13.5ha)」・「三島二連水車(10.5ha)」・「久重二連水車(11ha)」があり、 農地をうるおす面積は合計35haにも及ぶ。
夏の風物詩、三連水車のライトアップで、赤・緑・黄色の3色に照らされる三連水車は幻想的。お盆で帰省する人達に地域のシンボルを見直してもらおうと取り組んでいる。
しかし、想像を 絶するな災害・流木の山等の故郷の状況の、災害全般状況を知らない人達は、お盆まで普及しようとしているが無理の様な気がするも、故郷を離れて生活している故郷生まれの人達を迎えようとしていいる事に涙が出る思いである。