安倍政権による集団的自衛権の行使容認議論が進む中、憲法改正に賛成、反対の立場を取る団体が憲法記念日の3日、それぞれ東京都内で集会を開いた。
護憲派は千代田区の日比谷公会堂で「5.3憲法集会」を開催し、約3700人(主催者発表)が参加した。
共産党の志位和夫委員長は「集団的自衛権はよるべき根拠を持たないごまかしだ。戦争する国をつくることは絶対に許してはいけない」と政権を批判。社民党の吉田忠智党首は「平和国家から軍事国家へ変わる岐路に立たされている。解釈改憲を許さない声の広がりをつくっていこう」と訴えた。
集会後、銀座をパレード。渋谷区在住のホームヘルパー荒木啓一郎さん(36)は「集団的自衛権の議論では、憲法が最優先であることが無視され、国民が欺かれている。若い人たちがもっと声を上げていかないと」と話した。
一方、改憲派は新宿区内で「新しい憲法をつくる国民大会」を開催。数百人が参加し、「現行憲法では現実との間にギャップが生じ、解釈で補う方法も限界」などとする決議を採択した。
自民党の平沢勝栄衆院議員は「改正の時は間近に迫っている。国のために憲法があるのであって、憲法のために国があるのではない」と声を張り上げた。日本維新の会の桜内文城衆院議員も「現行憲法は早く改めるべきだ」と訴えた。
集会に参加した無職杉本幹夫さん(80)は「憲法改正は絶対に必要。戦後70年近く改正されていないのはおかしい」と語った。(時事通信)
追記
憲法9条あるのに文民条項制定に矛盾(一例)
心ある中高生なら、日本国憲法を学んで、憲法9条があるのになぜ文民条項なるものが必要なのか、理解に苦しむのではないか。素直に考えるなら、軍隊がないのなら軍人も存在せず、文民条項などそもそも不要なはずである。なぜこんな条項が存在しているのだろうか。
真相はこうだ。昭和21年、日本国憲法の制定過程で、いわゆる「芦田修正」なるものが行われた。憲法9条2項に「前項の目的を達するため」との一節を入れることで将来、自衛のためであれば戦力を持てることに道を開いたのである。
しかし当時、日本の占領政策に関する最高の政策決定機関であった「極東委員会」が、芦田修正の意図に気づく。将来、日本の再軍備があり得ると踏んだわけだ。極東委員会でソ連の代表が、「すべての大臣は、シビリアンでなければならない」との文言を憲法に入れさせるよう要求。この提案が通って、憲法にこの文言を加えることになった。ところでシビリアンを日本語にどう訳すか。貴族院の小委員会でさまざまに検討され「文人」「凡人」「平和業務者」などの案が出たのだという。そして結局「文民」に落ち着いたという次第。もし「凡人」が採用されていたら珍妙なことになっていただろう。
安倍政権の磐石な政権となり真っ先に憲法改正を唱えたことが、例年にない憲法改正の良否が憲法談義が各所でで行われたようなきがする・・・・
反対意見は「集団的自衛権」に絞られ国民の感心が集まった為の様な気がするする・・・・・
何故だろうか、友達が苛められているとき黙ったてていろと言うのだろうか、これでは友達でも何でもない唯の傍観者にすぎないのではないのだろうか…
反対や心配や意見を言ってる中に自衛官までいることに驚いた、もし同盟国が傍て攻撃されているとき黙って見ているようなものではないだろうか、国防に燃え入隊している人間からこんな意見は聞きたくないものだ・・・ただ、我が国に付け入る隙を与えるだ。。。。
将来必要となってくることを念頭に矛盾する条項を加える等切り貼りした憲法条文・条項・矛盾内容等を探し見直し民主平和憲法を制定する必要があるのではないだろうか・・・・・・