癒(IYASHI)

徒然なるままに令和時代のニュースなどの種を拾い癒し求めて綴ります      

■日本一の落差133メートルを誇る那智の滝!

2007年12月20日 22時38分37秒 | 癒  し

           日本一の落差133メートルを誇る那智の滝(和歌山
        
県) で19日、大みそかのライトアップを前
          試験点灯が行われ、キラキラとした“水の柱”が暗闇に浮
                               かび上がった。
          那智の滝は、熊野三山の一つと数えられる熊野那智大社
        別宮「飛瀧神社」のご神体として信仰を集めている。
         
     本番では31日夕方から元旦まで 滝を照らし初詣で客を
        迎える。日没に合わせ大型の投光器が
     点灯されると同大社に隣接する西国一番札所・青岸渡寺                                                                             
        奥に、青白く輝く水流が鮮やかに現れ観光
           客は一足早い年越し気分を味わった。(産経ニュース)

    早くも年の瀬を迎える準備! images


■「サラリーマン神話」を作った大阪生まれの大統領誕生!

2007年12月20日 20時45分01秒 | ニュース

   
          重家俊範駐韓大使と会談
李明博氏の人生はよく“神話”で語られてきた。これまで多くの人びとから「サラリーマン神話」「清渓川(チヨンゲチヨン)神話」などと称えられてきたが、今度はついに「大統領神話を実現した」と評されている。

 最初の“神話”は、韓国では異例の、サラリーマンから30代で財閥企業のトップ経営者(現代建設社長)に登りつめたビジネスマンとしての成功をいう。「漢江の奇跡」といわれた高度経済成長(1960~70年代)の“主役”だった。

 2番目はソウル市長時代、市中心街でアスファルトと高架道路を撤去し、往年の清流・清渓川を復元させるなど果敢な行政手腕をいう。

 李明博氏の代名詞は「やり手」「ブルドーザー」「仕事師」…である。大統領選出馬に際しても「大統領として5年間ほんとうに死ぬほど仕事がしたい」と語っている。じっとしていることがキライなのだ。選挙では「経済大統領」を看板に「経済はまかせてほしい」「まず暮らしから」…と経済を強調し続けてきた。

 成功した経済人で財産も多く、マスコミや反対派からは不正蓄財疑惑を執拗(しつよう)に追及された。それでも庶民をはじめ多くの国民は彼を選んだ。「何かやってくれそうだ」「暮らしがよくなりそう」という期待からだ。

 李明博氏は戦前、家族が日本に渡っていたため1941年、大阪で生まれ戦後、韓国に引き揚げた。貧しい家庭で、李少年は母の果物や草モチの行商などを手伝いながら育った。夜間の商業高校を首席で卒業しソウルの高麗大(商学部)に入ったが、いずれも学費はアルバイトで稼いだ。

 人生の忘れられない思い出は「母」と「貧しさ」だという。弱者への配慮を忘れないのはその記憶からといわれる。

 現代建設に就職し、現場重視で「死ぬほどの仕事ぶり」が現代グループ創業者・鄭周永会長の目にとまり、息子たち以上に可愛がられた。その猛烈サラリーマンの出世物語は「野望の歳月」としてテレビドラマ化され、サラリーマンたちの偶像になった。

 政治経歴は15年。国会議員の後、2002年ソウル市長に当選した。企業生活が長かったため財産問題など「たたけばホコリ」は出る。選挙ではそれが弱点になり苦労した。実績を背景にした自信家で「オレについてこい」式なため独善、独走が気になるとの声もなくはない。

 金潤玉夫人との間に1男3女がある。兄の李相得氏もハンナラ党議員で国会副議長。ご飯と生卵に醤油をかけて食べるのが好きという。出身地は慶尚北道浦項市。熱心なクリスチャンでもある。

20日、ソウルの党本部で重家俊範駐韓日本大使と会談、日韓関係について「さらに進展させることを希望し、未来志向的な関係にしたい」との考えを表明した。重家大使は、当選を祝福する福田康夫首相と高村正彦外相からのメッセージを伝達。李氏は「ありがとうございました」と日本語で応じたという。(ソウル共同)


韓国では異例の、サラリーマン時代からの、苦労話が目に付いた。
30代で財閥企業のトップ経営者(現代建設社長)に登りつめた「ブルトーザー」の異名をとった人物でると言う。日本にもそんな首相がいたことを思い出した。

戦前大阪で生まれた親日派と聞く。今までの日本に対する韓国政策は、必ずしも良い関係でなかったような気がする。

しかし、金潤玉新大統領は、今までの北朝鮮に対する「太陽政策」も見直すとと共に日本に対しては{未来志向型・人権擁護派」とも言われていることに、何かしらの親しみを覚える。

まして、
北朝鮮に対する考え方の変換により、日本の拉致問題に対する強行姿勢にも良い影響をもたらすのではとと考えたりもする。今後果たしてどういう政策をとろうとしているのか、これからの動向に注視したいものである・・・・・・・・。

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