エコでピースな市民のひろば

『ひとりの百歩より百人の一歩』をスローガンにライフスタイルやスピリチュアル系情報を交換するWebひろばです

映画「永遠の0」

2013年08月20日 | 映画日誌

ジブリ映画「風立ちぬ」
リピーターの多さからも
評価の高さがうかがえます。

まだご覧になっていない方のため
また
改めて感動を味わいたい方のため
劇場用の予告編を添付します。
↓↓↓
映画「風立ちぬ」予告編(4:15)

12月21日公開予定の
「永遠の0」も
零式艦上戦闘機
(れいしきかんじょうせんとうき)
を扱った映画です。
↑↑↑遊就館展示の零式艦上戦闘機

零式(れいしき)とは
皇紀2600年にあたる
昭和15年(1940年)に海軍によって
正式配備されたことによる名称です。
従って
一式や九六式などの名称も
皇紀を基準にしています。

ちなみに
「三八式歩兵銃」
(さんぱちしきほへいじゅう)は
明治38年に配備された
帝国陸軍の小銃です。


この作品は
ミステリーでありながら
戦記に基づいた
ドキュメンタリーの面もあり
先の大戦を振り返る上でも
とても貴重な内容が詰まっています。

著者、百田尚樹さんの
インタビューの
動画を添付します。
↓↓↓
百田尚樹さんが語る「永遠の0」(9:58)

あわせて
映画「永遠の0」の予告編も
添付します。
予告編だけでも泣けてしまう。。。

500頁超の作品も
涙とともに
一気に読めることでしょう。
↓↓↓
映画「永遠の0」予告編(0:36)

公開が楽しみです。








松蔭神社

2013年08月17日 | スピリチュアル日誌

「かくすれば かくなるものと 知りながら やむにやまれぬ 大和魂」

先日
山口県萩市にある
松蔭神社を参拝しました。
吉田松陰は
天保元年(1830年)に萩藩の武士家に生まれ
安政6年(1859年)わずか30歳の若さで
生涯を終えました。



その志たるや
今も多くの人々に影響をあたえ
松蔭神社には
先日、総理大臣も参拝されました。
境内の画像からも土地の持つ
エネルギーの高さを感じます。





松下村塾は
身分のわけ隔てなく
塾生を受け入れています。
わずか2年程度のあいだでしたが
明治維新で新政府に関わる人間を
たくさん輩出しています。


松蔭は上記の場所に
幽囚されていました。
わずか三畳ほどの部屋ですが
今も松蔭の想いが息づいているように
感じました。
松蔭神社本殿から幽囚室を臨みました。


画像は松蔭の銅像です。
正面と横から撮影しましたが
清らかな綺麗な光が
差し込んできました。


ここでは
教科書では教わらない
吉田松蔭の生き様を
感じることができます。

刑死する十六日前
下記の歌を詠まれました。
「皇神の 誓いおきたる国なれば 正しき道の いかで絶ゆべき」
 
日本の歴史は
偉大なご先祖が発見し伝承してくれた
宇宙を貫く真理が神話として
語られています。
あらためて
神話、国史を学びなおすきっかけを
頂く参拝となりました。

◎感謝



ドキュメンタリー映画「先祖になる」

2013年08月08日 | 映画日誌


映画「先祖になる」
広島ではサロンシネマで8月3日(土)に
公開されました。8月16日(金)まで。

震災、津波で甚大な被害をうけた
陸前高田の頑固な親父さんの生き様が
見るものを感動させます。
公開初日には上映後
池谷薫監督のトークがありました。



被災住民は
安全性が確保されないという理由から
仮設住宅への移動を強要されています。
佐藤直志さんは震災で息子さんを亡くした境遇にありながら
すぐに田植えや蕎麦植えを始めました。
そして
自宅を新築する夢を町内会の寄合で発表します。
まるで自分を追い込むように。。。

さらに
佐藤直志さんは決意します。
この土地の“先祖になる”と。。。

この作品は
所謂「震災映画」ではありません。
日本人が失いかけている
誇りや生き方を問い直す
強いメッセージが込められています。

公開初日の池谷薫監督のトークの様子を
動画にしました。
↓↓↓
監督トーク「先祖になる」


八月六日、あらためて読み直してみる「終戦の詔勅」

2013年08月06日 | 平和日誌

広島市は
アメリカによる原子爆弾の投下から
68年となる「原爆の日」を迎えました。
“原爆投下が終戦を早めた”という
つくられた歴史観に踊らされることなく
その
非人道性を強く訴えたいと思います。

そして
再生不可能エネルギーに
依存する暮らしから
循環型社会への移行を
すすめていく。
大きなものへの依存から
小さくとも共存できる自由へと
シフトチェンジしていきたい。
原爆の日は
御霊への鎮魂とともに
未来へのスタートの日でもあります。
チェンジはひとりからはじまる。
そう信じて
生かされている今に感謝します。
さあ
今日も笑顔で。。。



さて
天皇による「終戦の詔勅」では
原爆投下に関して以下のように表現されています。
(口語訳)
↓↓↓
『敵は新たに残虐な爆弾を使用して
罪のない人々を殺傷し、その痛ましい被害は計り知れません。
このまま戦争を続ければ我が民族が
滅亡するだけでなく人類の文明をも破壊するでしょう。。。』

八月六日を迎えて
あたらめて「終戦の詔勅」を読み返してみました。
YouTubeから転載
↓↓↓
「終戦の詔勅」


終戦の詔勅 意訳(Webより転載)

私は深く世界の大勢と
日本の現状を考えて特別な方法で
この事態を収拾しようと思い
ここに忠義の気持ちを持った国民に告げます。

私は政府に米英中国ソ連の四国に対して
ポツダム宣言を受諾することを通告させました。
もともと
日本国民の安全と世界の安全と世界の共存を
共にすることは
わが歴代天皇の残した教えで
私も大切にしていることです。
アメリカやイギリスと戦争をしたのも
日本の自立と
アジアの平和を願うからであり
もともと他国の主権を犯したり
領土に新入することは
私の気持ちではありません。

開戦以来すでに四年たち
わが陸海軍の将兵が勇ましく戦い
役人たちが懸命に働き
一億の国民が力を尽くし
それぞれ最善を尽くしたにもかかわらず
戦局は必ずしも好転しません。
世界の大勢もまた
我々に利がないことを示しています。

その上
敵は新たに残虐な爆弾を使用して
罪のない人々を殺傷し
その痛ましい被害は計り知れません。

このまま戦争を続ければ我が民族が
滅亡するだけでなく
人類の文明をも破壊するでしょう。
もしそうなれば
一億の国民を預っている私として
どうやってわが歴代の天皇の霊に
謝ることができましょう。
このことが私が政府に対し
共同宣言に応じさせるに至った理由です。

私は日本と共に
アジアの解放に協力した国々に
申し訳なく思わずにはいられません。
日本国民で戦地で死んだり
職場で命を落とした人々と
その遺族のことを思うと
悲しみで心が裂ける思いです。

また戦傷を負い
災難で家業を失った人々についても
私は大変心配しています。

考えると
これから日本が受けるであろう苦しみは
大変なものがあると思います。
しかし私は時の運に従って
耐え難きを耐え忍び難きを忍んで
後の世のために
平和をもたらしたいと思っているのです。

私は日本の国家を護ることができたので
忠義で善良な国民の真心に信頼を寄せ
いつも国民と一緒にいます。

感情のままに
みだりに事件を起こしたり
国民同士が争って時勢を乱して
そのために道を誤って
世界の信用を失うようなことは
私がもっとも戒めるところです。

国を挙げて子孫に伝え
神国の不滅を信じ
任務は重く道は遠いことを思い
将来の国の再建に向けて総力をあげ
道義を厚くして
志を堅くして
日本の優れたところを更に高め
世界の進歩におくれないよう
決意すべきです。

君たち国民よ
私の気持ちを汲んで
身をもって行いなさい。


御 名 御 璽
昭和二十年八月十四日     
各国務大臣副署



映画人 オリバー・ストーンが語る原爆投下の真実

2013年08月06日 | 平和日誌


平成25年8月5日(月)
「ヒロシマ平和へのつどい2013」に出席しました。
平和公園近くの「ゲバントホール」は
約300名の観客で満員でした。
会場外には入りきれないにも関わらず
音声をメモする熱心な方もいらしゃいました。
県外からの方も少なくありません。



「プラトーン」や「7月4日に生まれて」「JFK」など
数々の問題作を世に出した監督
オリバー・ストーン。
アメリカン大学で教鞭を取り
学生をヒロシマに引率し
アメリカの世界支配の
真実を伝えている
ピーター・カズニックの対談が
ヒロシマで実現しました。

さて
対談に先立ち約50分間
DVD「原爆投下」を鑑賞しました。
このDVDは本国でも大変注目され
メディアでの露出も高いそうです。
しかしながら
「日本への原爆投下は必要なかった」
との結論は
大きな世論になることはなく
原爆が日本を降伏に導いた
と信じる国民は
85%にのぼるそうです。



原爆投下が100万人の命を救った、
という根拠のない「嘘」が
現在のアメリカでは
支配的な歴史観であり
それを信じているほうが
“ここちよい”と感じることが
アメリカの帝国主義を支えています。

会のなかで
どの角度から歴史を眺めるのか。
民族にとってなぜ歴史が大切なのか等
様々な問題提起がされました。

日本は先の敗戦によって
多くのいのちと財産を奪われました。
しかし日本の
数千年に渡る歴史までは奪われていません。

敗戦に学び
奪われたいのちに報いるためにも
自分なりの歴史観を持つことが
求められている。。。

マスコミ報道や
各種団体の主張を聞くことも大切でしょう。
いろんな集会やイベントに参加するのも
アクションのひとつです。

しかし
それらは参考にはなっても
自分自身の“観”ではありません。
まず
内観すること。
きっと
こたえは自分自身の中にある。。。

・善か悪か?
・右か左か?
・上か下か?

歴史を紐解くと必ずしも
“二元論”
では語れない
様々な人間模様が見えてきます。
わたしたちは
知らず知らずのうちに
二元論的感覚で日々を
過ごしてないでしょうか。


外国人の対談を聞きながら
感じたことを書いてみました。

予断ですが
夕立にあたり
ずぶ濡れになって帰宅するも
数時間後には笑顔で迎えてくれる
西の空に感激し
感謝の想いを捧げました。





第六十二回神宮式年遷宮御白石持行事参加報告~其の三~

2013年08月04日 | スピリチュアル日誌


7月28日(月)は早朝から雨模様。
おかげさまで神宮周辺の空気は澄み渡っていました。
宇治橋の様子を動画にしてみました。
早朝の宇治橋

修養団からは約150名が行事に参加しました。
全国から集まった特別神領民の結団式が開催されました。







二千人がひく荷車ですが
幸運なことに先頭を担わせて頂くことができました。
綱の切り口にある「260」の数字は
綱の長さが260メートルという意味。
一本の綱に内、外で五百名毎、二本で二千人になりますね。
纏や幟を持たせて頂きました。

ひゃ~。。。感謝、感謝。。。






白石を白布に包んで
いざ御新殿へ。。。
御垣内の瑞垣内に緊張しながら足を踏み入れました。
荘厳な雰囲気にうっとり。。。
そして、熱いものがこみ上げてきました。





行事全体を通じて
時間が止まってしまった不思議な感覚に包まれていました。



式年遷宮は天武天皇がお定めになって以来
万代不易の制度として伝えられてきました。
日本固有の文化を護り、継承すること。
二十年に一度、御社殿を新しく造り替える式年遷宮は
皇租の天照大御神が常に
みずみずしくあってほしいと願うと同時に
私たち日本民族のの祈りが込められていると感じます。


西洋の「石の文化」に対し日本は「木の文化」といわれます。
神宮の建物は
掘立柱(ほったてばしら)に萱葺(かやぶ)き屋根という
実に素朴な建物です。
ピラミッドやギリシャ神殿のように
ヨーロッパや中近東では石を用いて建築物や工芸品を作りました。
建てたときは永久不滅のものだったのでしょうが
その多くが今では廃墟になっています。
しかも
建物が壊れて廃墟になっただけではなく
その多くは
信仰や精神も消滅しているようです。
日本人は
物も心も有限であるという考え方が基底にあり
有限であるがゆえにたえず新しいものに更新し続け
後世に伝えていく努力と作業を繰り返してきました。
結果として常に瑞々しい形を保ち続けるとともに
技術も物も心も永く久しく伝えられ今に至っています。


「いにしへの姿のままにあらためぬ
    神のやしろぞたふとかりける」
             (明治天皇御製)



◎第六十二回神宮式年遷宮御白石持行事報告以上







第六十二回神宮式年遷宮御白石持行事参加報告~其の二~

2013年08月03日 | 伊勢の神宮

~<左>寺岡賢さん(伊勢修養団講師)<中央>入江富美子さん(映画監督)<右>寺尾~

7月28日(日)夕刻
明日予定されている御白石持行事に先立ち
二見浜参宮において禊を行いました。
全国から大勢の参加者があるため、禊も順番待ちです。
移動のバスから降りてしばし歓談。。。
参拝後はお札を頂き、本日宿泊先の修養団に移動しました。






御白石持行事は
白石を積んだ荷車をひいて
神宮に奉献するのですが一台の車を二千人が担います。
車に繋がれた二本の綱をそれぞれ千人毎がひいていきます。
石を積んでいる車ですから
かなりの重量になりますね。





白石は神領民が白布に包んで
新殿の瑞垣内に奉納されます。
遷御後は
天皇陛下皇后陛下のみしか立ち入りが許されない場所です。
皇太子以下皇室関係者、内閣総理大臣といえど
内玉垣南御門の庇までしか入れない特別な場所に入れて頂く。
遷御前とはいえ大変貴重な体験です。
ありがたいご縁に恵まれました。

ちなみに
神宮の平面は以下のようになっています。


◎次回につづく

第六十二回神宮式年遷宮御白石持行事参加報告~其の一~

2013年08月01日 | 伊勢の神宮


今年、平成二十五年は第六十二回目の式年遷宮の年にあたります。
二十年に一度ですので前回は平成五年に行われました。
式年遷宮についてWebでは以下のように解説されています。

『20年に1度の大祭、神宮式年遷宮(じんぐうしきねんせんぐう)は、正殿(しょうでん)を始め御垣内(みかきうち)のお建物全てを新造し、さらに殿内の御装束(おしょうぞく)や神宝(しんぽう)を新調して、神儀(御神体)を新宮へお遷し申し上げる、我が国で最も重要なお祭りのひとつです。神宮の古伝では神宮式年遷宮が制度化されましたのは、天武天皇の御代のこととされ、第1回の式年遷宮が内宮で行われましたのは、持統天皇4年(690)のことです。以来、戦国時代に中絶するという事態に見まわれながらも、1300年にわたって続けられ、平成5年秋には第61回の神宮式年遷宮が古式のままに行われました。』

遷宮は大御神のお社を新しく建て替えるのみならず
お着物や日用調度品等もすべて新しくされます。
大御神が新殿に遷る祭典を「遷御」(せんぎょ)といい
内宮は10月2日、外宮は10月5日が予定されています。

その遷御に先立ち
唯一、神領民が関わることのできる行事
「御白石持行事」が7月末からはじまりました。
詳しい日程は→ココ←からアクセスできます。

御白石持行事についてはWebから引用します。
↓↓↓
『お白石持行事は、一連の遷宮諸行事のひとつであり、 新しい御正殿の敷地に敷き詰める「お白石」を奉献する 民俗行事。宮川より拾い集めた「お白石」を奉曳車・ 木そりに乗せ、沿道や川を練り進みます。
神域に入ってからは、一人ひとりが白布に「お白石」を 包み、遷宮後は立ち入ることの出来ない新宮の御垣内、 真新しい御正殿の近くまで進み、持参した「お白石」を 奉献する行事です。
お白石持行事は、国の「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」として選択され、また伊勢市の「無形民俗文化財」として指定されています。 』

7月28日(日)に伊勢に入りました。
当日のおかげ横丁の御白石持行事の様子を動画にしました。
動画はココから



◎次回に続く