根無し草のつれづれ

日々の雑感をひたすら書き綴ったエッセイ・コラム。また引用部分を除き、無断掲載の一切を禁ず。

ドクロの指輪の訳

2009-08-09 06:14:23 | エッセイ、コラム
人生40年。
これは子供の頃から考えてきた事である。
もう40歳は目の前なので今は人生40年とも言ってられないのであるが、正直長生きはしたくないと思っている。
自分の世話を自分で出来なくなる自分が嫌なのだ。

数年前の生活はヒドかった、財布には100円、10円単位でしかお金がなく、日々の食費をどう安く上げるかで頭が一杯だった。
エンターテインメントは図書館の本とラジオ。
小説、エッセイ、旅行記、滞在記などの本を手当たり次第に読みまくっていた。

生きるのは面倒臭いとは考えるものの、自殺願望は昔からなくて、ただ生活に行き詰まっていたのでやがて餓死するんだとろう思っていた。

そこに登場したのがブログというメディアである。
携帯電話も持てなかったので、1時間ネットを無料で使える場所に行き、レポート用紙に下書きした、メモを元にカタカタとキー・ボードを鳴らして、せっせと自分発信をしていた。

携帯電話もなく写真も添付出来なかったので、その頃は現在は写真で伝える事も文章で表現していた。
なので拙いながらもエッセイとしての質は今よりもその頃の方が高いかもしれない。


今は色々な人のお陰で、贅沢は出来ないものの経済的には安定した生活を送っている。

今年の春から夏に掛けても色々と悪い事が起こった。
正直、キツかった。
どうにかやり過ごしはしたが、これは自分を根底から変えなければならないと思った。

無意識に出した結論は以下の通り。

未来は信じずその日その日を楽しむ事にした。
髪を金髪にした。
ウォーキングを再開した。
胸を張って歩くようにした。
逆境も楽しむようにした。
機会をみて知らない人にも話し掛けるようにした。
笑顔を作り、よく笑うようにもした。
人の顔色は気にせず、自分のやりたい事をやるようにした。
また自分にまだ命がある事を感謝し、自分がこの世で成すべき事は何か? 自分に何が出来るのか? を模索するようになった。

そして、そういった事を通して、現在まだ辛うじて命がある事に感謝しつつ、生きながらにして、reincarnation(輪廻転生)したと思っている。
まだ完全形ではないけれど…。

最近右手の薬指に付けている指輪はドクロで、昔の自分が死に、また新しい自分に生まれ変わった証。
小指には「愛」を意味するクラーダー・リング。


「人は幾つになっても変われるのだ」と、自分が変わる事で証明したいと思っている。
ただそれは自分のペースなので、長い目でみて頂けると有り難い。

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