根無し草のつれづれ

日々の雑感をひたすら書き綴ったエッセイ・コラム。また引用部分を除き、無断掲載の一切を禁ず。

不定期連載 「雨のち愛蘭土(アイルランド)」 第一回

2006-09-17 17:22:12 | 紀行エッセイ
▼2006→1993

なぜ1993年のアイルランド旅行を2006年の今頃語ろうと
いうのか? 
それは少し前に私のアパートの給湯器が故障して水シャ
ワーを浴びなければならなかったからであり、ドラマ撮影
中の堤幸彦らしき人物をみたからであり、季節が進み朝
淹れるコーヒーの温かさが心に沁みる感じがするように
なったからであり、HMVのフリーペーパー(168号)の表紙
を飾っているカサビアンなるバンドの写真がクランベリー
ズの1stから3rdまでのCDジャケットを彷彿させる感じが
したからであり、秋雨の季節になり細かい雨が降る日が
続いたからであり、雨上がりの井の頭公園が一瞬ダブリ
ンにあるセント・スチーブンス・グリーンという公園にみえ
たからである。
そこには一般的にいって1993年と2006年が結びつく要
素は少ない。
それは上記のものに刺激を受けて、私の頭が勝手に化
学反応を起こし、過去のアイルランド旅行に思いを馳せ
ているだけだからだ。

記憶というものは不思議なもので、物事を記憶する際に
たまたま感じていた匂いや音楽を同時に仕舞い込み、
後年ふいにその匂いや音楽を嗅いだり聴いたりというよ
うな刺激を受けると、その時の思い出が凄まじい勢いで
噴出してくるという現象を起こす。
後に記憶を呼び戻す際それらのことがある種のスイッチ
のような働きを果たすからなのだろうか。

私の場合、現在がまさにそういう状態である。
偶然の事象が重なり結びつき心が、1993年、特にアイル
ランドを中心としたヨーロッパ旅行に飛ぶのだ。

1993年、それは私にとってどういう年であったか?
ひとつの学校を卒業し別の学校に改めて通い始めた年で
あり、新しい恋にときめきを覚え泥沼にはまっていく年であ
り、アルバイト先でコーヒーメーカーを使わないコーヒーの
淹れ方を覚えた年であり、ニルヴァーナとティーンエイジ・
ファンクラブとU2がニュー・アルバムを、ポール・ウェスター
バーグとレディオヘッドとジャミロクワイがデビュー・アルバ
ムをリリースした年であり、そして自身が初の海外旅行を
敢行した年であった。
そしてこれらのことが、いま私がこうして三鷹のカフェで一
円にもならない文章を綴っていることと何か結びついてい
るように思えるのだ。


▼パッセージ・トゥ・アイルランド

1993年6月、私はバックパックを背中に背負いひとりアイル
ランドにいた。
半年ほどアルバイトとして働き、切り詰められるものは切り
詰め、そうやって何とか捻出したお金で実現させた少し遅
い卒業旅行だった。
せっかく海外旅行に行くのに誰もが行くようなメジャー所で
は行った意味がなくなると思い、また前年に『遥かなる大地
へ』という映画が公開され、ブルータスがアイルランド特集
を組んだことも大きく作用し、私は卒業旅行の場所としてア
イルランドを選んだのであった。。
93年当時の『地球の歩き方 アイルランド編』は一般的に私
たちが想像する『地球の歩き方』のような情報満載で厚い
ページ数を誇る形のものではなく、“フロンティア”というカテ
ゴリーに区分された薄い作りのものだった。
旅行地としてのアイルランドは当時はまだマイナーだったよ
うに思える。

日本からアイルランドまでの直行便はまだ飛んでいない。
日本からはヨーロッパのハブ空港を経由し辿り着くのが一
般的なアプローチの仕方だ。
経由地にロンドンを選んだのは一応「何とかなる」外国語が
英語だったためだ。
それに海外旅行自体が初めてだった事もあり、空港内の単
純な飛行機の乗り換えでいきなりアイルランドに入るよりロ
ンドンで海外旅行の練習をした方が良いのではないかとの
判断だった。
さらに言えば日本⇔欧州間の往復チケットを「ロンドンIN・パ
リOUT」に設定していたためロンドンにいったん飛んだあと現
地でダブリンまでの航空券を手配する必要もあったのだ。
ロンドン→ダブリン間の航空券を日本の代理店で手配すると
思いの外高額になったか、あるいは他の何かの問題があり、
私は日本でその作業を行わなかったのだと思う。

1993年6月8日、日本から韓国経由でロンドンに飛んだ私は、
三日間の現地滞在中にロンドン→ダブリン間の航空券の手
配と街の観光を終え、12日にブリティッシュ・ミッドランドとい
う日本では馴染みのない航空会社の飛行機に乗ってダブリ
ン空港に降り立ったのだった。
初めてみるアイルランド、そしてダブリン空港は細かい雨に
煙っていた。
首都にある空港というとヒースローや成田のような大空港の
イメージが強かったので、見た感じ日本の地方空港のような
規模のダブリン空港はやけに小さく思えたのを憶えている。
一度、ロンドンでEU内への入国を果たしていたため、アイル
ランドへの入国審査はスムーズそのもの、パスポートには入
国のスタンプすら押してもらえなかった。
アイルランド入国の証拠にスタンプを押してくれるよう管理官
にせがんでみたが、これは却下された。
入国のメモリアルだ何だ、と少し粘ってみたがその答えは見
事なまでの「NO!」だった。


▼ダブリンの洗礼 1

空港内のインフォメーション・カウンターでその日の宿の手配
をしてもらう。
空港と市内を結ぶ電車はないので中心地まではバスでの移
動となる。
ホテル手配が終了した後、そのまま外に出て行動を開始する
のではなく、一度空港内のカフェに行くことにした。
コーヒーを飲みいったん心を落ち着けてから「ダブリン市内潜
入計画」を実行に移そうと思ったのだ。

コーヒーを飲みながらカウンターでのやり取りを反芻してみる。
しかし、アイルランド訛りの英語には参った。
「think」を「ティンク」はまだよいとしても「Bus」を「ブス」と発音
するのである。
一事が万事この調子の聞き取り辛い英語のオンパレード。
私の英会話能力自体も乏しいものだし、果たしてこんな訛りの
英語についてゆけるだろうか…。
そういう意思疎通がし辛い中でのホテル手配であった。
何でも私が滞在する予定のホテルに行くには、バスを途中下
車する必要があるそうで

「だから、あなたがバスに乗り込む時、ドライバーにホテル最
寄りの停留所で降ろしてくれるように頼んでおくといいわよ」

とカウンターの女性は私にアドバイスするのだった。
これからホテルまでどう行動するのかを頭に叩き込み行動を
開始する。

空港を出てバスターミナルに向かいバスが来るのを待つ。
バスターミナルには私の他には誰も見当たらなかった。
見知らぬ国で雨が降る暗い空の下、バスをひとりっきりで待つ
行為はひどく心細いものであった。
10分か20分、待った所でやっと目的のバスがターミナル内に
やって来る。

カウンターの女性のアドバイスに従い、これこれこういう事情
だからこの停留所が近くになった時には知らせてくれ、と身振
り手振りでドライバーに頼み私はバスに乗り込んだのだった。
私が乗り込んでそう間を置かず、バスは出発した。
途中の停留所でお客を拾いながらバスはダブリン中心地に向
って進んで行く。
私はバス前方の、ドライバー席に近い場所に陣取り、車窓の
外に流れていく雨の国の景色を眺めるでもなく追い、短いバス
旅行を楽しんでいた。

そんな風にしてドライバーの声に注意を傾けながらの乗車時間
が過ぎる。
しかし、なかなかドライバーから私への呼び掛けがない。
何か嫌な予感がしたので近くに座っている年配の女性に

「私が降りる停留所(名前は忘れた)はまだか?」

と問うと

「その停留所ならもう通り過ぎたわよ」

と言うじゃないか!
バスのドライバーが私の頼みを失念してしまったのか、それとも
私のヒアリング能力の乏しさのせいでドライバーのアナウンスを
聞き逃したのか、それはいまとなっては神のみぞ知ることだ。
そして、そこで私は深い考えもなく次の停留所で慌ててバスを降
りてしまった。
他にも選択肢はあったように思えるが、既にパニックを起こしてい
た私はついそんな行動をとってしまったのだった。
バスを降りた先には、工場と倉庫と空き地が点在し、飾り気のな
いフラットが立ち並び、どこか不穏な空気に満ちた、殺風景な街
並みが広がっていた。
泥水で白く汚れたアスファルトや工場の薄汚れた塀が荒涼感を
助長させ私の不安感を煽る。
吐く息も白い。
唯一の救いは、一時的に雨が上がっていたこと。
さて、これからホテルまでどうやって行ったものか…異国の街で
ひとり途方に暮れ立ち竦む私がそこにはいた。

<次回に続く>