気になること

視点を変えて、近頃気になること

傾聴ボランティア(8)名前を覚えたい

2015-02-26 10:43:55 | 傾聴
 傾聴に行って、以前会ったことのある方には、名前を呼んで挨拶するとスムーズに会話に入れる。しかし余程努力して覚えておかないと、なかなか名前を覚えられない。
 老人施設での傾聴では、話し手さんの前で名前だけであっても、メモを取らないようにしている。メモを取る場合は、終わってから記録する。何かの調査と間違われないためである。ただ、話者の自分史的なものを作る目的や、「予めテーマを持たない聞き書きで想像を越えた深い話しを引き出す」(六車由美著『驚きの介護民俗学』)ためにメモをする方法も報道されている。
 TVで見た、あるホステスさんの方法は、細かい顔の特徴を覚えるのではなく、名前を入れた写真を撮るようにイメージとして記憶するという。他の番組では、「お名前は?」と訊いて、相手が不審そうに苗字を答えたら、「下の名前を聞きたかった」というなど、どこでも苦労している話をしていた。
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傾聴ボランティア(7)仏教の小乗と大乗に関連して

2015-02-17 15:41:09 | 傾聴
 傾聴の目的の一つは、相手が話すことによって考えの整理が付いて自分なりの判断や納得に至ることができれば、そのお手伝いをすることにある。傾聴者に解決策を求めてはいない。
 別次元ではあるが、佐々木閑著『日々是修行』に、「小乗とは、この世を神秘なき法則の世界と見て、その中で自己救済を目指す道であり、大乗とは、その法則性を超えた神秘作用を信じ、そこに救いを求めていく世界である。神秘性に頼って生きることが難しい現代では、小乗が利己的で偏狭な教えということはなく、人生の貴重な道しるべである」とある。
 超単純比較だが、傾聴の「話すことで自分の気持ちを整理」の様子は、小乗の「(修行などによって)自己救済を目指す道」に似ているような気がする。
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傾聴ボランティア(6)人は死ぬと宇宙の塵になるという考え方

2015-02-08 12:44:32 | 傾聴
 ある老人健康施設入所の高齢の女性から、「今、ここでは車椅子なので動くのが困難だが、死後は宇宙に行って自由に動きたい。そういうことを考えると、死も怖くない」と言われ、びっくりした。誰かが言ったことなどではなく、ご自身で考え至ったことと思われたからである。女性が考えたことは、いかにも深遠であることを感じる。
 「宙」の連想だが、西野バレエ団を創始した西野皓三氏の著書『西野式呼吸術』には「宙遊」という概念が紹介されている。心地よい温泉につかり、身体がふんわりと自然に浮かんでいるような状態で、近代的イメージでは無重力空間を自由に遊泳しているような状態に近いという。呼吸法などにより「宙遊」でいられるようになると、潜在能力が現れるという。
 捉え方は少し異なるが、戸塚洋二著『がんと闘った科学者の記録』のp.219には、死の恐れを克服する考えの一つとして「宇宙」が出てくる。「宇宙や万物は、何もないところから生成し、そして、いずれは消滅・死を迎える。遠い未来の話だが、“自分の命が消滅した後でも世界は何事もなく進んでいく”が、決してそれが永遠に続くことはない。いずれは万物も死に絶えるのだから、恐れることはない」
 飛んで、『華厳経』はこの宇宙全体が仏だと言っているという。その仏が慮舎那仏・毘慮遮那仏である。密教の大日如来と同じだそうです。
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傾聴ボランティア(5)認知症の方の傾聴はできないか

2015-02-03 12:01:47 | 傾聴
 認知症の方の傾聴は難しい、傾聴の意味があるのか、と本人に関わる人は悩みます。
 「認知症は病気であり治療薬の研究も進んでいる」という説明は、今まで認知症が痴呆と言われ、周囲の誤解や偏見を受けていた時代から脱却する過程でよく言われた。今では、認知症に対する社会の理解も年々深まっている。しかし病気と言ってしまえば医師と患者の関係だが、認知症の場合は医師と介護する人の関係になるので、まだ治せる薬が無い以上、対応を考える必要があるという。
 進行を遅らせる薬はあるが未だ治せない病気(近く治療薬ができると言われているが)であれば、薬に頼るほかに、生活を豊かにするための工夫が必要である。言い換えると、「認知症が脳の病気だと言ってしまうと、本人の不適切な言動や暴言暴力等はすべて病気のせいだということになり、本人の訴えはまともに取り上げられなくなる。
 「認知症は脳全体の病気でなく、記憶を中心とした部分であり、ものの見方や考え方、感情や他人への配慮や気遣いには、ほとんど影響を及ぼさない。それを理解しない介護者の対し方は、症状を余計悪化させている可能性がある」という。
「認知症高齢者の現在ある姿を、何か問題を抱えている人としてではなく、今のままでいいのだと肯定的に捉え、優しく丁寧に向かい合うのが大事ではないか」ともいう。
 医療が間に合わない分は、傾聴ボランティアも何かできそうな気がするが、具体的にどうしたらよいかいつも悩む。参考文献の「介護者の対し方」に準じた態度が必要と思う。
  参考文献:① 上田諭 著『治さなくてよい認知症』
         ② 『月刊 傾聴ボランティア 平成26年12月号』(ホールファミリーケア協会)

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