平太郎独白録

国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し、独自の歴史観で語ります。

クォ・ワディス! その2 「関西電力社長 太田垣士郎」

2005年09月30日 | 思想・哲学
親愛なるアッティクスへ

昨日に続いて、「クォ・ワディス!」第二弾です。
昭和43年公開の映画に「黒部の太陽」というものがあります。
あの石原裕次をして、「人生を振り返ってみれば、どれもこれも一生の思い出だけど、その中でも、 やっぱりあのときは・・・と、思うのは、やはり『黒部の太陽』だな。」と言わしめた作品です。
当時の大スター、三船敏郎と石原裕次郎の夢の共演ということもあり、当時としては記録的な盛況をはくした一大傑作映画だそうです。
私も一度、見てみたいと思っているのですが、何でも石原裕次のこの映画への思い入れは相当の物があったようで、一般にDVD化などはされていないと聞きました。
ただ、DVD化はされておりませんが、先般、NHKプロジェクトXでも取り上げられましたので、あらましはご存じかとも思いますが、これは、関西電力が、7年の歳月513億円の巨費171人の犠牲者を出して完成した、「黒部第四ダム」の完成までの物語です。

映画自体のことは一旦、さておくとして、この工事の最中、破砕帯にぶつかったことで、泥流が噴き出し、にわかに、工事の先行きに暗雲がたれ込めたそうです。
このとき、報せを聞いた関西電力社長太田垣士郎氏は、幹部らを伴い、現場に急行。
駆けつけた太田垣社長らが、そこで見た物は、押しつぶされた掘削機械の残骸などが無造作に転がり、辺り一帯からは、大量の泥流が噴出している・・・。
太田垣社長は、しばらく、それをじっと見つめていたが、おもむろに、傍らにいた現場監督に向かい、「では、見せてもらおうか。」と言葉をかけたそうです。
現場監督は慌てて、「いつ地崩れがあるかわかりませんし、ガスが発生しているところもあって大変危険です!おやめ下さい!」とこれを押しとどめる・・・。
それに対しての、太田垣社長の一言。
「その危険なところで作業させているのは、社長の僕なんだよ。」
そして、笑みを浮かべると、「さあ、案内してもらおうかね。」と言い、狭い坑道の中を一列になって入っていくと、泥流の中で悪戦苦闘している坑夫たちに、「ご苦労さん、ご苦労さん。」と、声をかけてまわったそうです。

太田垣氏の死後も、このとき同行した関西電力の幹部たちは、社長のこの一言が、いつまでも耳に残っていたと言います。

「クォ・ワディス!」です。御同輩。

参考:コラム de H!NT | 太田垣士郎資料館

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クォ・ワディス!その1  「陸軍大将 今村 均」。

2005年09月29日 | 歴史的教訓
親愛なるアッティクスへ

昨日、平太郎独白録 「三洋電機に見る『裸の王様』現象」の中で、三洋電機の創業者である故井植歳男氏について述べましたが、改めて、リーダーとは如何にあるべきかということについて考えさせられました。

ソフトバンクの孫氏や楽天の三木谷氏などのように、きらめくばかりの才智をお持ちの人はいいとしても、私のような愚鈍な人間は、そういう立場に置かれたならばどうするか・・・。
何もリーダーというものは、起業や企業に限ったことではありません。
非常時の消防団や、地域の自治会長などもまた、然り。
いつ、そういう物が廻ってこないとも限らないのではないでしょうか?
となれば、いざ、そういう立場に立たされた時、私同様のお考えの方は、あるいは、少なくはないようにも思えます。
では、自ら、機転が利いた才智タイプではない・・・という人は、どうすればいいのか?
その道標の一つとなるのではないか・・・と思わせられるのが、「クォ・ワディス!」です。

これは、20年以上前、学生時代の私がむさぼるように読んだ、大橋武夫という人の本の中に書いてあったことなのですが、抜粋しますと、「紀元六四年、ローマでは皇帝ネロ(37~68年)がキリスト教徒の大虐殺を行おうとした。そのとき、辛うじて収容所を脱出した数人の教徒が必死の逃避行を続け、夜昼かまわず走りに走った。
ローマの町から相当はなれ、もう大丈夫!と一息ついていると、難民の流れにさからって、こちらへ急いでくる人影が見える。キリストである。
「クォ・ワディス(神よ!どちらへ行かれるか)?」と、教徒のうちのリーダーが不思議そうに尋ねたら、「ロ-マへ!」と答えて、さっさ!と行ってしまわれた。
リーダーの耳には「お前は自分だけ逃げるのか」と聞こえた。
「私はたくさんの信者をすててどこへ行こうとしているのか?」と思いいたると、彼の足はハタ!ととまって動かなくなってしまった。
……彼は直ちに引き返し、急いでローマに帰って、進んで収容所に入り、多くの仲間と運命をともにして殉教した。彼の名は使徒ペテロである。」ということだそうです。

おそらく、聖書か何かに載っていることであって、史実ではないと思いますが、ここだけ読むと、イマイチ、ピンと来ませんが、この後に、同書にはこの好事例の出来事が書かれていました。
以下、再び抜粋します。
 「大東亜戦争敗戦後、多くの軍人の評判は悪かったが、今村大将だけは不思議な人気を全国的に幅広くもっていた。
 私は同じ偕行社(陸軍軍人の社交クラブ)の役員として、戦後接触が多かったので、よく視察したが、要するに普通の人である。
 軍事的才能や政治手腕なら、彼より優れた軍人はいくらでもある。
 偕行社の経営についても、わけのわからぬことを主張してわれわれを苦しめるなど、老人共通の頑固さもタップリ持っていた。
 しかし、さしもの私が、どうしても頭のあがらないことが一つある。 
 それは「クォ・ワディス」である。
 今村大将はこれと同じことを、それも至極たんたんとやってのけたのである。

 オーストラリア(豪州)の戦犯収容所は虐待で有名であり、温和、仏のごとき今村大将ですら、豪州兵の鉄拳制裁を免れることは出来なかった。
 減食、苦役の懲罰などは日常茶飯事で、無法な絞首刑を乱用されて恨みをのんだ者も数知れず、死の収容所と恐れられていた。
 ラバウルの軍司令宮だった彼は、豪州軍の裁判で10年の刑を言い渡されたが、ラバウルに行く前に蘭印(イジドネシア)攻略の軍司令宮だったので、今度はそちらへ送られた。
 オランダの軍事法廷に立たされ、死刑を求刑されたが、具眼の裁判長により無罪と判決され、連合軍トップの意向によって巣鴨で服役することになり、日本に帰って来た。
 まさに九死に一生の生還である。
 ところが今村大将は「マヌス島で服役させてくれ」と請願した。
 連合軍の厚意を無視した申立てであり、連合軍当局者もまず驚き、つぎには危険を説いて、熱心に引き止めたが、どうしても聞きいれなかった。
 ラバウルに収容されていた戦犯者は、その後豪州のマヌス島に移されたが、ここの虐待ぶりはさらにひどく「このままでは全員餓死して、再び日本の土を踏める者は皆無であろう」といわれるほどであった。
 今村大将はこれを知っていたのである。
 死地に陥ったとき必死で戦うのはできないことではない。
 しかし、いったん九死に一生を得た後、ふたたびその死地に赴くことはなかなかできるものではない。
 ところが今村大将は再び死地に赴くことを再三再四懇願して、ついにマヌス島に赴いたのである。 
 まさに使徒ペテロの心境であり、そしてペテロに優ったのは、熱誠をもって収容所員を説いて待遇を改善させ、無事全員を率いて内地に帰還したのである。
 今村大将の行ったことは軍を率いる将帥としては当然のことである。
 しかし、「もし私があの立場にあったら、今村均大将と同じ行動がとれるだろうか?」とひそかに自問自答してみると、どうも私にはその自信がない。
 それで、私は大将に頭が上がらないのである。」

「クォ・ワディス!」です・・・。御同輩。
これを行うのに、村上ファンドやホリエモンのような、才智は関係有りませんぜ・・・。御同輩。

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三洋電機に見る「裸の王様」現象

2005年09月28日 | Weblog
親愛なるアッティクスへ

三洋電機が、「今年7月に打ち出した1万4000人の人員削減を約1年半前倒しし、06年度上期までに完了する方針を固めた。」というニュースが、今朝の日経で目に付きました。
参照:MSN-Mainichi INTERACTIVE 今日の話題
大阪府守口市の本社土地建物も証券化などの手法で売却し、北条工場(兵庫県加西市)を閉鎖し、用地を売却、生産をしていない足利工場(栃木県足利市)、吹上工場(埼玉県吹上町)など遊休工場の用地も売却し、有利子負債返済に充てるそうです。
「主力のデジタルカメラや携帯電話などの不振が続き、リストラの加速が不可欠と判断した。」とのことですが、我々から見ると、むしろ、今頃?というのが正直なところではないでしょうか・・・?

中でも、北条工場は1947年(昭和22年)に、創業者である故井植歳男氏が10人余りで自転車用発電ランプの生産を始めた、言うならば三洋の創業工場だそうです。
当初から海外への雄飛を志し、太平洋、大西洋、インド洋をまたにかける!というのが、三洋の社名の謂われだそうですが、そこを売却するのは、往事を知る関係者には、やむを得ないこととは言え、まさに断腸の思いでしょう・・・。

ただ、得てして、こういう老舗名門と名が付く企業は、気位だけは高く、そのくせ、古株の重役連中などに、妙に都合の良いシステムが出来ていたりするようです。
で、そういうところは、TOPには「悪い話」は上がってこないとか、側近はイエスマンばかりだったり・・・といった「裸の王様」になっているケースが、往々にして見受けられるようです。
現経営陣も、社外取締役の野中ともよ氏を会長兼CEOに、3代目である井植敏雅副社長を社長兼COOにするなど、人事面でてこいれを計ろうとしていたようですが、一方で、桑野幸徳社長は取締相談役に退いたものの、二代目である井植敏会長は、そのまま、代表取締役にとどまっている辺りなど、イマイチ、わかってない・・・「裸の王様」のようです。

私も、8年ほど前でしょうか、友人から、「新しいの買ったから」と、三洋のデジカメをもらったのですが、折から、ウィンドウズ95から98に変わったので、それに適合したドライバーをダウンロードしようとしたところ、三洋だけが、ドライバーのアップデート有料でした。
ふざけやがって!と・・・。
以来、二度と三洋は買わん!と思いましたね。
買ってませんけど・・・(笑)。

で、ご承知のように、三洋電機の創業者の井植歳男氏は、経営の神様と呼ばれた松下電器創業者の松下幸之助氏の奥さんの弟であり、松下電器創業時からの社員だったそうですが、その後、松下電器の成長と共に、松下の番頭から、戦後、独立して、三洋電機を起こしたと言う経緯をお持ちの方です。
その井植氏も独立したときは、財界などから随分と奇異な目でみられたらしいですね。
井植歳男と松下幸之助の関係を、義経頼朝に例えた見方もあったそうです。

ところで、彼が松下の番頭だったとき、もう一人、松下には有能な番頭がいたそうで、一方は三洋を興したが、もう一方は大成しないで終わったそうです。
私は松下幸之助は嫌いですので、今日、名が残っていないからと言って、彼の言うことを盲信することはしませんが、その両者の違いを、松下幸之助が何かの本で語っていた記憶があります。

人からお褒めにあずかるときの違いだったと思いますが、もう一人の方が、
「**さんは、いい番頭さんや。松下さんは、いい番頭はんをもってますなぁ。」だったのに対し、
「井植さんは、いい番頭はんや。松下さんには、ああいう、いい番頭さんが何人もおるらしいですなぁ。」であったとか。
松下曰く、「二人とも僕に対しては忠実で、いい番頭だったが、人間の本心というものは、どこかに出るものです。それが、成功、不成功というようなことに繋がるんですな・・・。」
住友銀行が、借金担保に創業資金を融資したという伝説を持つ、井植歳男の私心のない人格の面目躍如!というところでしょうか・・・。
まあ、どんなに傾いても、危機感に乏しく、それでいて、自らの保身にだけは熱心な二代目会長・・・、何をか言わんですね・・・。

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先の衆議院選挙で覚えた違和感!

2005年09月27日 | 政治システム
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先日、毎日新聞の 今日の話題:小泉さんも「重複ばかげた話」というコラムに、郵政民営化法案反対派に、小泉純一郎首相がぶつけた「刺客」戦術と小選挙区比例代表並立制という選挙システムについて載ってました。
これを見ると、小泉首相自身、小選挙区比例代表並立制というものを「忌み嫌って研究していた」そうですね。

私の国政選挙の制度に対する基本的な考え方は、このブログの一番最初、平太郎独白録 「思うところ是有り候」の中で述べております通り、国会議員大選挙区であるべきものだと思っております。

私が今回の衆議院議員選挙に於いて、一番、違和感をもったのが、落下傘刺客抵抗勢力も皆、連呼する、ある一つのワードについてでした。
それ即ち、「地元の為に!」・・・。
地元の声を国政に!」、「地元の発展の為に!」、「地元の皆さん」・・・、地元地元・・・って、それ、何か違ってません?
国会議員というものは、本来、国政を議論するべきものでしょう?
地元という、その狭い地域さえ栄えれば、国は滅びてもいいのですか?
地元の繁栄の為に働くのは、地方議員の仕事ですよね?

確かに、この制度になって、「自民党の派閥政治を崩壊させた」という点は評価しなければいけないでしょうし、大選挙区制になれば、特定の団体が擁立する政党などの躍進も許すことにもなり、二大政党制による政権交代という自浄能力を期待することは困難になるでしょう。
しかし、それでも、こういった小選挙区制というものは、あくまで改革を進める上での経過措置であるべきで、国会議員の本来の姿は大選挙区制であるべきではないでしょうか?

参考までに、上記コラムから一部抜粋しますと、
【小泉首相は海部内閣時代に浮上した小選挙区制に対し、反対派議員連盟代表世話人を務めていた。
91年に首相は後援会機関誌のインタビューにこう答えている。
「小選挙区選挙で落選しても、比例代表の名簿で上位に登載されていれば当選することになる。これは、有権者の判断よりも政党幹部の判断が優先することになる。」
また、友人に対して、「(一つの選挙区に1人を選ぶ過程で)党の権限が強くなりすぎ、公認が党主導になってしまう。重複立候補もばかげた話だ」と語っていたとも言う。】・・・と。

となれば、小泉さんは、自らが批判していた制度を使って、抵抗勢力を一掃することに成功したことになるわけですが、それは即ち、この制度の弊害というものを、実際に目に見える形で表現したということでもあり、小泉さん自身、この制度は改革の為の経過措置的な物であり、未来永劫残すべき物だとは思っておられないように思いますが、一方で、なかなか一旦出来た制度は替えにくい・・・ということがあり、この点が懸念されます。

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昭和は遠く成りにけり・・・

2005年09月26日 | Weblog
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昨日、息子の社会のテストを、初めてのぞき見ました。
成績自体は本人の・・・、いや、当家の名誉の為にも伏せさせて頂きますが、我々が習った頃は、「四大工業地帯」として京浜、中京、阪神、北九州が上げられておりましたが、当時から、「北九州の未来は暗い」と習ったくらいですから、その点では、予想通りというか、案の定、北九州工業地帯のシェアは、わずか2%程度で、瀬戸内、東海、北陸、内関東、京葉などに抜かれ、最下位でかろうじて名前が載ってました。

驚いたのは、今は、中京工業地帯京浜工業地帯を抜いて第一位なんですね。
さらに、これとは別に、東海工業地域もまた、上位におり、中京・東海を併せると全体の20%をも占める一大生産拠点になっていました。
京浜が京葉を併せても13%くらいだということを考えると、あらためて名古屋経済の景況感、ひいては昨日閉幕した愛知万博の盛り上がりの裏付けを見たような気がしました。
トヨタ様々なんでしょうが、まあ、考えてみれば、今時、何も東京のど真ん中で物を作る必要は無いですし・・・。
あと、驚いたのが内関東(?)工業地域、北陸工業地域などというものがあることです。
我々が小学校時代は聞いたこともなかったですが。
まあ、北陸や瀬戸内・東海は面積がでかいですから、一概に言えないでしょうが、これは逆に言えば、点在している状態だから工業地域以上の物ではないと言うことであり、その点では、北九州は最下位ながら、面としてみた場合には未だに工業地帯(四大工業地帯という言葉は、三位との差があまりに開きすぎたからか、もう使われておりませんでした・・・。)の一角を占めているということなのでしょうか?
以前、平太郎独白録 「百年後の教科書」の中でも申し上げましたが、知らぬ間に、時代は
我々を過去へと押しやっているようです(泣)。

ついでに、4~5年くらい前でしょうか、まだ、新聞紙上を「バブルのツケ!」、「バブル崩壊の後遺症!」などという言葉が、多々、賑わせていた頃、ある酒席で若い女性と話したところ、「バブルって何だったの?」と聞かれました。
「???」と思い、返事をためらっていると、その女性曰く、「だって、私まだ子供だったから、知らないんです。」と。
「は??何??」 と思っていたら、「だって、私、今、22歳ですけど、バブルってもう10年くらいまえのことでしょう?まだ、私、小学生だったから・・・。」と。
12歳と言えば、まさしく、我々の年に於ける「オイルショック」みたいなものかと・・・。
思えば、我々が生まれる16年前までは戦争があってたんですよね。
今から16年前と言えば、まさしく、バブル崩壊ではないですか!
我々の父祖が、我々が生まれた頃に、戦争中を思い出すというのは、まさしく、我々がバブル崩壊を思い出すような程度の距離感だったのかと・・・。

そして、そうこうしているうちに、平成フタケタ生まれが出てくるのでしょう・・・。
「うちの兄貴は、平成ヒトケタだからさ・・・。」
「おまえんちはいいよ。うちなんて、姉貴は昭和生まれだぜ!」
「えー!おめーんちの姉ちゃん、昭和生まれなの!まさか、四大工業地帯なんて言うんじゃねーよなー!」
・・・などという会話が交わされるようになるのでしょう・・・。
まさしく、昭和は遠く成りにけり・・・ですぜ・・・(泣)。御同輩!

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「桿木風に弱し!」

2005年09月24日 | 思想・哲学
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以前、20年くらい前でしょうか、西武VS東急戦国史という本を読んだことがあります。
なかなか、あの!西武東急が成立していく過程を講談本的に描いた、なかなか、面白い本だったのですが、その中で、20年近く経った今でも、大変、印象に残っていることがあります。

先日、平太郎独白録 「総理大臣になれなかった自民党総裁が見たエライ親父!」の中でも申し上げましたように、河野一郎元農水大臣同様、西武の創業者にして先代であるピストル堤こと、堤康次氏や、東急の創業者、強盗慶太こと五島慶太氏もまた然りで、あの時代の、いわゆる明治生まれ大物というのは、まあ、時代的な背景もあったのでしょうが、現代のホリエモンこと堀江氏や楽天の三木谷氏のように、決してスマートではない・・・、むしろ、そういったきれい事に身を包むという必要もなかったのでしょうが、本音という核の部分がむき出しの家長的雰囲気を持っていた人が多かったように思えます。
(「ピストル堤」は、右翼に銃で威嚇射撃されても、まるでひるまなかったというエピソードから・・・、「強盗慶太」といのは、余りにも強引な企業合併・・・つまり、乗っ取りを次々としかけることからそう呼ばれたのだと。)

で、私が印象に残っている部分というのは、堤康次と西武がその拠点である、東京池袋に対する姿勢です。
昭和22年公職追放中の身であった堤康次は、東京池袋東口の土地、一万六千坪のうちの一万坪を「地元復興のためぜひ売っていただきたい」と懇願された際、本来、ヒューマニズムなどというものとは、まったく縁遠いはずの彼が、なぜか、それに応じて、放出しようとしたそうです。
折から、坪千円だった地価三千円に高騰していたことで、重役や株主の中には、「近い将来、武蔵野百貨店の焼跡に西武百貨店を建設しなければなりません。三倍に値上りしたのだから、一万坪では三千万円になりますが、しかしその土地にたくさんの商店が開店されるのは西武百貨店のためにはなりますまい。あくまでも独占しておくべきです」と、反対する者もいたと言います。
一見、至極もっともな意見に聞こえますが、これに対する堤康次の答えこそが、まさしく卓見だったと思います。
「それでは発想が逆だ。西武百貨店のためになるからこそ売るんだ。喬木は風に弱し、というではないか。たくさんの商店や飲食店ができれば、それも発展するだけ群衆が多く集まる。ひとりでに街になる。そうさせておいてそのまん中に、わが西武百貨店をでーんと建てれば、なお効果的になるではないか」

一本でぽつんと立っている木は風に弱い・・・。
思わず、卓見だと思いました。

周辺にさまざまな雑木が繁っていてこそ、それらが防風林の役割を果してくれる。
一店だけで独占していると地域に広がりが出ないと言う意味もあるでしょうが、それだけでなく、一店だけでやっていると、一見、独占収入のようにも見えますが、何かあった場合、一店だけで陳情などの活動をするのと、業界団体として活動するのとでは重みが違ってくるのではないでしょうか?

また、西武百貨店が、東急の地元、渋谷に店を出したときに様々な妨害にあったのに対し、東急が西武の地元、池袋にデパートを出そうとしたとき、当然、反対すべきだという社内の意見を抑え、堤康次はこれを容認したと言います。
そのときの、堤康次の発想こそ、まさしく、「桿木(喬木)風に弱し!」でしょう。

堤康次という人物は、衆議院議長を務める一方で、ピストル堤と呼ばれたような、あくの強い経営者で、「社員は皆、明智光秀だから、信用するな!」などと言ったという、その意味では、今の西武の凋落ぶりの根本を作ったという点で、功罪半ばする人だったのかもしれませんが、この「桿木風に弱し!」という一点に於いては、経営者として、素晴らしい資質を持っていた人だと思わざるを得ないように思います。

ちなみに、表題の「桿木」と文中の「喬木」ですが、同書の中では「喬木」と表示されていますが、私は同書の中に、なぜか、「桿木」とわざわざ、走り書きを入れております。
もう、20年も前のことで、なぜ、そういう書き込みを入れたのかは覚えておりませんが、(あるいは、別の本などでそう表示されていたのかも。)わざわざ、入れているということで、当時の私を尊重し(笑)、表題のみは敢えて、この表示にしました。
誤り等、有りましたら、どうぞ、遠慮無くご指摘下さい。

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「アキラ・カトーは神様だ!」

2005年09月22日 | スポーツ
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加藤明という人物をご存じでしょうか?
私も、一年ほど前まで知りませんでした。

加藤明という人は、昭和40年から単身、ペルーに渡り、17年間でペルー女子バレーボールを世界レベル(最終的にソウルオリンピック銀メダルが最高位)にまで引き上げ、そして、その二年後の昭和57年(1982年)3月20日、ペルー・リマ市内の病院で、突然、客死した人です。
享年49才。

その人が死んだら、大げさでなく、ペルー中が悲しみ、2時に死んだのに、深夜まで、一晩中、弔意を表す車のクラクション鳴り続けたと言います。
棺を持つ葬列は、もの凄い群衆で埋まり、人々は狂ったように泣き叫んでました。
皆、口々に言います。
「アキラ・カトーは神様だ!」と。

こういう生き方もあるんだよなって・・・。
色々なところで行き詰まっている私には、少し考えさせられる生き方でした・・・。

無論、加藤明がペルーをここまで引き上げるまでには、経済的な面、言葉の面に限らず、様々な、並じゃない苦労があったようです。
やはり、戦争が終わって、何もないところからはい上がってきたあの時代の日本人だからこそできたんだろうな・・・などと思っていたら、そんなことはなく、やはり、ペルーに着いて早々の加藤明は、バレーボールどころじゃない、あまりの現実の前に、相当、途方にくれたみたいですね。
その意味では、彼の17年間という物は、我々が思っているほど平坦な物ではなかったことは確かでしょう・・・。
そして、それがわかっているからこそ、ペルー人の多くが彼に感謝し、彼の死を悼んだ・・・。
「上を向いて歩こう」だったか、加藤明の教え子たちは、今でも、皆、この歌を日本語で歌うそうです。
「涙がこぼれ~ないように♪」って。

参考:【加藤明。昭和30年、慶應義塾大学を卒業後、当時の八幡製鐵に入社。
当時は9人制であった前衛のレフトとして活躍し、6人制でも第4回世界選手権大会(昭和35年)の日本代表に選ばれるなど、バレーボール選手としては華麗な経歴を誇り、そのセンスは天才的であったとさえ言われる。
しかし、その選手寿命は意外に短く、その年に引退。
その後、指導者の道を歩むこととなり、低迷していた母校、慶応のバレー部監督を引き受け、見事、1部に復帰させ、さらには昭和39年のインカレでは強豪を次々破って優勝に導くなど、指導者として非凡な才能を見せ、これにより、南米ペルー女子バレーの代表監督を委ねられることとなる。】

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固定資産税は天下の悪税!

2005年09月21日 | 政治システム
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「固定資産税」という税金があります。
誰しも、税金というものを喜ぶ人はいないのでしょうが、私はこの税金こそはまさに天下の悪税だと思っております。
なぜなら、この税金の旨みは、得た利益所得に対してではなく、その評価によって課税できることだからです。
そういうと、すぐに「金持ち優遇!」と目をつり上げる人たちがいるようですが、そこには「他人が払う分には関係ない」、「金持ちが払うのなら、むしろ喜ばしい!」という感情論が根底にあるように思います。
しかし、何度も申し上げていますように、政治には「原理原則」というものが大事なのです・・・。

まず、固定資産税とは、言うまでもなく地方税であり、市区町村と言った自治体の収入となるのでしょうが、一方でこれら自治体の中には、かなりの数の公営住宅を所有しているところも少なくなく、となれば、それ自体、民間の賃貸経営者を圧迫しており、そればかりか、さらに、その賃貸経営者からも固定資産税を徴収しているわけですから、まさに「官業の民業圧迫」以外の何ものでもないわけです。
つまり、公営住宅からの家賃収入に加え、競争相手からも収入を得られるという、民間では考えられない仕組みが出来上がっているわけです。
そして、そういった圧倒的に旨い仕組みの上に成り立っている官は、一定期間経ち、古くなった公営住宅は平気で建て替えることが出来、さらに競争力を増します。
自治体は笑いが止まらないでしょう。

本来は、自治体は、住民からの家賃収入を得ているわけですから、逆に固定資産税は廃止していいのではないでしょうか?
それが出来ないなら、少なくとも評価ではなく収益の中から取るようするべきだと思います。
金持ちでなくとも、一戸建て持ち家を持っている年金生活者もいるわけですから・・・。
また、土地だけあっても、特に今の時代、借り手がいない場合もあり、そんな土地を持っている人は結局、競売にかけられるしかなくなります。

もっと言えば、自治体ばかりか、住都公団や他の官の組織も、同様の事業を営んでおり、それらまで入れると、公営住宅というものは、もの凄い数になると思われます。
さらにさらに、それら公営住宅を行政が管理することによって、住宅供給公社の維持や、アニータ(笑)にも繋がっているわけです。
そもそも、戦後住宅難時代でもないのに、どうして、こんなに官が住宅を所有する・・・建て替えてまで所有し続ける必要があるのでしょうか?
官が公営住宅を所有するのであれば、地方税は無しにしても良いのではないでしょうか?

ちょいと、がありながら書いてますので、我ながら、イマイチ、何を言いたいかわからなくなってきましたが、要は金持ちが優遇されようと、自分には関係なかろうと、「官業の民業圧迫」という原理原則をないがしろにするべきではない・・・ということを言いたいわけです。
細かいところは突っ込まないでください(笑)。
今日は、今日だけは・・・武士の情けです・・・。

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「もったいない」は罪悪である!

2005年09月20日 | 思想・哲学
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昨今、「もったいない」という言葉を国際語にするとか何とかで新聞でよくみかけますが、これは私のように食い物を残したら親から死ぬほど殴られた世代には心情的には理解できるのですが、こと、現代日本ではこの言葉は「罪悪」だと思います。

昨今のコンビニにしても、リサイクルショップにしてもそれを強く感じます。
リサイクルショップの「お売り下さい」のチラシには、「春夏物衣類は1-6月、秋冬物は7-12月しか買い取りません」と書いてありました。
彼らは古本でもそうですが、すぐに売れる物しか買わないようですね。
今日仕入れて、今日のうちに売れる物が彼らにとって引き取りの対象なんです。
これ即ち、以前、平太郎独白録 アレキサンダー大王の強さの秘密、「時間差攻撃!」でも申しましたように、結局、「スピード」なんですよね。

つまり、彼らにとって、いつか高値で売れるかもしれないような名品はもう必要ないということのようです。
これは、即ち、倉庫に大量の在庫を抱えることはしないということであり、結局まあ、あらゆる業界でコンビニ化が進んでいると言うことでしょうが、即ち即ち、これを支えている前提・・・、つまりは、「もったいない」罪悪にしている大前提というのは、技術革新サイクルの早さと、大量消費社会だと思います。

「もったいない」と言って、物を大事にしていたら、技術革新が進んで、結果、「もう、今時、こんな物使わないし。」ということになってしまうし、商店にしても、結局、使うアテのない大量の在庫が残る事になるだけのことであり、となれば、挙げ句が高いお金を払って、処分することになる・・・。
技術革新を否定することは、今更、出来るはずもなく、社会が後戻りすることも考えられない以上、「もったいない」は、かつて、仏教がその発祥の地、インドで根付かなかったように、必ずや、その言葉の母国によって否定されるでしょう。

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「男とは、生き恥をさらした分だけ、男である。」

2005年09月17日 | スポーツ
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来月から福岡市ではゴミ袋が変わるります。
分別回収は以前から施行されていたのですが、今回は値上げだそうです。
まさか、あんなものが変わると思ってないから、まとめ買いしていた私としては、今、慌てて、ゴミ袋を使い切ろうと、色々なものを処分しています。
そしたら、まあ、出てくるわ、出てくるわ・・・。
昭和6年のものまで出てきました(笑)。

で、粛正の魔の手は、ついに、私の聖域である蔵書類へと及びました・・・。
最低限のいらない本などを処分しようと思い、手にとって、中をパラパラとめくったところ、手紙のような物が・・・。
???と思い、手に取ってみると、私の筆跡で古びたレポート用紙が二枚。
内容からして、おそらく、1988年(昭和63年)、時代が平成へと変わる直前の物だと思いますが、ちょっと、面白い(?)内容ですので、何かの参考にでもなればと思い、以下に転載してみました。
誤字脱字の類は無いようですが、文章的におかしい部分も、敢えて、そのときの雰囲気を伝える為に、そのままにしております。
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5月21日の巨人-阪神6回戦。7回表、阪神の攻撃。
代打、田尾の本塁打で阪神は一点を返し、一点差。
続く1番大野にヒットを打たれたところで、ここまで良く抑えてきた水野をあきらめ、王監督、「投手、斉藤」を告げた。
斉藤は、2番和田の送りバントを処理して、一死。
つづく、3番掛布を敬遠気味にあるかせて、一死一、二塁。
向かえる打者は4番岡田。
ここで、再び王監督、「投手、鹿取」を審判に告げる。

私が問題にしたいのは、このときの斉藤の気持ちである。
迎える打者が左で、左投手に交代させられるのならわかる。
しかし、迎える打者は右の岡田で、変わる投手も右の、しかも、同じサイドスローの鹿取である。
どうもこのとき、解説の堀内氏の話によると、鹿取は水野が打たれた時点では、まだ仕上がってなかったようだ。
どうせ、2番和田は送ってくる。3番掛布は左だから敬遠させればよい。その間に鹿取を仕上げればいい。

結果的に鹿取は、このピンチを切り抜け、のこりのイニングも抑え、逆に巨人は8回に追加点を入れて、逃げ切った。
王監督にはそれなりの計算が合ったとおもう。
去年の実績、対戦打者のデータ等を考えて、鹿取の起用となったと思う。
だが、斉藤はどうだろう。
「2番、3番はどうせ打ってはこない。鹿取が出来るまでの使いすての代用品だ。監督は俺のことをこういうふうにおもっているのでは。あの場面では、おれでなくてもよかったんだ。しかも、鹿取は今シーズンは、イマイチ、ピリッとしない。それなのに、今シーズンに復活をかける俺よりも、鹿取なのか。」ではなかったか。
「人をバカにするのもいいかげんにしろ!」といいたかったとおもう。

実は、私にも同じような経験がある。
数年前、私はベテランの戦列離脱に伴い、少々、荷がおもい仕事をまかされた。私は私なりに奮戦していたつもりだったが、ある程度メドがついたところで、ベテランの復帰。
翌日には私は降格され、その仕事はベテランに任され、私は業務報告すらうけつけてもらえないありさまだった。
このとき、私はやりきれなさに身を震わせたのをおぼえている。
私はベテランがかえってくるまでの代用品にすぎなかったのである。

斉藤もそうだったのではないだろうか。
翌日の読売新聞には、その部分を「変わった斉藤も四球で傷をひろげ、一、二塁となったところで鹿取に交代。・・・」の数文字しかのっていなかった。
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王監督というのは、言うまでもなく、あの!現、福岡ソフトバンク・ホークス監督にして、WBC日本代表監督候補の王貞治氏です。
王監督は、この年を最後に巨人のユニフォームを脱ぎます。
参考までにこの年、48歳の王監督率いる巨人の成績です。
 68勝 59敗 3分 勝率.535 で首位とのゲーム差122位 

翌年、変わった藤田監督の下で、斉藤雅樹投手は最多勝利投手、最優秀防御率など、様々なタイトルを総なめにし、チームも見事、優勝を果たします。
以後、斉藤は見違えたような活躍を始め、11連続完投勝利などの様々な記録を打ち立てた大投手となったことは記憶に新しいことと思います。
参考:セ・リーグ年度別個人タイトル

同じ事をさせるのでも、「厳しいと思うが、ここは君しかいない!」と言って任せられるのと、「誰でもいいんだが、他にいないから君にやらせる。」では、任せられた方の気持ちはまるで違うと思うのです。
今や、すっかり、「世界のホームラン王」ではなく、「平成の三原脩」などと言う言葉も出てくるくらい名監督としての名声が確立した観がある王監督ですが、名監督、一日にしてならず・・・。
こういう時代もあったんですね。
やはり、ダイエーに来て、あまりの成績低迷の前に、外野席に「王!辞めろ!」の幟が立ったり、生卵をぶつけられたりしたことが、彼をして一皮剥けさせたのではないでしょうか?
私のときも、下請けから「あの人が責任者なの?じゃ、アナタは一体、何だったわけ?」と言われたのには、本当に参りましたね・・・。

「男とは、生き恥をさらした分だけ、男である。」
いつもの、手前勝手な持論ですが、私はそう思って、日々、浮き世を生きております。
全身の血が逆流するような思いを味わってこそ・・・。
違いますか?ご同輩!

ちなみに、これはちょっと、笑えます。
王さんも、何だか、うんこもおしっこもしない、神様みたいになっちゃってるけど、生身の人間なんだよな・・・って感じで。→王貞治伝説

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民主党代表選とトリニータ大分が内包する根本的問題点。

2005年09月16日 | Weblog
親愛なるアッティクスへ

今朝、たまたま、ついてたテレビのニュースショーを見ていて思ったことが二つ。
ひとつは、民主党代表選挙の問題であり、(参照:MSN-Mainichi INTERACTIVE 政党)、もうひとつが、トリニータ大分経営難の問題(参照:MSN-Mainichi INTERACTIVE サッカー)でした。

民主党の問題は、まさか、これほど、自民党が勝つとは思いませんでしたが、基本的に日本には二大政党制はなじまないということは9月2日付けの平太郎独白録 日本に二大政党制はなじまないの中で述べていた通りだと思ってますし、トリニータ大分に限らず、サッカーが興行的には難しいことも、8月27日付の平太郎独白録 興業としてのプロスポーツのあり方の中で述べたとおりです。
そう考えてきたならば、この二つの問題は、かなり、根本的な部分で致命的な問題を内包しているように思えるのですが、如何でしょうか?

その上で、敢えて言うならば、民主党は次の選挙で勝って、早期に政権交代を成し遂げ、国民に政権担当能力があることを示す必要があることは言わずもがなのことでしょうが、問題は、政権を取ってから、結局は中身は自民党と一緒じゃないか・・・といわれないようにしないといけない!ということでしょう。
岡田民主党が大敗した理由こそ、口では改革と言いながら、政権を取る為に抵抗勢力の側に立ち、否決に廻ったこと、つまり、改革より政権優先したことにあったのでしょうから。
この点は、かつての、浜口雄幸内閣に対して、政権を取ることだけを優先して成立した犬養毅内閣の、その後の蹉跌というものが、あまり、教訓とはなっていたようには思えません。
野党と言えども、本当に日本の為になるのであれば、是々非々で望むべきなのでしょうが、いつの時代も、日本の野党野党ではなく、野盗なのでしょうか・・・(苦笑)。
その意味では、岡田民主党には期待していたのですが、内部が旧態依然たる寄り合い所帯では、政権を取っても、改革などおぼつかなかったでしょう。
ともあれ、この4年間が、民主党の、ひいては二大政党制の未来を決めることになるかもしれませんね。

トリニータ大分の方は、今月中二億円がないと存続は難しいなどと言う段階になっては、もはや、当面の繋ぎ資金確保を最優先にしないといけないでしょうが、県が公的資金を導入することに対しては、サッカーに興味が無い人に理解を得ることは難しいのではないでしょうか?
となれば、経営危機に目処を付けた後は、平太郎独白録 球団経営の論理の中で言ったとおり、かつてのダイエーホークスと同様に、球団をマザーズなり何なりに上場し、株式を公開するしかないでしょう・・・。
ファンなれば株を持ち、ファンで無い人は持たない。
となれば、公的資金のように県民の理解を得る必要もないわけえですから。
もっとも、問題は上場した以上は、配当が出せるほど収益を上げなければならないわけでしょうが、ここから先が経営努力なのでしょう・・・。

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連動する日米の政権・・・。そして、小泉後・・・。

2005年09月15日 | 国際問題
親愛なるアッティクスへ

「名にしほふ 杜の都の まぶしさよ 
    胸にしみいる 仙台のまつ」     平太

秋ですね。
すっかり、いい風が吹いてます。
何年か前、仙台へ行った折り、青葉城跡から市内を眺めたときの句です。
ちょうどそのときも、何ともいい風が吹いてたことを思い出しました。
でも、どっかで聞いたような句のような気もしないでもないんですが・・・(笑)。

ところで、先般からの衆議院選挙での自民党大勝の結果を受け、さっそく、小泉後がささやかれるようになっているようですね。
中には圧倒的多数を作った功績から、小泉院政が始まるなどという声があるようですが、(任期が区切ってある以上、独裁にもファッショにもならないでしょうに・・・。)小泉さんが院政するならいいんです!
そうではなく、問題は小泉さんの後、就任当初から300もの議席を抱えた新たな政権が誕生するということなのです。
そして、私が特に危惧して止まない理由。
それが、戦後の「日米の政権は連動する」ということです。

思えば、アイゼンハワー岸信介の思考も似通った戦中派大物同士。
次の時代に新しい風をと共に登場しながらも、共に志半ばで倒れたケネディ池田勇人
共に問題はあるけど仕事は出来る、ニクソンがウォーターゲートで失脚すると、ロッキードで田中角栄失脚
財閥上がりのフォードには、大蔵省(現財務省)大物次官上がりの福田赳夫
カーター大平正芳という共に影が薄い政権が続いた後、強いアメリカを標榜するレーガン政権が誕生すると、タカ派、中曽根康弘が登場し、共に再選される。
見た目のクリントンには、同じく見た目の細川護煕・・・。

無論、両国首脳の任期が違う為、まったく同じとはいかないし、中にはこじつけのように思える物もあるでしょう。
しかし、ケネディと池田勇人、ニクソンと田中角栄、レーガンと中曽根康弘、クリントンと細川護煕・・・。
要所要所で、余りにもカラーが似すぎていると思われませんか?
で、ここで注意すべきは、この現象は、ケネディと池田勇人を除いて、すべて、アメリカで先に政権が誕生しているという点です。

思えば、こういうものは、比較的、我々の身近でも起きる現象のように思えます。
私がかつて、在籍したことがある団体でもかつて、自民党が割れたら、その団体でも同じことが起きました。
今回も似たようなことがあったようです。
私の勝手な解釈で言わせて頂くと、こういった現象は、偶然でも何でもなく、やはり、それに触発されて起きる物なのだろうと思います。

そうなると、ブッシュのような***が出てきた後には・・・。
そして、小泉さんの後継者候補の中に一人、どうしてもブッシュとだぶりそうな人がいるんですよ・・・。
ちなみに、最初にその人を除外して、その後、消去法で選んでいったら・・・、何と!該当者無しで、再びその人に戻ってしまいました・・・。

今のアメリカの見事なまでの混乱ぶりを見ると・・・、本当に恐ろしい気がします。

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何も決まらないのは、間違った策を選択するより弊害が大きい。

2005年09月14日 | 歴史的教訓
親愛なるアッティクスへ

郵政解散、自民圧勝で何かと世上は騒がしようでうすね。いかがお過ごしでしょうか?
小泉総理は、政権担当中の最優先課題自ら「郵政民営化」に設定したわけでしょうが、このことに対し、「国民が一番望んでいるのは年金だ!」等々、色々言われる向きもおありだとは思いますが、私はこれはこれでいいと思います。
総理大臣にならん欲するほどの政治家は、政権をとってから、その時点で国民にアンケートを実施して、その要望を聞き、政策を考えるのではなく、総理になる前から、国家百年の計に鑑み、なにがしかの持論のひとつくらいはあってしかるべしではないでしょうか・・・。。
持論を背骨として、その上で、その時々の課題には対処していけばいいのであって、これだけ官僚機構が発達しているのに、「持論があるばかりに課題に対応できない」ということもないと思うのですが・・・。

一方で、私としては、余りにも色々な人がそれぞれに色々なことを言うのにも、ちょっと、閉口気味です。
「何も決まらないのは、間違った策を選択するより弊害が大きい。」 と言います。
小泉さんの場合、背骨(目的)は「構造改革」であり、それを達成する為の最重点課題(目標)が「郵政民営化」だったのでしょうし、(私としては、出来るかどうかは別にして、この国の一番の問題点は、持論として申し述べておりますように、「行政と立法の分離」であると思ってますから、)郵政民営化が改革のすべてであったかと言われれば、そうは思いません。
思いませんが、仮に適切でなくとも、一国の総理大臣が「改革」の一環として「本丸」と位置づけているのですから、もう少し、信じてあげてもいいのではないでしょうか・・・。

ここまで考えてきて、この点で、私としては思いを馳せることがあります。
幕末、ご承知の通り、薩摩藩維新主役となったのと対照的に、隣の肥後熊本藩は大幅に出遅れたわけですが、その要因として、「薩摩人は一旦、上に信頼する人(西盛)を担げばその人に一切を預ける。」のに対して「肥後人は一人一党主義で、それぞれがそれぞれに主張し、最後までまとまらなかった。」ことが大きいと言われています。
これを端的に表すのが、薩摩の「議を言うな!」と言う言葉と、肥後の「肥後の議倒れ」と言われる言葉でしょうか・・・。

無論、私も薩摩方式がベストだとは言いません。
もし、一旦、上に立つ人間がおかしくなれば、ネズミの集団自殺のようなことに成りかねないからです。
しかし、肥後方式最悪の選択肢だということは言い切れると思います。
肥後熊本藩士たちは、維新後、西南戦争においても、同様の軌跡を繰り返します。
それぞれに、それぞれの主張をしたことで、熊本県士族を挙げての行動には至らず、さらに、西軍に加わった者たちも、それぞれにそれぞれの主張と思惑の元、少人数単位で参戦しており、これでは勝っても評価は小さく、負ければ抵抗のしようもない・・・。

「何も決まらないのは、下策を採るより弊害が大きい。」
ナポレオン戦役当時プロシア参謀の言葉だったと記憶しております。
戦争中、プロシアは戦場となったことで、眼下で戦うフランスと連合国のキャスティングボードを握る立場にあったそうですが、にもかかわらず、ナポレオンに付くか連合国に付くかで、散々、紛糾した挙げ句、結局、連合国側として出兵したときには、既に連合国は敗走しており、結果、ナポレオンからは出兵したことを咎められ、連合国側からは「あいつが間に合わなかったばかりに負けた!」として軽蔑の対象となったと言います。
改革も大英帝国衰退のプロセスを見るまでもなく、皆がそれぞれの主張をすれば、結局、何も決まらずに終わる・・・。

その意味で、一番、ベターなのは長州方式でしょうか。
それまで、散々、議論はしながらも、一旦、決定したことには異を唱えない。
如何でしょうか?

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アメリカに対する、世界帝国としてのイギリスの一日の長!

2005年09月13日 | 国際問題
親愛なるアッティクスへ

先般、イギリスロンドン同時多発テロ以降、捜査に当たっていた警察官にブラジル人の無実の若者がテロリストと誤認され射殺された事件がありましたが、その件で、最近、また、監視カメラがどうのこうの、警察の言い分と違っていたのどうの・・・ということが話題になっているようですね。
事件そのものは、当然、私などのあずかり知ることではありませんが、その経緯に関しては、知れば知るほど、考えれば考えるほど、イギリス人アメリカ人の違いについて感じるところが強くなります。

事件後、スコットランドヤード(ロンドン警視庁)は、すぐに誤認射殺であったことを認め謝罪しました。
これを見ていると、絶対に謝らないことで世界的に有名なアメリカ人を思い浮かべてしまいます。
一般に「米英」とひとくくりにして言われることも多い両国ですが、こういった違いはあらゆる所に見て取れるようです。
「靴を履かない民族に靴を履かせなかったイギリス人に対し、アメリカ人はむりやり靴を履かせて嫌われる」とは、よく靴を民主主義にたとえて言われることですが、このテロ対策においても違いが見て取れるようです。
アルカイダ以前から、すでにIRA(アイルランド共和軍)のテロの脅威にさらされていたイギリスは、テロを力で押さえ込むことへのコストの高さを知り尽くしているのでしょう、テロを力で押さえ込むのではなく、テロに走ろうとする者たちを走らせないようにする政策、つまり、テロの温床を無くす政策を根気よく実行しています。
(この辺のことは、映画マイケル・コリンズをご覧頂ければ、背景的なモノはまあ、おわかり頂けるかと思います。もっとも、当のアイルランドでさえも、この映画に対しては、とかくの批判があるとは言いますが・・・。私も、随分前にこの映画は見ましたが、ヒロインは何と!今をときめくジュリア・ロバーツだったんですね。今、知りました(笑)。)
それに対し、アメリカはアフガンイラクと、ひたすらにで押さえつける・・・。

まさに、北風と太陽の世界でしょうが、こういったことを考えれば、どうしても、世界帝国の先輩としては、イギリスに一日の長があるように思えますが、如何でしょうか?
これは何も、9.11以降に限ったことではなく、アメリカという国は、元々、建国以来、力といういものをひたすら信奉することで成長してきた国(開拓していく上で頼りになるのは自分の力だけという、いわゆる、フロンティア・スピリット(開拓者魂)。つまりは、西部劇のジョン・ウェインの世界。)であり、これがアメリカという国の価値観だとはよく言われることですが、ただ、かつてのイギリスがそうであったように、もう、アメリカもテロを力で押さえ込む事への割の合わなさというものに気付くべきではないでしょうか?
もっとも、アメリカの言う国のアイデンティティがそうである以上、それを放棄するということは、アメリカの凋落を意味することになるのかもしれませんが・・・。

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自分で変革することができない国にとってのEU

2005年09月12日 | 国際問題
親愛なるアッティクスへ

昨日の衆議院選挙、自民党の圧勝でしたね。
これで、小泉さんも思い切り、改革に邁進できるのではないでしょうか・・・。
思えば、このブログでも何度か触れてきましたが、私はかねがね、「内閣総理大臣というものに、あんな小さな権限しか与えていないにも関わらず、よく『改革のスピードが遅い。』なんて財界もよく言えたモノだ・・・。」と思っておりました。
「痛みを伴う改革というモノを標榜する政権を、国民は安易に見捨てるべきではない!」とも思っておりました。
この小泉改革が潰されたら、もう日本は、かつて幾多の改革に失敗して凋落していったイギリスのようになることを覚悟しなければならなかったでしょう。
色々言う向きもお有りかとも思いますが、私は今回の選挙結果には大いに満足しております。

しかし、内閣総理大臣というものは、それほど小さな権限しか持っていない・・・と同時に、TOPが議会の最大与党の党首行政のTOPを兼ねるという点で、本来なら、「内閣総理大臣というものは、戦前の旧帝国陸軍とGHQを併せたほど強いものだ。」と言う声もありました。
しかし、その内閣総理大臣という制度を、ここまで現実に使いこなした総理大臣は小泉さんが初めてなのではないでしょうか?

その点で、思い出した話があります。
以前、トルコEU加盟問題がまだ、俎上に乗っていた頃、テレビで、トルコ人のジャーナリストがEU加盟について聞かれて、「トルコはまだ自分で変革することができない国なのです。だから、EUに入ったほうが無難なのです。」と言っていたことがありました。
でも、よく考えたら、これって、もしかしたら日本一緒じゃないの・・・と。
過去に幾多の改革が潰されてきたわけですし、郵政を民営化する程度の改革でさえも、これほどの困難が伴うくらいですから・・・。

やはり、日本もトルコも、王朝交代という方法によって新陳代謝を繰り返してきたオリエントなんですよ。
その点でいけば、これから先、(世界的に王朝制の復活繁栄はないと仮定したならば、)日本には残念ながらアメリカからの外圧というものでしか、改革を進める選択肢しかないのでしょうが、その点でEUというのは単一大国ではない分、いきなり傘下に入っても大国エゴをそれほど押しつけられる心配が少ないと思われ、ウクライナなどは元より、カザフスタンなど、トルコの動き次第では長い目で見て、EUへの期待が一層高まると思われます。
大国のエゴに苦しんでいる途上国と言う点では、北アフリカ諸国などもEUの準加盟国といった加盟の仕方も有り得るのかもしれません。
また、今後、EU加盟という選択肢を持たない国々でも、あらゆる意味で大国のエゴを牽制する必要がある国にとっては、EUというのは「頼る」という点で、新たな選択肢として考えられるのかもしれません。

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