カヌーの選手が先輩からドーピング薬入れられたって話ですが、私は飲む方も飲む方だけど、良心が咎める方も咎める方で、まあ、いかにも今の時代らしいなと。
で、こんなこと考えるのは私だけかと思っていたら、しっかり、被害者側の意識の低さを指摘する声もあるとか。
元男子陸上競技で五輪出場経験者の為末大さんによると、「誰かから渡された飲み物は飲むな。ペットボトルはかならず開けた時に音がするか確かめろと言われた」と。
これを「スポーツの世界にあるまじき」などと思うのは、豊かさに慣れきった現代日本人ならではかと。
明治期の記録を読んでいると、謡曲だったかの世界では、ライバルの美声を潰すために、お茶に水銀を入れるのが横行していたと。
事実、それで、せっかくの美声がダメになって消えていった人がたくさんいたとか。
そのため、出された飲み物に軽々に手を付けることはなく、みんな、絶対に自宅から持ってきたお茶などを飲んだそうで、楽屋でも、当然、そこら辺に軽々しく置いておくなどということはなく、弟子や身内などの信用できる人に監理させていたとか。
これが、「プロ意識」ですよ。
この点は、昔は競争社会ではどこでもあったことなんじゃないでしょうか。
その背景にあって、見逃せない要因の一つが、「貧困」なのだろうと思います。
かつて、西鉄ライオンズの大投手・稲尾和久氏は、入団当初、打席でデッドボールを辛うじてよけると、自軍ベンチから「当たれ!」という声が聞こえたと。
当初は、「当たってでも塁に出ろ」という激励の声かと思っていたら、そうではなく、本当に「当たれ!」で、「ボールが当たって、あいつが怪我すれば、俺が試合に出られる」という意味だったとか。
稲尾さんが入団したのが昭和31年ですから、まだ、戦後11年。
「もはや戦後ではない」との言葉が白書に載った年ですが、人々の生活は本当に苦しく、同じ西鉄の主砲・中西太氏は行商でリヤカーを引く母に少しでも楽をさせたいと思ってプロ入りしたというし、毎日オリオンズの榎本喜八選手は戦時中に母は病死し、父はシベリア抑留にあったため、幼少期は祖母と弟と三人の生活を余儀なくされ、為に、時には穴が空いた屋根から霜が降りることもあったとか。
他の選手も、おそらく、多かれ少なかれ似たような境遇だったのでしょう。
であればこそ、巨人の川上哲治選手のように、チームの打撃練習時間の大半を一人で使ったという話も出てくるわけで。
つまり、誰もが生きるために必死で、他人を押しのけて取って代わることに何の疑問も持たなかった・・・と。
ただ、問題は、そんな昔のこと・・・などと言うのは現代日本人だけだということ。
世界の大半ではまだ、昭和の日本人と同じような環境で生きている人たちがたくさんいるわけで、そういう環境からオリンピックに出場してきた連中と戦うのに、「まさか、薬を入れた水を飲まされるなんて」とか言っている方が甘いわけです。
昔なら、「水銀じゃなくて良かったですね」・・・と声を掛けられたでしょうね。
平太独白
で、こんなこと考えるのは私だけかと思っていたら、しっかり、被害者側の意識の低さを指摘する声もあるとか。
元男子陸上競技で五輪出場経験者の為末大さんによると、「誰かから渡された飲み物は飲むな。ペットボトルはかならず開けた時に音がするか確かめろと言われた」と。
これを「スポーツの世界にあるまじき」などと思うのは、豊かさに慣れきった現代日本人ならではかと。
明治期の記録を読んでいると、謡曲だったかの世界では、ライバルの美声を潰すために、お茶に水銀を入れるのが横行していたと。
事実、それで、せっかくの美声がダメになって消えていった人がたくさんいたとか。
そのため、出された飲み物に軽々に手を付けることはなく、みんな、絶対に自宅から持ってきたお茶などを飲んだそうで、楽屋でも、当然、そこら辺に軽々しく置いておくなどということはなく、弟子や身内などの信用できる人に監理させていたとか。
これが、「プロ意識」ですよ。
この点は、昔は競争社会ではどこでもあったことなんじゃないでしょうか。
その背景にあって、見逃せない要因の一つが、「貧困」なのだろうと思います。
かつて、西鉄ライオンズの大投手・稲尾和久氏は、入団当初、打席でデッドボールを辛うじてよけると、自軍ベンチから「当たれ!」という声が聞こえたと。
当初は、「当たってでも塁に出ろ」という激励の声かと思っていたら、そうではなく、本当に「当たれ!」で、「ボールが当たって、あいつが怪我すれば、俺が試合に出られる」という意味だったとか。
稲尾さんが入団したのが昭和31年ですから、まだ、戦後11年。
「もはや戦後ではない」との言葉が白書に載った年ですが、人々の生活は本当に苦しく、同じ西鉄の主砲・中西太氏は行商でリヤカーを引く母に少しでも楽をさせたいと思ってプロ入りしたというし、毎日オリオンズの榎本喜八選手は戦時中に母は病死し、父はシベリア抑留にあったため、幼少期は祖母と弟と三人の生活を余儀なくされ、為に、時には穴が空いた屋根から霜が降りることもあったとか。
他の選手も、おそらく、多かれ少なかれ似たような境遇だったのでしょう。
であればこそ、巨人の川上哲治選手のように、チームの打撃練習時間の大半を一人で使ったという話も出てくるわけで。
つまり、誰もが生きるために必死で、他人を押しのけて取って代わることに何の疑問も持たなかった・・・と。
ただ、問題は、そんな昔のこと・・・などと言うのは現代日本人だけだということ。
世界の大半ではまだ、昭和の日本人と同じような環境で生きている人たちがたくさんいるわけで、そういう環境からオリンピックに出場してきた連中と戦うのに、「まさか、薬を入れた水を飲まされるなんて」とか言っている方が甘いわけです。
昔なら、「水銀じゃなくて良かったですね」・・・と声を掛けられたでしょうね。
平太独白