はずれの映画辞典

映画とは生きものの記録です、この世に生きる者が、こうして生きようじゃないかと訴えます。惚れた映画を毎日連載します。

「リトル・マイ・サンシャイン」~人生劇場

2009-01-31 09:18:06 | Weblog

  リトル・マイ・サンシャイン 2007年1月  主演 スチーブン・カレル


 解説

 サンダスをはじめ、多くの国際映画祭で賞賛された映画で、第19回東京国際映画祭でも最優秀監督賞、主演女優賞などを受賞した作品である。
 この映画が世界的な映画の評価を受けた裏には、アメリカほか、世界的な傾向である個人主義、それが陥りがちな利己主義、そしてそれが家族の絆を破壊している傾向がある、この映画はそこに着眼した所に価値があるのだろう。
 美少女コンテストのクイーンを夢見る少女とその個性的な家族が、エンジンのかからない壊れた黄色いワゴン車に乗って千キロもあるコンテスト会場へ出かけて行くが、その間に起きた出来事を見せている。
 主人公の家族を演じるのは、「40歳の童貞男」のステイーブ・カレル、「インハーシュズ」のトニー・コレット。

 物語

 小太りの大きな眼鏡をかけたオリーブ(アビゲイル・ブレスリン)の夢は美少女コンテストで優勝することだった、地方予選で惜しくも選ばれなかったが、優勝者が薬物使用ということで繰り上げ優勝となり、全国大会のコンテスト会場があるカリフォル二アのホテルまでアルバカーキーの山の中から約千キロ飛行機に乗る金が無いから車で出かける事になった。
 
 この家族は複雑で、オリーブの父と母は、仕事があまりうまく行っていない家族で、ゲイと麻薬の常習で身を滅ぼしたオリーブの叔父さん、オリーブの優勝だけが楽しみなコンテストに出るための知恵をつけるグランドパパ、兄はパイロットを目指してはいるが何もしないで、家族とも口を聞かない自閉症気味の兄貴、そんな環境の家族だが、オリーブのためにオンボロワゴン車に乗り込む。
 この道中の出来事で家族は家族の固い絆がある事に気がつく。


 感想

 コンテストと聞けば、苦労した結果栄冠を獲得するーハッピーエンド・・・、という筋書きがセオリーだがこの映画は、本当の勝者は誰なのかを映画の中で語り、家族の絆とは何かを、見る人にリアルに見せて考えさせる素晴らしい映画である。

 感じた度 ★★☆


「リンダ・リンダ・リンダ」~人生劇場

2009-01-30 08:59:13 | Weblog

  リンダ・リンダ・リンダ  2005年  監督 山下敦弘  出演 ペ・ドウナ(韓国)
                       出演  前田亜季  香椎由宇  関根史織

 解説

 解散から10年たった今も根強い人気ロックバンド、ザ・ブルーハーフの曲を文化祭で演奏しようと言う女子高生たちの練習風景を描き、演奏するだけの記録映画のような劇映画、でも韓国のペ・ドウナを入れて色をつけているので何とか見られる。

 物語

 何故文化祭なのかなんて討論はない、何故バンドやるかなんて討論もない、でもなんとなくバンドやってみようか、と遊び仲間三人がバンドを始める、ボーカルが居ない、そうだ、韓国の留学生のソン(ペ・ドウナ)に頼もうか、それやってどうしようという事は無いただやりたいというだけ。
 これと言い、まともなのは居ない、しかし、馬鹿にグレている馬鹿なのも居ない、かと言って、キチガイじみてお祭りやろうなんてファイトのある奴も居ない。先生も間延びしている、やりたい奴が勝手にやれば、良ければ見るからテな調子。
 
 そんな生徒たちの四人の女子校生がバンドの練習をして柴崎高校ひいらぎ文化祭に講堂で演奏する、すると、その音楽に対しては、生徒たちは異常な反応を示して喜ぶ。
 司会者も、進行係もいないイベント、勝手に出てきて勝手にやる文化祭、この最後のシーンだけがやたらに盛り上がって不気味さを見せるのは何故だろうか。

 感想

 高校生から見たら俺なんかは、ずーっと先の方の将来に見えるんだろうと思う、親戚に一人女子の高校生が居るが、こちらも彼女が何を考えどんな夢を持っているかなんて事、さっぱりわからない状態だ、時々耳に入るのは、援助交際しているとか、80%が処女を失なって居るとか、先生は、体育の先生でも女子生徒に指一本触れる事が出来ないセクハラですぐに上げられちまうとか、ビンタなんて暴力もっての他、とか、何時も気力がない、目に光がない。
 この映画は、そんな彼女たちをそのままに映し出しているように思える。

 話はガラット変わるが、今日の朝日新聞(3月11日)に出ていたが、天声人語ならぬ、天性新語というタイトルで高校生に作文を書いてもらった、90分で、テーマは時間についてだ。
 短い時間に書き慣れないとなかなか書けない天声人語的な作文、入賞者が9人居たが、その中の七人が女子校生、傍から見るとのんびりボサーットしているのかと思いきや、いやはや素晴らしい作文を書く女子校生も居るんだ。

 中学で大体の進路が決まり、高校は、大学か、専門学校か、家を継ぐか、大体がきまって、社会へ出る通過点だから、この世代目が輝くなんてのは、コンサートで素敵なボーカルの声に痺れている時だけなのかもしれない。

 感じた度  ★★☆
 

「理由なき反抗」~人生劇場

2009-01-29 08:33:47 | Weblog

「理由なき反抗」
 1955年 原作・監督 ニコラス・レイ 

               出演 ジェイムス・デイーン、ナタリー・ウッド、ジム・バッカス

 解説

 「エデンの東」が公開され同じ年に出た映画だが、日本での上映は少し遅れていた。
 「エデンの東」でアカデミー賞の男優賞候補になったジェームス・デイーンの遺作だが、青少年の犯罪心理を追求したニコラス・レイの原作を脚色して製作した。
 音楽も「エデンの東」と同じで、レナード・ローゼンマン。

 誰にでも子供から大人になる直前の高校生ぐらいの年代には、情緒が不安定になる、したがって、男は、喧嘩して相手より強く見せたいという気持ちや、親がいなくて孤独で話し相手を欲しがっている子供もいる、女は、彼氏が欲しい年代でもある。つまり大人になる寸前の反抗期である。大人から見れば子供でもない大人でもない、社会的に見ても未成熟、この時期の少年達を描いた作品である。

 物語

 ある警察署、赤いコートを着た少女がいる、名前はジュデイー、家出娘が保護されてきている、なんで家出したのかの質問に、「親に不良娘と思われて嫌われていると思っているから家出した」という。
「復活祭のお祭りに口紅をつけたら父親に無理やり力ずくでこすられた」という、彼女の本心は、親が親身になって話をすれば解決できる事をしないからだと言うのだ。
 
 それから、もう一人は、子犬を銃で殺したと逮捕されて来た少年だ、名前はジョン、両親は不在でかってに育って、親の愛情がまるで無いおとなしい顔つきの少年だ。
 最後に、道路で泥酔して動けなくなって保護されてきた少年、ジム・スターク(ジェイムス・デイーン)ジムは、この町へ引越してきたばかり、前の町で喧嘩をして他所の町へ越せば環境が変わり友達も変わるだろうと両親が考えて引越してきたのだ、喧嘩の理由は、「ヒヨッコ」とののしられたからだ。

 物語は、この転校生ジムの生き方を紹介している、ジムとジュデイーは住まいが隣同士、ドースン高校へ通っている、越してきて初めて登校する日、ジムは昨日警察で見たばかしのジュデイーに会う。学校へ行くと、プラネタリュウムでの授業がやられている、バズと言う不良グループがいる、それを教えてくれるジョンという大人しい少年、授業が終ると早速バズを親分とする不良グループが喧嘩を仕掛ける、いじめである、ジムは負けていないのでナイフを持った喧嘩になるが、
ナイフ無しで本当の喧嘩をしようじゃないかという相談がまとまり、その場はおさまり、後日に決闘をする事になった。しかし、ジムはこんなことを親に相談したところで解決出来そうにないと自分の意思で決闘に望む。

 決闘とは、海岸の崖の上で、二人が車を走らせて、崖に車が落ちる前に飛び出すという度胸の要るゲームだった、この決闘でボズは車のまま海へ飛び込んで師でしまう。またもやこの町で罪を犯してしまったと反省し、自暴自棄になるが、この事件からジムとジュデイーは恋人同士となる。
 ここからこの三人のドラマが展開され、親の知らない、相談も出来ない彼等の親達の心配を尻目に思いのままの行動が展開される。

 感想

 この頃、少年達の非行が問題視されて、学校でも手がつけられない暴力教室が教育問題で騒がれていた、それをこれはその少年達への親の理解不足が起きる問題の提起として出された所に意義がある映画である。高校生ぐらいの年頃の子供達を持つ親は必見の映画だ。この映画はもう古いがこういう問題はいまでもなんら変わってはいない。自分の経験では、我が家は、子供が親に何でも友達のように話せる環境にして、あとは自由気ままにさせておいた。それが一番じゃないかと思うのだが。

 感じた度  ★★☆ 

「ラスト・キング・らんぼう」

2009-01-28 08:19:56 | Weblog

  ラストキング・オブ・スコットランド 2007年 監督 ケヴィン・マクドナルド

               出演  フォレスト・ウィデカー、ジェームス・マカヴォイ、クリー・ワシントン

 解説

 スコットランドの医学校を卒業した主人公のニコラスは、人助けの理想に燃えてウガンダにやってきた、しかし、丁度このときウガンダは、軍事クーデターが没発してオボテ政権が倒れてアミン軍事政権が政権を握った。
 若いニコラスはこの大統領に見染められて大統領に近づきすぎたために、クーデターを起こした大統領の光と影を見ることになる。
 この映画のクーデターの将軍役アミンを演じるフォレスト・ヴィデカーは黒人だが、大柄な俳優で、役の上ではクーデターを起こしたと言う割にはいかにも小心者という感じで、表では将軍を上手にこなしている、2006年の主演男優賞を総なめにしている。なおこれは事実にもとづいて作られたドラマである。

 物語

 スコットランドの医学校を卒業したニコラス・ギャリガンは、志を抱いてウガンダにある診療所で働くことになった。
 時は、1971年、軍事クーデターでオボテ政権が倒れて、イギリスの支援を受けたイデイ・アミンが新ウガンダ大統領についた。
 ニコラスの診療所の近くでたまたまアミンがやってきて大衆の前で演説をうつ、熱弁をふるうアミンにニコラスはカリスマ性を感じ入る。

 演説が終わりに近づいたころ聴衆の群れから診療所へ帰ろうとすると、軍隊が車を飛ばしてやってきた、大統領が呼んでいるというのだ、行くと、牛が暴れて大統領に襲い掛かり、手首をねんざしていた、それを直せと言うのだが、その話をしている間牛がうめいてうるさくて聞こえない、ニコラスはやおら大統領のピストルを抜くや牛を殺す、それに驚く大統領はスワ暴漢が現れたかと捕まえるが、スコットランド人とわかると態度が急変する、そしてその時から大統領の側近の医者になれと言われる、このときから独裁主義の大統領とニコラスの関係が始まる。

 感想

 なるほど、独裁者というとナチ・ドイツのヒトラー以外あまり映画としては見ることはなかったが、イラクのフセインのように強面のする小太りの髭もじゃという感じがするが、黒人で体は大きいが、その昔は貧乏で今は大統領という成り上がりという面相で、小心者、たえず殺されるのではないかと神経質になっている、表向きは威厳があるのだが。
 この大統領と、なったばかりの若い医者のやり取りがどちらもなったばかりの両者が素朴で面白い。 

 感じた度 ★★☆


 らんぼ 2006年1月17日 日本テレビドラマ・シリーズ1 原作 大沢左昌(角川文庫) 監督 一倉治雄

          出演 坂口憲二、哀川  翔、MEGUMI、森本レオ

 解説

 日本テレビの二時間ドラマだが、シリーズになって出ているその一作目。

 物語

 ”イケ”こと赤池早雄(坂口憲二)と”ウラ”こと大浦久(哀川 翔)はやくざもビビる警視庁本条警察署の持て余し刑事コンビ、二人は型破りのらんぼうな捜査で事件を解決しているが、イケがヤミ金融がらみで顔見知りのヤクザと格闘中に、腹痛を起こして転げまわる、しかし、これはヤクザにやられたのではなくて尿管結石のためだった。
 あまりの痛さに入院する、そこの部屋に11歳の少年がいた、その少年、イケが退院するという日に同時に退院するという、そこで仲良くなるが、少年は母が居なくて優しい父だけに育てられた、父はある会社の研究員だった。

 父親が金を工面して少年の退院を迎えに来たところ、少年が窓の外を父親が来るのを喜んで見ていると、突然父親は暴漢に包丁で刺されて死ぬ、そこからイケとウラの犯人探しが始まる。

 感想

 月並みな土曜ワイド劇場か、火曜サスペンスの類だが、父親が息子のために悪い事までして息子の入院費用を稼ごうとする悪事に同情が集まって視聴率を上げたのだろう、息子は重症の病気を持っていた。福祉の充実していない今の世の中、良くありそうな事件だけに取り上げてみた。

 感じた度 ★☆☆

「ラスト・ギャンブラー」~人生劇場

2009-01-26 09:06:21 | Weblog
ラスト・ギャンブラー  ケビン・コスナー監督

 解説

 ある女性ギャンブラーの話。

 物語

 ステイシーは演劇の研究生だが気が弱い、其処で教師は度胸をつける為に、ブラックジャックの賭けをやりにリノのカジノへ出かける、初めてのギャンブルで大もうけをする、ビギナーズラックというやつだ。
 二人は切の良い所で切り上げる、580ドル儲けた。それを見ていたウイル。「君は博打の才能がある」、という。二人はカードにのめりこむ、再び其処でウイルに出会う。カンのよさでカジノの支配人も驚くほど勝ってしまう。どうやら本当に勝負勘が良いらしい。しかし、親によって負けてしまう事がある。ウイルは、三人で組んでやろうと持ちかける。ギャンブルはツキだけでは儲けにはならない勉強しなければならないことが多くある。サクラ、だとかプールだとか、つまり騙しのテクニックである。

 そこで、賭けと確率の勉強から初めて、カードの動きなどをすべて勝つためのテクニックを習う、そして勝負するが猛烈に勝つ、支配人もその度ごとに勝たれてはたまらない、親がカードでインチキをやるが彼女はそれを見抜く、そして八百長だと騒ぎ立てる。ウイルは支配人と喧嘩となる、そして支配人はウイルを殺してしまう、死因は事故死として始末される、ウイルの居ないギャンブルは成り立たない、そこで彼女は最後に変装してそこのカジノで大もうけの賭けをやり勝ち逃げする。

 感想

 ギャンブルをやる割にはスリルが感じられない、面白くない映画だ。

 感じた度  ☆☆☆
 

「ラジオの時間」~人生劇場

2009-01-24 08:45:47 | Weblog

 「ラジオの時間」
 1997年 三谷幸喜監督作品

 解説

 映画としては珍しい、ラジオ放送の生ドラマの放送をしている現場、スタジオとガラス越しのディレクター室が見えるあまりロケのない映画だ。制作費のかからない映画でもある、なるほど放送劇というのはこんな所でこんな風にやっているのかという面白さと、秒刻みの時間に追われて居る様子を見ていると、映画を見ている我々もが急がされる心理を狙っているから、一時も画面から目が話せないそこが面白いところだろう。そして最後には転げそうになるぐらい笑が出るからなおさらだ

 物語

 ある主婦が放送劇の脚本の募集で入選をはたしそのドラマを放送する所から始まる、まづ俳優のエゴから出始める、台本を先に貰っているのに主役の名前がこれじゃ嫌だとか、日本のドラマなのにニューヨークにしてくれとか、ドラマのヒロインの職業がパチンコ屋の店員じゃ面白くないからパイロットにしてくれとか、そのたびにドラマの脚本の習性をせまられる、自分の書いた部分が全部書き直されてしまうが、最後にはカットされるのはまだしも、ハッピーエンドで終るドラマが、悲劇のまま終る筋書きに変ってしまう、それは困ると作家もゆづらない、修正しながら放送は生なのでやって行くが、最後に機転でハッピーエンドになるというお話。
 

 感想

 話としては深刻な物は無いが、やっつけ仕事でなんとか作ってしまう様が面白い、三谷作品らしい所がミソ。
 
 感じた度 ★☆☆

 

「ライフ・イズ・ビューテイフル」~人生劇場

2009-01-23 08:44:44 | Weblog

 ライフ・イズ・ビューテイフル
  イタリア映画 2004年

 解説

 戦争の映画と言えば、戦闘場面等をリアルに再現したものが殆どだが、この映画は題材が戦争映画というよりむしろ人間の生命を賛美している映画だから反戦映画などという範囲の狭いものではなくて、生命の持つ価値観をコミカルに出して見せる所が面白い。イタリアを題材にした映画は、同じ戦争を扱った映画でもアメリカ製の物より異色な物が多いが、この映画は可也異色な作品だ。

 物語

 これは素朴な物語だが、語るのは難しい、童話のように悲しみがあり、童話のように驚きと幸せにあふれている、という解説から話が始まる、まさにそのとうり、話は1939年イタリアのアレッツオ地方、奴隷から開放されたというグイドは陽気なイタリア人だ、彼は叔父の家を訪ねて使っていない叔父の古いが瀟洒な旧家を借りて生活する、仕事は本屋を開店するという、スタートはコミカルな映画で、どたばた喜劇から始まる、しかし好きな女性が出来て、子供が勝手に出来る、とそのころから、ドイツナチの占領下のイタリア、ナチの強制収容所へ連行されるが、そこで子供とグイドとの奇妙な生活が始まる。話の作りが、チャップリンの作りに何処か似たところがある。というわけで語るのは難しい。

 感想

 なんたって異色な作りで驚く。過酷なナチの強制労働という環境の中で、これはゲームだと子供をだまし続ける主人公のけなげな生き方、子供にはけして人間の醜い部分を見せまいとする親心を的確に捉えて、最後はハッピーエンドにする結末は感動もの。

 感じた度 ★★☆
 

「若者たち」~人生劇場

2009-01-22 08:09:44 | Weblog

 若者たち 1968年 監督 森川時久 音楽 佐藤勝

      出演 田中邦衛(佐藤太郎) 橋本功(次郎) 山本圭(三郎)
         佐藤オリエ(オリエ)、松山省三(末吉) 他、俳優座新生映画

 解説

 この映画は、同名のテレビドラマでコンビを組んだ山内久がシナリオを執筆、森川時久は劇映画初の監督をした作品である。
 この時代は東京オリンピック(’64年)が終わったばかり、東京では、都電が廃止されて地下鉄が開通するなど、設備投資で都内はまるで風景が様変わりした建築ラッシュが起きていた。
 しかし、庶民の生活は戦後の経済を引きずって苦しかった。

 来るべきベビーブーム、つまり団塊の世代が成人したこの頃、結婚しても住む所が無く、板橋区高島平等には14階建てという高層な公団住宅が作られて’69年から入居を始めた、なんせ猛烈な抽選を勝ち抜いて入居してこれで何とか住むところの心配が無くなったと喜んだ時代でありこれから始まる高度経済成長の寸前のドラマであることを知らないと解りにくい。

 オリンピックを見るのに買った白黒テレビでこの映画と同じタイトルで放映されて、この連続ドラマに釘ずけになった記憶がある。
 何たって団塊の世代は、学歴が無くては良い金がもらえない、大学だけは出なければとお受験ラッシュ、”幸せはお金で買うもの”という親たちのお金に対する観念が、親が苦労してでも子供達だけは大学に入れて楽をさせようという希望が満ちていた。

 やがて高度に経済が成長すると、どこの家庭でもすべて中流という経済認識になり、消費は美徳とばかり豊かさが大量消費経済を招いた。

 物語
 
 太郎、次郎、三郎、オリエ、末吉という五人兄弟の家族を、若い時に両親を亡くした太郎が設計技師ではあるが学歴の無いのを苦にしながら工事現場で働いて育ててきた。
 ある日、雑用一切を任されて来たオリエが兄達の勝手さに家出してしまった事から一家は騒動が持ち上がった。
 この兄弟を支えてきた長男の、せめて学歴があれば金がもらえる、こんなに苦労しなくてすむなんとかして弟達には大学へ行かせたい、これが無き両親への恩返しであると必死で働いた。

 しかし、弟や妹のオリエたちはそれぞれ自分の人生設計を考えるような年頃になり、すべてが長男の思うようにはならなかった、そこで幸せに生きると言う事はどういうことなのかをそれぞれが考えて生きる事を考えると、どうしても長男と衝突した。

 感想

 暗中模索しながら若者達はそれぞれの人生を学ぶ、しかし、兄は金を儲け、生活を楽にすることしか考えが無い、弟達はそんな兄を単純で尊敬するには充分すぎるほど尊敬するのだが、
自分のことは自分で考える、という観念から対立する。
 この時代の「幸せって何だ」を追求するのに必死な若者達の姿はすがすがしい。
 
 感じた度 ★★☆

「私のグランパ」~人生劇場

2009-01-21 08:33:54 | Weblog

 私のグランパ  監督 東 陽一  菅原文太  三原さとみ  2003年

 解説

 孫と祖父の心暖まる物語。

 物語

 五代珠子は14歳の中学生、両親は五代恵一、妻千恵子の一人娘である。ある片田舎の町に住んでいる、お婆ちゃんのグランマも一緒に住んでいるが名古屋へ里帰りする、どうやらお爺ちゃんとは住みたくないらしい。お爺ちゃんの五代謙三は、68歳、珠子には54年の隔たりがある、なんだか自分から見れば永遠のような感じがするという年齢だ。彼は持ち前の正義感からある事件に巻き込まれやくざと喧嘩して、13年間刑務所に入って出所してきた。
 珠子が小さい時だからグランパの顔は知らない。グランパは昔から其処に住んでいて知りあいは多い、町では正義感の強い男として信望がある。

 珠子は、中学に通っているが、学校では祖父が刑務所帰りだというだけで、馬鹿にされて男の子の虐めに会う、珠子が下校する頃になると悪がきがたむろして珠子と友達の帰りを待ち伏せして苛める.。それを感じているグランパはある日、珠子の下校時に二人で帰るが悪がきのボスが無所帰りの親父がどうのこうのと因縁をつけたのに腹を立てその子供を捕まえて、このまま喉を絞めるとお前は死ぬがそれでも良いのか、とこらしめる、実はその子供の父親は昔からの友達で良く知っている、喧嘩や虐めをする時には、死ぬのを覚悟でやれと説得。

 それを子分達は見ていて後から仕返しに大勢で来るが、その時も、警察が来るとお前らは得する事はない、急いで逃げろと逆に説得、次の日その悪がきどもはグランパの家に謝りに来る
兎に角正義感が強い男である。
 ある日、珠子が家に帰るとグランパは屋根裏で何かをしていた、急いで珠子を呼び寄せ、屋根裏へ上がらせる、その屋根裏には、一億円入ったトランクが隠してあり、お父さんにもお母さんにも誰にも内緒にしてあるから、俺が死んだらこれはお前が使って良いぞという。

 珠子は何でそんな大金があるのか疑問に思ったが、刑務所へ入る前に、麻薬の取引をしている奴を捕まえて、それを手にしたらしいが、けして悪い金じゃなくて、事業をやっていた時の会社の金なんだと言う。
 しかし、その金のありかをやくざは疑って狙っている様子で、再びやくざとのトラブルが一悶着あるがこれは解決する。

 最後に、グランパは川に落ちておぼれていた子供を散歩の途中で見つけて、その子供を助けに行き自分は溺れ死んでしまう。沈んで行く時、見た人は、手を振ってサヨナラと言っているようだったという。珠子は、グランパが、自分から死ぬ事を望んで居た様に思えるという。
 年を重ねた老人の寂しさを見たのだろう。グランパは68歳だった。(ドキ!)

 感想

 68歳のグランパは、かみさんに嫌われ、寂しそうで、孫の珠子だけが可愛かった、若い時代の昔の面影はなく珠子には寂しく映ったのだろう。何だか解るような気がする。

 感じた度  ★★☆

「私は欝依存症の女」~人生劇場

2009-01-21 08:30:46 | Weblog

 私は欝依存症の女  2005年 アメリカ  未公開

 解説

 この映画は、自分では正常と思っているが欝病と診断されている事実にもとずいた作品。
医者と薬の投与、快適を求めてやまない彼女にこの現代病の現実を見る。

 物語

 私は、2歳になる前に両親は離婚した、父は私の生活から消え、母が執拗にかかわって来た、自分の失敗を私で償うためだ。
 或る晩私に初潮が来ると母は「これで貴方はもう終わり、面倒の始まりよ」と言った。
 その通りだった。私はテイーン雑誌に家族の事を書くと編集者は質問を浴びせてきた。
「お父さんは戻って来るの、?幸せな結末になるの?」現実とは違うが、彼らの望むものを書いた。そしてハーバード大学へ入学が決まった、私は乗り気にならなかったが、母親は、ハーバードへ行けば将来役に立つ出会いがキットある、部屋に篭っていては治るものも治らない、私は生活を変えたいと思い大学での生活に期待した。

 それまで、私は母親と常に一緒だった、大学へ入ると、みんなは変わり者だと評判になった、寮の相棒にも私の恋人を取ったと言われ、恋人が出来れば、とことん追いかけて、好きになった男はなるほど骨にして飲んでしまいたいほど好きになり、恋人が例えそれが妹でも優しくすると気になって仕方がない、挙句の果ては嫌われる事となる。

 感想

 母親が、父親が居ない事で娘だけが生きがいとなり、自分の過ちを娘にはさせたくないと神経質に育てると、小回りが効かない人が出来る、セックスなども、本当に愛していないと出来ないので、処女を破った時にはみんながお祝いのパーテイーを開いた。いまどき貴重な存在だったのだろう。母親のブレーキの利きすぎが、精神障害となって居る事を語っているように見えるが、アメリカのこれらの年代の女性達の知識が日本人にはイマイチなので入りにくい映画である。日本での公開は無いかもしれない。

 感じた度  ★☆☆