はずれの映画辞典

映画とは生きものの記録です、この世に生きる者が、こうして生きようじゃないかと訴えます。惚れた映画を毎日連載します。

男はつらいよ41話ー寅次郎心の旅

2007-08-31 08:55:10 | Weblog

第41話  寅次郎心の旅路  1989年  竹下景子

 解説

 48作の「男はつらいよ」の中で外国での唯一のロケ、ウイーンロケをした作品。
 故郷を遠く離れていると故郷が恋しくなる物、寅さんは旅に出て川の流れを眺めていると葛飾の江戸川を思い出して柴又へちょいちょい帰ってくる、寅さんは夢を追いかけるように旅に出てまた川を渡り、橋を渡って柴又へ帰ってくる。この節は、人間のそうした心の持ち方を語る珠玉の一節である。  

物語

 旅に出た寅さん、電車で次の目的地へ向かう途中、電車が急ブレーキをかけて止まる、男が飛び込み自殺を図ったが、寸前で電車が止まり一命を取りとめた。
それを見ていた寅さん、車掌に依頼されて警察の事情聴取に行く、そしてこの訳有りの男と旅館に泊まることになる、「なんかつらい事でもあったのか?」と優しく聞く寅さんに男は感激する。

 男は、時々死にたくなる病気なんですという、会社に無断で欠勤して出て来たので直ぐに帰りますという、
何を言うか、お前さんの為におれはこうして予定を変更して旅館に泊まっているんじゃないか、人の気持ちを考えないのか、それに一日ぐらい休んだからってお前の会社潰れるのか、そんなに仕事が大事か、という寅さんの言葉にその旅館に泊まる事になった。

 その晩は、寅さん芸者を呼んでのドンちゃん騒ぎ、こんなにリラックスした事ないんですという男、名前は吉田といい、一流企業の課長だった。

 翌朝、吉田はその旅館の払いをカードで済ませると、「夕べ今まで堅く縮こまっていた心が解きほぐされました有り難う御座いました」と寅さに礼を言う、そして、これから寅さんの行くところへ連れて行って下さいという。

 冗談じゃないよ、と寅さんは言う、吉田は、寅さんはどういう人なんですか?と聞く、”そうだなー、おれは旅人よ”と寅さん、生きがいは何ですか?と聞くと、”旅先で良い女に出会うそれが楽しみかな”と答える。

 それじゃこれから何処へ行くんですかと吉田、そうなア、外へ出て風に聞くのさ、と答える。
 お前さん、何処へ行きたいというと、吉田は、ウイーンが良いという、早合点の寅さん、湯布院か、ああそこは良い所だ、という。


感想

 異国で見る異国で働く日本人、寅さんはウイーンで観光ガイドの日本女性に会うが、訳あって日本には帰りたくないという、実は反対する親と喧嘩して出て来たからには、泣いて帰るわけには行かないと頑張っている女性をみる。   多分出てきた時には、外国での素晴らしい夢のような出来事を期待して居たんだろうが、寅さんと同じで柴又から旅に出たい気持ちが同じなのだ。

 寅の人生はすべて”人生これ夢の連続だ”ととらやのおじちゃんは言う、ウイーンで出会った面白い事はすべて夢だったかなと寅さんは最後に言うのだ。  
寅さんじゃなくても、みんな夢を追いかけて生きる、人生なんてそうした物かもしれない。

 感じた度 ★★★

男はつらいよ40話ー寅次郎サラダ記念日

2007-08-30 08:38:19 | Weblog

第40話 寅次郎サラダ記念日

 1988年 三田佳子、三田寛子

解説

 歌は世に連れ、世は歌につれ、この節は、「サラダ記念日」という詩集が大ブレークした年だった、これを記念して同名の映画をこしらえた。
 「小諸なる古城のほとり、雲白く勇姿悲しむ」という藤村の歌で有名な信州での物語である、この勇姿はさしずめ寅さんという事か。

物語

 満男も大学入試を考える年頃になった。
 寅さんは相変わらず旅先、小諸のバスターミナルで商売を終えてバスを待つ。老婆が一人待っているバスの時間を見るとまだ一時間もある、そこで老婆との話がはずむ。
 老婆は何なら家へ来て泊まって行きなさいという。何故か寅さんは老婆が好きだ、遠慮なく泊まる事にして老婆の家へ。

 老婆は8年前に連れ合いを亡くしたと言う、カン酒を飲んでいるうちに酔って佐渡おけさなどを歌い始めこんなに楽しい事はないと老婆は喜ぶ。
 婆さん俺酒が好きでいろんな酒を飲んだけど、酸っぱい酒もあるんだねという、婆さんは、「爺様が死んだ時に貰った酒だから酸っぱくなって居るかも知れないな」と平気で言う、寅さんも、うんうん、と言いながら喜んで飲む。

 翌朝寅さんが目を覚ますと、綺麗な女性がやってくる、掛かり付けの女医さん(三田佳子)らしい、女医さんはしきりに婆さんに検査の入院を勧めているが婆さんは死ぬ時にはこの家で死にたい、病院じゃ死にたくないと言って聞かない。
 検査して病気を治して、良くなったらまた帰ってくれば良いじゃないかと真知子女医さんは言う、寅さんも見かねてそうしなよと入院を勧める、すると、寅さんが行ってくれるのなら入っても良いという。

 
感想

 例によって最後は一目ぼれの真知子女医と寅さん、そして由紀の関係は淡い別れとなるが、最後に出てきた短歌、”寅さんが「この味良いね」と言ったから師走六日はサラダ記念日”という短歌が出る。

 これは俵真智が本とうに書いた歌なのか。
 また満男が、なんで大学なんかに行くの?と寅さんに聞くシーンがある、そんな難しいこと判るかい学のない俺なんかにというが、「大学へ行って勉強すれば物事を筋道を立てて考えられるようになる」と答える、そして最後の別れの言葉として真知子女医さんに伝えてくれと由紀にことずける言葉が、「筋道を立てて考えて考え直してくれ」とそう言っていたと伝えてくれという。

 この節は、話としてはそう目新しく無いが、随所に寅さんの味わい深い情愛が短歌とコラボレートして好感が持てる。何たって8年もの前の葬式の酒を出されて、普通なら腐ってると吐き出すところだが、その酒を何も言わずに飲んで酔いお婆さんを喜ばす所など、寅さんの勇姿が見られて、味わいの深い作品となっている。

 感じた度 ★★☆

男はつらいよ39話ー寅次郎物語

2007-08-29 09:21:32 | Weblog

第39話 寅次郎物語 (1987) 秋吉久美子、五月みどり

解説

 プロローグは、寅さんが親父に苛められて雪の日に家を追い出される夢を見る、追いすがる妹のさくら、♪泣くな妹よ妹よ泣くな、泣けば幼い二人して、故郷を捨てた甲斐が無い、の歌が流れる、つまりこの節は、寅さんの親に捨てられたシーンから、自分には子供は居ないが、子供を助ける、親子の愛情を見せる。

物語

 さくらは満男の高校での進学相談で、満男が”大学なんか行かなくたって”という気持ちがあるらしい事を知る。
満男は”何故生きるのか”なんて、自分の進路について悩んで居る。

 その満男が柴又駅前のジューススタンドでジュースを飲もうとしたら、小学生の男の子がジュースを買っていた、こら、小学生が学校の帰りに買い食いなんかして、としかるが、小学生は、この人の家知っているか?と訪ねる、そのはがきは寅さんが書いた年賀状で、とらやへ行くところだった。

 やがて寅さんも旅から帰ってくる、するとその子供の詳細がわかる、つまり、露天商の友達の一人が、飲んだくれの悪い奴だったが、かみさんと別れて、子供と暮らしていたが、その友達は病気で死んでしまった。

 俺が死んだらこの人を訪ねて行けと言われてその子供、秀吉は寅さんから来た年賀状を持って福島県郡山から一人で寅さんを頼ってやってきたんだという。
 人情深いとらやの住人達は、先ずは、母親を探してやらなくては、とすぐさま寅さんは心当たりを探す、すると、情報が入る、和歌山の旅館に居るんじゃないかという、それを聞いてすぐさま寅さんと秀吉は出かける。

 しかし、訪ねて行った旅館では、もう大分前に奈良県吉野の方へ移って行ったという、今度は奈良県吉野へでかける、さんざ歩いて旅館を見つけるが、そこにも居なかった、そして、その晩、秀吉は扁桃腺をはらして高熱を出して寝込んでしまう、子供が熱を出してあたふたしていると、その騒ぎを聞いた隣の部屋の女性が手助けしてくれる。
 その女性がかあさんと寅さんは呼んでいたが、境貴子(秋吉久美子)と名乗った、・・・。

 というわけで、今回は親と子の愛情についてでした。

 感じた度  ★★☆

男はつらいよ38話ー知床旅情

2007-08-28 09:24:39 | Weblog

第38話  知床慕情 1986年 竹下景子 三船敏郎 淡路惠子

解説

 タイトルどうり、知床の海の素朴なひなびた漁港の漁師たちの哀歌。
 ナレーション
 様々な事を思い出します、昔の人は味のある事を言ったもので御座います。満開の桜を眺めておりますと私のような愚か者でも様々な事を思い出します、思い起こせば親父と大喧嘩した16の時の春、これが見納めと涙をこぼしながら歩いた江戸川の土手は、一面の桜吹雪で御座いました。

 いまでは一本も残っておりませんが、私がガキの時分には江戸川の堤は桜の名所だったので御座います。毎年春になると、両親に連れられ、妹さくらの手を引いて、桜見物に出かける時のあのワクワクするような楽しい気持ちを今でもまざまざと思い出します。

 この節は、珍しく寅さんが子供の頃を思い出して話ている、そう、親と子供の情愛を描いた作品となっている。そして他の作品には見られないが、知床の漁港で”知床の自然を守る会”という漁師さんたちの会が出てきて、大勢が出演してみんなでやろうというグループが出ている事だろう。

 珍しくこの作品には三船敏郎が出ている、そして淡路惠子も、ということでこの映画は二百万人動員したという人気作品、ラストで、寅さんに背中を押されて、無口な三船が淡路惠子に、「それは俺がお前に惚れてるからだ」というシーンが何とも感動的である。
 寅さんは人の背中を押すのは得意だが、寅さんの背中を押す人が居ないというのは寂しい話じゃないか。

物語

 御前様が子供たちとシャボン玉を吹いて遊んでいる、そこへさくらが来て、おいちゃんのお見舞い有り難うと話している、どうやらおいちゃんが肺炎で具合が悪くて入院しているらしい。

 寅さんが帰ってきて、なんか手伝うこと無いかと聞くが、団子のくし刺し、あれ見ると、メンたまに針刺しているみたいで出来ないとか、あれは駄目とかこれは駄目とか、なかなか手伝うことなど無い、それじゃお店の奥にでんと座って店番と電話番でもしてくれといわれ、それならと始めるが、電話で注文を聞いたのはいいが、注文した相手を聞かなかった。

 おばちゃんは、いずれはこのとらやの後取りとなる男がそんなんじゃしょうがないとがっかりしている、
もうお店なんかやめてこの家を売ってアパートでおいちゃんと暮らそうなんて言っている。これには寅さんも参ったらしく、こそこそと旅に出て行く。

 寅さん知床へ来ている、村はずれという感じの牧場といった所、爆音のする錆び付いた車が走ってくる、思わず車を止めて駅まで載せてくれと言う、頑固そうな親父(三船敏郎)が顔を出す。

  感想

 北海道の知床、内地の風景には見られないロケーションが映し出されると、なぜか寅さんじゃないが異国の地へ来たという感じがして故郷を、そして幼い時代を思い出す、オホーツクに沈む夕日などはロマンチックである。

 りん子は、寅さんと居るとみんなが人生にはもっと楽しい事が沢山あるんだって事を思わせるんですという台詞がある。それを漁港の”知床の自然を守る会”の人達がみんな感じている、それがたまらなく頼もしく思える。

 ママと、頑固男の仲を取り持って、りん子には、うるんだ目で見つめられて、とらさん思わず旅支度、
どこへ行くのこれから、の話に、暖かい南のほうへでも行って見るか、という。一仕事終わったが、ここでもまた寅さん恋を一つ失った、後味の爽快な映画である。  

感じた度 ★★★

男はつらいよ37話ー幸福の青い鳥

2007-08-27 08:43:18 | Weblog


第37話 幸福の青い鳥 1986年 志穂美悦子、長渕剛

解説

 ご存知メーテルリンクの童話「青い鳥」からヒントを得て作った山田洋次流”青い鳥”探し。
 本家の青い鳥の話は、チルチルとミチルが、幸福をもたらすという謂れの有る青い鳥をさがして森の中を歩きました、ところが何処にも青い鳥は居ませんでした、疲れて二人が家へ帰ると、「今日は青い鳥は見つからなかったけど楽しかったね」と二人は乾杯しました。

 ミチルは、そうだ!本とは青い鳥なんか居ないんだ、でも二人で探して歩いたそのことが幸せだったんだ、というお話。
 幸せなんてそういう風に感じれば感じる物、何も考えないで自分は不幸だと何時もおもって居る人、そういう人には幸福なんて解らないのだ。

物語

 例によって、オープニングの芝居は、寅さんの「悩みも苦しみも無い世界が来たよ喜べ」という芝居。
 柴又では、印刷工場の俊夫が、父親が工場を辞めて家のクリーニング屋を引継げと言ってきて辞めたいという、博は、あの工場で一生印刷工で終わるというのは夢が無いし、先祖からやっているクリーニング屋の後を継いだ方がトシのためには幸せかな?なんて言う。

 印刷屋はオフセット印刷の機械を博の遺産で買ったので人は一人余剰人員が出ている、辞めても仕事にはさしつかえ無いが、社長は退職金を工面するのに心配顔である。
 寅さんは、山口県萩から飯塚の炭住へ行く、そこには昔来た事が有る、梅沢登美男のビラが貼ってある古びた劇場を見つけて中を覗く、炭鉱が華やかだった頃そこの劇場では歌舞伎などが上演されていたのだが、炭鉱が閉鎖された今は寂れるばかり。

 そこに居たおじさんに、昔、ここいらあたりに「中村菊之条一座」というのが在ったんだけどどうしたかねと聞く、いやね、昭和38年三月ここで歌舞伎を見た覚えがあるんだという。
 それにおじさんも乗って、あ、その座長は死んだけど、娘が炭住にまだ住んでる筈だという、寅さん直ぐにそこへ出かける。

 感想

 何時何処で誰と出会って何かが起きる、それが世の中、寅さんに別れ際に貰った青い鳥の笛、それが彼女に幸せをもたらす青い鳥だった事を彼女以外は誰も知らない、その物語がメルヘンチックで、柴又の人たちの心の優しさとマッチして面白い。

 人間、何時も幸せを待つ”心”を持っていれば、何時かは幸せが訪れるのだろう。 なお、この映画の後、長渕剛と志穂美悦子は結婚した。  
 感じた度 ★★★ 

男はつらいよ36話ー柴又より愛をこめて

2007-08-26 09:22:04 | Weblog


第36話  柴又より愛をこめて 1985  栗原小巻

解説

 この節は、「愛とは何ぞや」を求めて繰り広げられる、寅さんの失恋、と思ったが、良く見ると、女の幸せって何なのだという映画になっている、つまりは、「女はつらいよ」の映画である。

 「二十四の瞳」に憧れて栗原小巻が学校を出て堀切からこの島の先生になろうと考えて15年前にやってきた、先生は美人でもあるし島の人たち、生徒達には喜ばれた、しかし、それなりの年になると好きな男と結婚もしたくなる、となると、この島には理想の男は居ない、となると、・・・。

 女が子供を作って育てるという事は大変な事、しかしそれは女性が持つ一番の幸せ、それをどう掴むかがこの節のメインテーマとなっている。
 余談だが、1987年に「二十四の瞳」は田中裕子主演でリメイクされて公開されて好評を博した。田中裕子の弟がこの映画に出ているのも何かの縁なのか。

物語

 33話に出てくる結婚式を挙げた社長の娘の小島あけみの話から始まる、真面目一方のあけみが行くヘ不明になるテレビで尋ね人の番組に社長が出る、それをあけみは見てしまう。
 とらやに電話が来るとそれはあけみからである、下田からの電話で、しきりに寅さんに会いたいという。
 そこへ寅さんが帰ってくる、心配性の社長が拝むように寅さんに救いを求める、寅さん、下田へ出かけ、下田の知り合いに探してもらう直ぐに見つかる、飲み屋で働いていた。

 波止場で出会う二人だが、あけみは、寅さんに「愛って何だろう?」と聞くが、そんな事俺に聞いたって分るわけがないじゃないか、という、本当は一番良く知っている筈の寅さんなのだが。

 二人で町を歩く、考え直して柴又へ帰ろうと寅さんは言うのだが、あけみは帰りたくないという、波止場の先に島が見える、何処か遊びに行こうかとあけみはいう、金は社長から預かって来たから余裕はある。
 そこで二人は下田から船に乗って式根島へ行く事にする、船の中で、楽しく飲んで騒いでいる若い連中が居る、話を聞くと、式根島小学校の同窓生のグループだった。

 寅さんもそのグループと飲みながら港へ着くと、同窓会に出る恩師の島崎真知子(栗原小巻)先生に出会う。
 先生はその島で、15年間、「二十四の瞳」の先生に憧れて年を取ってしまった、生まれ故郷は、柴又に近い”堀切”です、という事から、私は柴又の団子屋の生まれだと言いながら意気投合するが、・・・。

感想

 愛とは何ぞや、と寅さんが聞かれて、一番恋をして一番失恋している失恋のオーソリテイーに愛とは何だ、とあけみは質問するが、それを言葉にしては言えない所が寅さんの良い所。
 物語は、それを形で表して見せるところに面白さがある。

 愛とは、その人と何時も一緒に居たい、共に喜怒哀楽を共有したいという願望、肉体的にも結びついている男と女の関係、そしてお互いが全てを信じあう事なんだが、寅さんの場合には、何時でも、愛を捨てて風来坊の寂しい思いを持ちながら、時々さくらのいる柴又へ帰ってくる、愛より風来坊を選んでしまう、やっぱ不幸な人間なんだろうな寅さんは。

 しかし仕方無しに同居人化してしまっている夫婦よりは幸せなのだが、その幸せを計る計りは無いので曖昧な所で妥協してしまうのが愛でもある、そんな事を考えさせる映画である。

感じた度  ★★☆

男はつらいよ35話ー寅次郎恋愛塾

2007-08-25 08:34:03 | Weblog
 
第35話  寅次郎恋愛熟 1985江上若菜=樋口加南子 平田満 

 解説

 連続失恋の寅さん恋の仲介役の巻き。風が吹けば桶屋が儲かる式の、つまり、何でもない一事が人と人との繋がりの中で、見えない糸でつながって行く、そんな不思議な話を物語りしたところがこの映画の見所、人に情をかける事が、次にまたその情が情を生んで、幸せを掴んでゆくというハッピーなお話。

 物語

 プロローグは、姨捨山へおいちゃんとおばちゃんが行く前の別れの話から始まるが、みんなが悲しみに包まれて居るときに、老婆を背負う寅さんがあまりにも重くて背負えない、お!とっとと、・・・、で爆笑。

 九州長崎から寅さんがとらやのさくらに電話、元気で居るか、の何時もの電話。満男は、それを聞いて、叔父さんは個性的だな、なんていう、ばか、あれは個性的って言うんじゃない、でたらめって言うんだとおいちゃん。 これから上五島へ行く船の中、相棒が居る二人ずれだ。

 港へ着く、波止場で二人が休んでいると、腰を曲げたおばあさんが歩いている、可哀想に働きすぎたんだろうななんて話をしていると、そのおばあさん何かに躓いたのかころんでしまった。

 思わず助けに行く、そして家までおんぶして行く、家に着くとどうやらお婆さんは一人暮らしらしい、寂しくないのかい、の質問に、孫の娘が居たが、出て行った、今は神様が居るから寂しくないという、上五島はキリシタンの島だった。


 感想


 情けは人のためならず、という言葉がある、お婆さんを助けた、そして天国へ贈って上げた、そしてそれが縁で、孫娘を知り、その孫娘を助けてやる、更に不器用な男が居てそれも助ける、そして最後には全てハッピーエンドになる、というはなし、だが、自分は寂しいもんだ。

 金が無くて、教会の銀の飾鐸を盗む、捕まって牧師に警察が聞くと、これは、私があの方に差し上げた物ですという話が最後に出てくる。その盗んだ男は、以前その教会の為に墓堀の仕事をした事がある。
 だから罪を許された。
 情けをかける寅さんは、教会の牧師みたいなもんだ。 

 ふっと気がついたが、寅さんがコーポ富士見へ出かけお婆さんの亡くなった時の事を話して聞かせる、その時、若菜はスッと席を外して紅茶を入れに行くが、そこで「お婆さんは幸せだったのね」という泣きながら言う台詞があるが、このシーン、アップにしないで画面は引いて広角で寅さんを見せながら台詞だけを聞かせる、これって山田風演出の上手さだろう、素晴らしい表現方法だと思う。

 感じた度 ★★☆

男はつらいよ34話ー寅次郎真実一路

2007-08-24 09:29:28 | Weblog

第34話 寅次郎真実一路 1984 ふじ子 大原麗子

 解説
 寅さんがタコ社長の工場の職員に口癖の様にいう「労働者諸君!安月給で元気に働いているかねご苦労さん」という言葉を聞くが、これまでの中で労働者の苦労を取り上げた節はない、ここでは、その頃良くあった、仕事に疲れ果て蒸発してしまうサラリーマンが横行した事もあって、サラリーマンの苦悩を取り上げている所に注目だ、それに加え、寅さんの夢の女性のロマン、それを組み合わせた所が見所となっている。

 物語

 タコ社長の娘あけみが夫婦喧嘩をしたらしくてとらやへやってくる、とらさん帰ってないの?という。あ、またかと言う感じで誰も取りあってはくれない、仕方なしさくらが「何で喧嘩なんかしたのよ」と聞くと、私が作った料理、食べるどころか流しへ流してしまったのよ頭へ来る、というのだ。

 「サラリーマンはね、会社で色んな苦労があるんだよ、疲れて帰ってきたら、やさしく迎えてやらなくちゃ駄目なんだよ」とおいちゃんは言う。
 そこへ寅さんが帰ってくる、やっと味方が現れたと喜ぶあけみ、私ね、あの人にもともと愛情なんて無かったのよ、それを無理やり見合いさせられて結婚したのよ、といえば、タコ社長が怒る、寅さんとまたそこで喧嘩になる、表へ出ろから帝釈天の境内へ、すると今度は御前様が出てきて仲裁する、なんの事は無い喧嘩両成敗となる。

 寅さん面白くないので上野まで酒を飲みに出て行く、しかし、家を飛び出して来たので金を持って来なかった、そこでさくらに電話する、金を持って来なかったので金持って上野まで来てくれと電話する。
 しかし、再三そんな事が有るのでさくらも言う事を聞かない、勝手にしなさいという、するとそれを先程から聞いていた男が居た。

 その男と気が合うのか、男はそれでどうすんですか?ときく、ナーに、店長と掛け合って、無銭飲食で交番へ一晩泊めてもらって、明日さくらが迎えに来て金払ってお仕舞いさ、なんて気楽なもんだ。

 すると、寅さん、あんた九州だね、九州男児か、と言いながら二人は飲み始める、そして男が金を払ってくれる、そして名刺を置いてゆく。
 その名刺には、スタンド証券の課長で富永健吉(米倉斎加年)と書いてあった。 寅さんご機嫌で家に帰ってから、そのお礼にと次の日富永の会社を訪れて仕事の終わるのを待っている、午後九時仕事が終わると飲みに行く。

 気が合った二人は梯子して遅くまで飲むが、電車の中で二人とも寝てしまい、牛久沼の近くの富永の家まで行ってしまい、寅さんはそこで泊まってしまう。
 翌朝寅さんが目を覚ますとナンだか見知らぬ所で寝ている、泥酔していたので夕べの事は覚えて居ない、家の中をうろついていると、素晴らしく綺麗な女性が出てきた、ポカンとしていると、富永の妻でふじ子(大原麗子)という女性だった、どうやら富永の家まで来てしまった事を知った。

 そして富永はすでに仕事に出かけて奥さんだけだった。これはまずいと用意した朝飯も食わずに飛び出して柴又へ帰る寅さんだった。

 二日酔い気味の寅さん、夕べの事をみんなに話し出す。

 そりゃね、花に例えれば、薄紫のコスモスさ、あーあ、勿体ねー、その課長さんはな、朝の6時に家を出て帰りは12時か一時、綺麗な奥さんが居たって見ている暇が無いじゃないか、それで勿体無いと言っているのよ。
 仮にだよ、俺があんな綺麗な奥さんを貰ったとしたらだな、一日中ずーっとその顔を見ている。
台所で洗物をしている、その綺麗なうなじを見つめている、針仕事をする、白魚のような綺麗な指をおれはジッと見つめる。

 買い物だって付いて行ちゃうよ、八百屋で大根を値切って居るその美しい声に思わず聞きほれる、夜になる、すやすやと可愛い寝息を立てる、その横顔をジーっと見つめる、おれは寝ない、・・・と博が、問題があるなその考え方には、という、おいちゃんは、どうやって食うんだよ働かないで、という。
 寅さんは続けて、良いんだよ食わなくたって、あんな綺麗な人と暮らしていれば腹なんか減らないんだよという。

 暫くして、富永夫人から寅さんへ電話があり、富永が蒸発したという電話が入る。
 寅さん牛久沼まで飛んで行き奥さんに事情を聞く、そこから寅さんの世話好きと、寅さんの恋心がうずき出す。

感想

 寅さんが女性に惚れるとたまらない、蒸発した課長を探しに行くから金を出してくれ、と売り上げの金庫の金を持ち出す、おいちゃんが、何で見も知らない人の蒸発に俺の金を出さなきゃならないんだ、蒸発する人間なんて世の中には幾らでも居るじゃないか、と怒り、寅さんは、可哀想な人が居るのに知らない顔していて良いのかと喧嘩する、そこが下町の人たちの情なんだろう、可哀想な人を見るとほっておけない気性は寅さんだけのものでは無さそうだ。

 寅さんの職業は全般的にサラリーマンが夢に見るようなフーテン稼業、そのサラリーマンの実態を寅さんの方から見ている所が出ていてなかなか面白い。

 感じた度 ★★★

男はつらいよ33話ー夜霧にむせぶ寅次郎

2007-08-23 09:00:29 | Weblog

第33話 夜霧にむせぶ寅次郎  1984年  中原理恵

解説

 葛飾柴又といえば、矢切の渡し、「つれて逃げてよ、付いておいでよ」と言う歌がある。男はつらいよといえば寅さんの失恋だが、男と女の結びつく過程には多くの出来事があり、已む無く何処かで覚悟を決めて結婚するものである。

 全くその気はあるが、渡世人が辞められず結婚しないのが寅さん、この映画はそんな話の章である。

物語

 社長の娘あけみが結納だといい社長が落ち着かない、正直言ってあんな娘を嫁に貰う奴の気が知れないと独り言を言っている、縁は異な物、味なもの、どこでどう結びつくは当人どうしじゃ無ければ分らない。
 寅さんが盛岡より満男の入学祝のお祝いに地球儀を送ってくれた、盛岡で地球儀を売っている、そこへ現れたのが子分と慕っていた登である。

 登は故郷の岩手で、小さな店をやって居る、奥さんも子供も居る、今はすっかり堅気になっている。
 昔世話になった親分という事で、家へ寄って、酒飲んで積もる話をしようと登は言うが、寅さんは、未だに渡世人、堅気の家に泊まって酒を飲むなんて事は許されない、といい断る、実は、自分が身につまされるからだろう、登も承知でサヨナラする。

 釧路の波止場近くの床屋で散髪している寅さん、そこへある綺麗な女性が理容師の免許持っているけど雇ってくれと入って来る、店主は断る、寅さんに、店主は、あの手の美人理容師は必ず何処かで問題を起こす、雇いたくない、なんたってかみさんがヤキモチ焼くんだよとのろける。
 散髪の後、寅さんが波止場の方へ行くと先ほどの女がベンチに腰掛けていた。寅さんがその横に座るそして話しかける、彼女は、フーテンの風子という名前だと名乗る、俺はフーテンの寅と言われていると気が合う。

 気があって食事の後、同じ安宿旅館に部屋を取る、しかしその安宿、可也混んで来て相部屋にしてくれという、先ほどの女性と同じ部屋じゃ駄目かとおかみは言うが、そうは行かないとその男と相部屋になる。

 男は福田栄作と名乗ったが、気の小さい男、その男が言うには、松戸に小さな家をローンで作り、子供が居るのだが、妻も働かなくちゃ払いが大変なので近くへパートの仕事をしに出かけた、そしたら、そのパート先で三週間もしないのに好きな男が出来て、逃げてしまった、その女房に会いに行くところなのだという。
 もし、女房が苦労しているようだったらつれて帰る、楽しそうだったら諦めて帰ってくるというのだ。

 場所は、霧胆布、丁度寅さんが商売に行くところである、風子も寅さんと共にそこに叔母が住んで居るのでそこへ行きたいという、三人は汽車を乗り継いで山奥の農場へ行くが、逃げた女房は幸せそうにしていた。
 男は泣きながら諦める。

 感じた度  ★★☆

おとこはつらいよ32-口笛を吹く寅次郎

2007-08-22 08:50:36 | Weblog

第32話 口笛を吹く寅次郎  1983年

解説

 この節は「餅は餅屋」その人の持つ良いところを展ばしてやる事が大事という話。

物語

 寅さんより電話で博の父親の三回忌なので高梁へ来ているのでお寺へ寄ってお線香でもと思っているんだけどお寺の名前は何というお寺だったかな、という、さくらが、蓮台寺だと答える。

 寅さん蓮台寺を訪ねてお墓参りをする、帰りにお墓から階段を下りてくるとそこの住職らしき人が女性に助けられながら階段を昇ってくる、どうやら住職は階段を昇れないぐらい酒に酔っている。
 荷物を落としたので拾ってやる寅さん、それを見て住職が、何処の檀家の人かね?と聞くと諏訪の家の者で、と答える、住職は酔っ払いながらも、わざわざ遠い所から来たんじゃどうだいお茶でも飲んで行きなさいという。

 寅さんもそれじゃ一杯だけ、と言いながら住職と飲み始める、もう止らない、女性が居るが、その女性は離婚して出戻りで住職の面倒を見ていた。
 そのお寺には息子が居るが、その息子は大学生だが写真を撮るのが好きで、坊さんになって後を継ぐ気は無い。
 飲むほどに酔うほどに泊まって行く事になり住職はすっかり飲んでしまう。
 翌日、二日酔いの住職の所へ車が迎えに来る、七回忌の法要を頼まれていたのだが、二日酔いでどうにもならない、仕方なし寅さん袈裟を借り坊さんの代わりに法要に出かける、この法要が中々の物で檀家の人は大喜び。忙しい仕事が次から次へ入って坊さんの手助けをして寺の仕事をやるはめになってしまった。

 やがて、博の兄弟も三回忌に来る、そこで寅さんとばったり、助かったのは出戻りの娘さんだが、・・・


感想 この節は、面白いが前作ほど取り立てて面白いところは無い。
 
感じた度 ★★☆