年の瀬になるに従い、なぜか昔に見た映画を思い出すことが
多くなった。
その中で特に「義理と人情」がテーマとなっている映画、「古
い奴だと、お思いでしょうが、古い奴ほど新しいものを欲しが
るものでございます・・・」の科白と共に、着流しの姿が決ま
っている「鶴田浩二」が思い出される。
高倉健でなく鶴田浩二なのは、近般沖縄「集団自決」の教科書
の混乱を聞くに付け、六十年前の出来事を、それもたった二行
の記述に噛み付き、「強制、強制」だけが一人歩きして、旧日
本軍は冷酷非道の軍隊であったの、どこを見ればそうなるのか
の混迷した頭脳の集団に、いい加減げんなりしてしてしまって
学徒出陣で航空整備兵であった「鶴田浩二」の私財を提供した
「遺骨収集」の思いは、どこか違った国の出来事みたいなのに
土の下で嘆いているのではないか・・・。
なんて、想像してしまうからである。
http://jp.youtube.com/watch?v=jdFu0VHv_rw
「同期の桜」
鶴田浩二の生き様には、この僚友たちの死がある。
特攻隊員でなく、その整備兵であった事実から当初「売名」と
罵られるも鶴田は黙して語らず、遺骨収集に尽力した。
この頃の鶴田は、どんな役も嫌がることなく相当な本数をこな
しているが、それは稼いだ金を収集につぎ込みたいが為であった
のではないだろうか。
そのうちに元特攻隊員達も彼を受け入れ、折に触れ交流を持った
という。そして彼の死の時には大勢の戦友と元特攻隊員が集まり、
亡骸に軍服を着せ棺を旭日旗で包み、葬送ラッパと軍歌で見送
っている。
http://jp.youtube.com/watch?v=93ZGB0HMwM0
「傷だらけの人生」
七十三年の映画となる、鶴田のヒット曲だが六十三年、尾崎士郎
の名作「人生劇場」の「残侠編」を映画化した時の飛車角役は、
ヒットしただけでなく、演じたかった役柄ではないだろうか。
松竹・東宝と渡り歩いた鶴田が、東映でこれまでの時代劇からの
脱皮に用意された「仁侠映画」というものに惹かれたのは、やはり
「義理と人情」の日本の美徳に共鳴したから・・・。
http://www.youtube.com/watch?v=wgwsSKoCDCI
「人生劇場」 村田英雄
この唄が、東映の波しぶきの映像にかぶった時の出だしは、ああ、
ここは日本なんだなぁ、と、つくづく思ったものだ。
で、少し横道にそれるが、今日昼休みテレビを見ていた。
珍しく日本放送協会の「のど自慢」の裏側特集である。
その中でイギリス人のコメントが、なんだか鶴田とかぶって
しまった。このイギリス人は「与作」を歌ったそうだが、
「日本が好きだ、それは義理と人情が、イギリスなどよりも
強く、日本より住みやすいところはない」と絶賛していた。
それを見ながら、イギリス人から見れば、今でもそう思える
風土が残っているのかと、ほろりとさせられた。
それと、あの沖縄の高校生の「おじ・おばぁが嘘を言っている
とでもいうのか」を平気で流す、印象操作が得意の同じ局とは
思えない驚きもあった。
洗脳された自虐史観ってのは、どこまでいっても救いようがない。
鶴田が生きていて、それらのブログを見ていたら、きっと呟く
だろう。
右を向いても左を見ても、バカと阿呆の絡み合い・・・。
英霊はそんなものを望んで、犠牲になったのではない、っと。
来年は苛立つことのない、年でありますように・・・。
拙いブログをお読みいただき、ありがとうございました。
「良いお年を、迎えてください」
多くなった。
その中で特に「義理と人情」がテーマとなっている映画、「古
い奴だと、お思いでしょうが、古い奴ほど新しいものを欲しが
るものでございます・・・」の科白と共に、着流しの姿が決ま
っている「鶴田浩二」が思い出される。
高倉健でなく鶴田浩二なのは、近般沖縄「集団自決」の教科書
の混乱を聞くに付け、六十年前の出来事を、それもたった二行
の記述に噛み付き、「強制、強制」だけが一人歩きして、旧日
本軍は冷酷非道の軍隊であったの、どこを見ればそうなるのか
の混迷した頭脳の集団に、いい加減げんなりしてしてしまって
学徒出陣で航空整備兵であった「鶴田浩二」の私財を提供した
「遺骨収集」の思いは、どこか違った国の出来事みたいなのに
土の下で嘆いているのではないか・・・。
なんて、想像してしまうからである。
http://jp.youtube.com/watch?v=jdFu0VHv_rw
「同期の桜」
鶴田浩二の生き様には、この僚友たちの死がある。
特攻隊員でなく、その整備兵であった事実から当初「売名」と
罵られるも鶴田は黙して語らず、遺骨収集に尽力した。
この頃の鶴田は、どんな役も嫌がることなく相当な本数をこな
しているが、それは稼いだ金を収集につぎ込みたいが為であった
のではないだろうか。
そのうちに元特攻隊員達も彼を受け入れ、折に触れ交流を持った
という。そして彼の死の時には大勢の戦友と元特攻隊員が集まり、
亡骸に軍服を着せ棺を旭日旗で包み、葬送ラッパと軍歌で見送
っている。
http://jp.youtube.com/watch?v=93ZGB0HMwM0
「傷だらけの人生」
七十三年の映画となる、鶴田のヒット曲だが六十三年、尾崎士郎
の名作「人生劇場」の「残侠編」を映画化した時の飛車角役は、
ヒットしただけでなく、演じたかった役柄ではないだろうか。
松竹・東宝と渡り歩いた鶴田が、東映でこれまでの時代劇からの
脱皮に用意された「仁侠映画」というものに惹かれたのは、やはり
「義理と人情」の日本の美徳に共鳴したから・・・。
http://www.youtube.com/watch?v=wgwsSKoCDCI
「人生劇場」 村田英雄
この唄が、東映の波しぶきの映像にかぶった時の出だしは、ああ、
ここは日本なんだなぁ、と、つくづく思ったものだ。
で、少し横道にそれるが、今日昼休みテレビを見ていた。
珍しく日本放送協会の「のど自慢」の裏側特集である。
その中でイギリス人のコメントが、なんだか鶴田とかぶって
しまった。このイギリス人は「与作」を歌ったそうだが、
「日本が好きだ、それは義理と人情が、イギリスなどよりも
強く、日本より住みやすいところはない」と絶賛していた。
それを見ながら、イギリス人から見れば、今でもそう思える
風土が残っているのかと、ほろりとさせられた。
それと、あの沖縄の高校生の「おじ・おばぁが嘘を言っている
とでもいうのか」を平気で流す、印象操作が得意の同じ局とは
思えない驚きもあった。
洗脳された自虐史観ってのは、どこまでいっても救いようがない。
鶴田が生きていて、それらのブログを見ていたら、きっと呟く
だろう。
右を向いても左を見ても、バカと阿呆の絡み合い・・・。
英霊はそんなものを望んで、犠牲になったのではない、っと。
来年は苛立つことのない、年でありますように・・・。
拙いブログをお読みいただき、ありがとうございました。
「良いお年を、迎えてください」