本居宣長の医学の実際の雰囲気をつかむために、また今回も『済世録』から宣長の症例を見てみましょう。
本居宣長の自宅兼診療室
(症例1)
天明二年 八月十三日
西村伝右衛門: 鳥目強し ・還睛丸 三日分
十五日 ・還睛丸 三日分
還睛丸は『普濟方』にある処方で眼病に用いられます。配合は、白朮・菟絲子・防風・羌活・白蒺藜・密蒙花・木賊・青葙子・蝉蛻ですが、宣長は『方彙簡巻』で、蒺藜子・決明子・蝉蛻・青葙子・木賊・防風・山梔子のように記し、これを基本としています 。
ちなみに宣長は同じ薬をさまざまに表記します。この還睛丸は、クハン睛・歓清・官睛・還せイ・還睛などと書いてあり、注意しないと違う薬であると勘違いしてしまいます。
(症例2)
安永八年 七月五日
大口源三郎: 腹張り、下り、乳離れ、虫にならん ・消疳湯 三日分
八日 ・消疳湯 三日分
十日 ・消疳湯 三日分
十三日 ・消疳湯 三日分
前回のブログの(症例2)、 田原村源八さんでも気付かれたかも知れませんが、宣長の『済世録』はカルテではないのです。これは「売方貸方覚帳」であるので記載されている名は、患者名ではなく、診療報酬の支払者、つまり一家の主の名なのです。それ故、子供の名は記されないのであり、子供の名の記載がないからといって宣長が小児科医ではなかったと言う事はできません。あくまで症状や薬、治療の流れなどで判断しなければなりません。また一家で複数人を診た場合は、その名に並べて、祖父・老母・父・母・あね・弟・メ・乳母・娘・小・小童・兒・下男などと記して区別しています。メは おそらく嫁のこと。
消疳湯は子供の疳の虫に使います。宣長は二種類の消疳湯を『方彙簡巻』に記しています。一つは『万病回春』にある処方の配合、山楂子・芍薬・黄連・白朮・伏苓・沢瀉 ・青皮・甘草であり、もう一つは、配合の良く似ているものが『幼科証治大全』の消疳飲にありますが、宣長は、白朮・茯苓・陳皮・青皮・神麹・麦芽・黄連・使君子・甘草の配合で記しています。
(症例3)
安永七年 八月十日
上之庄平右衛門: 瘧(ヲコリ)、虫 ・柴平湯 三日分
十三日 ・消疳湯加柴胡 三日分
柴平湯は日本の経験方で、小柴胡湯に平胃散を配合したものであり、消化器症状の一つ瘧にも使われます。宣長は『方彙簡巻』に、柴平湯は柴胡湯と平胃を合したものであり 、また不換金正気散に柴胡と黄芩を加えたものと同じである、と記しています。正確には、配合に人参の有無の違いなどがあるため、同じではないのですが、効果としてはほとんど同じでしょう。
小柴胡湯は『傷寒論』にある処方で、中風や往来寒熱(マラリア風の熱病)や胃腸炎などに使われますが、基本的に少陽半表半裏証の傷寒の処方のため、それ以外の多様な症状に用いることができます。最近では慢性肝炎に用いられていました。
ちなみに『方彙簡巻』には168種の処方がありますが、宣長の医師としての経験と研究から記された処方集ではありません。彼がまだ京で医学の修行中に学んだ処方の書付です。なぜなら、ほとんどの処方を実際に使用していないからです。
次はちょっと長いのですが、色々なことが解って面白い症例です。
(症例4)
寛政八年 三月十八日
藤村治右衛門: ・順気剤加釣藤鈎 三日分
二十日 ・順気剤加甘草 三日分
二十一日 ・順気剤加甘草 三日分
二十三日 ・順気剤加甘草 三日分
二十四日 ・大承気湯 一日分
二十五日 ・順気剤加甘草 三日分
二十六日 ・順気剤加甘草 三日分
二十七日 ・大承気湯 一日分
二十八日 ・順気剤加甘草 三日分
二十九日 ・順気剤加甘草 三日分
四月二日 ・順気剤加甘草 三日分 ・大承気湯 一日分
四月
三日 ・順気剤加甘草 三日分
四日 ・大承気湯 一日分
治右衛門さんに処方された順気剤とは、香川修徳の家方第一の処方であり、茯苓・半夏・枳実・厚朴・甘草・生姜からなり、気の滞りを改善する作用で様々な症状に使われます。宣長ははじめは熱や痙攣、痛みなどに効く釣藤鈎を加えましたが、その後、沈痛鎮静・緊張緩和作用もある甘草を加えました。どちらも頭に昇った気を下げる効果が期待されます。順気剤には甘草がすでに配合されているのですが、基本的にそれは少量用いることになっているので、宣長はその作用を強めるために増量しました。
宣長は順気剤を三日分処方しましたが、その後ほぼ毎日のように診療しています。治右衛門さんは一日で全部服用してしまったのかもしれませんね。そして回復を待てずに診てもらいました。今でいうところの不安神経症とか心身症があてはまるかもしれません。
大承気湯は気滞を改善する効果が高いのですが、強力な瀉下作用があります。ひどい下痢になるので、様子を見ながら用いなければならないため、処方は一日分が基本です。
五日 ・正気天香散加甘草 三日分
六日 ・正気天香散加甘草 三日分
八日 ・正気天香散加甘草 三日分
九日 ・正気天香散加甘草 三日分
十一日 ・正気天香散加甘草 三日分
十二日 ・正気天香散加甘草 三日分
十三日 ・大承気湯 一日分
十四日 ・正気天香散加甘草 三日分
十七日 ・正気天香散加甘草 三日分
十八日 ・正気天香散加甘草 三日分
四日まではいわゆる古方派の処方を用いていましたが、五日からは正気天香散に代えました。これは朱丹渓の処方でやはり上昇した気を下げ、不安や痛みに効果があります。丹渓は治療の主眼を陰の不足を補うことにおき、滋陰降火の処方を作り上げました。 丹渓は補中益気湯を作った李東垣(李杲)とともにいわゆる後世方医学(李朱医学)の創設者として知られています。
朱丹渓は、当時の日本の医師たちの信仰の対象でしたが、宣長はまだ学生だったころ、「仲景は何人ぞ、丹渓は何人ぞ、是は皆古の一医人のみ」*1と言っています。でも実際の臨床では張仲景(『傷寒論』の著者)の処方も、丹渓や東垣の処方もたくさん用いているのです。なので宣長のこの言葉は、彼らに対する批判ではなく、彼らを神や聖人のように奉る日本の医師に対する批判なのです。
正気天香散の配合は、烏薬・香附子・陳皮・蘇葉・乾姜・檳榔。
十九日 ・柴平湯加防風 五日分
二十日 ・柴平湯加防風 三日分
二十一日 ・柴平湯加防風 三日分
二十二日 ・柴平湯加防風 三日分
二十三日 ・柴平湯加防風 三日分
二十四日 ・柴平湯加防風 三日分
二十五日 ・柴平湯加青皮 三日分
二十五日 ・柴平湯加青皮 三日分 ○
次に柴平湯が防風を加えて処方されました。十九日に五日分出しても、次の日にはまた診療を頼まれてしまい、二十五日まで毎日することになりました。二十五日には一日のうちに二回、防風を青皮に代えて三日分ずつ処方しています。
そこに○が付けられていますが、これは治療終了の記号です。終了と言うか、宣長はここで治療を打ち切りたいと望んだ、あるいは終わると予想したのでしょう。しかし… 。
三十日 ・柴胡・芍薬・茯苓・黄芩・連翹・石膏 三日分 ・朱砂安神丸 一日分
五日後にまた診療しました。宣長は独自の配合で処方し、さらに朱砂安神丸も出しました。これは李東垣の創作した陰血不足の人のための精神安定剤です。
五月
一日 ・柴胡・芍薬・茯苓・黄芩・連翹・石膏・大黄 三日分
二日 ・柴胡・芍薬・茯苓・黄芩・連翹・石膏・大黄 三日分 ・朱砂安神丸 一日分
四日 ・大承気湯 一日分
十四日 ・大承気湯 一日分
ここでやっと治右衛門さんはすこし落ち着くことができました。
二十二日 ・不換金正気散加乾姜防風 三日分
二十三日 ・不換金正気散加乾姜防風 三日分
二十四日 ・不換金正気散加乾姜防風 三日分
二十五日 ・不換金正気散加乾姜防風 三日分
二十六日 ・大承気湯 一日分
しかし、今度は胃腸炎です。そして約一月後・・・。
六月
十九日 ・順気剤加柴胡 三日分
二十日 ・順気剤加柴胡 三日分
二十一日 ・順気剤加柴胡 三日分
二十二日 ・小柴胡湯加乾姜大黄甘草 三日分
二十三日 ・小柴胡湯加乾姜大黄甘草 三日分
二十四日 ・小柴胡湯加乾姜大黄甘草 三日分
二十七日 ・小柴胡湯加乾姜大黄甘草 三日分
二十九日 ・大承気湯 一日分
不安神経症が再発したようですね。柴胡が加わっているので胃腸炎からの発熱もあったかもしれません。二十二日には小柴胡湯に代え、より胃腸に働くように処方を加減しています。大黄が加わっているのは、単なる下剤として腸内の熱毒を排出させるだけでなく、精神的な症状がある場合は便秘も併発していることも少なくなく、便通を改善する事がその治療のひとつと考えられていました。山脇東洋も『臧志』の中で、この症状、気厥に対して大黄を用いています。
七月
一日 ・不換金正気散加麻黄 三日分
二日 ・不換金正気散加麻黄 三日分 ・大承気湯 一日分 ・不換金正気散加麻黄 三日分
三日 ・不換金正気散加柴胡枳実 三日分
四日 ・不換金正気散加柴胡枳実 三日分
五日 ・不換金正気散加柴胡枳実 三日分
七日 ・不換金正気散加柴胡枳実 十日分
二日には二回診療しています。七日には十日分処方されましたが、症状が落ちついたわけではなさそうです。おそらく仕事や生活の都合のためでしょう。
十五日 ・小柴胡湯加連翹大黄茯苓乾姜 六日分
十六日 ・小柴胡湯加連翹大黄茯苓乾姜 三日分
十九日 ・小柴胡湯加連翹大黄茯苓乾姜 三日分
二十日 ・小柴胡湯加連翹大黄茯苓乾姜 三日分
二十二日 ・小柴胡湯加連翹大黄茯苓乾姜 三日分
二十三日 ・小柴胡湯加連翹大黄茯苓乾姜 三日分
二十六日 ・小柴胡湯加連翹大黄茯苓乾姜 三日分
二十八日 ・加味逍遙散加遠志 三日分
二十九日 ・加味逍遙散加遠志 三日分
三十日 ・加味逍遙散加遠志 三日分
二十八日には処方が加味逍遙散に代わりました。そして精神安定に働く遠志をくわえています。より不安感が強くなったようですね。なぜでしょう。じつは前の日に治右衛門さんの老母が胃腸炎になってしまいました。老母は八月二日に三日分の処方を最後に治療していないので、五日には治っている可能性がありますが、治右衛門さんの症状は続きます。
加味逍遙散は現代では婦人の更年期障害に用いられることでよく知られていますが、性別を問わず使うことができます。特に便秘を伴う精神症状に用いられ、配合は甘草・当帰・茯苓・芍薬・白朮・柴胡・薄荷・生姜・山梔子・牡丹皮です。
八月
一日 ・加味逍遙散加遠志 三日分
三日 ・加味逍遙散加遠志 三日分
五日 ・加味逍遙散加遠志 三日分
六日 ・加味逍遙散加遠志 三日分
七日 ・加味逍遙散加遠志 三日分
九日 ・加味逍遙散加遠志 三日分
十日 ・加味逍遙散加遠志 三日分
十二日 ・加味逍遙散加遠志 三日分
十四日 ・加味逍遙散加遠志 三日分
十五日 ・加味逍遙散加遠志 三日分
十八日 ・加味逍遙散加遠志 三日分
二十日 ・加味逍遙散加遠志 三日分 ・大承気湯 一日分
八月二十日で一段落つきました。治癒したのでしょうか。それともなかなか改善しないので宣長に診療を頼むことを止めたのでしょうか。
九月
三十日 ・大承気湯 一日分
寛政九年
一月二十六日 ・大承気湯 二日分
五月
十二日 ・大承気湯 一日分
十九日 ・大承気湯 一日分
宣長の治療が嫌になったわけではなさそうですね。時々、大承気湯が処方されました。完治していないまでも、薬に頼りすぎず、頑張っているようです。ひょっとしたら、老母の病気が関係しているのでしょうか。例えば、
「治右衛門、私ももう年です。あなたもしっかりして、どうか安心させてくださいませ」
「わかりました。お母さん。僕も宣長先生に頼りすぎずに頑張ります」
というような会話などがあったかもしれませんね。
つづく
(ムガク)
*1: 『送藤文與還肥序』
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