まわりを見る余裕もなかったのですが、 気がつくと
少し季節が巡っていたようで我が家のまわりで梅が見頃になっていました。
雨上がりの春の散歩は花粉も少なく、心地よいです。
かんきつ類が美味しい季節になってきました。
最近では定番の味の他に、品種改良されたものが次々と誕生しているようです。
妻がお試しでいろいろ買っているようなのでちょっと掲載。
まずは『はるか』。
見た目、ちょっと小さなグレープフルーツみたいですね。
福岡県で日向夏の偶発実生から育成されたものなのだそうです。
(JAえひめ中央のホームページ情報から。)
甘夏の味がしますがあまり酸っぱくないです。
妻がこんな感じで盛りつけてくれました。 ひとくちサイズで美味しいです。
次に『まりひめ』
アルジェリア原産の柑橘「クレメンティン」を母に「南柑20号」を交配、
全農えひめ県本部が育成したマンダリンタイプの柑橘だそうです。
(by JAえひめ中央)
見た目はみかんです。
見た目通りに皮がむき易いのがいいです。
ネーブルのような味がします。
どちらも酸味が少ないのが特徴です。
酸味が無い方が確かに食べ易いのですが、私のようなオジサンには
酸っぱくないかんきつ類は「それってありなの?」って思ってしまいます。
でも、値段が同じなら、ネーブルより「まりひめ」を選択しちゃいますね。やっぱり。
CNN ENGISH EXPRESS 3月号にオバマ大統領のノーベル平和賞受賞演説が
掲載されていました。
そのなかにbearerという単語が standard bearer という言い方で使われていました。
satndard bearer で 『軍旗を運ぶ者 = 旗手』 という意味と 『規律をもたらす者』
という意味のダブルミーニングで使われているようでした。 多分。
(standard には、日本人にお馴染みのスタンダードの意味=基準 , 規格 の意味
の他に旗 , 軍旗という意味もあります。)
bearerといえば元の意味は『使者 , 運搬する者』を指すのですが
南アジア(インド・パキスタン等)では従僕・召使いの意味を持ちます。
食事とかを運んでくれるからでしょうか。
南アジアの私達の工場のゲストハウスにもコックさんとは別にベアラーさんがいて
忠実に家事を働いてくれています。
下の写真はゲストハウスにて。
民族衣装を着ているのは同僚、私服なのがベアラーさんです。
私達は特にルール付けをしている訳ではないのですが
彼らの中には「主人より先に寝てはいけない」という不文律があるみたいです。
私達の議論が白熱して深夜に及ぶと、ふらふらになりながら
ちょっと離れたところで立って指示を待っているベアラーさんの姿を見て
「あぁ、これも楽な仕事じゃないんだなぁ」と思ったものです。
(2006年3月当時の話です。)
ブックオフで購入。350円也。
こうの先生の漫画では
いつも楽しそうな顔をしながらなにか別のことを別の部分で考えている女性が
主人公になることがあるのですが、
この漫画の主人公の道さんはそれの最たる女性ではないでしょうか。
美人ではないし、どちらかといえば子供体型の子供顔。
でもどこか肉感的で大人の強い意志をもった表情をだせる独特の女性像は
こうの先生の独特の画風だからこそ描けた感があります。
背表紙の釣書はこんな感じ。
「夫カイショなし 妻ノー天気。
そんな二人のあったかくておかしくて切なくて 心にしみる54のプチ物語」
導入としてはそういう風に読むことができるでしょう。
天堂道 さんは
お父さんが飲み屋で知り合った人の息子の老松荘介さんのアパートを訪ね
押しかけ女房になり、老松道さんになります。
この荘介さんというのが職なし、ギャンブル好き、女好きの典型的駄目人間。
でも、女性の選り好みの問題でか道さんには殆ど手をだしません。
話が進んでいくにつれ、道さんは単なるノー天気ではなくて別の理由で
旦那さんの荘介さんといることがわかってきます。
彼女は一度、竹林賢二氏という男性と大恋愛に落ち、何かしらの問題で別れ、
竹林氏の住む町にいる老松荘介さんと夫婦になる機会を得て愛情もなしに
故意に夫婦になったのです。
そこで彼女は駄目人間の荘介さんと「幸せにならない」暮らしを自分に課しながら
竹林さんと偶然会うことを心のどこかで望んで生きていくのです。
そんな二人の夫婦生活なのですが、妙にうまくいきます。
妻は夫に幸せの提供を求めないで尽くすし、
夫は妻を同居者としてぐらいしか思っていないので精神的な依存をしません。
そんな二人が普通の夫婦と時間軸で逆向きに少しずつお互いが歩み寄っていく、
そんな話です。
時間的に逆向き、というのは、
夫婦になって、酒の勢いで一度だけ同衾して、
話が進むにつれ、ハグして、キスして、
心がほんの少しだけ通い合って、物語が閉じる。
ということが(故意か無意識か)丁寧に逆向きに描かれているのです。
どうなんでしょうね。
私は幸せに貪欲でない女性には魅力を感じませんし、
荘介氏の駄目人間ぶりも唾棄すべきものと思っています。
それなのにこの物語に、登場人物に 魅力を感じざるをえないのです。
人間的欠陥の多いこのままごとのような夫婦に幸あれかし、と願ってしまうのです。
それが何故なのかは私自身にもわかりません。
文学やドラマで伝わりにくいこの話の魅力を表現できることが
漫画という媒体の力なのかもしれません。
2005年第1刷、私が買ったのが2008年第8刷、ということは
じわじわと売れているんですね。
妙な本です。
万人向けとはいいませんが、読み応えありますんで気になったらご一読ください。
ちょっと前にラジオのコメンテーターさんが
「サービスエリアでだらしない恰好のままうろうろする人が最近特に増えてきている。
その多くはワゴン車から降りてくる家族連れ、もしくは仲間連れだ。」
なんて言っていました。
直感的に間違っていないような気がします。
ワゴン車というのは「移動できる小さな居間」という感じがあります。
ですから、移動している最中もワゴン車内部にいるときは
居間にいるようなダラダラ感で過ごしているのではないでしょうか。
そうなるとサービスエリアに着いたからといって
急にパブリックスペースにいるときの態度に自分の感覚を変更できないから
まわりから見てだらしなく見えるんじゃないかと思います。
これが電車の中とかならば車の中よりも
「周りに見られる」ことを意識して少しは緊張感を持ちますもんね。 一般人ならば。
この「居間だからダラダラする」の感覚については
「居間」の過ごし方に起因するのでしょうが
日本と西洋では若干事情が違うような気がします。
西洋では居間は準パブリックスペース扱いです。(靴も履いたまま)
本当のプライベート空間は寝室だけ、ということになっています。
来客も普通にあって、
イギリスなどでは年中ティーパーティーを自宅でやって
その度にお客が居間をうろうろしています。
対して日本では居間は準プライベート空間扱いです。
お客さんが来るのは稀で、お客さんが来るときには
普段よりも念入りに掃除して体裁を整えてから客人をもてなします。
ですから、
ワゴン車を「移動できる小さな居間」扱いする = 居間のように乗員がダラダラする
ことに大きな魅力を感じるのは日本人の特長なのかもしれません。
そう考えるとワゴン車の販売が日本で突出している理由が
少しわかってくる気がします。
別に西洋を礼賛している訳じゃないんですよ。
「居間」とか「ダラダラ」とか以前の問題で 「駄目じゃん」って思える人は
西洋の若者の格好とか見ていてもたくさんいるし。
でも、西洋の「居間が準パブリック空間」 という扱い方も
傍から見ていてちょっと魅力的に映りますね。