昨年も光のルネサンス
を見に行って来た。
なんと12月24日(土)クリスマスイヴの日にぃ~
えらい人やった
中央会場
中ノ島イルミネーションストリート
毎度、この場所の写真撮影は人が多くて難しい~。うまく撮れない
ならLED燈篭回廊
「平成遷都1300年祭で使用したLED燈篭が登場。」
大阪市中央公会堂
ビデオカメラもちゃんと用意して一番前に座って準備OK
「壁面にはエミレーツ航空が協賛する「光絵本」の3D画像が。」
ん?なんか違うなあ。航空会社の宣伝だけで終わったような・・・
ウォールタペストリーは図書館のほうだった~ 楽しみにしてたのにぃ
でも入場制限があったようで、たぶん大混雑してただろうから、ま、いいか(^^ゞ 2010年のようす
フランスアベニュー
「シャンパンのグラスと泡をイメージしたケヤキのイルミネーションデザインと中央の街灯には、
海外と大阪との平和で幸せな交流を願う鐘をイメージしたオブジェが飾られます。」
難波橋
東会場
ローズライトファンタジー&ワンダーローズイルミネーション
ウェルカムスノーマンファミリー
ローズライト・ディアー
高さ7mの迫力満点のトナカイ
キッズイルミネーション
Mameshiba
私の定番 法善寺横町
大阪ぐらし
がたろ横丁で行き暮れ泣いて ここが思案の合縁奇縁
おなごりなりゃこそ願かけまする 恋の思案の法善寺
(「大阪ぐらし」 フランク永井 作詞:石浜恒夫 作曲:大野正雄)
三代目 桂春団冶、藤山直美の名前が。
あ、またあの船が。観光コースなんだろうな。船から見る道頓堀ってどんなかな。 とんぼりリバークルーズ 700円 約20分
道頓堀川にかかる9つの橋をめぐるクルーズのようだ。わ~乗りたい~ (冬場はお休み)
Mameshiba
(7月25日のお話(^^ゞ)
天神祭りに行く目的のひとつ、チキンラーメンの船を見ること!
まだかまだかとワクワクしながらかなりの時間を待って、やっと来た~
写真だと光ってわかりづらいけど、チキンラーメンのヒヨコちゃんだよん
そしてもうひとつの目的は、橋の下を渡るときヒヨコちゃんの空気が抜かれペタンコになる姿を見ること!
あ、空気が抜かれ始めた!
橋を越えれば、すぐに復活
チキンラーメンの船を見たから、もう満足
数ある屋台のなかで行列ができていたお店。有名なの?
あ~花火大会が始まった~ 花火が見えるポイントに移動するだけで大大大混雑の中を歩くことになるので、
花火はパスして混雑を抜けたいのに、なかなか人ごみを抜けられない
途中、何度も花火の大きな音がして、でもビルとビルの間や木々の上から少し見えるだけ。
悩ましい~
これで我慢
義父のいる病室からはきれいに花火が見えたそうだ。
私の大好きな撮影ポイント。遠くに大阪城が見える。
祭り後の源八橋。つわものどもが夢のあと・・・じゃないけれど、ゴミだらけ!捨てるか、持ち帰ろうや
クタクタになって、おっさん居酒屋に向かう豆柴夫婦であった
Mameshiba
(7月25日のお話(^^ゞ)
天満宮でお参りをした後、川べりに向かってぶらぶら歩いた。
あ!お馬さんだ! 陸渡御に使われたであろう馬達が何台かのトラックの中にいた。暑そうだ~
山車も置かれていた。
美しい
目玉がすごい迫力があった。
わ!テニスコートが~
あ、いつものお化け屋敷や!ひぃ~ 混雑しているので近づくエネルギーなし
どんどこ船が繰り出してきた!
だんだんと日が暮れてきて、祭りの佳境に向かう。
天神橋筋商店街のどんこ船。
右のほうに見える火は篝講。
まんなかに見えるビルはテレビ大阪のビルで、あの屋上で花火のTV中継が行われる。
文楽船 めっちゃ浮かれているお人形。もっと近くで見た~い
おおお~!どこかの船からタージンの司会する声が!仕事してまんな~
Mameshiba
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(7月25日のお話(^^ゞ)
大阪の夏祭りといえば天神祭ははずせないので、本宮に行って来た
天満天神繁昌亭の前では、ミストが出ていた。
天満宮周辺は大混雑 出入り口が一方通行になっていたりするので大変だ
登龍門
御神酒講と猩々人形
「御神酒講は天神祭りの御奉仕を活動の中心としております酒類業者の講で、江戸時代の酒造業者の講「酒屋講」を起源とし、
結成は元文2年と歴史のある講でございます。・・・・・・・七月二十四日、二十五日の天神祭りでは講のシンボル
「猩々人形山車」をお飾りし、陸渡御、船渡御のお供を致しております。「猩々」は酒を好む中国の想像上の霊獣です。・・・・・」
「赤熊、波模様の袴、菊模様の禰襠(うちかけ)を着し、右手に扇を持ち、左手をかざしています」
本社
お迎え人形 しじみの藤棚
蜆の貝を藤の花に見立てた、造り物「しじみの藤棚」
江戸時代の大坂町人たちは、社寺の祭礼などの賑わい行事として、
趣向を凝らした人形や動物、静物を造りました。
日常的な器物や食物などの風合いに着目して、それを意外な別物に見立て、
見物の人々を楽しませたのです。これを「造り物」といい、大阪では「つくりもん」と発音します
「お迎え人形」(大阪府有形民俗文化財)
元禄期になると、氏子たちは町ごとに豪華絢爛の大型風流人形を造り、御迎船に飾りました。
これを「御迎人形」といいます。人形は当時流行の文楽や歌舞伎の登場人物をモデルに造られ、
幕末の最盛期には五十体を越えましたが、現在は十六体を残すだけです。
八幡太郎義家
平安後期の武将、源義家。男山にある岩清水八幡宮において元服したため、八幡太郎と号す。
前九年の役(1051~62)、後三年の役(1083~7)を鎮圧し、東国に源氏の基礎を築いた。
左:胡蝶舞 六十代醍醐天皇の延喜八年(908)に山城守藤原忠房朝臣が作った舞楽。
華麗な羽を付けて蝶のように舞うのが特徴だが、この人形の羽は傷みが激しく、
文化財保存のために、羽を付けての展示は控える。
右:素盞鳴尊(すさのおのみこと) 日本神話の代表的神格。
天岩戸の事件を起こし、高天原から追放された。出雲国で八枝大蛇を斬り、天叢雲剣を得たと伝えられる。
豆蔵
釣り合い人形。いわゆる弥次郎兵衛のこと。江戸時代には当宮境内で売られていた。
御迎え人形全十六体のうち豆蔵と雀踊は文化財指定を受けていなかったが、
本年の一月一四日に、大阪府有形民俗文化財に指定された。
OAPにて
坂田公時
平安時代の武士。「坂田」「金時」とも書く。源頼光の四天王の一人として、大江山の酒呑童児を退治する説話で
活躍する。また、その幼児期は怪童の金太郎として伝説化され、五月人形のモデルとなった。
疫病神としての性格を持ち、その赤い肌は疱瘡(天然痘)を退散させる緋色に通じる。・・・・・・
帝国ホテルにて
関羽
中国の武将。三国時代の蜀の創始者である劉備に仕えた武将。
その人並みはずれた武勇や義理を重んじる人物は敵の曹操や多くの同時代人から称賛された。
天神祭 御迎え人形
御迎え人形、好き
Mameshiba
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