回顧と展望

思いついたことや趣味の写真などを備忘録風に

15年

2016年09月11日 10時33分21秒 | 日記

つい昨日の事のように思い出される、というのはよくつかわれる言い方だ。しかし、15年前を「昨日」というにはいくらなんでも古すぎるだろう。にもかかわらず、妙な感覚であるが、15年前のNYで経験した同時多発テロはまるで昨日起こったような気がしてならない。あの日の事は朝自宅を出てから深夜眠りにつくまでの一部始終が今でも鮮明に思い出される。あの時NYに住んでいたというのは仕事上の巡り合わせに過ぎないのだが、もしそうでなければ疾うに記憶から消し去られていただろう。

ダウンタウンから飛散してきた紙がミッドタウンの街角に吹き溜まっていた光景や、燃え続ける世界貿易センターから漂ってくる何かの焦げたような匂いまで。時間のたつほどに却って焦点がより鮮明になってくるようだ。それは記憶されているものの中からフィルターを濾して強烈なものだけが選別されていくようなことかもしれない。15年前のその時はまるで驚天動地、世界が転覆したような感じを受けたものだが、今となってみれば、個人の記憶という以外、何も残ってはいないようだ。たしかにあの事件が新しい世界秩序の契機になったことは事実だ。この事件が契機となった現在の中東の動乱、ISの台頭と未曾有の難民の発生など、結びつけることのできることはいくらでもあるだろう。繰り言なのであるが、記憶が鮮明なだけに、自分の老化と無力感が募ってくる。

その年の冬、倒壊したツインタワーを追悼するレーザー光線で象った2本の光柱をハドソン川越しに望む。

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