ここずっと東方神起の話をするのがイヤで避けてきていました。
あれだけ応援して、曲も毎日聞いていたのに、今ではCDを聞くことも、
DVDを見ることもなくなりました。
それは‘JJY’と呼ばれている3人を見るのが嫌だったから。
正確に言うならば、嫌というより‘関心がなくなった’から。
以前に読んだ本の中に、マザーテレサの言葉でとても印象的なものがありました。
『愛の反対は憎しみではない 愛の反対は無関心である』というものです。
‘憎い’という感情があるという事は、不の感情であったとしても、相手の事を
気にしているという事。
でも‘無関心’というのは相手がどうなろうが全く心が動かないという事。
これ以上に切なくて悲しいことはない。
正直私は一連の3人の行動によって、本当にあんなに好きだった5人での
東方神起というものに無関心になってしまったんです。
きれいさっぱりと。
3人の行動にほとほと呆れたというのもあるし、ファンあっての自分達の仕事だと
いう事を、何かはき違えてるのかと思われたのと、そして何より大好きだった
東方神起を自らの手でなくしてしまったという事。
自分達がSMを相手取って起こした裁判は結局どのような局面を迎えるのか
わかりませんが、いつまでも曖昧なままじゃなくて、きっちりと
落とし前をつけて欲しいと思っています。
これ以上を‘東方神起’という名前を汚さないで欲しいという願いで
いっぱいです。
あれだけ応援して、曲も毎日聞いていたのに、今ではCDを聞くことも、
DVDを見ることもなくなりました。
それは‘JJY’と呼ばれている3人を見るのが嫌だったから。
正確に言うならば、嫌というより‘関心がなくなった’から。
以前に読んだ本の中に、マザーテレサの言葉でとても印象的なものがありました。
『愛の反対は憎しみではない 愛の反対は無関心である』というものです。
‘憎い’という感情があるという事は、不の感情であったとしても、相手の事を
気にしているという事。
でも‘無関心’というのは相手がどうなろうが全く心が動かないという事。
これ以上に切なくて悲しいことはない。
正直私は一連の3人の行動によって、本当にあんなに好きだった5人での
東方神起というものに無関心になってしまったんです。
きれいさっぱりと。
3人の行動にほとほと呆れたというのもあるし、ファンあっての自分達の仕事だと
いう事を、何かはき違えてるのかと思われたのと、そして何より大好きだった
東方神起を自らの手でなくしてしまったという事。
自分達がSMを相手取って起こした裁判は結局どのような局面を迎えるのか
わかりませんが、いつまでも曖昧なままじゃなくて、きっちりと
落とし前をつけて欲しいと思っています。
これ以上を‘東方神起’という名前を汚さないで欲しいという願いで
いっぱいです。