松岩寺伝道掲示板から 今月のことば(blog版)

ホームページ(shoganji.or.jp)では書ききれない「今月のことば」の背景です。一ヶ月にひとつの言葉を紹介します

たくさんの人が歩けば、その足跡はやがて道になる    テレビコマーシャルより 

2016-06-01 | インポート

道をつくろう。世界が生まれたとき、そこに道はなかったはずだ。たくさんの人が歩けば、その足跡はやがて道になる。
             トヨタ自動車のテレビコマーシャルより
               

 認知症のセルフチェックに、「(あれ)(これ)で会話をすませるのは要注
意」という項目がありました。ご多分にもれず筆者も、「これをそっちへ持っ
て行って、あいつによろしく」なんて会話の常習者で、家人からひんしゅくを
買う認知症予備軍です。
 共通の認識があるから、「あれ、これ」だけで会話が成立するわけですが、
いつしか「同じ花を見て美しいと言った二人の心と心が通わなくなる」のが世
の常道ですから安心はしていられません。
 日常の会話だけでなく、共通の認識を前提にして成り立つ文芸のテクニック
があります。本歌取りです。古い名歌の一部を、意識的に取り入れて新作を作
る技巧です。本歌を知らないと、まったく意味が通じない場合もありますし、
深い面白みを味わうこともできない。自由律俳句を一例にあげてみます。
 山頭火(一八八二~一九四〇)の句に「鴉啼いてわたしも一人」がありま
す。その前書きには「放哉居士の作に和して」とあるといいます。つまり、尾
崎放哉(一八八五~一九二六)の「せきをしてもひとり」を拝借してつくった
と、ことわっているわけです。
 この二つの句を本にして、俳人の坪内稔典氏がもう一句作ります。「屁をす
るは二人」。解説がなければ意味不明なこの句は、坪内稔典著『四季の名言』
(平凡社新書)から引用しました。
 引用といえば、引用と盗作と本歌取りの境界は何でしょうか。出典をきちん
と明記してそのまま転載するのが引用で、借りたことを申告しないで、わが物
のように使ってしまうのは盗用。そして、誰でもが知っている本の作品をアレ
ンジするのは本歌取り。ここで厄介なのが、誰でもが「知っている」という条
件です。本をご存じなく、アレンジされた作品だけを見て、「すげぇー」と感
心したりする不勉強者もいるからめんどうな話です。
 今年の五月下旬から放映されている、テレビ・コマーシャルがあります。ト
ヨタ自動車の「道をつくろう」という広告です。男や女、老人と子どもが荒野
を歩き続ける素敵な映像に、こんなナレーションがそえられています。
「道をつくろう。世界が生まれたとき、そこに道はなかったはずだ。たくさん
の人が歩けば、その足跡はやがて道になる」。
 このナレーションが新鮮なのは、「たくさんの人が歩けば、その足跡はやが
て道になる」の一節があるからでしょうか。でも、このフレーズには本歌があ
ります。その本歌については、以前「魯迅 故郷より」で書きましたので、そちらを。
 なぞと、そっちだの、あっちだのと失語症気味で六月がはじまります。


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