松岩寺伝道掲示板から 今月のことば(blog版)

ホームページ(shoganji.or.jp)では書ききれない「今月のことば」の背景です。一ヶ月にひとつの言葉を紹介します

好語説き尽くすべからず

2014-11-28 | インポート

勢、使い尽くすべからず/福、受け尽くすべからず/規矩(きく)、行じ尽くすべからず/好語、説き尽くすべからず   『大慧武庫』より

12月のことばは、中国・宋の時代に五祖法演禅師(?~1104)が弟子の仏鑑におくった言葉です。仏鑑はこの時、大きな寺の住職に迎えら、師匠の法演のもとを去ろうとしています。師匠が出世した弟子へのはなむけのことばです。字面だけで何となく、わかる言葉ではないですか。「好い言葉も説き尽さないように」と忠告しているのですが、よほど心配だったのでしょう。この四句の後に、「何故(何ゆえぞ)」ときちんと説明しています。つまり、説き尽くして忠告しているのです。つまり、「好いことばを説き尽くす人は、必ずこれを易(あなど)る。規則を妄信すると繁(わずらわしく)なる。福を独り占めしたらひとりぼっちになってしまうし、勢いを過信すればきっと禍をこうむる」、と。この言葉は大慧普覚禅師の言行録『大慧武庫(だいえぶこ)』に収められているエピソードで、左上の本文の写真が該当部分です。「武庫」とは武器蔵のこと。武器がもっとも力を発するのは、蔵にしまってあって、使わないところに本当の威力があります。伝家の宝刀です。抑止力です。そんな言葉を集めた語録です。

「好語説き尽くすべからず」という、珠玉の戒めにならって言葉の解説はこのくらいにします。和紙がユネスコの無形文化遺産に登録されたとのこと。だからというわけではないのですが、写真に掲載したのは和装の『大慧武庫』です。このブログで経典や禅の語録の一節を紹介することがありますが、そのことばの原典に近い和本を紹介できるのは初めてではないでしょうか。この本の由来はというと、古書店で高価な一冊を買い求めたわけではなくて、昭和62年に平林寺で行われた開山石室禅師六百年遠忌の記念でいただいたものです。元禄時代につくられた版木から一枚いちまい刷って再版した貴重本です。さすが平林寺。そんな版木を所藏していたかというと、そうではなくて、その数年前にある方から寄贈された版木です。その方がどういう経緯で所有していたかは定かではありませんが奥書によれば、元禄七年(1694年)に潮音道海(1628~1695)が頭書(とうしょ=注釈)して、現代でいえば彦根市に住む紹圓さんの資金で出版した(江州神崎郡萱尾邑端氏大義紹圓居士捨淨金壽梓)とあります。 現代のように出版が簡単な時代ではありません。一字いちじ版木に漢字を彫って、それを一枚いちまい墨で刷る。紙だって、草からつくった手作りのもの。膨大な資金が必要だったろうに、それを一人で何ゆえに提供したのか、何も説いていません。
和紙が世界的な文化財になったというニュースを聞きながら和とじの本を眺めてみると、数百年の時間と空間がわが部屋に満ちてきます。なんだか好い気分になって本一冊がいとおしくなってきます。けれど、漢字ばかりで難解な代物です。
というわけで、12月。年内に仕事もやり尽くさず、掃除もやり尽くさず、年賀状だって書き尽くさず、何もかもやりかけで新しい年を迎えようと覚悟を決めれば、心安らかに過ごせる師走です。

 


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良寛辞世の句と雅子妃御歌

2014-11-01 | インポート

うらを見せ おもてを見せて ちるもみぢ   良寛

吹く風に 舞ふいちやうの葉 秋の日を 表に裏に 浴びて輝かがやく  雅子妃

11月のことばは、良寛の辞世の句と平成23年歌会始における雅子妃の歌です。
良寛の辞世はよく知られた句で、いまさらこれだけを「今月のことば」としたのでは、工夫がない。雅子妃の歌は偶然に知ったのですが、単独で「今月のことば」とするには唐突です。というわけで、落葉の季節にご一緒させていただきました。
雅子妃がこの歌をつくられた時、当然のことながら良寛の句が頭の中にあったと想像します。和歌短歌には「本歌」という作法があるので、それにかなったものなのでしょう。
では、良寛の句はというと、ご存じのとおり良寛自身のものではない。最晩年の女弟子・貞心尼の代作です。なぜ、代作したかというと、死を間近にして衰弱した良寛には句をつくる気力も体力もすでになかったから、貞心尼がかわりに良寛の生涯を総括する句を作った。
もうひとつ、良寛の辞世として伝えられている歌があります。
「形見とて 何かのこさん 春は花 夏ほとどきす 秋はもみぢば」
この歌は、与板(現長岡市)の商家・山田屋で働く「よせ子」という女性におくったものです。この事情は、柳田聖山著『沙門良寛』(人文書院刊)から引用してみます。

 

よせ子が、良寛に形見をこうたのは、いつのことであったか。他に記録はないのですが、必ずしも痢病に苦しんで、薬も飯もとどかぬ時のものではない、むしろ、良寛が健康な時期、与板の山田屋を訪うた際に、特に書いて頂いたものとみてよい。よせ子と良寛は、特別の仲であった様です。「ほたる」のあざなで、よせ子がからかうと、良寛みずから「ほたる」の名で、手紙を出すほどの二人です。「ほたる」は、夕方ふらりと飛んできて、甘い黄金の水をすう夏の虫です。相い言葉となる黄金の水は、じつはお酒のことでした。山田屋は客商売で、台どころにいるよせ子は、良寛にそっと酒をのませるのでしょう。その他、布子や下着の洗濯も、良寛はこの娘にたのんでいる。それにしても、よせ子はどうして形見を求めたのか。良寛はこの娘にだけ、形見の歌を与えたのか。形見を与えるというのは、やはりよくよくのことです。よせ子の素性は、じつはよくわからんのですが、〈途中略〉 形見を乞うのは、よせ子の身辺に、何か異常があった。山田家を出されたか、実家の事情で二度と会えない、異常事態が起ったのでないか。わたくしの空想ですが、遊女にでも売られて、良寛と生き別れになる、そんなせっぽつまった空気すら、形見というものはもっています。(柳田聖山著『沙門良寛』より)

 

良寛の「形見とて」のもと歌は道元禅師の「春は花、夏ほととぎす、秋は月、冬雪さえて、すずしかりけり」。川端康成がノーベル賞受賞記念講演で引用して有名になった歌です。さらにそのもとはというと、中国唐の時代・玄沙師備(835~908)の「三種病人」という公案にあると柳田氏はいいます。この公案、「目も見えない、口もきけない、耳も聞こえない人に仏法をどう説くか」と玄沙禅師が弟子にせまる、きわめて現代的な問いかけなのですが、そのことは長くなるから機会を改めて!
話を良寛さんに戻します。貞心尼といいよせ子といい、とどのつまり良寛さんは女性にもてたわけです。特に名前を隠すけれど、ご存命で現代の高僧と慕われる某師が「いい坊主は女にももてる」とおっしゃっていました。危ない話になってきたので今月はこのくらいで。
雅子妃の歌の背景については、宮内庁が「平成23年歌会始御製御歌及び詠進歌」(宮内庁)で解説しています。歌会始の過去の勅題や近年の御製御歌がインターネット上に公開されているのですから、便利な世の中になったものです。


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