赤い彷徨 part II

★★★★☆★☆★★☆
こんにちは、アジア王者です。↑お星さまが増えました。

バルセロナ/パリ紀行(24)

2015-12-23 19:30:26 | アウェイじゃないけどぶらり旅
前回からのつづき)

いよいよモン・サン=ミシェル(Mont Saint-Michel)の内部に入ります。トリコロールの旗が誇らしげにはためいております。



これは大砲か何かだったか記憶は定かではありませんが、ご覧のとおりとにもかくにも世界各地から押し寄せた観光客で芋洗い状態でした。



内部は城壁に囲まれた街という体。左手に見えるのが日本の観光ガイドにも掲載されている「ラ・メール・プラール」というお店でこちらのオムレツはおいしいようです。ただ、東京にも店舗があるのでそこらへんは現地で食うにあたりややテンション落ちますかね。



そもそもこんな辺鄙なところ、しかも海上に教会が出来た経緯というのは、708年に、パリからここに来るまでの途中にあった山の上にある教会の司教さんの夢枕に大天使ミカエルが現れ、「あそこの岩山に聖堂を建てい」とお告げを受けたことが発端なのだとか。



司教さんもさすがに「悪魔かなんかの悪さじゃね?」なんて思い信じなかった。そして同じ夢をまた見たが、それでもやっぱり信じなかった。しかし、バスツアーのガイドさんのお言葉を借りれば「仏の顔も3度まで」っつーことでついに3度目に大天使もしびれを切らし、今度は司教のおでこに指を触れて強く命じたと。



そして司教は脳天を稲妻が走る夢を見る羽目になったと。そして翌朝自分の頭に手を置くと脳天に穴が開いていることに気づきびっくり仰天。ここでようやくお告げがガチであると確信、この地に礼拝堂を作ったのが始まりということのようです(ガイドさん曰く、その司教さんのいた教会には穴の開いた頭蓋骨が未だに展示されているのだとか)。



さて、そもそも当地はフランスでも英国に近いノルマンディー地方にある湾です。そして潮の満ち引きが15メートル及び欧州でもその差がかなり激しい場所として知られているとか。



そういうわけで、湾にある岩礁のようなところに建てられたこの修道院はかつては満ち潮の時には海に浮かび、引き潮の時には自然に現れる陸橋で陸と繋がっていた。韓国の珍道とか日本の江ノ島みたいな感じだったんでしょうか。



潮の押し寄せるスピードはかなり速かったようで、多くの巡礼者が潮に飲まれて命を落としたとされているようです。いつの世も信仰はかくも厳しき。




そして時は流れ19世紀後半にようやく対岸との間に地続きの道路が整備されたことにより、潮の満ち引きに関係なくこちらの島へと渡れるようになったのだとか。



ただ、便利になったのはよいのですが、これによって潮の流れを堰き止める形になってしまい、以降1世紀もの間で何と2メートルもの砂が堆積してしまい、この周辺が急速に普通の陸地みたいになってしまってきているようです。



あんまり趣味がよろしいとは思えない水道の蛇口。



こちらの島のてっぺんにいらっしゃるのが、上述の司教の夢枕に立ちお告げをだして建造を命じた大天使ミカエル様。



砂の堆積の話に戻ると、陸地になっちまっては情緒がなかんべ、ということなのか、在りし日の姿へ、ということで09年から地続きの道路が取り壊され、我々が訪問した2014年7月の直後に新たな橋が完成したようです。写真の左手に見えるのが完成間近の新しい橋になります。



(つづく)

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