卵管がんとハロハロ日記

団塊の世代の主婦の気まぐれブログです。
夫婦揃って大病したあと のんびり暮らしています。

しーちゃんの脳梗塞リハビリ病棟レポート( 3 )

2013-04-27 20:08:17 | 脳梗塞リハビリ病棟レポートと相方の文章

相方の 脳梗塞リハビリ病棟レポートの 3回目です。

2011年春から夏まで、脳梗塞リハビリ入院中 携帯メールで仲間達に送っていたものです。

読んで頂きありがとうございます。



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◾6月6日 父親 亡くなる。

リハビリ生活5週間目に父親が亡くなりました。
本日 告別式を終えました。
94歳で安らかに老人ホームのスタッフに看取られて。大往生でしたね。

私がリハビリしていることも、脳梗塞になったことも知らない筈でしたが
どこかで分かっていたのかもしれません。
私が黒服を着て杖をついて歩行が少し出来るようになった時に
亡くなりました。

入居先のホームのスタッフから「 お別れが近いかもしれない。」
と連絡があり外出許可をとって訪問するその日の朝に亡くなりました。
死に目に会えない親不幸でしたけれど、図ったようなタイミングでした。



明日からリハビリ6週目に入ります。

私の脳梗塞はBADタイプという厄介なものでした。
脚はブルムストローム評価3、手は2という 比較的重い後遺症麻痺を残しています。
ですが 足の方の回復は目に見えるものがあります。

携帯でメールを作成している内に何度も書きかけが消えてしまいます。
上手く行かないので中途半端をお詫びしてここでやすみます。





◾6月12日

無事 告別式 収骨式を済ませ、病院に戻ってきたら弔問客が続きました。
疲れてひと眠りしたところです。
目が覚めて メールチェックしました。
この際、これ幸いと続きを書きます。



末梢のシビレと感じているのが 実は脳の中のシビレであることについて。

肩から左腕の指先まで、肩と乳首から左脇腹全体、左腰、太ももの左外側を膝まで、
そして 顔の左側にシビレがあります。

皮膚でなく肉、筋肉に非常に強いシビレがあります。
はっきりしています。
触るとその場所にシビレを感じるのは間違いないです。

でもこれは仮想現実です。
シビレはそこの末梢にはないのです。
だから、そこの血流をいくら改善しても治らないシビレです。

脳内の体勢感覚神経細胞が、血流不足のペナンブラという状態になっているのが
現実真相だと理性と知識が教えてくれています。

でも体感は違うって主張します。
感覚は異議申し立てします。
面白い体験ですよ。

これはとても哲学的で実践的な課題です。
五蘊皆空ということでしょうか。
身体も心も この世に生きゆくための用具にすぎないということでしょうか。

でも 肉体の自分は これが鬱陶しく嫌なんです。
だから シビレを取ろうってあくせく努力します。
末梢を暖めたり クリームを塗ったりなんでもします。

脳内血流を改善するために
鬱血を取るひまし油アロマしたり、伝田式音楽療法をしたりしています。

脳細胞のペナンブラは 八週間経っても治っていません。
これが私の現実です。

脳内血流を改善するために、ひまし油にジキタリスとペパーミントを入れた
アロマトリートメントを週二回しています。
ハーブミネラル入りの還元水素水を飲料としています。

左側の体幹は 運動神経もマヒしていますので呼吸も胸式が弱くなっています。
腹部も弱いのでリハビリ理学療法で局所筋トレもしています。
下降大腸が蠕動できず 便秘も経験しました。
歩行にも影響しています。

しびれが全くなくマヒだけの患者もいます。
私は両方あるので紛らわしいのです。
シビレのためにマヒに鈍感になっています。

出かける時間です。
今日のレポートはここまでです。



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補足します。
数年前から老人ホームにいた義父は
相方が脳梗塞で入院した頃から急速に弱っていったような気がします。
脳梗塞で入院してからはそれまで 頻繁にしていた訪問も出来なくなっていました。

葬儀などは二人で介護タクシーに乗って行き、現場では車椅子でした。
今でもあの時のことを思い出すと なんとも言えない気持ちになります。

老衰であまり苦しむこともなく眠るように亡くなったのが慰めではあります。
義父のことについては長くなりますのでここまでにしておきます。







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