行徳平兵衛の徒然

とりあえずは奥の細道の自転車放浪記

平兵衛の「奥の細道」-11 大河原~仙台

2008年01月17日 | 奥の細道
2007年4月20日(金)晴れ
節分を過ぎると我が家の庭にも花が咲き始める。白梅(2/7)あせび(2/16)鶯の初鳴(3/1)サンシュユ(3/2)桜(3/20)と続き、いよいよ桜前線も関東に入り、大宮公園の花見(3/28)、そして秩父の野辺の桜を求めてのサイクリング(4/5~6)とヒートアップして来る。奥の細道の「----そぞろ神の物につきて心をくるわせ、道祖神のまねきにあいて取るもの手につかず。----」の状態となり、ついには「ねがはくは 花の下にて 春死なん その如月の 望月のころ」とばっかりに、陸奥の旅を再開し大河原へ向かった。今回は大河原から平泉までの多くの名所・旧跡と歌枕の旅で、昨夜は大いに期待し興奮気味でやや寝不足だ。
自宅を5:20にスタートし、上野6:34発のつばさ101号で福島を経由し、大河原へ8:52に到着。
昨秋ペダルを忘れた待合室の椅子をチラリと横目で見、駅前広場で自転車を組上げる。“忘れ物なしヨシ”と出発。
駅前の尾形橋から白石川右岸の人気の無い土手道を下る。満開の桜並木(写真)が延々と続き、小鳥の散らす僅かな花びらが風の行方とその香りを知らせる長閑さだ。柴田大橋・さくら船岡大橋を横切ると、まもなく神明堂工業団地が土手下に現れる。この辺りから道は草に覆われ歩くのもやっとだ。白幡橋を渡り旧街道を進みR52のガードを抜けR4へ合流する。右側に阿武隈川が悠然と流れているが、1km程進み岩沼市境手前で右折し陸羽街道に入る。岩沼中学校前の信号を左折すると間も無く右手に大鳥居が見え、日本三大稲荷の一つの竹駒神社が現れる。武隈の松は次の二木交差点を右折すると右側の小公園にある。能因法師が「武隈の 松はこのたび 跡もなし 千歳を経てや 我は来つらむ」と詠んだが、今は立派な二木の松が聳えている。
バス道路を北上しR4へ合流する。館腰駅を過ぎ左折、弘誓寺を巻きR126を西進し“めでしま”交叉点を右折、R39(岩沼仙台線)を北上し道祖神社へ向う。
この神社は峠の上にあり往時を偲ぶ細々とした参道が麓に続いている。神前を下馬せず通過した藤原実方が落馬したとの故事から、自転車を降りて社に向かい賽銭を奮発し旅の安全を祈願した。
R39を1km程北上すると実方の墓の案内板に出会う。彼方の朱塗りの橋で小川を渡り、山裾の墓への小道の路傍に数株の枯れ薄がひっそりと守られている。西行の「朽ちもせず 其名ばかりを とどめおき かれのの薄 かたみにぞみる」と口ずさみながら坂を登ると、僅かな木漏れ日の木立の中に実方の墓が静かに立っていた。
R39を北上し高館・柳生を経て南仙台駅を過ぎR4へ合流。名取橋・長町駅・広瀬橋を通過し若林区の連坊小路を右折し東進する。
「みさぶらひ 御笠と申せ 宮城野の 木の下露は 雨にまされり」と詠まれた“木ノ下町”は人家が密集し昔を思い起こす木々などは全く無い。
まもなく陸奥国分寺薬師堂の仁王門が見え史跡公園になっていた。
奥の細道の「----宮城野の萩茂りあいて、秋のけしき思ひやらるる----」とある宮城野は運動公園となり、「取りつなげ 玉田横野の 放れ駒 つつじの岡に あせみ咲くなり」の玉田や横野は探しても見つからなかったが、幸いつつじの岡はよく整備され榴岡公園となり、桜が満開で特にしだれ桜が夕日を受け桃紫色に霞んでいた。
その後東照宮を見学し東北大近くの安宿へ向った。
今日の走行距離 45km


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