この夏はいろいろ忙しかったが、ハロコンは楽しかったし、パシフィック・リムも面白かった。
Juice=Juiceの「ロマンスの途中」が良い。生リズムギターとスラップベースがいいね。ブラスも生の方がいいに違いないけど、最近は技術の進歩で前より気にならなくなってきた。
なんだろうな?こういう楽曲をいままでも聞いたことがあるはずなのに、元ネタが浮かんでこなくてもどかしい。ハロコン初日でこの曲を見た人が、「ドラゴンボールがいっぱい出てくる曲」とレポートしていたのには、後で音を聞いて膝を打った。確かに歌詞に「つかもうぜ」と入っていなくても、あのフレーズのリズムは、アニメドラゴンボールオープニング曲の一節を思い出させる。また、AメロがBobby Hebbの「Sunny」のコード進行だ、というネットの書き込みにも、「おお!そうだそうだ」と目から鱗だったが、更にもっと楽曲の演奏構成とかブラスアレンジとか、元になったものがあるような気がするのだ。JAZZ FUNK かFUSIONかACID JAZZ辺り。
娘でディスコ(打ち込み系も含め)のスタイルをいろんな年代から取って来て、新しい音とミックスしているように、JAZZ FUNK(これがディスコの大元ではあるんだけど)で同じようにいろんな年代のスタイルを吸い上げて一曲にした、ということなのかもしれないが、この既視感の正体が知りたい。しかし、その既視感が決してマイナスに作用しないところが、ハロプロソングの魅力だ。ちなみにフリは70年代半ばくらいまでのソウルグループっぽい。
「ジェラシー の無い つまんない」の宮本・高木・金澤のリレーが艶っぽくてかっこいい。特に真ん中の高木の声がいいね。宮本の完成度の高いアイドルっぽい声と、高木の新垣里沙のようなハッタリの利く声、そして金澤の落ち着いたアダルトになる手前の声、この3つの声のミックスがとてもバランスよく、魅力的だ。宮崎の歌も他の歌を聞くと、特徴的な声で魅力あるのだが、ライブでの不安定さがあってのことか、あるいは今後も含めた戦略のためか、今回はあまりフィーチャーされていない。植村の声は、素人っぽさの残る年相応の子供らしい声なので、この曲ではあまりソロの出番は無し。宮本の歌割が多いのは、おそらく脱退した大塚の歌割が全部回って来たからだと思われる。その辺りはやはり、コピンクでソロの経験がある宮本の魅力と信頼性によるものだろう。
今回の曲は初めて聞いた時から、強烈なひっかかりがある。そう、「始まるぜ ロマンスの途中~」等のドラゴンボール風な部分だ(笑) あのフレーズが無くても成り立つはずだし、寧ろその方がスタイリッシュで隙の無い楽曲になったと思う。あのフレーズは、ハッキリ言って「ギャフン」な展開なのだ。そして、そこがつんくPの作家性なんだろうなと思う。アンバラスを意図的に入れておく、という事に思えてしょうがない。
アンバランスと言えば、歌詞もここ最近の娘やその他のグループの曲とは、どうも趣が違う。いや、ドラゴンボールフレーズwまでの歌詞はJuice=Juiceっぽいし、それは最近のハロ曲の毛色とそれほど外れていない。女性の心情を簡潔に盛り込んだ上手い詞だ。ところがドラゴンボールフレーズで、いきなり抽象的で輪郭がぼやけた言葉の連続になるのだ。そもそも「ロマンス」って何ぞや?という話である。「始まるぜ! ロマンスの途中」、「掴もうぜ! ロマンスよ永遠」。こういう、それこそアニメの主題歌のような言葉使いは、ここ最近のハロ曲では個人的に記憶が無い。その後に続く、「このままエンドレスさ 夢で踊ろう」も、ちょっと異物感があるのだが、極めつけは「ちょっぴり難しすぎる その山を乗り越えて」の部分。「ちょっぴり難しすぎる」は、つんくPらしい言い回しだと思うが、「その山を乗り越えて」が、「え?」と言うくらいの言葉のチョイスで戸惑う。2コーラス目に入ると、アダルトと言っても差し支えの無いような詞に戻るのだが、ドラゴンボールフレーズに来ると、1コーラス目よりは強烈ではないものの、「こうして無重力 二人踊ろう」と来て、「その丘を飛び越えて」である。このギャップの正体は?
以前のブログで何度か、娘の歌詞世界がメインボーカルのキャラクター性格に影響されて変化する、という持論を書いた。つんくP自身もインタビューでそれらしいことを言っていたことがあったと思うが、今回もそういことではないかと思っている。そして、その歌詞世界に影響を与えたメンバーが、メインボーカルでは無く、植村だったのではないだろうか? 見た目はOLでも通用するかもしれないルックスなのに、中身は天然でお子ちゃまと言われている植村のアンバランスさが、Juice=Juiceのフレッシュさを表現するのに適していた、ということなのかもしれない。そう言えば、衣装もアダルトなものと、フレッシュさを表す純白なもの、ポップで元気な子供っぽいものが混在している。
Juice=Juiceは初期スマイレージの折り目正しさを引き継いで、そこにアダルトっぽさを加味して行くのではないか?と書いたことがあったが、アダルトっぽさとフレッシュさの折衷という、アンバランスな方向に進むようだ。面白いなぁ。宮本、高木、金澤の特徴的な声を前面に、落ち着いたアダルトなスパイスとして宮崎を配し、まだ際立ったパフォーマンスが無い植村を全体の性格付けとして薄っすらとフィーチャーしたこの曲は、メジャーデビューに相応しい実験的なフレッシュさを携えた一曲となった。気が早いが、次の新曲も楽しみだ。
終わりを告げようとする日曜に聴く一曲
Janet Sherbourne - Nobody But You
http://www.youtube.com/watch?v=2hoUUQW0xQc
「わがまま 気のまま 愛のジョーク」のMVが公開された。最近娘関連の曲は、イイ!としか言ってないような気がするが、困っちゃうくらいにこれもまた「イイ!」のであった。困らないですけど。
EDM風歌謡ポップなのは、事前に「ハイスクールララバイ」をオマージュしたフリが入る・シモンズ風のドラムの跳ねた感じという情報があった為、予想していた通りだったが、思いのほか激しい。「ブレインストーミング」の上を行くデジロックとも言え、シモンズ風のドラムという情報から、CCBの「ロマンティックが止まらない」みたいなイメージを持っていた為、意表を突かれた。
ここ数年流行の巨大ロボットや怪獣が出現する映画のサントラのような、大仰な曲調がイカス。道重のちょっと囁くようなイントロから、激しいリズムと霧笛のようなシンセ。なんか、カーペンターのホラー映画「The Fog」とか、萩尾望都のマンガで読んだレイ・ブラッドベリの「霧笛」を思い出した。なんだ、このおどろおどろしさは!w シモンズドラムの、跳ねてはいるが重い打撃音が轟く。Aメロは抑え目に進行するが、「ヘイ!ヘイ!」の煽りと共に、雷神・風神が上空に現れたが如く、シモンズドラムがドンドコドンドコ鳴り響き、吹き出す強風のようにサビに向かって盛り上がって行く(昔アイレムというゲームメーカーにこういうリズム音をよく使う、石田雅彦さんというかっこいいコンポーザーがいたな)。そして、加速装置を発動したかのような印象を受けるタイトなリズムのサビは、ヘビー&ダークネスな「ハイスクール・ララバイ」と言った趣で突き進む。ハイハットの「ンチー ンチー」な音が好き。「愛はきっと罪深い 愛されたいx2」・「愛はもっとほろ苦い 愛されたいx2」の部分のコード選択が絶妙で、その後の心の叫びとも言うべき「愛された~い」が活きて来る。
間奏がまた面白く、ディストーションギターサンプリングのギュンギュンなリフと、シモンズ風ドラムがドンドコ鳴ってるところに、スチールドラムのリバーブをカットしたような能天気な音が被さってくる。なんスカ、これ?w 全体的に変態的な曲だがここが最も変態な部分で、解読不能なカオスw 愛される妄想中の、ダークでハイテンションな精神状態を表しているのだろうか? それとも、なんか企んでるのか?w そして、好き勝手をのたまったあげく、またしても心の渇望 「愛された~い」で、エピローグ。
よく出来てるなー、この曲。 大久保薫さんはやっぱ天才かも。
また、コレオグラファーYOSHIKO氏のフリ付けが楽曲・歌と相互作用して作り出した世界に、大久保氏が触発されて、EDM歌謡ポップ路線が新作の度に 進化するに到った、ということもあるかもしれない。
天才の大元つんく氏のコンセプトや歌詞に注目して行くと、「愛のジョーク」とは何ぞや? というところが、ポイントだろう。この歌は、女性のエゴがテーマになっている。世渡りがそれ程上手くなくても自分を曲げたくないし、自己中かもしれないけど、本当の自分を理解して欲しい、愛されたいという欲求がある。それでも受け入れてくれる愛ってないかしら?という歌だ。恐ろしいのは、「悲しみのカケラを持ち帰ってください」・「あなたの事情は持ち込まないでください」と言っているところだ。「自分は自分らしく媚び諂いたくないけど、上辺だけで分かったフリしないで、ちゃんと私を理解して欲しい。でも、あなたのことは知ったことじゃないし、気持ちを共有しようとも思わないわ」とwww なんちゅー女だ、という気持ちと共に、ここまでわがままだと逆に天晴れだねと思う。一部では、道重がモデルの歌詞だと言ってる人もいるようだが、正解のような、違うようなw 少なくとも道重が演じる、毒舌女には当て嵌まる気がする。
これが本気だったら困るが、歌の冒頭と終わりにきっちり”断り”を入れているので、安心しよう(安心できるのか?w)。これは、「女の子にだけ分かるトーク」=「愛」に付いての冗談なんです。男性抜きの女子会で、「どんな愛がいい?」って聞かれたら、わがままで思いついたままの自分の欲求を言っちゃうような、そんな腹黒いジョークという歌なんです。
ちなみに、女性の腹黒い部分を大仰なサウンドで、おどろおどろしく激しいものに見せかけているのは、つんく氏からのジョーク。「愛の軍団」では、生を肯定しタフに生きようと言うメッセージを出していたが、愛のジョークは「そうは言っても人間誰しも欲望があるし、腹黒いところもあるやん。そんな女性は、男からすると理解できない怖い生物でもあるけど、そういうのもかわいいで」と言う作品なんだと思う。また、歌の主人公が自己分析して、非社交的だけど世間には負けない、という”ど根性”もサウンドに現れているのだろう。
こういうバランス感覚が、個人的に好き。
MVでは、自然や森を愛し守る「愛の軍団」(若干歌詞のテーマから遠い気がしないでもないが)というイメージに対して、白黒ストライプと黒のクールな衣装を纏い、舞台上のライトや逆光に炙り出された踊りで、女性のダークな感情を表現している。ステージでライトを浴びるように、誰かに注目されたいという願望の中、白黒整然とした自分を律した社会的な存在と、仄暗い闇に蠢く本能が、社会的クンと本能クンに分かれて格闘しているカオス=それが心です、みたいな。イモ欽トリオのオマージュである往復ビンタは、1コーラス目は自分の殻をブレイクスルーするようなイメージで、2コーラス目は好き勝手言ってる女性に対してのつっこみ、オール巨人風に言うと「そんなわがままな奴は、パンパンやで」と言うことかな? 外国人ファンにはイモ欽が分からないだろうから、Kim Carnesの「Bette Davis Eyes」のオマージュだと言っておこう(嘘
さて、やはりモーニング娘。新時代が到来していたことが、確定した。今回の両A面の2曲には、どこにも田中れいなの影が無い。また、歌の女性像の描き方が、完全に変化している。高橋の耐える時代、新垣の狩る時代、田中の「楽しませてくれる人、早く出て来て」時代から、道重の「女って怖いけど、小悪魔的なのもカワイイ」になったw この曲はやろうと思えば、それこそ「ハイスクール・ララバイ」のように明るく軽くして、タレント ローラみたいに毒舌でもカワイイ、という風にも作れたはずだが、このプログレッシブな曲調になったのは、やはり道重キャラがあってのことだろう(軽いのは譜久村コンビでやるし)。これは継続される路線なのだろうか? とりあえず、「愛の軍団」公開時に懸念していた、若手台頭による道重の窓際族化は避けられ、まだまだ十五・十六の娘っ子には、頑張っても出せないものがあるんだよと示せたようだが、伸び盛りの娘たちは吸収が速いぞ!負けるな道重!w
でも、 「愛はきっと罪深い 愛されたいx2」・「愛はもっとほろ苦い 愛されたいx2」というのは、「愛」に対する憧憬なんだよね。曲のコード選択を聞くと、それまでの挑発的な過激な表現、ロックな「自分の何を知ってるっていうの? 知ったふりしないで!」という反抗が、「罪深い」・「ほろ苦い」の部分では、ちょっと夢見るニュアンスで手を緩めている。わがままな言い分を、「罪深い」や「ほろ苦い」と言い換えて正当化し、「理想的な愛って、だからそんなに簡単に手に入るものじゃないのよ」と自分を慰めているようにも思える。そして後に続くのは、心の渇望 「愛されたい!!」
リア充目線からだと、それは負け犬だよ道重....
なーんてネタは置いといて、娘新時代到来と逆行してというわけでもないのだが、踊るメンバーを見ていて、「モーニング娘。」を強く感じるところがあった。フリにそれを思わせる何かがあったのだろうか? それとも、フェミニンな歌世界が、初期や高橋のプラチナ期を彷彿させたのだろうか? おそらく、彼女たちから「モーニング娘。」としての自覚と使命感、そして自信が、より発散され始めているのだろう。それがこれからどう転がるか、楽しみではある。
よし、大体感じたことは書ききったみたいだw
そうそう、FNS歌謡祭の娘 「Help Me!!」を見たけど、なんでも生バンドでスラップベース使えばかっこいいってもんじゃなくて、トホホアレンジにちょっと笑ってしまった。
今回は〆の2曲で
Blossom Toes - Love is
http://www.youtube.com/watch?v=RW5ibDmGOD8
Jon and Vangelis - Love Is
http://www.youtube.com/watch?v=qNlwKr0liHg