いそのまさはるの教育間欠泉

中学校教師を定年退職し、現在は大学非常勤講師をつとめる立場から、折に触れ教育課題への発言を間欠泉の如く吹き上げます

「組体操禁止」に思う

2016年02月15日 | 日記

運動会や体育祭での相次ぐ事故に対して、大阪市教委が「組体操の禁止」を打ち出した。

ぼくが現役時代に勤めていた中学校では組体操の中で「ピラミッド」や「タワー」が行われたことはなかったが、昨今は運動会や体育祭のメーンイベントとして多くの学校現場で行われていたようだ。

退職後に非常勤で勤めた小学校や他の小学校で、運動会の際にピラミッドを見たとき、「がんばれー」と思ったことや完成した瞬間に感動を覚えたことも事実だ。だからこそ、保護者や地域の人たち、すなわち見ている人に感動を与えるということで、ますます高いピラミッドやタワーの高さを競うようになったのだろう。そして、事故の増加が教育委員会としても見過ごすことができない状況になったのだと思う。

確かに、ぼくも含めて、これまで学校現場でピラミッドやタワーなどの危険性を科学的に検証して議論したことはなかったのではないか。たとえば10段のピラミッドの場合、一番重力がかかる位置の生徒(中学生)には200㎏を超える重力がかかるという(内田良)。これは「根性などで耐えられる重さなどではない。が、恥ずかしながらぼくがこの事実を知ったのはつい最近ことだ。おそらくは、学校現場でも、そんな事実に目も向けず、「感動」や「達成感」が優先されてこれまで組体操が続けられてきたのだと思う。そもそも、ぼくも現場にいたからわかるが、「感動」「達成感」を振りかざされると正面切って反対しにくいものなのだ。

ぼく自身が今学校に求められていると思うことは、こうした危険性を科学的に分析し、そのリスクを最大限避けながら、子どもたちに達成感をもたらし、見ている人に感動を与えるピラミッドやタワーについて折り合いをつける道を見出すことだ。

しかし大阪市教委は一方的に「禁止」を持ち出した。以前の「学校安心ルール」という名の生徒指導のマニュアル化もそうだが、学校の裁量を認めない、上意下達方式は、確実に学校の自主、自立、自律を奪い、学校力を低下させるだろう。

「学力低下」論争でよく登場するPISA調査を実施しているOECDの求める学力の一つは、「自分で判断する能力」である。自分で判断できなくなった学校や教師がどうして「自分で判断できる能力」を子どもたちに育むことができるのか。

ぼくは、子どもに一番近いところにいる教師、そして学校にこそできるだけの裁量権が認められるべきだと思うし、教師や学校にはそれに応えられる力量と相互批判を可能にする職員集団づくりが求められているのだ思う。