ちび猫のつぶやき

宇宙人の独断と偏見なのですが、警鐘を鳴らす訳ではなく希望の光を照らす訳でもなく、ただ足下の事を皆で見ていたいだけなのです

93.ちび猫が見付けた『物理学世界のつぶやき』の再現

2015-03-21 | 1000年“後ろ”の時代のお話し
第0093号


*****(制作終了)*****


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59.ちび猫が見付けた『E=mc²』の自由議論(2)を参照して下さい。

141.ちび猫が見付けた『物理学世界のつぶやき』の再現(2)へ続きます。







令和4年度版







*思考を停滞させる1000年の魔法。【12月10日・土】


「物質から消失させた質量から発生させられるエネルギー量を算出する数式」だと言う事(魔法を掛ける)で『E=mc²』を宇宙戦艦ヤマトの波動エンジンの波動エネルギーと同じドラえもんのポケット的扱い(思考を停滞させる)をし、

『質量保存の法則』や『エネルギー保存の法則』を堅持(パラダイムの形成)していて、

「人間が使い続けているエネルギー量から、人類が消失させてしまい続けている質量を算出する数式」だという事(更新し続ける世界:多種多様な予備軍や持ち駒が作れるし、それが必要になる)を隠蔽し、

物理公式の{『E=mc²』に基づいた}随時更新を{澱が溜まるように}停滞させている{主流派の}科学派閥があって、

それを{倫理道徳を鵜吞みにしていて、闇呪文(ダメで良い、KY(空気を読まない)で良い、ブレても良い。など)を唱えられず}妄信して『反核』や『脱炭素』を行う(敵対派閥と諍いを起こす)茶番劇が{歯車システムの{老朽化した}邪魔モノ(進歩の可能性)を交換・排除する{進歩を停滞させる}社会メンテナンス(閉塞の具現化)として}演じられていて、

それがまだ1000年は続きそうなのである。







*『SDGs』と『プルサーマルの失敗』(2)。【5月3日・火】



更新(個別と個別の組み合わせが個別(数)の個別(数)乗だけ作れる)する無限(千差万別の千差万別乗)に多様(パラダイムが千差万別な個別(数)だけ在る)な大全体(車止メな{自由(フリー)ではなく勝手をする}歯車で構成される{闇}歯車システム)による、

{無限に}解放された未来観(闇呪文(ズルで良い、ズルと言われて良い、誰もがズルで良い、晩年がダメで良い、死に方がダメで良い、死んでからの評価がダメで良い)によって個別(数)が千差万別になった{闇魔法}世界)であれば、

{無限の可能性による}様々な手段を用いる事{が出来る事}によって「『SDGs』が必要であるとされながら、実行が困難である状況」や「『プルサーマルの失敗』が理屈では回避可能でありながら、実際には回避不能である事態」などは{そもそも}起こらなかったのですが。


前後が反転した時間認識の世界観に基づいて特定の土台(パラダイム)の上に物事が積み上げられる事(理想とされる進歩)による、

縛られた(閉塞した)未来観(特定のパラダイムを万人が共有するパダイム論の{魔法}世界)の現代では、

「『SDGs』が必要とされる」や「『プルサーマルの失敗』が回避不能である」などが常識化していて、

誰も{常識化しない選択肢を選んでこなかった事(パラダイム論を人類への問題提起にしなかった{ノーベル賞の弊害と言うよりも、ノーベル財団の陰謀と呼べる}事)を}疑問に思わない。







*『SDGs』と『プルサーマルの失敗』。【5月2日・月】



{人の営みの}歯車システムに於いて、

{自由(フリー)でなくてはならない}歯車には交換・廃棄が必然(こんな事をしているから、物事が特定の土台の上に積み上げられて閉塞し、大全体を構成する予備軍が減って、人の世が砂上の楼閣のように破綻(崩壊)してしまうのである)であり、

{車止めになってしまう歯車が現れて}歯車システムに支障が出る事も{勝手を自制するストレスを発散させる憂さ晴らしが必要で}どうしても避けられなくて、

国連が『SDGs』を提唱{我慢を強いる}しても、

{我慢が限界で}なかなか守られないのです。


プルサーマル計画を{論理的には可能なように}立てても、

人がなかなか厳守できなくて『プルサーマルの失敗』が起ってしまうのです。







令和1年度版







*次のお知らせ。【10月13日・日】

これからは、当ブログ第0092号の【『ちび猫のつぶやき』の(主張)のこれから先の概要】をメイン用例とさせてもらいます。







・平成31年度版







*お知らせ。【3月23日・土】

これからは、当ブログ第A0015号の【道路をゆっくり走るのに、・・・】~【道路をゆっくり走るのに、・・・(~~~)】をメイン用例としていくつもりなので、参照していただけたら幸いです。







*お詫び。【3月4日・月】

【ニーチェ】の『神は死んだ』の発言に於けるこれまでの{人類への賛歌としていた}解釈を反転させる自己修正をする事に致しました。修正内容については当ブログ第A0015号の【『神は死んだ』などと言われない為に】を参照していただけたら幸いです。







*“壁(土台や枠組)”の内側での『居場所』を捨てて出来る事。【1月20日・日】

1000年“後ろ”の、「ススケタ所でススケテいた人間」のお話しです。


≪『コイン(お金)』や『“ツケ”の負担(労働)』の争奪戦で不戦敗をする意義≫

1000年“後ろ”の時代までは。“投機”経済の比喩的表現による「ゲーム(人為的行為)が限定的スペースで限定的コイン量(お金)を用いて行われる特定のゲームセンター内(“投機”経済という“壁”の内側)では、ゲームの『発展や進歩』によって、少ない人数で大きなスペースや多くのコイン量(お金)を必要とするゲーム機を{既得権益者から順に奪われて}使用する事となり、限られたスペースやコイン量(お金)しか確保(保有)する事の出来ない既存のゲームセンター内から、一般の利用者(労働者)が{みんなに行き渡るだけのゲーム機が揃(ソロ)わなくなり、一人々々に十分なコイン量(お金)も行き渡らなくなって、{発達機能の休止により}主体的な行動が出来ない為にゲームセンター内(“投機”経済という“壁”の内側)に留まるしかない人々がゲームセンター内に溢(アフ)れてしまって}どうしても溢(アブ)れる(“投機”経済に於ける“利ザヤ”を負担する“ツケ”を既得権益の枠(ワク)から溢れた一般労働者が{既得権益者の獲得分は誰かが負担するというゲームセンター内(“投機”経済という“壁”の内側)の『特定のルール』に従って}負わされるのだが、問題はそれだけにとどまらず、労働という形によって負担させられる“ツケ”の必要分にも{特定のゲームセンター内である限り}限りがあるので、{ゲームの『発展や進歩』によって}その担い手(労働者)にさえなれない者がどんどん増えていく)コトになってしまうのです。」という警告があったり。

科学革命の比喩的表現による「より少い『人手』での《土台の上への積み上げ:少数の既得権益者と大多数の“ツケ”の負担者によるゲームの進行》が出来るようになる『発展や進歩』を進行させて行くと、『人手』が{“ツケ”の負担にさえあり付けない者がどんどん増えてしまって}どうしても余ってしまうという破綻が起こるものですから、人々はどうしても【土台(枠組):“壁”の内側】を大きくする必要性に{《【土台(枠組):“壁”の内側】の上への(中での)積み上げ》を止めて、『特定のルール』に縛られない主体性を発揮して“外”へ出て行かない限り}繰り返し迫られてしまうのです。」という警鐘があったり。

悪の自然誌の比喩的表現による「時間認識に於いて“前後の反転”が起こっている事により、現時点から時間が進むにつれて物事は{そのつど、そのつど、影響を受けるコトが繰り返されて、変化の可能性が限定されて行き}先細りになっていく“後”へと進行するしかないのだという事(ブロック積みの世界観:常識)を大前提にした『発展や進歩』しか{常識の呪縛に捉われて}起こせない人の世の中(人為的な“壁”が作られる実験室)となり、

{人類の団体戦勝利を『組み体操の意識』で目指して『発展や進歩』を起こしている時に、一人だけ勝手をするのは犯罪に等しいという《発達機能を休止させる情態に特有の結論》から}そんな『発展や進歩』に呼応する『お利口さ』や『甘え』での人の営み(発達機能の休止による他力本願な人為的行為)が{個々による個別な修正が行われないまま}繰り返され、

各個による{【更新する無限に多様な大全体】での『他のモノ』たちとの協力(コイン(お金)ではないモノでの{地力の向上による}“投資”をして“壁”の外側からの【配分】を得る:限られた『コイン(お金):既得権益』や『“ツケ”の負担(労働):“壁”の内側での居場所』を奪い合う“投機”経済(特定のゲームセンター内でのゲーム)とは違う:《ゲームセンターの“壁”》や【土台(枠組)】の外側での『アリ的お一人様』たちの関係)に必要な}地力の向上も行われないまま《ゲームでしかないブロック積み:『コイン(お金)』や『労働(“ツケ”の負担)』の奪い合い:発達機能の休止》を続けてパラダイム変換(《ゲームセンターの“壁”》や【土台(枠組)】の拡張)が必要な末期的破綻(“ツケ”の負担にさえあり付けない者の増加)をみんなで何度でも{ノーベル賞によって表彰された事を、反面教師と認識できず、ノーベル賞へのお手本になると思い込んで}迎えるに至ってしまうのです。」という注意喚起があったりしたにもかかわらず。

人々は特定の“壁(土台や枠組)”の一つとして形成されていて自分たちがその内側に閉じ込もっている『E=mc²の特殊化:「世界は特定の物質と一定のエネルギー量によって構成されていて、特殊な条件下でしか更新されない」とする概念:特定の“壁(土台や枠組)”』がなかなか乗り越えられず、

{“壁(土台や枠組)”の内側に固執する呪縛から解き放たれて}主体的活動の場(“壁(土台や枠組)”の外側の『他のモノ』たちとの協力関係を構築していける【更新する無限に多様な大全体】)へと世界観を広げる{発達機能の活性化の}切っ掛けとなる{ハズの}『E=mc²の一般化:「世界は無限に多様なモノによって形成されていて、常に更新され続けている」とする概念:【ニーチェ】の『神は死んだ』に匹敵する自由宣言』による地力の向上(外側から【配分】を得る為の“投資”の準備)を目前に{『コイン(お金)』や『労働(“ツケ”の負担)』の争奪戦に敗れて『居場所』を失うコトの方を恐れて}立往生を{長々と}続けてしまい、

近代社会に於ける『人間性』や『人間そのもの』の排除を近代化(社会や経済の発展や、科学技術の進歩)の{単なる暴走ではない}必然だと{それが自然の摂理だとし、人の「居場所」を“壁”の内側に回復させる『パラダイム変換』に大きな期待をよせ、【更新する無限に多様な大全体】の世界観から目を反らして}決めつけてしまって、

人類の未来を悲観した『世紀末思想』に“警告”を{未来や人類に対して}発したいインテリが同調したコトによって{想像力という他力本願によるしろもので、地力の向上などまったく眼中に無く、人間が“壁(土台や枠組)”の外側に出るコトなどまったく望めない}口先だけの『悲観論:【ニーチェ】を近代的な{世界の破綻の繰り返しを加速させる}精神異常の代表者にしてしまった手法(濡れ衣)と同じモノ:【更新する無限に多様な大全体】を諸悪の根源とした{破綻が無限に繰り返される}発想』が{文学や映画や漫画やアニメなどの創作活動の世界で}持て囃されていたのです。


しかし、1000年“後ろ”の時代からは。『E=mc²』についての隠蔽工作としての『E=mc²の特殊化』の在り様が暴露され、『E=mc²の一般化』の為の地力の向上が人々によって目指されて、その【更新する無限に多様な大全体】の世界観(可変的概念)に基づいて各個が個別に実力者を目指しての{“壁(土台や枠組)”の内側から出て『他のモノ』たちへの“投資”を行う}修正が繰り返されていて。


そして、1000年“前(先)”の今では。『他のモノ』たちとの協力関係による【配分】の享受だけに甘んじず、『生きた水作り』などの多種多様な“投資”も積極的に行い、【更新する無限に多様な大全体】の中核を担って、【配分】をする側に人類は立っているのです。







・平成30年度版







*『E=mc²』の真意が更新するコトによる世界の安定。【11月1日・木】

1000年“後ろ”の、「ススケタ所でススケテいた人間」のお話しです。


≪ノーベル賞と延命処置主義と尊厳死主義によるハッカーの狙い撃ち≫

1000年“後ろ”の時代までは。進歩と破綻を繰り返す様な人の営みが続けられていながら、人の世に於いて進歩の値打ちを高めるコトで{進歩を担っている}自己の値打ちを高めようとする延命処置主義と、人の世に破綻が{肯定的に}受け入れられるコトで{破綻の肯定的認識を主張し、勧めている}自己の存在意義を誇示しようとする尊厳死主義とがあって、そして{その二つの}対立を{表面的には}煽りながらその双方の対立心をハッカー(スパイ行為:科学技術の更新)に向かわせる事(ガス抜き:『E=mc²』の{通常のエネルギー発生と違って核エネルギーが発生する工程の特異性を示すコトの出来る}真意を隠蔽して核研究を実用施設で狂行する延命処置主義者と、『E=mc²』の{通常のエネルギーと核エネルギーを区別していない}真意を教えられないまま『反核運動』を狂行する尊厳死主義者とがいて。その{破綻の}責任を{身勝手な考え方で利己的に研究をしているハズの}ハッカーに{羊を生贄にするように}押し付け、その{敵意の}矛先は{研究者や人々の中に隠れているハズの}ハッカーに向けられた{延焼を防ぐ為の破壊消火の様な}ものだと言い訳をしていて。自己反省の無いまま、{悪者のハズの}ハッカーを的にした狂行が繰り返される)を狙って{厳選された分野の}ノーベル賞が{延命処置主義と尊厳死主義の双方の}厳選された功績者に{その功績に反面教師の意味がある事を隠蔽するように}送られていたのです。


しかし、1000年“後ろ”の時代からは。『他のモノ』を利用する進歩と『他のモノ』を使い捨てにせざるを得ない破綻を繰り返す人の営みと、『他のモノ』を構成員とする【大全体】との、{すれ違うばかりで}噛み合わない関係に関心が向けられ始め。『他のモノ』への配分をするハッカー(スパイ行為:科学技術の更新)の{人類の【大全体】での居場所を作り出す}意義にも関心が向き始め。『他のモノ』への配分の為の負担を{会社や国などの組織や、チーム人類などの}小全体が担う事(倫理道徳や、常識や正論や、組み体操の意識への問題意識から起こすコト)の重要性にまで関心が向き始めて、{過去の}ノーベル賞の反面教師としての利用が始まったのです。


そして、1000年“前(先)”の今では。人類の科学技術の更新(『E=mc²』の真意を用いたハッカー行為:『E=mc²』の真意の更新)が、【大全体】から必要(世界を更新していく担い手の中の重要な『モノ』の一つ)とされていて、人の営みに於いて『他のモノ』たちからの支援(『E=mc²』の真意を更新させて、世界を安定に向かわせるモノ)が受けられているのです。







*科学技術の一環として物理学を学ぶ者の基礎知識。【6月10日・日】

1000年“後ろ”の、「ススケタ所でススケテいた人間」のお話しです。


≪難解だが利用価値が高く特殊な機能と言える物理学の注意点≫

1000年“後ろ”の時代までは。人々の多くが一般論として、「伝統と文化が結集した宮殿や寺院(そこに献上された陶磁器や書画)などの{一点物として制作された}文化財と、科学文明と技術産業が結実した科学技術産業で作り出される{大量消費時代を実現させた}工業製品とでは、{皿一枚100万円と車一台100万円とでは、100万円という同じ価値であっても、100万円が持つ意味が全く違ってしまうように}その価値では計り知れない貴重性(希少性)に大きな違いがあって、{伝統や文化を蔑(ナイガシ)ろにする}科学技術産業の世界では{その工業製品の価値が年月の経過によってゼロになっていくように}人の営み(大量生産)で作り出されるモノが破綻へと至ってしまうのは必然なのである」などという{自虐的な}妄想に、自己陶酔していたのですが。『人の営み』を神への捧げ物とする『バベルの塔作り』として、{人間にとっては不自然なハズの}『指示命令系統』の下で宮殿や寺院(献上された陶磁器や書画)が作られていて、そしてその延長線上に出来たのが科学技術産業による大量消費時代であっただけでありまして。『人の営み』が、神への捧げ物として、{人間にとっては不自然なダケの}『指示命令系統』の下に置かれる事を求められていただけでありますから、作られるモノは『バベルの塔』でも『宮殿や寺院(献上品の陶磁器や書画)』でも『大量消費時代の工業製品』でも良かったのです。

しかし、1000年“後ろ”の時代からは。「{人間にとってはとっても不自然な}『指示命令系統』の下に神への捧げ物として『人の営み』が置かれてしまうコトによって、誰もがその知識と技能を{個々別に}持つ事で{【更新】する}『大全体』を形成する{【多様性】としての}構成員となる科学技術の発展(人々の個々別な獲得)が困難とんなり、歪んだ『人の営み』が{必然的に}破綻していく」という自然の道理の解明が始まり、{人々による}その理解が進んだのです。

そして、1000年“先”の今では。「機能が様々に違う様々な車があるのに、そのカギが同じシステム(『指示命令系統』の下で車に乗る為)だと、ほとんどの車のほとんどの機能が活かれないが。車の機能別にカギを変え、車の機能に合った人が各個で{自分に合った}車のカギを{一つとは限らずに}持つ事で、ほとんどの車のほとんどの機能が活かされるようになり、さらには誰もが自分のするべき事が『指示命令系統』の下でなくてもその車の機能から{推測して}認識できるようになる」という物事の真理が周知されていて、人々は個々別に生きながら、何をすべきなのかを{『指示命令系統』の下に入らずに}知っているのです。

物理学は、上記の様々な車の{最も難解で}特殊な機能の一つと言えるモノであり、『指示命令系統』の下で不特定の人に用いられる事が{利用価値の高さから}前提となりやすく、{その煩雑さや不安定さや変動性を理由に『E=mc²』を無視して、『エネルギー保存の法則』と『質量保存の法則』を物理学的認識の根幹とする}暫定的公式(技術的指標)となってしまっていて、{専門の物理学者は別にして}科学技術の一環として物理学を学ぶ者に{『指示命令系統』の下に入らずに}何をすべきなのかを教えてくれるモノではなくなってしまうので、{技術的目的で}学ぶ上では{『指示命令系統』の下で暴走(核利用など)させてしまわないように}注意が欠かせないのです。







・平成29年度版







*オカシイものがオカシイと責任追及されてきた時代~6~(概要)。【8月12日・土】

1000年“後ろ”の、「ススケタ所でススケテいた人間」のお話しです。


≪可笑しいモノを可笑しいと笑える時代へ=物理学編=≫


1000年“後ろ”の時代までは。『権力者を支える科学者の側』の者達により、《『E=mc²』による質量の減少》や《過程にある『エントロピーの増大』》の事が{観測するのが困難だとして}無視され、《宇宙戦艦ヤマトで宇宙人から提供された『波動エンジン』のような{特定の条件に於いて効果を引き出して来る}特殊世界技術の科学観》や《必然的破綻へ至る過程を遅らせる『延命処置』のような{怠ればすぐに破綻に至ってしまうので止められない}救急活動の進歩観》が吹聴(フイチョウ)されていて。一般庶民の多くが、「その現象が[この世界]に存在する事実の事を無視して、扱い方によって{また閉じて隠蔽してもいい『パンドラの箱』をたまたま開けてしまった時のように}悪魔にも天使にもなる」とか「進歩を否定したら{全てが破綻して}原始生活に戻ってしまう」とかいったような短略的な{科学技術(進歩)についての}思考に{無自覚なまま}陥り、形式的な《科学技術(進歩)が人間の理性レベルに合っているのかといった議論》や《科学技術(進歩)の賛否の二者択一議論》などを得意になって{結論を出せないまま}続けていて。[この世界]を、可笑しいとしか言いようのないほどの{中途半端な過程で止めてしまった}科学技術(進歩)の取り敢えずの結果である『ガレキの山』だらけに、成り果てさせてしまったのです。

そしてさらには、『庶民を扇動する知識人の側』の者達により、《『E=mc²』による質量の減少》や《過程にある『エントロピーの増大』》の事が{その認識は、現実問題の解決に於いて、無為な煩雑作業を伴(トモナ)わせるだけだとして}隠蔽され、「『E=mc²』に基づいてエネメルギーを発生させる『核エネルギー』には、{核融合には無いのだが}解消の困難な放射能が必然的に付随する」とか「物事のエントロピーの増大(破綻)は必然的に{乱雑さに向かって}起こっていて、減少する事(秩序の回復)は{見た目では起こっても}原則として有り得ない」などと{柔軟性を排して}型通りに決めつけられていて。迷える庶民が、「希望を期待して『パンドラの箱』を開ける浅ましさを拒(コバ)んで、破綻(全ての進歩の否定)を受け入れる」や「科学という『延命処置』に抗(アラガ)って、『尊厳死』(全ての文明の放棄)に至る」などの虚無な想いを{理想の追求だと妄信して}高揚(コウヨウ)させ、破滅的な《対抗する『案』や『考え』などを持っていないが、{呑気(ノンキ)な}他力本願という訳でもなく、{アーミッシュ的な世界観を理想世界として}反抗するコトだけに終始する反体制運動》や《現実的な主張などを持ち合わせていなくて、{妥協点を探すも}交渉の余地が全くない、{理想的な生き方(汚れのない人間性)への回帰が各個で追求されている}破滅だけを目的とするテロ行為》を当然の事としてしまい。{一般庶民の}誰からも、{中途半端な過程で止めてしまった}科学技術(進歩)の取り敢えずの結果である『ガレキの山』の可笑しさがオカシイと{ヒステリックに}責任追及され、{『延命処置』でしかない}科学技術(進歩)を拒んで破綻を受け入れた方(尊厳死)が良いのではと{ガンコに}言われるようになって、[この世界]の混迷が収まる事は無かったのです。


しかし、1000年“後ろ”の時代からは。《『E=mc²』による質量の減少》や《過程にある『エントロピーの増大』》の事というのは、{永遠に続く工程の中の}特定の段階の特徴を示しているだけであるハズだとして、「最終的な破綻と言われる状態の、全域への拡大の過程にある」と考えられて来た事(従来の科学技術(進歩)観)への疑問が始まり。『E=mc²』を根幹に据えた物理法則(計算式)の{更新を前提にした}書き換えから、『周期表』の{微量ずつ更新されていく}変更や、『エントロピーの増大』以降の[更新する世界]の{予想や実験段階での}認識へと続き。『質量保存の法則』と『エネルギー保存の法則』に基づいた[この世界]の{特定の段階から次に進む}破綻を、新発見としたり、先延ばしにするコトを進歩としたりして来た、偽善的としか言いようのない『権力者を支える科学者の側』を、可笑しいと笑ってしまい。そんな『権力者を支える科学者の側』の可笑しさをオカシイと責任追及し、{『延命処置』よりも『尊厳死』を望むような}反核運動や無差別テロを独善的に煽る『庶民を扇動する知識人の側』をも、可笑しいと笑ってしまうようになって。


そして、1000年“先”の今では。《科学技術(進歩)による文明の発展》と《安定した地球環境の確立》の両立を目指した、この[更新する物理世界]の“再構成”への取り組みが、充分に時間を掛けて行われていて。その為の、“流動的”な『更新可能な物理学』の新構築も、労を惜しまず柔軟に行われているのです。







*《【“大”全体】の概念》の重要性(概要)。【2月19日・日】

1000年“後ろ”の、「ススケタ所でススケテいた人間」のお話しです。


≪多様性が喪失する事による危機≫


1000年“後ろ”までの時代に於いては。自由な独自性の発揮が止められて多様性が喪失してしまった{大多数の}人間が、「強迫観念によって一律に正論を主張し、一様な進歩をしてしまい、攻撃衝動に苛(サイナ)まれるようになり、周囲の人や状況を悪く思うようになって、結果的に破綻(攻撃)を{正論の遂行(スイコウ)を口実に}自分が{集団を先導してまで}行ってしまう」という悪循環に陥っているという事が。{権威により『古典的な倫理』や『近代的な道徳』の実践が正論として承認されて来たコトによる}昔からの「権威の維持・継承の為に、万物は多様な個々(個別なモノ)でアルベキダとする、【更新する無限に多様な“大”全体】に於いての《【“大”全体】の概念》が、人々から奪(ウバ)われてしまう」という隠蔽により起こっているという事に対して。{隠蔽をされていた}一般庶民の側が、{権威に阿(オモネ)るあまり}あまりにも無関心(無自覚)でありましたが。

それは、{隠蔽をしてしていた}権威の側も同じであり、{権威の側も}その権威の維持・継承の為というのが目的であって、隠蔽はその手段(結果)でしかなかったので。{そういった}隠蔽がもたらす『パラダイム変換』や『エントロピー則』の問題(一般庶民の側による、権威に基づいた判断基準への画一的な追従によって起こってしまう、人の営みの破綻や、自然破壊)などについてまでは、{権威というモノの正当化に必死で、目が暗まってしまい}深く認識を持つコトが無かった(出来なかった)のです。

そして、権威の側に抵抗(闘争)をして来た{一般庶民の側と自称する}知識人の側に至っては、『パラダイム変換』や『エントロピー則』を主導する権威が世界の破綻の元凶だと{ヒステリックに}主張するばかりか。『パラダイム変換』や『エントロピー則』の問題を{『古典的な倫理』や『近代的な道徳』などの画一的な判断基準の追従を、正論だと信じて疑えない、強迫観念による多様性の喪失の問題だとして}追及する側に対してまでも、{抵抗(闘争)をするコトに必死で、目が暗まってしまい}「人とは、生かされている身でありながら、野放しにするとパンドラの箱を平気で開けてしまうモノだ」と盲信し、{多様性が喪失する事の《【“大”全体】の概念》に於ける問題というものが、どうしても理解できずに}破綻の元凶と同じと決めつけてしまって、徹底的な抵抗(闘争)を{問答無用で}仕掛けて来ていたのです。


しかし、1000年“後ろ”からの時代に於いては。権威に基づいた判断基準への画一的な追従である『パラダイム変換』や『エントロピー則』の問題を、権威の側も{自己正当化から視野を広げて}認識し。多様性が喪失する事の《【“大”全体】の概念》に於ける問題を、知識人の側も{「解らないモノは解らない」と諦(アキラ)めてしまわずに}理解していて

そして、1000年“先”の現代に於いては。『パラダイム変換』や『エントロピー則』の問題が繰り返して至る、人の営みの破綻や自然破壊が、昔々の『御伽噺』となっているのです。







*『パラダイム変換』や『エントロピー則』の問題の真相(概要)。【2月18日・土】

1000年“後ろ”の、「ススケタ所でススケテいた人間」のお話しです。


≪『パラダイム変換』や『エントロピー則』の真意が隠蔽されていた時代≫


1000年“後ろ”までの時代に於いては。「{破綻に陥った古い枠組みの}既存のパラダイムが限界を迎えた人類であっても、{それはパラダイムの構造が不適切であるという問題であるので}パラダイムの変換が適切に出来さえすれば、人類が陥っていた破綻が順次(段階的に)解決される。」というような『パラダイム変換』や、「{エントロピーが高まった状態の}熱で溢れてしまった地球であっても、{それは高いエントロピーの状態である熱が増え過ぎているという問題であるので}その熱を宇宙へ放出するコトが出来さえすれば、増大していた{危機的状況の}地球のエントロピーが減少する。」というような『エントロピー則』が、{人間の行く手を阻(ハバ)んでいた}魔法の扉を解放する呪文(思考麻薬)のように用いられていて。

それによって、【“大”全体】の構成員としての【更新機能】を持った『個』である{多様であった}人間による、《【“大”全体】の概念》を無視して【更新機能】を暴走させた【部分解禁】が、{理想や真理の遂行として}画一的に繰り返されてしまい。

そして次々と、{本当の魔法の呪文が暴走するかのように}人の営みは破綻(閉塞)し、自然科学も破綻(閉塞)していき。人間(権力者)による破壊や殺戮や、文明の崩壊は避けられない未来(真実)だとする、小説・映画やマンガ・アニメ・ゲームなどが知識人によって作られてしまって。人類が精神的な絶滅の危機を迎えた事によって、人々は魔法の扉を解放する呪文(思考麻薬)にさらにハマリ込み、{人類規模で}集団幻想に至る悪循環に陥っていたのです。


しかし、1000年“後ろ”からの時代に於いては。『パラダイム変換』を理想の進歩だとする『パラダイム論』は、思考の枷(カセ)の交換をしてきた人類の反面教師であり、『エントロピーの増大』を忌まわしい必然だとする『エントロピー則』は、権威に阿(オモネ)って判断基準を疑おうとしなかった人類の典型的な悪例であると{隠蔽が解かれて}周知されていて。

そして、1000年“先”の現代に於いては。『パラダイム変換』や『エントロピー則』の真意が隠蔽された{滑稽(コッケイ)な}騒動が、遥か昔の『御伽噺』となっているのです。







*一律一様に正論が追従される事の問題(概要)。【2月17日・金】

1000年“後ろ”の、「ススケタ所でススケテいた人間」のお話しです。


≪一様な理想や正義が一律に追求されるコトによる危機の進行≫


1000年“後ろ”までの時代に於いては。破綻(破壊や破滅)こそが{バラバラに行き着いた状態が有効利用できて}正しくて良い事だと聞かされても、{言葉だけで}それは悪魔的な思想だと反発(拒絶)し、[倫理や道徳]や[成長や進歩]などを正義という名目で包(クル)んだ{権威に阿(オモネ)った}一様な正論を{強迫観念のまま}一律に追従してしまい、結局は自分たちが{正論を口実にした}破綻(破壊や破滅)を惹き起こしてしまっていて。

それは、{理想と断定された}『パラダイム変換』や『エントロピーの低下』でも同様で、「パラダイムの行き詰まり」や「エントロピーの高まり」などの破綻(危機の進行)に至る度(タビ)に、一様な『パラダイム変換』や『エントロピーの低下』が一律に何度追求されたところで、結局は『パラダイムの行き詰まり」や「エントロピーの高まり」などの破綻(危機の進行)に{何度でも}至ってしまっていたのです。


しかし、1000年“後ろ”からの時代に於いては。{一律一様な}理想や正義よりも、{【“大”全体】の為の}多様な“想い”を個々の人間が個別に追求している事の方が、有用であると認知され。

そして、1000年“先”の現代に於いては。{一律一様に}理想や正義が追求されていた{ゾンビやキョンシーたちの}文化や文明が、昔々の『御伽噺』となっているのです。







*『エントロピー則』で破綻が行き着いた安定を壊す愚行(概要)。【2月16日・木】

1000年“後ろ”の、「ススケタ所でススケテいた人間」のお話しです。


≪技術進歩に依存した『地球のエネルギー倉庫化』による破綻の再発・繰り返し≫

1000年“後ろ”までの時代に於いては。普遍法則の『E=mc²』が、『原子力エネルギー利用』に限定された為に、科学の進歩が原子力エネルギー世界にあると勘違いしてしまい、{破綻が再発して}危険な原子力発電を止める事がなかなか出来なくて、人類存続の危機が{見た目の進歩によって安易に出来てしまう利益誘導に目が暗んでしまったエリートによって}続いてしまったように。

『熱エネルギー世界』や『物質のミクロ世界』での{破綻が行き着くまでの}出来事が、『一般の感覚世界』に{『エントロピー則』として}限定された為に、高まったエントロピーを宇宙に放出すれば地球のエントロピーが低下して、{地球がエネルギー倉庫となって}問題が解決されるのだと勘違いしてしまい、結局は{【部分解禁】の}技術進歩に依存してしまって、{無限に続くかのような}破綻(エネルギー倉庫に起こる危機)の繰り返しに陥ってしまっていたのです。


しかし、1000年“後ろ”からの時代に於いては。『原子力エネルギー利用』に限定されない普遍法則としての『E=mc²』の考察(破綻が行き着いた安定の認識)が周知されて、{技術進歩に依存した}危険な『原子力エネルギー利用』への執着が無くなったように。『一般の感覚世界』に限定されない{破綻が行き着くまでの}出来事としての『エントロピーの現象』の考察(破綻が行き着いた安定)が一般化して、{技術進歩に依存した}危険な『地球のエネルギー倉庫化』への幻想が無くなり。

そして、1000年“先”の現代に於いては。『原子力エネルギー利用』や『地球のエネルギー倉庫化』という愚行(破綻の再発・繰り返し)が、遠い昔の『御伽噺』となっているのです。







*『エントロピー則』の問題(概要)。【2月15日・水】

1000年“後ろ”の、「ススケタ所でススケテいた人間」のお話しです。


≪「問題を宇宙に放出すれば、それで済む」という『エントロピー則』の問題≫訂正あり

1000年“後ろ”までの時代の人々は、≪エネルギー問題とは、{火力や原子力などの}熱エネルギーを発生させる資源(原油やウランなど)が枯渇していく事だと思われているが。それは、エントロピーとは必ず低い状態(熱変化の余地を閉じ込めた状態)から高い状態になる(熱変化の解放により熱がこもって熱変化の余地がドンドン減る)一方であるからであり、そして地球の中だけで考えた話(パラダイムが必ず閉塞してしまう話)であるからでありますから。蓄積された熱を宇宙に放出させられれば(熱変化がより多く起こせるように地球を冷やせれば)、パラダイム変換が起こったコト(パラダイムがイチから始まる状態に{リセットされて}戻るコト)になり、{そうなれば}エントロピーは低い状態に戻れて、エネルギー問題は解決されるのです。≫とか、≪放射能問題でも、少量の高放射性状態(エントロピーの低い状態)であったモノが、沢山の低放射性状態(エントロピーの高い状態)となり、地球に{放射能のゴミとなって}溢(アフ)れてしまうのが{パラダイムが必ず閉塞してしまうのと同じで}問題でありますので。宇宙に低放射性状態(放射能のゴミ)を放出させられれば、{パラダイム変換を起こせたコトになり}地球は少量の高放射性状態(エントロピーの低い状態)に戻れて、放射能問題は解決されるのです。≫とか言っていたのですが。

{問題を宇宙に放出する}技術の進歩で破綻の克服を目指すという、{パラダイム論の}失敗思考での『失敗行動の再スタート(パラダイム変換)』による『破綻への再到達(パラダイムによる必然的破綻)』を、ただ繰り返してしまうだけでありまして。結局は、何時までも、破綻の繰り返しからは、逃れられなかったのです。


しかし、1000年“後ろ”からの時代では、地球と宇宙を舞台にして、{原発や廃棄物処理施設などの}原子力エネルギー施設は全て宇宙側に置き、電気の流れだけを地球側に送ったり、{接合部を宇宙側に出した}巨大装置での『ゼーベック効果』で、地球側に電気エネルギーを生じさせたりし、さらには{接合部を地球側に置いた}巨大装置での『ベルチェ効果』で、{人為的に様々な事で利用された後の余剰電気(電流)が一旦宇宙側に流れてから、地球側の接合部へと流れ、また宇宙へと流れて行って}地球側を{『エントロピー則』に於いてエントロピーの高い状態と言われる}破綻の起こり尽くした状態に保つ事が目指されていて。

そして、1000年“先”の現代では、《「問題を宇宙に放出すれば、それで解決される」というエントロピーの議論》といのは、遠い昔の『御伽噺』にだけ出てくるのです。







*『エントロピーの法則』による思考の縛り(概要)。【2月12日・日】

1000年“後ろ”の、「ススケタ所でススケテいた人間」のお話しです。


≪『熱力学第二法則』から『エントロピーの法則』を派生させた悪知恵≫

1000年“後ろ”までの時代の大多数の人間は、身近な{限られた状況での}物事だけを見て、「熱エネルギーはエントロピーが高く、電気エネルギーはエントロピーが低いので、電熱線に電気を流せば{流れる向きに関係なく}熱くなるが、電熱線を熱しても(冷やしても)電気は発生しない」と単純に言い切ってしまっていたのですが。しかし、{異なる種類の金属からなる}熱電対(ネツデンツイ)の接合部であれば、{特定の2種類の金属からなる}接合部を熱したり冷やしたりするコトによって{接合部に}違う流れの電圧が発生する『ゼーベック効果』が現れるし、電流の流れる向きによって{別の2種類の金属からなる}接合部が冷えたり熱くなったりする『ベルチェ効果』が現れるのです。

すなわち、エントロピーとは「{エントロピーが}低い状態(物事が整理された状態)から、高い状態(物事が乱雑となった状態)へと物事が不可逆的に変化する現象を示した概念である」と、人間が無意識に権威に追従して、短略的に考えてしまった産物であり。{エントロピーとは}本当は、人間の身近な環境(限られた状況)に限定された観念でしかなくて。しかも、「宇宙戦艦ヤマトの波動エネルギー(波動エンジン)のよなモノが、宇宙(人間が試せないでいる状況)に存在していても、決して不思議ではない」という逃げ道を作っておいて、思考を閉鎖させてしまっていた、{『パラダイム論』や『悪の自然誌』などと同じ}「必然的に破綻へと行き着いてしまう、閉塞した結果しか導き出せない考え方」であったのです。


しかし、1000年“後ろ”からの時代では、{【更新する無限に多様な“大”全体】に於ける《【“大”全体】の概念》が認知され、『完全理論的思考の世界観』と『特殊理論的思考の世界観』との争いを超越した『一般理論的思考の世界観』が一般化し、『“ブロック積み”の世界観』を省(カエリ)みた上での『“ロール紙”の世界観』が普遍化して}既存の権威が{悪知恵を働かせて}推奨していた『パラダイム論』や『悪の自然誌』などの「視野狭窄状況での偏った状況判断(分析)」が露呈し、限られた状況下で行われていた人の営みの偏りも修正されて。

そして、1000年“先”の現代では、「エントロピーを『錦の御旗』のように掲げて、{エントロピーが必然的に高まっていく}破綻へと{盲目的に}突き進んでいた人々」の[滑稽(コッケイ)さ]や[哀愁(アイシュウ)]が、昔々の可笑しな『御伽噺』となっているのです







・平成28年度版







*進歩が問題なのではないのです(概要)。【12月13日・火】

1000年前としての、「ススケタ所でススケテいた人間」のお話しです。


≪“事件”として進歩が必要とされたコトが問題の始まりなのです≫

人間は不完全なので「真実は遠くに在り、真理に至る道は長く険しくて、{目移りして、気を散らせてしまい}道を{一度でも}誤れば、汚点となって消える事は無く、物事の確信に辿(タド)り着くコトが永遠に出来なくなるのだ」と誰もが信じてしまって強迫観念に陥ってしまい、

宇宙戦艦ヤマトに於いて宇宙人から提供された波動エンジンから導き出した{特殊理論の}波動エネルギーと【アインシュタイン】が導き出した一般理論の『E=mc²』に基づいている核エネルギーとが{特殊理論として}同列に置かれても誰も不思議に思わず、

『ノーベル賞』のような唯一神教(キリスト教)に影響された表彰にも{無条件で}誰もが憧れてしまっていて、

【“大”全体】の概念を隠蔽したままでの【部分解禁】に特化した進歩が≪『共有意識が排除されたお金』が再分配(循環)されずに胴元の経済エリート(権力者)へと{一方的に}流れてしまう{チップの再分配がない賭けゲーム的な}経済の良い例である株式市場に於ける、プールされた『お金』が拡大・縮小を繰り返す切っ掛けとなる{市場(プール)から『お金』を合理的に“流失”させるのに欠かせない}破綻とセットの“事件”として{パラダイム変換の枷(カセ)となるように}必要とされたままで≫誰にも疑われずに続いてしまったものだから、

人間の進歩は「{人間自身を破綻させてしまい}自然を破綻させ続けてしまうコトが止められない」という閉塞状態に陥ってしまっていたのです。


{学校の教科書に載っている}各種の物理法則の『E=mc²』を一般理論とした{実際に実験をした時の誤差の範囲内にある数値の事象でも注視(重要視)するコトを怠らない}修正が済んでいた1000年後の今であれば、

{市場(プール)から『お金』を合理的に“流出”させるのに欠かせない}破綻とセットの“事件”である必要のなくなった進歩が様々な分野で{パラダイム変換の枷が外れて}解放され、

{その為に}プールから“流出”していた『お金』の{枷の無くなった進歩に使用される為の}再分配が繰り返されていて、

【部分解禁】に特化した{【“大”全体】の概念が隠蔽されていた}進歩による{人間自身も破綻し、閉塞状態に陥っていた}自然の破壊は解消されているのですが、

1000年前の人々は{パラダイム変換の枷に縛られた進歩しか許されなかった閉塞状態の中で}さぞ苦労し苦悩した事でしょう。







*『既存の物理学』の顛末(概要)。【9月30日・金】

1000年前としての、「ススケタ所でススケテいた人間」のお話しです。


≪『完全理論』の為に生じた、《排除の論理》としての『特殊理論』≫

『E=mc²』を基軸に『質量』と『エネルギー量』が相対的に変化する『一般理論』の世界観であるのが『物理学』であるハズなのですが、『唯一神教』が絶対とされて『質量保存の法則』や『エネルギー保存の法則』が厳守される『完全理論』の世界観からなる『既存の物理学』が全盛の時代に於いては、『核反応』という《明らかに『質量保存の法則』や『エネルギー保存の法則』を否定してしまう物理現象》を{危急に}容認する為に「手出しをすると危険や破綻が伴う『パンドラの箱』や、宇宙人からの提供によって認識の始まった『波動エンジン』のような『特殊なモノ』が存在する」という『特殊理論』の世界観が生じてしまい、進化の為の過渡期に付き物の《進歩の為には『古いパラダイム』の排除が欠かせない》という《パラダイム変換の崇拝》とも相まってしまって、過剰な《排除の論理》に人の精神が侵されていく〔世界の破綻〕が起こってしまっていたのです。







*『E=mc²』が一般理論として理解された時。【9月11日・日】

これは 1000年前としてのお話しです。


≪《多様性のベース》が“拡大”を始めたきっかけ≫

昔は、『反核運動』に於いて『核エネルギー』を『パンドラの箱』に当てはめるコトが、{その《排除の論理》のあまりの心地良さに抗(アラガ)えずに}よく行われていたのですが。

{『パンドラの箱』を知らない若い世代が増えた}ある時期に、{そんな若者を対象に}日本のアニメの『宇宙戦艦ヤマト』に於いて宇宙人から波動エンジンを提供されて人類が持つに至った『波動エンジン』に『核エネルギー』をダブらせて、その《核使用への危機感(警戒意識)》を抱かせようとする新たな試みが行われていて。

{そして}それからしばらくして、≪宇宙人から“提供”された波動エンジンから手に入れるに至った『波動エネルギー』を、《特殊なモノ》として利用を制限してしまうコト≫と≪地球上に“既存”していたモノ(放射性物質)を使用しての『核エネルギー』を、《特殊なモノ》と決めつけて利用を制限してしまうコト≫を同じ様に認識するコトに、違和感を抱くようになり。続いて直ぐに、『E=mc²』とは、{『核エネルギー』の説明で用いられるだけの《特殊な現象》ではなく}全てのエネルギー現象にも起こっている一般理論だとして、理解(再認識)され始めて。

{そして}それがきっかけとなって、物理学の{『E=mc²』を一般理論とした}大掛かりな再構成(実用性に於いて問題が無いからと“長年放置”されていた書き換え)に踏み出すに至り。ついに、{“長年停滞”していた}《多様性のベース》の“拡大”が、{まだ少しですが}進行を始めたのです。







*1000年前の『物理学』事情。【7月9日・土】

これは 1000年前としてのお話しです。


『E=mc²』とは本来、使わなければ物理学に於いて不都合が生じてしまう一般理論のモノであって、特定の場面で有効な{使いたくなければ使わなくて済むというような}特殊理論のモノではないですし。様々な物質の『E=mc²』による{より無限に近い}多様な作用によって{物質とエネルギーの}世界が不都合無く{交換されて}更新する“大”全体理論であって、個々の物質に於いて個別に生じているだけの部分解禁理論ではないのですが。

{エリート派が『完全理論的思考の世界観』(リセットの原則)に基づいて、事実よりも利得が優先されて世界が進む『観念論』を駆使しての}科学技術の進歩(エリート派の受益)に於いては、{イチイチ用いるのは煩雑(ハンザツ)であり、間違いの原因にもなって}不都合である為に、{“大”全体理論の事を隠蔽して}わざわざ部分解禁理論として周知されていて、{放射能汚染という不都合がありながらも}極端に偏った{特定の放射性物質だけがもちいられての}『E=mc²』の作用が利用されていますし。{知識人派が『特殊理論的思考の世界観』(隠し扉の原理)に基づいて、都合に合わせて事実が掘り起こされていって世界が進む『唯物論』を駆使しての}反科学技術運動(知識人派の存在意義)に於いては、{『パンドラの箱』や『波動エンジン』の概念である非一般性である事の方が、批判や排除に於いて古いパラダイムに対しての行為として正当性が持てやすくて}好都合である為に、{一般理論の事を隠蔽して}わざと特殊理論として普及されていて、{科学技術の停滞が一時的に生じようとも}排除から決して逃れられない{パラダイム変換で排除されるモノとしての}『E=mc²』の在り方が論じられているのです。


そして、それと同じ理屈で、{利己的に}最先端科学が研究され、{その瞬間から}排除の対象に挙(ア)げられていて。1000年前の『物理学』は、無駄に{危機が叫ばれて}大忙しな状況にあったのです。







・平成27年度版







*破綻したと思い込んでいるのが人間なのです。【9月28日・月】


【更新する無限に多様な“大”全体】は、【更新】を続ける事で絶えず変化をしていて、そして人類は、その【部分】として既に参加し続けているのですが。ただ人間だけが、その事を忘れてしまい、その【更新する無限に多様な“大”全体】の【部分】としての【更新機能】を孤独なまま暴走させてしまって、何時も孤立に陥(オチイ)っているのです。

そして人間にとって有用な【有用部分】を、【更新する無限に多様な“大”全体】から【部分解禁】してきては、{【更新】を許さない『近代科学』の『リセットの絶対原則』の下で、その意味をよく知らないまま}得意げに利用していて。そしてその利用価値を維持する為に、【更新する無限に多様な“大”全体】が機能不全になった【特定の“小”全体】を作り出してしまって。そこで不用なモノとして排除した【不用部分】の【更新機能】の孤独な暴走を惹(ヒ)き起こしてしまって、何時も予想外に苦しめられてしまうのです。

しかし人間が、{人類が参加している}【更新する無限に多様な“大”全体】の【部分】としての多様性を深める参加を始めさえすれば、人類を苦しめていた{不用なモノとして排除していた}【不用部分】の更新機能の孤独な暴走も、【更新する無限に多様な“大”全体】の【部分】としての多様性の中に吸収されて、{人間にとっての}その害毒も無くなってしまうのです。


人間が近代科学の『リセットの絶対原則』を厳守して、『神』が創造した調和の取れた〔世界〕から踏み出さないようにどんなに頑張っても、【更新する無限に多様な“大”全体】の【更新】は続くので、この〔世界〕の破綻は{必ず}少しずつやって来てしますし。

『パラダイム論』と《人間の良心》を頼りとして、人間が{無自覚でかもしれないが}やってしまった調和の破綻を人間の手で修復しようとしたとしても、【更新する無限に多様な“大”全体】から【部分解禁】してきた【有用部分】を発見して進歩するのが、その時点では{一時的に}どんなに有効であったとしても。結局は、『リセットの絶対原則』の下では【更新】が起こらない為に、またすぐに{時間の問題というだけで}破綻が始まり。さらには、【有用部分】の有用性の持続させる為に作り出した【更新する無限に多様な“大”全体】を無理やり機能不全にした【特定の“小”全体】で起こる、{それを作るのに}排除していた【不用部分】の更新機能の孤独な暴走によって、調和の破綻を急拡大させてしまいまいますから。

人間の営みや進歩というのは、何時も{八歩塞がりの}袋小路に入り込んでしまうものであり。この〔世界〕の破綻の拡大を、ただ見ている事しか出来ない状況を、{結果的に}惹き起こしてしまうだけであったのですが。

ただしそれは、【完全世界的思考】の人間では、【更新する無限に多様な“大”全体】に基づいて【更新】するこの〔世界〕に対処できなくて、破綻を招いてしまい、その挙げ句に、その修正の為に【特殊理論的思考】を用いては破綻の急拡大を招いてしまって、ドンドン切羽詰った閉塞状態に陥っているだけであり。例えて言うならそれは、独り相撲でコケてばかりいて、勝ち方が解らないと悩んでいるだけの事でありまして。

人類は【更新する無限に多様な“大”全体】の【部分】として参加しているのですから、人間は始めから破綻など招いてはいないのですし。この〔世界〕に、破綻など{始めから}起こってはいないのであります。


人間が、孤独な【更新】を{勝手に}止めたり変に進めたりするのに対して、この〔世界〕が、【更新する無限に多様な“大”全体】としての【更新】を{適正に}していただけなのですが。それに対して人間が、{勝手に}破綻だと驚いて、右往左往しているだけなのでありまして。

結局は、核開発や原発で放射能汚染のリスクが発生するのも、【更新する無限に多様な“大”全体】に基づいた【一般理論的思考】によって『E=mc²』を認識してさえいれば、電球から光が発光するのと同じ位に、当然な事であったのです。





*予告【9月24日・木】


〔この世界〕の基本構造である【更新する無限に多様な“大”全体】を扱う【一般理論】を聴き取って、〔物理学世界〕のつぶやきを紹介したいと思います





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