ちび猫のつぶやき

宇宙人の独断と偏見なのですが、警鐘を鳴らす訳ではなく希望の光を照らす訳でもなく、ただ足下の事を皆で見ていたいだけなのです

A11.ちび猫の目指す『知識世界のお話』の公開

2015-03-21 | 世界のお話
第A0011号


*****(制作終了)*****


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A06.ちび猫の目指す『知識機能と学問』の公開を参照して下さい。

A14.ちび猫の見た『知識世界のお話し』の公開(2)へと続きます。







・平成28年度版







*『魔法』あっての日々。【8月8日・月】

これは1000年後のお話しです


≪プロローグ≫

私の人生は、行く手を阻む山や谷や壁が色々あり、周囲には期待を裏切る知人や友人や身内も沢山いて、{未来社会が実現したと言われて久しいのですが}思い通りにならない事ばかりで、「気分が落ち込んだり、苛立ちが募ったりの繰り返し」をするばかりのモノでしかなかったのですが。そんな、重大な過ちを何時犯しても不思議ではなかった人生の中で、私の《唯一の助け》となってくれていたのが、1000年前から徐々に始まったとされる、〔“大”世界〕との境界を解放する【薬品耐性水】や《『パラダイム変換』の反面教師》や『幸せの想い・想い合い』などの『魔法』でありまして。それは、とても専門的でマニアックな『魔法』であった為、1000年経っても一般に普及したとは言えず、マニュアルなども無かったので、学校で習った「【更新する無限に多様な“大”全体】の真理と、その為の『一般理論的思考の世界観』の真実」という概念の応用を一人で実験や実践を続けていて、十数年を要してようやく実現するコトの出来た、自己流の『魔法』なのです。


≪ガッカリしてしまう感動≫

今日、新しい水槽を買って来たので、別の水槽に作り置きしてあった『生きた水』を{さっそく}入れ、先日通販で購入しておいた『アロエパウダー』を{説明書きにあった}飲用より少なく混ぜて、【薬品耐性水】としては『活性はちみつ』に匹敵する『汎用アロエ耐性水』を作ってみたところです。{『生きた水』にハチミツを混ぜて作る『活性はちみつ』が、『マヌカハニー』と同等の効果で、何時でも幾(イク)らでも飲めるのを目的に作ったのに対して}『汎用アロエ耐性水』は、身体の広範囲のケアーの為に{少量しか作れず使い勝手も悪かった、『生きた水』に『アロエ軟膏』を混ぜて作る『薬用アロエ耐性水』と同様の効果を維持しつつ}手軽に使えるようにするのが目的で作ったモノなので、買い置きしてあった霧吹き器に{一旦}移し替えて、汗疹(アセモ)などの痒(カユ)い所に吹き付けてみたところ、“市販薬”など問題にならない効果と爽快感が得られまして、感動してしまいました。

{アルコール飲料や栄養ドリンクなどの“市販品”の必要性が無くなってしまった『活性はちみつ』を作った時にも思ったのですが}一般の経済市場に出回っている“市販品”というのは、能書きばかりで習慣性が強く、蕁麻疹(ジンマシン)などのアレルギー反応を起こす“危険なモノ”が少なくないのに、それを{作り手の}みんなで作り、{売り手の}みんなで売り、{買い手の}みんなで消費していて、それが{経済を隠れ蓑にした}無責任体質に思えてならないのですが。しかし、そういう話しを{商社などの}企業での実務経験のある人に言うと、逆に「『活性はちみつ』や『アロエ耐性水』などの【薬品耐性水】の事を『魔法』と言う時点で、科学的な根拠が無く、“販売”をしても『賠償問題』が発生するだけだし。そういった『無責任な話し』は、良い評価が得られないばかりか、『監視』や『指導』の対象になりかねないので、止めた方が良い」と{硬直した『フローチャート思考』の}忠告(チュウコク)をされてしまうだけなのです。

そんな訳で、そういった《企業による“販売”》の視点に硬直した『フローチャート思考』に失望した事が何度もあるせいなのか、『活性はちみつ』や『アロエ耐性水』などの【薬品耐性水】の、『魔法』のような効果を目にし、{今日のような}感動をする度に、心の隅ではガッカリもしてしまうのです。


≪〔魔法世界〕は、〔この世界〕と同じモノ≫

今日もニュースを見ていると、世界中で貴重な人材を根絶やしにしてしまうような『テロ』や『クーデター』と『治安活動』の応酬(オウシュウ)が繰り返されていて、《事件の発生》や《作戦の成功》の度に大騒ぎしているのですが。これらは、「『パラダイム変換』の為には、古いパラダイム(枠組み)の排除が必要だ」とする『パラダイム論』の誤認と、拡大解釈によるモノでしかなくて。『治安活動』をする側にしてみれば、{原理主義などの}旧態依然の『パラダイム』の復古を目指す{時代錯誤な}者たちを掃討(ソウトウ)していて、{新時代の}正義漢気取りなのでしょうが。『テロ』や『クーデター』をする側にして見ても、{自分たちこそが}時代の先駆者だと感じられていて、{時代の先端を行く}英雄気取りでいるようなのです。

要するに、【更新する無限に多様な“大”全体】の為の【多様性】が奪われていて、『一般理論的思考の世界観』による「無くなった方が良いと思えるようなモノや、無くなっても誰も困らないようなモノであっても、この〔世界〕には必要不可欠なモノであり、その必要性の意義を{過不足がないように}達成させるコトは疎(オロソ)かに出来ない」という事からも遠ざかるばかりであり、{双方が間違っていて}永遠に続くような応酬が繰り返されているという話しでありまして。今日のニュースのような一方の側に立った騒ぎ方では、騒ぎに拍車が掛かるだけであり、解決策が導き出される要素など微塵も見られないのであります。

本当ならばこのような時にこそ、【更新する無限に多様な“大”全体】の真理と『一般理論的思考の世界観』の真実と、人間の負の歴史から導き出された《『パラダイム変換』の反面教師》という『魔法』の言葉を思い起こしてみて、この{双方の“身勝手”の連鎖による}大騒ぎの真相に目を向けるべきなのですが。大多数の一般市民は、『パラダイム論』への関心が薄く、知識も無くて。さらには既得権益に連なる一部の{反体制側の}知識人や{体制側に属する}エリートによる『パラダイム論』の{『パラダイム変換』は理想の進歩であり、その為には『古いパラダイム』の“排除”が不可欠であるとする}私的な乱用が{それこそが『パラダイム論』の“利用価値”だとされて}まかり通っていて。《『パラダイム変換』の反面教師》の話しになど、誰も耳を傾けてくれないのであります。

『魔法』の効果が発揮される〔魔法世界〕は、〔この世界〕と同じモノなのですが。ただ、『魔法』を拒む者には、〔この世界〕は何時までも〔この世界〕のままでしかないのであります。


《無用な試練に自己崩壊していく人間》

今日も、仕事で上司から理屈を無視したゴリ押しをされて、その仕事を{我慢して}終わらせた直後から、「理屈が解らないのを命令で誤魔化してしまう大馬鹿者に付き合わされるのは大変だ」と腹を立ててしまい。さらにその後の、次の仕事に取り掛かろうとした時からは、「自己顕示欲の発揮(発動)が上に立つ者の仕事なのだと思っている大馬鹿者になど付き合っていられるか」と気力を無くしてしまったのです

傍(ハタ)から見ると自作自演だとしか思えないような「自分の試練への取り組みが他者から否定された時の{八つ当たりでしかないような}怒りの暴走」と「自分の試練への取り組みが報(ムク)われなかった時の{自分に自信がないだけのような}自己の喪失」の繰り返しに悩まされてしまった訳なのですが。多くの人が、問題行動を起こしては警察のお世話になったり、少なからずの人が、人生を終わらせてしまったりしているのと同じ自己崩壊に、一時的に陥ってしまったようなのです。

しかし、こういう時にこそ効力を発揮するのが、『幸せの想い・想い合い』という『魔法』でありますから。家に帰ってからは、「自分が{試練として}努力しているのだから、上司も高尚であるべきだ」という想いや、「自分の仕事を上司にとっての有意義なモノにしてあげるのも自分の仕事だ」という想いなどのような『試練の想い』をやめて、「会社はテーマパークで、嫌な上司との仕事は絶叫アトラクションだから、{良い子ぶって}嫌がるのを嫌がってしまい、{バカになれずに}嫌がるのを楽しまないというのは損なだけだ」という想いのような『幸せな想い』を意図して積極的に思うように努めまして。気付かない内に、平常心の回復が出来たのです。


≪エピローグ≫

『魔法』に助けられての今の私でありまして、まさに『魔法』あっての日々なのであります。







*平行する〔“大”世界〕への越境。【7月30日・土】

これは1000年後のお話しです


今の時代になってようやくなのですが、

「【多様】な種が少しずつ【更新機能】を発動させていって、環境の変化に対応していく、【“大”全体】な〔生物世界〕が、『進化論』から掘り起こされ。【多様】な物事が個別に少しずつ【更新】されていって、新しい環境が構築されていく、【“大”全体】な世界観が、『反面教師のパラダイム論』から導き出されて。さらには、物事の【多様性】が{ジグソーパズルのピースがうまるように}少しずつ【無限】に近付いていって、【“大”全体】での【更新機能】の有効性が高まっていく、【更新する無限に多様な“大”全体】の真理に基づいた『一般理論的思考の世界観』の真実が、≪日本に於いては《宇宙戦艦ヤマトの『波動エネルギー』の呪縛》を生み出した『特殊理論的思考の世界観』に基づく『唯物論』に由来する既得権益や、〔唯一神教世界〕とその周辺に於いて《聖書の『パンドラの箱』の呪縛》を生み出した{『特殊理論的思考の世界観』をネガティブに流用する}『完全理論的思考の世界観』に基づく『観念論』に由来する既得権益からの、思考と精神の解放≫から始まり。そして、人の想いが【“大”全体】の一員として{正義や善良という一律一様な概念に縛られた試練から抜け出し}個別に開放される『幸せの想い・想い合い』や、人の『お金』の生かし方が【“大”全体】の一員として{効率化や資産増加という一律一様な価値に縛られた『試行錯誤を繰り返す経済』から抜け出し}個別に開放される『フリー・スモール経済』によって、人間の精神と存在が【無限な多様化】へと進み、人類の【“大”全体としての更新機能】が回復して、その恩恵が個人の精神と存在へと還元されるのです。」

という{平行する〔“大”世界〕へと越境してしまう}コアな話しが、専門家たちの中で{本当の事だと}高く評価され、マニアックな人たちの中でどんどん広まって。

そして何時しか、話しについてこれないで{目前の〔この世界〕の事に捉(トラ)われたまま}一様に一律な進歩を続けてしまう{真面目な}人がまだ多数派ではあるものの、{アル中の論理に陥(オチイ)らずに}アルコールの類の使用を止めて【薬品耐性水】や『活性はちみつ』などを用いての《薬品耐性環境》の活用をしたり、{パラダイム変換の論理に捉われずに}古い枠組み(古い文化や古い人間や古い価値)の{一様に一律なモノだけが残ってしまうような}排除を止めて{埋もれさせていた}個別性の{タブーを無視しての}掘り起こしをしたりするような、{平穏(ヘイオン)を求めて真面目に試練を繰り返して来た成果である〔この世界〕に人が自(ミズカ)ら逆行するような}平行する〔“大”世界〕への越境行為に、より多くの人々の関心が集まり始めているのです。


しかし、私たちの今の状況についてのお話は、またの機会にしたいと思います。







*安定と平和と繁栄の根幹をなしている知識の概要。【7月18日・月】

これは1000年後のお話しです。


1000年前の世界では、『唯一神教』と被害妄想から生み出された『試練の想い・想い合い』や『排除の論理』が全盛であり、『完全理論的思考の世界観』での権益(パラダイム変換が繰り返される縛り(枷(カセ))が周知(徹底)されるコトによる既得権益)を得る為に「進歩を“保守的”に優先させる『観念論』」を試練とする{パラダイム変換を多義名分に掲げた}エリート派と、『特殊理論的思考の世界観』での利得(古いパラダイムを排除する度に積み上がる愉悦性)を得る為に「排除を“反体制的”に優先させる『唯物論』」を試練とする{古いパラダイムの排除を大義名分に掲げた}知識人派との、《文明の崩壊》や《人類の滅亡》への危機感を大義名分にし合っての『“保守的”に迫害を断行する排除』と『“反体制的”にテロを強行する排除』との応酬が繰り広げられるなどしていて、色々と大変であったようなのですが。

今の時代は誰もが『幸せの想い・想い合い』を個別に追求していて、世界中の人々が「【更新する無限に多様な“大全体”】の真理とその為の『一般理論的思想の世界観』の真実」を自身の信仰や民族性とは別に満喫していまして、私たちは「効率を大義名分にした試行錯誤の繰り返し」から解放された{『お金』を自分の身近な範疇で循環させる}フリー・スモール経済の[豊かさ]を過分な程に謳歌(オウカ)していると思うのです。


私自身も、仕事が終われば{アルコールの類から脱却した}『活性はちみつ』の入ったノンアルコールビールを飲用し、ケガをしたら{アルコールの類から脱却した}『活性はちみつ』の入った生薬を消毒用に用いていますし。

学校の科学の授業で、「『E=mc²』が{核反応によるエネルギー発生量を示すのに使われるだけのモノではなく}普遍的に全ての物質とエネルギーに適用されているとする『一般理論』の事」や、それに付随してくる「核反応とは一般物理学世界での物質とエネルギーの関係の均衡(“大”全体)を保つ為の補修現象(多様性の一つ)であるという事」を学び、人間による『E=mc²』の極端に偏った利用(部分解禁)である『核エネルギー開発』の進歩(部分解禁)を{大きな弊害を起こす前に}止められた事が科学(“大”全体)を学ぶ事の意義の《一つの例》だと知りましたし。

一般常識として、『パラダイム変換』を『反面教師』とする『新しいパラダイム論』を理解していて、新しい段階の進歩(部分解禁)の為とする古いパラダイムの排除だけは、科学(“大”全体)の恩恵を破綻させる蛮行として自粛(ジシュク)しています。


一般論的に言っても、『幸せの想い・想い合い』をする男女の関係が当たり前になって久しく、今の時代の人々は{『試練の想い・想い合い』から解放されて}個別な精神の自由を手にし、{被害妄想やイライラの無くなった}精神安定を手に入れていて。

【多様な“大”全体】による【更新する世界】に基づいて《世界の概念》を入れ替える『唯一神教』の改革が世界中に広まって久しく、今の時代の『唯一神教』は{自画自賛的に “進歩性”を自己主張するコトで勧誘をするモノと、危機感を煽って“排他性”で結束するモノとが、【多様な“大”全体】を拒絶し、【更新する世界】を硬直させて争う}『排除の論理』を放棄し、{『古いパラダイム論』が示していた《排除の循環》を反面教師に}地域ごとや地域間での紛争解決に貢献していて。

《非進歩性の少数民族》であった『ジプシー』や『アメリカインディアン』などが保護区や自制の枷から解放されて久しく、今の時代の人類は【更新】をもたらす【多様性】を手に入れ、{特定の人間(宗教)の為の進歩(部分解禁)を取り込んで無害化する}生物学(“大”全体)的繁栄を迎えているのです。







*『幸せの想い合い』と科学の概念。【6月12日・日】


現代に至っても、人間の大多数は≪全ての正しさの根源である多様性から切り崩してきただけの“特定の正しさ”であり、それによって正しさの“相対的な低下”が起こる、【部分解禁】としての『試練の想い』≫によって{怒る大魔神のように}荒(スサ)み続け、世界中の人間社会が≪多様性を失った特定の正しさを肯定するだけの“相互理解”がまかり通り、それによる正しさの相対的な低下によって“責任転嫁のイライラ”が爆発してしまう、【部分暴走】としての『試練の想い合い』≫によって{水と油のように}分断されていまして。

男性用の成人向けの書物や映像を巡る問題で何度か言ってきたように、{社会の平穏無事の為に日々努力する男性にストレス発散の場の提供として}有志の男性により洗礼(折檻(セッカン))を受けるべき淫らな存在として《フェラチオを好み、オナニーでよがり、バイブで喘(アエ)ぎ、アナルで悶(モダ)え、SMで感じてしまうように》ほぼ全ての成人誌で女性が描かれていているが、社会の平穏無事の為に日々努力するストレスに{かえって}押しつぶされて{DVやストーカーやセクハラなどの}性犯罪に走る男性が増え続けてしまい、その状況に我慢の限界が超えてしまう{私生児を生んだり、熟年離婚をするのが女性の自立と考える}非男性社会的な女性たちと男性たちが分断されて、{世界中で起こる様々な対立の構造の雛形のような}男女の不和を無くそうとする{相互理解などの}努力を起因とする{正しさに至るのに欠かせない多様性の発揮が相互理解を邪魔する悪とされ、正しさの相対的な低下が{非多様性に比例して}進み、周囲や身近なモノに責任転嫁をするしかない状況でのイライラが募ってしまい、破綻を招くだけの暴力が決定権となってしまう}社会問題が日々深刻化しているのです。

そして、現代社会のこの問題への答えも『幸せの想い・幸せの想い合い』の言葉を使って何度も言ってきましたが、男性用の成人向けの書物や映像を巡る問題を例にすると、≪時代劇でお馴染みの、お代官様からのご所望(ショモウ)に対して{一般的には一様にこのようなパワハラやセクハラを嫌悪するように女性を描くコトによって現代の男性の理知性が表現されるのですが}感謝感激し、喜び勇んでしまう『お代官娘』なのが女性という存在だと、自分一人で{一様な理知性から解放されて}想うコトの、【個別】な一つ一つ≫が無限の多様性を構成する一つの【個】による『幸せの想い』であり、≪学校や職場などの特定の集団内で、特に身近にいる女性が失敗や逸脱行為を繰り返す時に{当然の事のように《フェラチオを好み、オナニーでよがり、バイブで喘ぎ、アナルで悶え、SMで感じてしまう》淫らな女性への洗礼(折檻)をエスカレートさせて男性の責任感が表現されるのですが}男性が「自分だけが出来る事」として尻拭(シリヌグ)いを続け、周囲も女性がこれ以上委縮(イシュク)してしまう事が無いように配慮を始める≫というのが“大”全体によって更新する世界である『幸せの想い合い』でありまして、この道理が{1000年後かもしれないが}理解されて宗教問題や科学の概念に用いられるコトで現代社会の諸問題の多くが解消される事でしょう。


しかしまあ、宗教問題で『幸せの想い・幸せの想い合い』の道理が用いられるのは{1000年後でも}そうとう難しいのですが、科学の概念に用いられるのは{100年後ぐらいでも}そう難しい事でもなくて、近代の科学技術では≪特定の人間(集団)の利益に貢献する為の物や生命や自然環境への無理強いが{ノーベル賞などによって}栄誉な事だと思い込まされているだけで、{失敗や逸脱行為をする淫らな女性に洗礼(折檻)をするほど男性のイライラが募り女性と男性社会が分断されて社会不安が広がるような}人間が科学技術に於いて不要な存在となるテクノ失業や、自然環境と人の営みが分断されて自然から人間が拒絶される科学技術の進歩によって、人間の生存がドンドン追い詰められてしまう≫という結構明白な危機的事態が起こっていますから、そう遠くない未来には{横着(オウチャク)で鈍い}人間もさすがに重い腰を上げる事になると思うのです。







*頭の良い人間と知性の本質・発動の違い。【4月9日・土】


『人間の営み(非自然化していく人間の生活環境によるモノ)』や『人間の思考(肥大化していく人間の脳によるモノ)』とは、〔微生物世界〕での『雑菌の繁殖』や『病原体の薬品耐性化』に相当するモノでしかなく。

〔有限性世界〕の利権者という優位性の上に成り立っている『観念論』を駆使する『完全理論的思考(世界観)』を持ったエリートの側の人間は、「人間の手に負えない〔無限世界〕の危険な『本流』から『淀み』が作りだされる《真理からの〔有限世界〕の切り離し》によって、『導き』が読み解かれる《【“部分”解禁】による真理の切り崩し》による『人工流』の形成がされるので、その道理の解る者によってのみ、【“大”全体】の“部分”による『“部分”暴走』が、【“部分”解禁】された『人工流』として有効利用されるのである」と{恣意的に}思い込んでいて。〔有限性世界〕の監視者という優位性の上に成り立っている『唯物論』を駆使する『特殊理論的思考(世界観)』を持った知識人の側の人間に至っては、「人間の手に負えない〔無限世界〕の危険な『本流』から切り離された〔有限世界〕の『淀み』は『澱み』でしかなく、そこには必然的に〔無限世界〕を隔てていた『特殊な扉』が開いて『漏流』が漏れてくる《破綻の原理》が発生するので、その道理の解る者によってのみ、この〔有限世界〕は『淀み(=澱み)』だと警告され、管理が行われるのである」と{自己中毒的に}思い込んでしまっているのですが。それらは、{人間がどう思っていようとも}非知性でしかなくて。人間が、広義の『生きた水』が壊された環境に於いて、広義の『雑菌の繁殖』が拡散し、広義の『殺菌消毒』の必要に迫られて、足掻(アガ)いているだけなのであります。

また、双方がその優位性を維持する為に共同する{人間が作り出した〔有限世界〕の『淀み(=澱み)』を守る為の}『魔女裁判』というのは、広義の【薬品耐性水】である【更新流】を拒絶するモノでしかなく。それはまさしく、{『観念論』と『唯物論』の双方に共通するモノとしてどれほど期待しようとも}反知性と呼べる行為でしかなくて。人間が、【“大”全体】の“部分”のハズなのに、【“大”全体】の為の“小”更新機能を{【部分解禁】だとして}『部分暴走』させて、広義の『病原体の薬品耐性化』を起しているだけなのであります。


しかし、知性の本質とは、【多様】で【“大”全体】な物事が、【更新する無限に多様な“大”全体】の為に存在する各“部分”を形成し、『無限世界』を【更新】させていく、広義の『生きた水』であり。人間が、『淀み(=澱み)』に『漏流』を起す{人類にとって共通、永遠の}危険なモノと決め付けている、{広義の『雑菌の繁殖』とは似て非なる}【本流】でありますし。

知性の発動とは、【部分解禁】と言っているだけの『部分暴走』を、【更新する無限に多様な“大”全体】の各“部分”として集合(吸収)させて、『無限世界』での【更新】に用いていく、広義の【薬品耐性水】であり。人間が、{持てる知性を総動員して}排除すべき『漏流』と決め付けている、{広義の『病原体の薬品耐性化』とは似て非なる}“更新流”ありますから。

その【更新する無限に多様な“大”全体】の真理を理解できれば、「この〔世界〕が、{人間による『人工流』によって}崩壊に向かっているのではなくて。『淀み(=澱み)』という作業場(広義の『雑菌の温床』)が『漏流』という自浄作用によって崩壊していくのを、{人間が可笑しな知恵を絞(シボ)って}必死に補修しているのが、{『人工流』を有用活用している}人の営みなのです」ばかりか、「金銭欲(欲望)や経済活動(発展)が、この〔世界〕を崩壊させているのではなくて。『漏流(=自浄作用)』によって崩壊する経済エリア(作業場)でしか使えない金銭を{標準の}価値基準だとした為に、金銭のつぎ込まれた物事(金銭価値の付けられたモノ)がドンドン崩壊してしまい、経済活動で補(オギナ)い続けるしかない情況に追い込まれた結果、人間に{悪循環で}金銭欲が湧き起こるのです」という道理にも{直ぐに}至れて、{今の〔人間世界〕で問題と認識されている事の多くが}何の問題にもならなくなるのです。


上記の通り、答えは{何度も記述してきたように、100年以上も前から偉人たちによって}出されていて、しかもその答えは{誰の足元にも在って、それを手にするだけでいいという}非常に簡単なモノであるのに。{普通に}頭の良いと言われている人ほど、「答えが見つからない」と悩んでいて。{数珠(ジュズ)なりに連なる}既得権益者は、作業場でしかないこの『淀み(=澱み)』を崩壊させる『漏流(=自浄作用)』に{権益の源であるこの『淀み(=澱み)』を崩壊から守ろうとして}抗(アラガ)い。{いったん}お金を手にしてしまった人間は、『漏流(=自浄作用)』によって崩壊していくその経済エリア(作業場)を経済活動によって補っていかなくてはならなくなり、{経済活動の資金集めとしての}さらなる金銭欲に急(セ)き立てられるのです。

皆さまは、果たしてどちらですか。取り敢えずは、物見遊山での見物と洒落込んで、しばらく考えてみてはいかがでしょうか。





*注意すべきは『臭い物にフタ』をする理性。【2月6日・土】


【更新する無限に多様な“大”全体】の真理を許容する寛容(カンヨウ)さに欠け、『一般理論的思考(世界観)』の真実に目を向ける知恵も無いまま、現代社会を構成する現代人が形成され。現代社会に於ける主流派として勢力の拡張を傲慢に続ける『完全理論的思考(世界観)』のエリートの側に立った時と、主流派との対立の必要性を過激に標榜(ヒョウボウ)する『特殊理論的思考(世界観)』の知識人の側に立った時とで、《ストレスとなる部分解禁》と《ストレスへの反発作用の暴走》による現代社会の矛盾と争いが{モザイク模様の対立で}惹(ヒ)き起こされているのですが。

現代人の理性と言うのは不思議なモノで、《主流派ぶった傲慢な態度》と《過激な対立の暴走》を止めない双方を尊重して調和を形成しようとしたり、そんな対立の発生をバランスの形成として肯定して奨励(ショウレイ)したりする様に働くのですが。それでは、【更新する無限に多様な“大”全体】の真理が容認できず、『一般理論的思考(世界観)』の真実に気付く機智にも欠けたままで、まるで『臭い物にフタ』をしている{のと同じ}事になってしまうものですから。{理性を働かせすぎる}現代人は、自分で自分をドンドン追い詰めてしまって、《自己破綻》や《過激な精神状態》に陥ってしまっていたのです。


現代人が一生懸命に理性を働かせて、現代社会(自分の周囲)を良くしようと頑張れば頑張るほど、{自分が苦しみ}人間の千年後の存続が危うくなるのかもしれませんが。【更新する無限に多様な“大”全体】の真理も、『一般理論的思考(世界観)』の真実も、何時も人類の足元に在って。本当は、{自分の精神的解放や}人間の千年後の存続というのも、そう難しい事ではないのです。

結局は、理性を働かせて無理をするコトが、人間(個人)を《自己破綻》や《過激な精神状態》に追い詰めてしまって、{個人の精神的窮状や}人間の千年後の存続を危うくする原因となっているのでありますから。皆さんも一緒に、物見遊山の見物と洒落込んで、【更新する無限に多様な“大”全体】の真理や『一般理論的思考(世界観)』の真実の掘り起こしをしてみませんか。







・平成27年度版







*物見遊山での見物に洒落込む必要性。【12月31日・木】


人間世界に於いて、【更新する無限に多様な“大”全体】という真理を切り崩す【部分解禁】に{進歩という名で加速的に}大きく傾倒し、{唯一神教の影響を受けた近代科学に執着する}保守勢力の『完全理論的思考(世界観)』と{知識人と自称して革命を永続して主張する}革新勢力の『特殊理論的思考(世界観)』との不毛な権力抗争が繰り返され、公平な再分配が繰り返されるべき『お金』が{【ニーチェ】の「神は死んだ」の言葉の真意(可能性)が精神衰弱(病気)によるモノとされる事によって封印されてしまって}理神論を建前(タテマエ)にした自由市場経済の名の下に不公平なまま停滞を続けていて。それらを、民主主義という聞こえの良い名目のベールで独善的に覆ってしまった為に、人間世界が近年特に大きく歪んでしまっていて。

【更新する無限に多様な“大”全体】である真理の掘り起こしや、『一般理論的思考(世界観)』によって真理へと人間が導かれるようにする真実の修正や、『お金』の公平な再分配が繰り返される経済の真意の発動が、{逆戻りは不可能で}困難(無意味)な状況に人間世界が{進歩の代償として}至ってしまったのだと、{無意識のうちに人類規模で}誰もが進歩に浮かれて(ほくそ笑んで)しまっているものですから。世界中で争いや差別や貧困が何時までも無くならなくても、人間世界では誰もが{既得権益を独占する射幸心に目が暗(クラ)んで}目前の競争に夢中となり、自分自身が変わるベキ問題として本気で考えるコトさえしなくなってしまったのです。

既存の前提を基にした合理性を追求して行く事には一生懸命になれても、{『E=mc²』を普遍的原理として物理学を再構築するような}新たな真実に迫る意識が持てない為に。{反面教師の}パラダイム論のまま、パラダイム変換という縛りの交換でしかない事が繰り返されてしまって、本当の意味での進歩と言えるモノが人間世界には起らず。{加害者が被害者の顔を札束で叩(ハタ)くような外交が繰り返されたり、【小保方 晴子】さんの『STAP細胞』の近代科学を超えた本当の意義を隠蔽した『理研』が誰からも疑われなかったり、革命勢力を何十年間も謳(ウタ)って独裁を続ける事が共産主義の本質だと信じられたりして}争いや差別や貧困が、{大昔から}何時まで経(タ)っても無くならないですし。

しかも、これをなくそうとして≪これまでの政治家たちが『危機感』や『チャンス』を口にするコトで、民衆を扇動して戦争を繰り返したり、選民意識を植え付けて民衆の意識(理念や感情)をマヒさせたり、自国や権力者に有利なように経済の停滞を延長して来たりした事≫と同じように、{新たな国際紛争の原因となって、人類存亡の危機(戦争による深刻な環境破壊)を惹き起こす可能性さえある、『地球温暖化の国家責任』の問題のような}新たな場所(ステージ)での争いや差別や貧困を生み出してしまっている訳であります。

そして、それを簡単に言えば、《汚れを落とそうとして汚れた手で掃除をして、ドンドン汚れを広げてしまっている》のが、今の人間世界の現状なのであります。


しかし、ドミノ倒しが拡大している時に、ドミノを一つでも二つでも倒さないコトで、ドミノ倒しが縮小に向かうのと同じで。例え少人数であっても、危機感やチャンスで民衆を煽(アオ)る宣伝など無視して、進歩や発展や変革に{距離を取って}関わらなければ、それがキッカケとなって、清浄な人間世界への到達(『生きた水』作りや【薬品耐性水】の達成など)が近づくのですから。

初めは一人であっても、{とっても可笑しい}人間世界の物見遊山での見物に洒落込めば。それが、人間世界の{奇跡に見えるかもしれない}清浄化への、有効な貢献となるのです。

例えば。世界中で多発するテロが、イスラム世界とキリスト教世界との対立(摩擦)として考えられてしまい、《テロの撲滅の為に必要(有効)なのは、イスラム教徒(ムスリム)との相互理解なのか、十字軍の再結成なのか》で揺(ユ)れている欧米諸国(キリスト教国)でありますが。

{キリスト教世界にも、『正教』や『カトリック』や『プロテスタント』がある宗派問題だけではなく、異端尋問による虐殺が繰り返されて来ていて、その“負の因縁”が現代のキリスト教世界に影を落としているように}既存のイスラム教国(イスラム勢力)と『イスラム原理主義者やIS』との間にも、『シーア派』や『スンナ派』の宗派問題だけではない、{【アフマド・イブン・ハンバル(780年~855年)】が投獄されて以来の1000年を越える}“負の因縁”があり。その“負の因縁”を、建国時に利用して以来{現代に至るまで}イスラム勢力の台頭を『イスラム原理主義者』への{暗黙の}支援によって抑(オサ)えて来た、【トルコ共和国】の歪んだ宗教政策による《既存のイスラム勢力の自浄能力の低下:『ダルビッシュ』の解体、『イスラム神秘主義』の否定》の悪循環が、世界中にテロリストを拡散させて来ていて。

イスラム過激派によるテロというのは、{キリスト教世界で成功している}世俗のイスラム教徒(ムスリム)への{“負の因縁”による}妨害工作(陽導作戦)でありますから。

欧米諸国(キリスト教国)での従来のテロ対策(世俗のイスラム教徒(ムスリム)の監視)や、【トルコ共和国】による{既存のイスラム勢力を押さえ込むのに“負の因縁”を利用する}近代化が続く限り、{それこそがテロの目的である為}この問題が解決される事は無いのですが。

世界中の一人一人に{取り敢えず}出来る最初のテロ対策は、『イスラム原理主義者やIS』の反イスラム的本質を見抜き、{テロリストの思惑に乗った現状のテロ対策や、【トルコ共和国】での近代化を、既得権益の確保に目が暗み、暗黙の了解で支持する}政治家や資本家たちが口にする理想論(結果的に不信感を広める陽導作戦)など無視して、キリスト教世界と『イスラム原理主義者やIS』とによる既存のイスラム勢力への圧力掛けから距離を取り、物見遊山で見物するコトでありまして。

そういった、一人一人の冷静な反応(見物)が、徐々に{不特定多数の一人一人によって}広まる事によって。“負の因縁”によって既存のイスラム勢力にとっての反対勢力となっている『イスラム原理主義者やIS』と、そういった“負の因縁”を利用して世俗のイスラム教徒(ムスリム)の台頭に圧力を掛けようとしているキリスト教世界の政治家や資本家たちとの悪巧み(陽導作戦)が白日の下に晒(サラ)され。テロが、その意義を失い。ようやくテロが、無くなるのです。

ただし、{紛争やテロによる犠牲者がどんなに増えているからといっても}焦って特定の個人が少しでも出しゃばってしまうと、イスラムを{悪意を持って}名乗るテロリストの恰好(カッコウ)の標的にされ、それを悼(イタ)む{振りをする}政治家や資本家たちによってイスラムの理不尽さの証明に悪用されてしまうので、注意したいです。そして、その典型的な例が、今年の初めに『IS』によって殺害された事が報じられた【湯川 遥菜(ユカワ ハルナ)】さんと【後藤 健二(ゴトウ ケンジ)】さんの二人であり。特に【後藤 健二】さんに関しては、人道的な活動に関わっていた事もあって、イスラムの{目的の為に手段を選ばない}理不尽さというモノが意図的に強調(演出)されてしまいまして、とても残念でなりません。


【更新する無限に多様な“大”全体】という真理や、人間を真理へと導く『一般理論的思考(世界観)』という真実や、『お金』の公平な再分配が繰り返されるコトが大前提な経済の真意が、気長に待ってくれているからというのも理由の一つではあるのですが。

不用意な出しゃばりは大きな禍(災い)を招くからというのも、物見遊山での見物に洒落込む理由の一つであるのです。

また、日本に居れば大丈夫という訳ではなくて。【小保方 晴子】さんの『STAP細胞』が、近代科学を揺るがすモノとなった時の、『理研』やマスコミの豹変振りからも判るのですが。日本社会の閉鎖性や閉塞性は、尋常ではありませんから、{日本に住んでいても}安心は出来ません。





*『アカデミック』の用い方の違いで争う人間。【12月6日・日】


≪「自分こそが『アカデミック』(!)」と思い、「『アカデミック』を作っていく」という事に取り組み、そういった『アカデミック』の擁立や周知を目指す≫という科学者や政治家のタイプの、『完全理論的思考(世界観)』の人が、たいていは多数派を形成していますし。

≪『アカデミック』を、権威主義的な様とか、誰かが言った事・やった事の追従と{否定的に}認識して、「『アカデミック』からの脱却」の追求や拡大を目指す≫という芸術家や思想家のタイプの、『特殊理論的思考(世界観)』人も、少数派ながら少なからずいまして。

双方による権力の争奪によって、人間は《【部分解禁】を価値とする繁栄》と《【部分解禁】を交換しようとする殺戮(サツリク)》の繰り返しを、過去から現代に至るまで続けて来ているが。それでも人間は、現代から未来にかけても、まだまだそれを止められそうにないのです。


過去の偉人たちによって、《【ダーウィン】による、更新する無限に多様な“大”全体を示したハズであった『進化論』》や、《【ニーチェ】による、自由宣言をしたハズであった『神は死んだ』》や、《【アインシュタイン】による、一般理論のハズであった『E=mc²』》や、《【トーマス・クーン】による、反面教師のハズであった『パラダイム論』》などのように、人間による『繁栄と殺戮の繰り返し』への警鐘と対処が示されて来たが。そのことごとくが、《一本の木の『進化論の図』》や、《精神を病んだ近代世界を表現した『神は死んだ』》や、《核エネルギーの無尽蔵(ムジンゾウ)さを特殊理論で表した『E=mc²』》や、《人間の進歩の効率化の為の『パラダイム論』》というように、『繁栄と殺戮の繰り返し』が続くよう歪められってしまっているのです。

そして、そういう『歪め行為』に対して、名誉と賞金を授与し、口封じをしているのが、『ノーベル賞』であり。そういった、『ノーベル賞』の選考基準の{恐ろしい}問題に、誰も踏み込めないのですから。まだまだ当分は、『繁栄と殺戮の繰り返し』が無くなる事は、マズ無いでしょう。


しかしまあ、何度でも言うが。【更新する無限に多様な“大”全体】は、人間がそれに気付き、参加(復帰)してくれるのを、気長に待ってくれていますし。人間が、そこにたどり着く為の『一般理論的思考(世界観)』を手にするのに、手遅れになる事もありませんから。

危機を煽(アオ)ったり、今がチャンスだと唆(ソソノカ)したりする事が正義だと勘違いしている、『繁栄と殺戮の繰り返し』の守護者など放って置いて。みんなで、まだまだしばらくは続くであろう『繁栄と殺戮の繰り返し』の{物見遊山(モノミユサン)での}見物と、優雅に洒落込(シャレコ)みませんか。





*『イヤな三角関係』という面白い現象。【10月9日・金】


よく聞く「世界の破滅と再生」という世紀末思想(唯一神教)があるのですが、それは近代科学の基にもなっている【完全世界的思考(世界観)】によるモノであって。結局はそれによって『権力』と『お金』が{『神』の影響がより強く受けられる}“形式的中央(預言との接点)”に集められ、そこから末端に向かって《その特定の“形式的指示”の達成》の為に、『権力』と『お金』が“形式的指令”として配られるという{“形式的中央(預言との接点)”による統制の}仕組みが{資本主義の国などで}維持されているのです。


さらによく聞く「そんなのは何所かからの借り物で、それ自体には何の意味も無い」という知性的発言(それこそが本当に無意味なモノ)があるのですが、それは《『宇宙戦艦ヤマト』での『波動エネルギー』の在り方》や《反核運動で核(E=mc²)に対して当てはめられる『パンドラの箱』というモノの使い方》の基になっている【特殊理論的思考(世界観)】によるモノであって。結局はそれによって『権力』と『お金』が{厳選され修正され正当化された}“特定の意志(崇高な想いの結晶)”の下に集められ、そこから細部へ向かって《その“特定の意志(崇高な想いの結晶)”の貫徹(カンテツ)》の為に、『権力』と『お金』が“特定の意志からの恩恵”として配られるという{“特定の意志(崇高な想いの結晶)”による統制の}仕組みが{共産主義の国などで}維持されているのです。


そして、それらによる不毛な“対立”により、人々の心の中に[不安]や[悪意]や[怒り]が発生し、そういった負の感情のぶつかり合いの中で、

≪『“大”生物(群)』での『“大”進化』を言っていたハズの『“大”進化論』が、個別の『“小”生物(種)』が生存競争の中で『“小”進化』をしながら生き残ってきた『“小”進化論』を視覚で表現した一本の木のような『進化の図』によって隠蔽され≫続け、

≪『“大”物理学(世界)』の『“大”更新(質量とエネルギーの変換)』を言っていたハズの『“大” E=mc²(一般理論)』が、特定の『“小”物理学(核反応)』を舞台にした『“小”更新(核開発)』を生み出したモノとしての『“小” E=mc²(特殊理論)』への神格化した評価によって隠蔽され≫続け、

≪【更新する無群に多様な“大”全体】へと人間が踏み出す歓喜の表れであり『神に従う者と抗(アラガ)う者との不毛な争いの終結宣言』であった「神は死んだ」の言葉が、精神の衰弱により陥ってしまった事による《近代化していく人間の営み》への恐怖感による《保守勢力の落胆を代表している表現》であるとか《新興勢力の横暴を黙認する表現》であるとかの論評によって隠蔽され≫続け、

≪パラダイム変換による段階的進歩という{通常進歩での受益者(権力者)と、次の受益者の座を窺(ウカガ)って段階的進歩を目指す者(知識人)との抗争の繰り返し}現象は人間の枷(カセ)の交換でしかないという《反面教師としての『パラダイム論』》が、パラダイム変換の崇拝者(知識人)による《閉塞した{制御不能な}現代を暴走させて破滅へと向かわせる偽善者(権力者)》への悪意の発散によって隠蔽され≫続けていて、

【更新する無群に多様な“大”全体】に基づく【一般理論的思考(世界観)】が、悪魔的妄信として拒絶され続けるという、『イヤな三角関係』となっているのです。


しかし、この『イヤな三角関係』も料理人を例にすると、少し良い意味で受け取れるものでありまして、

【完全世界的思考(世界観)】の人は、夢を広げて≪料理レシピを構成している料理体系を読み解き、多くの料理レピシから読み解いた料理体系を組み合わせ、より大きな料理体系を構築して、そこから《新しい実をもぐ》ように料理をして≫いて、

【特殊理論的思考(世界観)】の人は、対抗意識から≪既存の料理レシピの柵(シガラミ)を嫌い、違う視点から料理を見直そうとし、新たな枠組みでの料理体系を構築して、そこから《もう一つのモノが始まる》ように料理をして≫いて、

【一般理論的思考(世界観)】の人は、ただ単純に≪沢山の料理店を巡って自分の中で味を覚え、色々な料理レシピでの実際の調理から料理と味の関係を構築し、そういったモノの『多様な組み合わせ』や『新しい積み上げ』をして、そこから《懐(ナツ)かしいモノを再現する》ように料理をして≫いて、

たいていの{料理自慢の}人は【完全世界的思考(世界観)】に陥り、反抗心のある{料理研究家の}人は【特殊理論的思考(世界観)】に陥ってしまって、【一般理論的思考(世界観)】に至れる事はなかなか無いのですが、極希(ゴクマレ)に【一般理論的思考(世界観)】に至れる人がいて、そういう人はたいてい巨匠と呼ばれる料理人になっているのです。


また、学問の世界でも、過去に多くの偉人たちが沢山の学術的成果を残してきているように、『イヤな三角関係』がそれほど悪く作用しているという訳ではなくて、

【完全世界的思考(世界観)】の人は、我慢が出来るので≪過去の文献や研究結果を確(シッカ)りと学び、{一旦}より大きな学術的体系を構築して、{その後}それを《解きほぐす》ようにして新しい取り組みに取り掛かるという{ぶ厚い参考書を1ページ目から覚えるような}保守的な姿勢を貫(ツラヌ)いて≫いて、

【特殊理論的思考(世界観)】の人は、自尊心が高いので≪既存の文献や従来の研究結果を柵(シガラミ)として嫌い、新たな枠組みの構築を目指して、そして《新たに別のモノが始まる》ようにして新しい取り組みに取り掛かるという{問題集から勉強を始めるような}挑戦的な姿勢を貫(ツラヌ)いて≫いて、

【一般理論的思考(世界観)】の人は、実践重視なので≪今問題となっている事の実態を自分で認識し、認知されていない文献や否定された研究を自分で再検証し、そういうモノの『多様な組み合わせ』や『新しい積み上げ』をして、そして《忘れていたモノを再現する》ようにして新しい取り組みに取り掛かるという{過去問から課題を自分で掘り起こして勉強をするような}自主的な姿勢を貫(ツラヌ)いて≫いて、

たいていの{学校などの試験に追われているぐらいの}人は【完全世界的思考(世界観)】に陥りやすく、誇りのある{より高い地位を目指し名声に憧(アコガ)れてしまう}人ほど【特殊理論的思考(世界観)】に陥って抜け出せなくて、【一般理論的思考(世界観)】に至れるのは稀(マレ)な事なのですが、それでも時々は【一般理論的思考(世界観)】に至る事の出来る{殊勝(シュショウ)な}人が少なからずいて、そういう人たちのたいていが学術的成果を上げているものなのです。


ただし、{話は戻るが}『権力』と『お金』に関しては、『イヤな三角関係』が最悪の形で{日本に限ってではあるが}作用していて、

「世界の破滅と再生」という世紀末思想の言葉を気軽に口にし、ヅルヅルとこのいやな現実が続く事による〔世界〕の破綻を黙認して、既得権益にしがみ付く事の自己正当化をしてしまうだけの{『唯一神教』にカブレて“形式的中央(預言との接点)”による統制を目指す【完全世界的思考(世界観)】の}多数派がいて。実社会にただ反発し、「そんなのは何所かからの借り物で、それ自体には何の意味も無い」という言葉を口にして利口ぶっても、結局は何も出来ない{知識人を気取って“特定の意志(崇高な想いの結晶)”による統制を目指す【特殊理論的思考(世界観)】の}少数派がいて。彼らによる{茶番劇のような}小競り合いばかりが延々と繰り返され、それが『ガス抜き』のように作用してしまっていて。≪『権力』や『お金』が社会の末端の人々である【“大”部分】に充分な量で公正に繰り返して{“形式的中央(預言との接点)”や“特定の意志(崇高な想いの結晶)”からの制御を受けずに}分配され、それによって【“大”更新】が{次々と}起こって、[自由]や[平和]や[繁栄]が人間社会にもたらされる≫という、【更新する無限に多様な“大”全体】に基づいた【一般理論的思考(世界観)】による思想が、誰かによって真剣に主張される事は決してないでしょうし。もし仮に誰かが主張したとしても、{【完全世界的思考(世界観)】と【特殊理論的思考(世界観)】の両方の側から}精神異常者による悪魔的妄言として拒絶され、世間の話題になる事は決してないのです。

こんな『イヤな三角関係』でも、{【更新する無限に多様な“大”全体】は気長に人間の【“大”部分】としての参加を待ってくれているので}他人事であるなら、けっこう面白い話し(現象)であると笑えるのですがね。





*予告。【9月24日・木】


〔この世界〕の基本構造である【更新する無限に多様な“大”全体】から【部分解禁】してきた【特殊理論】に{変異や誤差が少なくて}合致する現象を扱う『近代科学』によってもたらされた、【特定の“小”全体】という{小さくて歪曲した}世界観に縛られたままの人間たちの、〔知識世界〕での可笑しな姿をお話ししようと思います。





~~~第A0011号先頭へ~~~



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