今朝は、京都山科に所用があって久しぶりに行った。
JR山科駅と京阪山科駅が並列してあり、多くの学生と通勤、商用?の人たちが行き来していて、活気がある駅である。
しばらく駅頭に立って、行き来する人たちを見ていると、中に山伏のコスチューム・>?に身を包んだご年配の方がちらほらと通られるので、日常的にはお目にかかれない出で立ちなので、お声をかけて撮影させていただいたのである。
ご高齢の御仁は、御歳85歳で山科牛尾山の修験僧としてお山に行かれるのだそうで、ご同輩と共に迎えの車を待たれていたのである。
私は初耳の「牛尾山」とは、地元では有名な牛尾山法厳寺のことだそうで、亀宝九年、空海よりも古い賢心法師によって開山したそうである。
当寺本尊は、天智天皇勅作の秘仏といわれていて、年二回のみ開帳法要が営まれるのだそうである。
今日は、新たな仏像ではなく著名な協力者の銅像かなにかが完成したために、山で行事が営まれるのでいかれるのだそうでした。
この山伏の御仁は、戦後兵隊から帰ってきた後、この山伏修行に入られたそうで、もう六十年も山伏をしているといわれたのである。
さすが山伏の修験僧だと思うくらいに、お年のわりには全くお元気そうであり、本業を伺うと漢方も含む薬局を経営されていたそうで、物心共に健康の権化のような方だとお見受けしたのである。
しばし立ち話をしていると、「お兄さんは何をしとるんかね」と私の仕事を尋ねるられたので、「人のため、世のため、自分のため、いろいろやっています」と応えたところ、「自由業かね、いいねぇ」と一方的に断定されてしまった。
山伏と言えば、幼い頃の奈良吉野の山上ヶ岳、いわゆる大峰山のことを思い出したのである。
小学一、二年生の頃だったと思うのだが、大峰山に父親と共に登って、突き出した山の頂から上半身を突き出した形で、父親が両足だけを持って、「親の言うことを聞くか?」「親孝行できるか?」などと聞かれ、スグに返事が出来なければ、少し前へと体を突き出されて、恐怖の中で「ハイ、します!」「わかりました、言うことをキキマス」と無理やり応えなければ、谷に突き落とされかねないカッコで、試されたことを記憶しているのである。
女人禁制で、今でも論争が耐えない男子のみ登山が許されるという、修験僧のための山であり、山伏の姿をした男達を見たのは、その時が最初だったのだが、何とも怖い印象であった。
しかし、今日偶然にも山科駅前でお会いできた山伏のお姿のご高齢の御仁は、優しい眼差しの中に、きりっとした情熱とエネルギーを感じさせる民間信仰の強い意思をお持ちの紳士であった。
今度機会を作って、ぜひ山伏が登られた山科、音羽の牛尾山の牛尾観音と琵琶湖と石山、比良山などの眺望が素晴らしいパノラマ景色を観に行ってみたいと思うものである。
また東山連山の行者の森で、あのきりりとした山伏にあいたいものである。
JR山科駅と京阪山科駅が並列してあり、多くの学生と通勤、商用?の人たちが行き来していて、活気がある駅である。
しばらく駅頭に立って、行き来する人たちを見ていると、中に山伏のコスチューム・>?に身を包んだご年配の方がちらほらと通られるので、日常的にはお目にかかれない出で立ちなので、お声をかけて撮影させていただいたのである。
ご高齢の御仁は、御歳85歳で山科牛尾山の修験僧としてお山に行かれるのだそうで、ご同輩と共に迎えの車を待たれていたのである。
私は初耳の「牛尾山」とは、地元では有名な牛尾山法厳寺のことだそうで、亀宝九年、空海よりも古い賢心法師によって開山したそうである。
当寺本尊は、天智天皇勅作の秘仏といわれていて、年二回のみ開帳法要が営まれるのだそうである。
今日は、新たな仏像ではなく著名な協力者の銅像かなにかが完成したために、山で行事が営まれるのでいかれるのだそうでした。
この山伏の御仁は、戦後兵隊から帰ってきた後、この山伏修行に入られたそうで、もう六十年も山伏をしているといわれたのである。
さすが山伏の修験僧だと思うくらいに、お年のわりには全くお元気そうであり、本業を伺うと漢方も含む薬局を経営されていたそうで、物心共に健康の権化のような方だとお見受けしたのである。
しばし立ち話をしていると、「お兄さんは何をしとるんかね」と私の仕事を尋ねるられたので、「人のため、世のため、自分のため、いろいろやっています」と応えたところ、「自由業かね、いいねぇ」と一方的に断定されてしまった。
山伏と言えば、幼い頃の奈良吉野の山上ヶ岳、いわゆる大峰山のことを思い出したのである。
小学一、二年生の頃だったと思うのだが、大峰山に父親と共に登って、突き出した山の頂から上半身を突き出した形で、父親が両足だけを持って、「親の言うことを聞くか?」「親孝行できるか?」などと聞かれ、スグに返事が出来なければ、少し前へと体を突き出されて、恐怖の中で「ハイ、します!」「わかりました、言うことをキキマス」と無理やり応えなければ、谷に突き落とされかねないカッコで、試されたことを記憶しているのである。
女人禁制で、今でも論争が耐えない男子のみ登山が許されるという、修験僧のための山であり、山伏の姿をした男達を見たのは、その時が最初だったのだが、何とも怖い印象であった。
しかし、今日偶然にも山科駅前でお会いできた山伏のお姿のご高齢の御仁は、優しい眼差しの中に、きりっとした情熱とエネルギーを感じさせる民間信仰の強い意思をお持ちの紳士であった。
今度機会を作って、ぜひ山伏が登られた山科、音羽の牛尾山の牛尾観音と琵琶湖と石山、比良山などの眺望が素晴らしいパノラマ景色を観に行ってみたいと思うものである。
また東山連山の行者の森で、あのきりりとした山伏にあいたいものである。
ところで山伏って、すべて修験僧なんですか?