ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

何故、政治家に?

2011年12月15日 | ちょっと可笑しいよ
 12月も半ばになろうとしている今日この頃だが、やはり年末ということで家の中の片づけを家内がやっていて、「これ捨ててもいい?」とか、「ここ掃除して!」とか、いろいろと注文があるのだが、何処からか20年ほど前の私の手書きの原稿のコピーが出てきたので、私に渡されたのであった。

 その原稿は、何処かの出版社が当時の地方議員たちに依頼した「子どもに宛てた手紙」として、テーマが「政治家としての夢」というものであった。

 私は1991年に地元の議会議員選挙に政党や組織との関わりが全くない立場から初めて立候補し、幸い多くの人たちからの得票を得て、無所属、市民派としての議員活動を4期16年間させていただいたのだが、その最初の一期目の時に記した文章で、今読み返してみると、なんともお恥ずかしい文章で、決して皆さんに公表する様なものではないのだが、それから20年が経過して、現在は政治家でもなんでもない一市民に戻っているので、せっかく見つかったので、ここにご披露することにする。

 自分が書いたものであっても、20年もの時が経ったものだから、「十年ひと昔」と言われた時代なら、既に「ふた昔前」の自らの素直な思いを、それも「息子宛」に記した形の文章となっているのであった。

 子供(いない場合は21世紀の子供たち)に宛てた手紙として、1000字以内で「政治家としての夢」を書けという要求なのだったが、私は何故か「何故、父は議員になろうと思ったのか」とい手書き出しで、自分の政治家になるきっかけと思いの一部を記していたのであった。

 下記にその全文を書き写すカタチで皆さんにも記すことにしたい。

 何故、父は議員になろうと思ったのか、それは私自身の中に幼児期から潜んでいた「素直な正義感」が、この町に住み10年を経て、ふつふつと沸いて来たからである。

 この「素直な正義感」ってやつは、幼稚園の子どもの頃から、おかしいと思ったことは「おかしい!」と疑問を持ち、両親や教師に必ずたずね、正そうとしていたことに始まっている。

 私自身の自慢のひとつに、小学校1.2年時期を共に過ごした同窓生で始めた「竹の子会」という、ちょっと珍しい同窓会がある。何が珍しいかと言うと、小学生の1.2年生のクラスで一緒だっただけの、すなわち6.7歳時期の同窓会だからである。

 若い女性教師が我々のクラス担任だっのだが、そのS先生が私たちの4年生になる春に転勤のため、他の小学校へと移られると聞いたので、まだ9歳だった私たちが先生を囲んでのお誕生日会を始めたのが、この「竹の子会」という自慢の珍しい同窓会のスタートとなったのであった。

 この集いが毎年続く中で、いまだに先生は私に対して、「あなたは、よう喧嘩をしたが、それはいつも他の人のことや正義感からのケンカやった」と証言して下さっていたのであった。

 そうした「曲がったこと、不法なこと、弱者をいじめること」または、「ちょっとしたことで解決しそうなこと」などは、私にとっては、知らんぷり出来ない、ケンカの種になっていた様である。

 中学校で半年間だけ、生徒会の会長をやったのだが、その期間に初めて、ただ素直な正義感だけでは、多くの生徒の賛同や協力を得られないという現実を知ることになる出来事があり、時には「偉そうに!」とか「かっこつけやがって!」という野次や批判を耳にすることも経験した。

 真実への発言や行動だけでは、他人はなかなか協調したくれないという厳しさを知らされ、大変悔しい思いを何度もしたし、誤解や中傷も多く体験した。

 高校時代には、何故か沈黙の2年間を過ごしたが、大学に入学するや、その反動なのか、「反安保、反万博、そして寮闘争」と言われる、政治的時代の渦中にいて、いろいろと発言する機会が増えてきた。

 大学での学園闘争、学生運動といっても、私は常に非暴力での抵抗と勝利なき戦いを繰り返していた様であった。

 社会人となって、東京での暮らしが10年近く続いて、二児の父として京都に戻り、「子どもたちの遊び場活動」に12年間、仕事として関わり、身近な生活圏での諸問題にぶつかる様になって、教育、環境、福祉などの諸課題で行政の壁にぶつかることを体感したのである。

 そこで、素直な正義感に立ち戻って、発言し行動する一人として、住民参加の議員のひとりとして役立ちたいと思って立候補することになったのである。

 以上が、約20年前に記した、息子に宛てた手紙としての、ほとんど原文のままの転載である。

 いずれにせよ、普通の住民のひとりが地方議員として活動をさせていただくためのチャレンジを、素直な正義感でしたに過ぎないのだが、今振り返って見れば、何と無謀かつ経済的背景や家庭の生活を鑑みることなくしたことかと思う面もあるのだが、ともかく4期16年、少しでもお役に立てたのではないかと、自画自賛、自己満足しているばかりである。
 

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