思い出をあける鍵

ダブルディスクのエンピツマフラー再生記

思い出をあける鍵 part 20

2015年12月06日 | 思い出をあける鍵

「さわさん」のDUCATIに乗ってから、Lツインの虜になった。


1981年、2月号の「ライダーズクラブ」
34年も前に買ったこの本、なんでか中々捨てられません。
当時買った、思い出の一冊。


その頃のDUCATIは、どちらかと言うとマニアックなオートバイで。
今ほどメジャーではありませんでした。


中学2年生の頃、GT750のカタログを毎日々見てた。
そんな子供の頃に帰ったように、この本も、毎日々見てた。
「欲しいなぁ~・・・・」
「たっかい(高い)なぁ・・・」
「外車・・やもんなぁ・・・」


「さわさん」のDUCATIに何回も乗せてもろうてたしね、
インプレッションなんてどうでもよかった。
ほんまに速かったね。


14の時は、免許が無かった。
21の時は、お金が無かったね。

諸経費込みで140万を超える単車やから、ローンを組まんと買えへん。
毎月の支払いが2万くらいのローンを組むとして、頭金はどれくらいいるんやろ・・・
その頭金を貯めるのに、具体的な金額を知るためだけに、京都モー○ー○ラブへ行ったのは
年の瀬、12月に入ってすぐの頃でした。
当時、外車を買えるお店は滋賀県には無く、京都まで。

「お客さん、そこ、ほら、1台あるよ、あれやったら年内登録できるし、正月走れますよ。」
(奥の方に新車の900SSが1台、ポツンと。)


「正月走れるますよ。」の一言は、まさに悪魔の囁きで。
正月・・・DUCATIで走れる・・・の・・・俺?

頭金はZ650の下取り、15万円。
毎月3万8千円、ボーナス月に20万くらいやったような。
何とかなるかと鬼のようなローンを組んで。

1981年12月23日登録、その日の仕事帰りに京都までZ650で走った。
いつもはセル一発でエンジンがかかるZ650、
なぜか、その時だけはエンジンが中々かからず・・・・
雪がチラチラ舞ってた。


1981年式 DUCATI 900 SS


滋 ま 72-14 のナンバーは今でも憶えています。


その時は、全く買う気は無かったけど。
「悪魔の囁き」には、いっつも簡単に・・・負ける。
1982年1月から、鬼のようなローンが始まりました。





2 コメント

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900SS (パーシー)
2015-12-07 02:37:46
ヒデさん、ドカはその頃はメジャーで無かったですね。MHは大阪に在ったのですが、900SSは東京まで取りに行きました。関西では見かけ無いドカは、引き取って帰る途中何台も見ましたけどね。
パーシーさんへのお返事です。 (ひで)
2015-12-07 20:02:12
パーシーさん、こんばんは~
そうですねぇ、BMWやHARLEYほどはメジャーではありませんでした。
当時は900ssよりも、MHRの方が人気がありましたね、
僕も迷いましたが、あの美しい形のエンジンがフルカウルで隠れるのがもったいない気がして900ssを選びました(^_^)v
パンタ系のエンジンになって以降、は魅力が無くなりました。

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