さいごのかぎ / Quest for grandmaster key

「TYPE-MOON」「うみねこのなく頃に」その他フィクションの読解です。
まずは記事冒頭の目次などからどうぞ。

ローズガンズデイズ season1 感想その1 マダム・ローズと日本人たち

2012年08月30日 10時43分07秒 | ローズガンズデイズ
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ローズガンズデイズ season1 感想その1 マダム・ローズと日本人たち
 筆者-Townmemory 初稿-2012年8月23日



●再掲にあたっての筆者注
 前回は体験版を読んでの記事でしたが、今回は製品版に関する記事です。
『ローズガンズデイズ season1』を、読みました。それで感想や連想や推測を書き付けました。
 この記事の初出は「SugarSync」のフォルダ共有機能を利用したpdf配布です。SugarSyncの容量増加に協力してくださった方々に先行公開しました。

 これまでの感想記事は、こちら。
 ローズガンズデイズ体験版/勝手な感想/勝手な予想


 以下が本文です。


     ☆


『ローズガンズデイズ season1』を読みました。
 思ったことや、推測したこと、ぼんやりと想像したことを、以下に書き付けます。



●ケイレブまわりのエピソードが優れている

 ケイレブ(敬礼寺)のキャラクター造形が素晴らしいと思いました。

 正しいことを行なっている人が、やがて、

「正しいことをしている俺に協力しないとは何事だ!」

 というメンタリティにすりかわっていく。その過程がみごとに描かれていて、うなずきながら読みました。
 こういうの、歴史上にもあるし、現代のわたしたちの現実にも、ありますね。ちょっと身につまされる感じすらあります。むかし、全共闘なんてのは、そういうメンタリティを煮染めたようなものだったと聞きます。はばかりながら申せば市谷駐屯地でアレなさったミシマ先生にもそういった精神の萌芽がみられると思います。
(今気づきましたが、結局左翼も右翼も中身はそれかっていう感じですね)

 強力な求心力によって急速に成立した集団が、やっつけで作った建築みたいにあっという間にぼろを出し始めるさまなども、いい感じに描かれていると思うのです。竜騎士さんはこういうの本当に切れ味が良いなと思って、読みました。アマンダの立ち回り方もわたしは好きです。

 いっそのことわたしは、プリマヴェーラのことは置いといていいから、ケイレブファミリーを内部から描いていく物語を見たい、くらいのことを思いました。
 あのケイレブファミリーというのは、理想を掲げて結集していくとき、組織の内側にいたら、きっとものすごい高揚を感じられたはずです。
 それがやがて、現実に直面して、ずれていく。亀裂が入っていく。理想を追い求めようとすると、理想から遠ざかるようなことになってしまう。けれども理想を掲げて始めたものだから、とまったり路線変更したりすることが決してできない。そうしてやがて組織自体が耐え切れなくなり空中分解していく……。
 といった物語は、どこかせつなくて、魅力的だな、それを見たいなと思いました。

 個人主義の傾向が強いわたしは、「日本人はもっと連帯して、助け合っていきましょう」といったメッセージには、正直あまり共感しにくいところがあるのですが、「大きな目標を抱えてしまった人物が、それゆえに自己崩壊していく」という物語には共感可能なのです。
 いっそレオはケイレブのところに行けばいいのにくらいのことを思ってました(そうすれば、レオが組織内部からの視点になってくれますものね)。


●最も「日本人」であるマダム・ローズ

 この『ローズガンズデイズ』という作品は、架空の戦後日本という舞台を扱っているけれども、じつはわれわれの現代日本のありかたに深く通じる「たとえ話」となっています。
 現代のわれわれ日本人に、「日本人、現状でよろしいのか?」と問いかけるような部分があります。これは読んだ人がおおむね全員理解したところだろうと思います。
 そこのところは、わたしは今のところですが、あまり興味がないのです。でもここからSeason2以降、この側面がより深化していくはずだ、と予測します。期待しております。(たぶん深化していくはずですよね?)。

 それほど興味がない、書いたばかりなんですが、例外的に、一カ所ものすごく感心したところがあります。
 それはマダム・ローズの人物造形です。

 マダム・ローズは全般的に、カマトトのよい子ちゃんで、これは見方によっては「何をブッてんの?」という感じで、嫌う人も出てくるかも知れないな、と思いながら読んでいました。

 わたしも、女の子を身請けするためにお店の大枚をぽーんとはたいてしまうなんていう場面を見て、それはないだろうと思っていました。同様のことを感じた人はきっと多いんじゃないか、と想像します。
 ですが、最後まで読んで、少し評価が変わりました。

 つまり、マダム・ローズとはどんな人物であるのか、ということをまとめてみると、

・豪腕は持っておらず、
・知恵や知識にもさして優れているわけではなく、
・経営感覚といえばゼロに近く、
・よって、クレバーな選択をしたくてもできない。
・だったら慎重にすればいいのに、やたら発作的な面があり、
・キレると後先考えない行動に出る。
・そのあと、自分が駄目だとわかると、いきなり自分を全否定にかかる。
・ずっしり反省しすぎて、自分自身を縛り、まったく身動きとれなくなり、
・自分一人がすべて悪かった、このまま死んでしまいたいみたいな極論を言い出す。


 という人物像であるわけで、

 これって「日本人」そのものじゃないか。

 そう思ったのです。

 ローズは、はっきり言うと、「日本人の弱さ」「日本人のダメさ」の結晶みたいなキャラクターなのですね。
 少なくとも、戦中~戦後バブル終焉くらいまでの日本人というのは、こんなだったと思います。だんだんそうでなくなってきたのはわたしが思うにここ15年くらいです。

 マダム・ローズという人は、あまりにも「日本人」として造形されています。マダム・ローズは日本人の鏡像です。マダム・ローズを「この人ちょっとなあ」と思うのは、鏡に映した自分を見て、ちょっとなあと思うのに近い。
 たぶんこれ、わざとそうしてるのかなあ、とわたしは思いました。
 マダム・ローズが「ちょっとなあ」というキャラクターなのは、あえてそう描いている部分があるはずです(と推測します)。
 あるポイントでそれをくるっとひっくり返して、「ローズって日本人のアレなトコロそのものじゃん」と気づいたとき、ローズに対して「ちょっとなあ」と思ったそのナマな感覚は、そのまま自分に対しての「ちょっとなあ」として跳ね返ってくる。

 その構造が意図されてるとしたら、純粋にすごいなと思いました。そういえば、竜騎士さんは構造作りの達人でありました(特に「うみねこ」に顕著)。このくらいの構築は朝飯前でしたでしょうね。

 かように、日本人は、日本人独自の「弱さ」を持っています。
 そして、それと同時に「日本人として生まれたからには、かくありたい」という格好良さの理想像のようなものを持っています。
 ですからたぶん、ここから先、「日本人の弱さの結晶」であるマダム・ローズが、何らかの覚醒をして、「日本人だったら誰しもこうありたいと思う活躍」をして、日本的美学に即した散り方で、死ぬ。そういう流れが用意されているのかなと推測します。

現実的な日本人の弱さ」を持っている者が、「理想的な日本人のあり方」を体現して、「日本的な美学」に即して死ぬ。
 日本人の強さも弱さも、日本人の理想も現実も、日本人の栄光も蹉跌も、すべて含んで呑み込んだ存在に、マダム・ローズはなる。
 そのことで、ローズは、もっとも純粋な「日本人」として完成する。

 その「最も日本人である者」の姿を見た周囲の人たちが、刺激され、覚醒して、「自分もこのようにあろう。このようにあれるように努力しよう」と思う。そうした努力が、日本の未来へつながっていく。
 だいたい、そういう構成が想定されているだろうと、なんとなく想像しました。


 以上が、ざっと初読で思ったことです。

 以下、推測とか、予想とか、推理まがいの余談を書き付けます。


●余談1・マダム・ジャンヌは誰?

 お話や画面をすなおに見たら、しぜんと、「マダム・ジャンヌの正体はクローディアかな?」という想像は出てくると思います。わたしも、そう思いました。
 けどもこの作者さんは、裏をかくのが得意ですし、読者が裏を読んでくるのを察知しといて表側に張ったりするのもお手の物ですから、油断できません。


●余談2・ローズの父親はラフカディオ・ハーン?

 マダム・ローズの父親は、

・ギリシャ人の学者で、
・誰よりも日本人らしく振舞おうとしており、
・日本の心を非常に重視した教育をほどこした。
・日本の文化や伝承、昔話や民謡に詳しかった。
・日本語だけはずっと片言だった。
・ローズは晩年にできた娘である。


 ということだそうで。わたしが反射的に思いだしたのはラフカディオ・ハーン(小泉八雲)のことでした。ギリシャ人で民俗学者で、日本大好きなのはお馴染みです。
 ですので、ローズの父親のモデルはラフカディオ・ハーンかなと思いますし、もうひとつ踏み込んで推測すれば、

「この世界は、ラフカディオ・ハーンが54歳で死なずに、もっと長生きした世界である。そしてローズはラフカディオ・ハーン本人の実の娘である」

 くらいのことを想定してもいいんじゃないかなと思っています。

("ラフカディオ・ハーン""マダム・ローズ"でフレーズ検索しても、わたし自身のツイートしか出てこないんですよね。同様のことを考えた人はいないのかしら)

 そう思って、さらに想像力を展開してみますと、以下のようなことが思いつきました。

 竜騎士07さんは東方シリーズがお好きだそうですが、東方シリーズには八雲紫という、ラフカディオ・ハーンとの関係をほのめかされたキャラがいます。たしか外伝には、ハーンの子孫にあたるキャラクターもいたんじゃなかったかしら(このへんうろ覚えです)。

 つまり、このへんは勘ぐりになりますが、「実在の歴史上の人物」をハブにして、自分の好きな別作品とのリンクを作っている、という想像は、ひとつアリなんじゃないかと思うのです。


●余談3・インドネシアの戦争は終わっていない

 戦争のとき、レオ・獅子神が戦っていた戦場は、ひょっとしてインドネシアではないかな、と想像しました。

 というのは、こんな独白をする場面があるからです。

「俺にまた、……守るものを見捨てろと、……そういうのかい。」
「船に、乗るんじゃなかった。」
「たったひとりでもあの国に残って。……あいつらと最後まで、……戦うんだった……。」
「俺はもう二度と、………守るべきものを、………見捨てない…………。」


 さて、これらのセリフをみていくと、

・レオは、守るべきものを見捨てて船に乗った(日本に帰還した)。
・現地には、今でも戦っている「あいつら」がいる。
・国に残って、その「あいつら」たちと最後まで戦いたかった。


 そういうことになります。

 わたしの狭い知識で、そういうストーリーがあてはまりそうなのは、インドネシアの独立戦争なんですね。

 インドネシアという国はオランダに植民地支配されていたのですが、日本軍が乗りこんでいって、オランダを追いはらったのです。
 オランダを追いはらった場所に日本が居座ったわけなんですが、日本軍の軍政は比較的まともだったみたいで、オランダに拘束されていたスカルノやハッタといった、のちに独立英雄になる人たちを解放して、インドネシアの指導者とし、インドネシア語(と日本語)での教育制度をつくり、とくに「インドネシア史」の教育なんかをすすめたと聞きます(オランダ時代の教育とは、当然オランダ語で行なわれるものであり、オランダ史を教えるものだった)。
 そうして教育水準を上げて、インドネシア人が、「インドネシアは国家として独立しよう」という機運を持つようにしていった。「インドネシアはひとつの国として独立すべきじゃないか」ということを勧めていったわけです。

 もちろん日本としては、親分として日本がふんぞりかえってる、そういう上下関係での「インドネシア独立」を意図していたことでしょう。
 また、これは戦時中のことですから、インドネシアに他国が手を伸ばしてきたとき、「インドネシア人自身が国を守るために戦ってくれる」という状況はきわめて重要だったはずです。そういう魂胆があっただろうことは、もちろん押さえておくべきことです。

 でも、インドネシアの人々にとっては、それは画期的な考えだったと聞きます。なぜならそれまでのオランダの植民地支配というのは、インドネシア人を単純労働力としてしかみなしていなかったからです。「現地の人々に教育をほどこし、自立の機運を高める」なんていうことは、西洋の植民地政策ではまったく行なわれなかった。

 さて、重要なのは、
「インドネシアは独立すべきだ。その独立を日本が保証する」
 と、日本軍はインドネシアの人々に約束した、ということなんです。

 ところが、インドネシア独立より先に、日本は連合軍に降伏してしまいました。日本軍は武装解除します。すると、インドネシアは軍事的に丸裸です。

 オランダ軍がインドネシアに戻ってきて、再占領しようとし始めました。

 インドネシアの青年たちは独立の夢に燃えています。しかし、後ろ盾をしてくれるはずだった日本軍は武装解除して降参してしまいました。もうアテになりません。
 インドネシア人たちは、自分たちだけの力で、オランダと戦い始めます。インドネシアの独立戦争が始まりました。

 さて。ここで仮に、レオ獅子神が、
「インドネシア駐留の軍政府に所属する日本軍士官」
 であったと仮定する場合。

 レオは、インドネシアの人々に、「俺たちで力を合わせて、この国を独立させようぜ!」と熱い夢を語っていた立場ということになります。
「俺たちが命がけで守るから、インドネシアの独立を勝ち取ろう」

 そういって約束していたはずなのですが、日本の降伏により、「彼らを守る」ことなどできない立場になってしまいました。

 インドネシア人たちが、自分だけの力で、竹槍みたいなものを手にとって戦い始めたとき、それを指をくわえて見ていなければならない立場になりました。
 命がけで戦い始めた彼らを置いて、船で逃げ去るようなかたちになってしまいました。
 だから、こういうセリフになっていく……。

「船に、乗るんじゃなかった。」
「たったひとりでもあの国に残って。……あいつらと最後まで、……戦うんだった……。」


 レオはケイレブに部下になるよう誘われたとき、
「俺の戦争は、……少し違うんだ」
 そういって断っています。

 ケイレブの戦争は「最前線で捨て駒にされた旧軍兵士たちにまともな暮らしをさせてやる」ことです。ケイレブはレオに「おまえも士官なら同じ気持ちだろう、俺の戦いに加われ」と言うわけです。
 でも、もしレオの経歴がインドネシアなら、
「俺の戦争は少し違う」
(救いたいのは戦友じゃない、あの国に置いてきた、独立の夢を共に見た仲間たちなんだ)

 そういうセリフになっていきそうです。


(とりあえず、今のところは、以上です。そのうち何か思いついたら、また更新します)


■season2の感想はこちら→  ローズガンズデイズ season2 感想・チャイナの日本人

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12 コメント

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Unknown (乗組員Z)
2012-09-01 05:42:08
おもしろかったです。Townmemoryさんは、日本人とは何者かについて独自に研究なさっているんですね。戦争は戦争でも独立戦争を助けるというのはレオらしいと思いました。レオ自身心が独立(精神的に高度に自立している)しているので、
仲間の自立、ローズの自立を助けることによって自立とは何かということも教えてくれていますね。「正しいと思った道をただひたすら歩いて行くこと」」これは人間の自立に他なりませんね。
Unknown (Unknown)
2012-09-09 00:07:51
あくまで日本人論がテーマなら出張キャラとは思えないくらいかなり特殊な立ち位置にいるのがバトラーですよね

前作主人公ということで親近感を抱かれていますが、あくまで彼は出生した瞬間からアメリカ人であり、(日系人は志願しない限り徴兵の対象ではなかったので)「はっきり祖国はアメリカであるからアメリカのため戦う」という選択をした人だということになります。それも、歴史的に見てこの段階で日系人で大尉というのは相当の活躍を上げていなければ無理です。太平洋ではなくイタリア戦線のはずですが。

また彼個人の内面如何にかかわらず、あくまで日本人としての独立を目指すなら治安維持担当の米軍士官である彼は直接の敵、ということになります。(まあ自己の理由で組織を引っ張っていた鷹野と違い、この場合バトラーを倒したところで米軍には変わりが無数にいるのが問題ですが)
Unknown (乗組員Z)
2012-09-09 09:07:20
バトラを見ていると、世の中を動かしていくのはぐっと我慢という気がします。彼は直球は絶対にしませんよね。時期を見て時期を見て時期を見て・・・というところだと思います。自分も見習いたいです。
Unknown (乗組員Z)
2012-09-09 09:07:55
もう一度記事を読み直してみました。
バトラを見ていると、世の中を動かしていくのはぐっと我慢という気がします。彼は直球は絶対にしませんよね。時期を見て時期を見て時期を見て・・・というところだと思います。自分も見習いたいです。
Unknown (yos)
2012-09-10 19:55:21
感想を読ませてもらいましたが、正直今回の作品にあまりはまる事ができなかったのでは?という感じがしました。

うみねこほどは考察の要素がないのもありますが舞台背景などが好きになれなかったのではないでしょうか。




Unknown (Townmemory)
2012-09-11 04:08:44
●yosさんへ
 えっと、意味がよくわかりかねましたが、察するに、わたしの記事にことよせて、あなた自身の感想をおっしゃっているということでよろしいですか?
Unknown (yos)
2012-09-11 18:19:36
すいません自分の中での決めつけは良くないですね。
今回の作品をTownmemoryさんはちゃんと楽しまれていると見ていいのでしょうか。

Unknown (通りすがり)
2012-09-14 23:03:51
はじめまして。
ローズガンズでこんなに深い考察をされているサイトがあるとは思いませんでした。嬉しいです。

ジャンヌ=クローディア説は、私が読んだときは思いつきませんでした。。2人の性格が年齢を考慮してもどうもつながりが薄い気がしたので…
もし上記の説が正しい場合、50年後には彼女が何らかの理由で、自分の夢(店を切り盛りする)を諦めてしまっていることになりますね。

また感想など書いていただけることを楽しみにしています。
Unknown (Townmemory)
2012-09-25 11:27:35
●通りすがりさんへ(ハンドルで良いので、ご自分にお名前をつけて下さい)

 こんにちは。ご清覧ありがとうございました。
 クローディアについてですが、彼女は「和食料理店がをやりたい」と希望しているのですが、その背後にあるのは「日本人が、日本人のまま生きられる場所が欲しい」という気持ちだろうと思うのです。その気持ちを具体的な形で表現すると、「日本人に日本の料理を食べさせる」というふうになるんだろう、とわたしは理解しています。
 マダム・ジャンヌはまさに「日本人が日本人として生きられる社会を」をいうことを目標にして黒社会のボスをしている人ですから、表現が変わっただけで、夢の本質は変わっていないというのが、わたしの見方です。
「マダム・ローズに命を救われた小娘が、マダム・ローズの志を受けつぐ」というストーリーになってくるので、これは浪花節で日本人的だな、という気分もあります。ジャンヌとクローディアは両者ともキャラデザインが竜騎士さんですしね。
明けましておめでとうございます。 (案山子)
2013-01-04 04:25:36
2つ前の記事にコメント失礼します。

いつも、こちらのサイトを拝見させて頂いています。夏と冬のささやかな楽しみです。


【この先ネタバレになるかもしれないので、Season2未読の場合は読まないでください。】









Season1の時に書かれたtownmemoryさんの予想・感想と本編が多々重なる点があり、より楽しむ事ができました。特にローズに見る「日本人の姿」をSeason2では、色濃く感じられました。こちらの記事も改めて読み直しましたが、townmemoryさんの着眼点・考え・感想はどれも面白いです!


これからどう物語が動き、壊れ、流れていくのか、今からワクワクしています。(個人的には、うみねこの時はドキドキの方が強かったのですが、Rose Guns Daysはワクワクの方が強い気がします。)

またtownmemoryさんの感想・予想を読めたらと勝手ながら楽しみにしております。

駄文失礼致しました。

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