さいごのかぎ / Quest for grandmaster key

「TYPE-MOON」「うみねこのなく頃に」その他フィクションの読解です。
まずは記事冒頭の目次などからどうぞ。

ep5初期推理その2・ノックス十戒と赤字への疑問

2009年08月22日 06時04分35秒 | ep5
※初めての方はこちらもどうぞ→ ■うみねこ推理 目次■ ■トピック別 目次■


ep5初期推理その2・ノックス十戒と赤字への疑問
 筆者-初出●Townmemory -(2009/08/22(Sat) 05:34:49)

 http://naderika.com/Cgi/mxisxi_index/link.cgi?bbs=u_No&mode=red&namber=31375&no=0 (ミラー
 Ep5当時に執筆されました]


●再掲にあたっての筆者注
 EP5を読み終えた、直後の考えを書き付けておくシリーズです。
 2回目です。前回→ ep5初期推理その1・俺男と僕男/逆トリック

 以下が本文です。


     ☆


●ベルンカステルの論法の欺瞞について

 ベルンカステルは、戦人の戦い方を評して「アンチファンタジー」だと言います。
 その上で、ファンタジーを殺すにはアンチファンタジーでは駄目だ。ミステリーでなければならない。そのように力強く主張します。
 自信たっぷりに、「ミステリーになれないオマエ、バーカバーカ」くらいの勢いでしたね。
 その勢いに、ラムダデルタが「そうよねー」みたいな形で乗っかるので、一見、その通りなのか? とこちらは思ってしまいます。

 けど、よく考えると変なんです。

「アンチファンタジーでは駄目だ。ミステリーでなければならない」とまでは言いますが、その後に続くべき「なぜなら」を彼女は言わない。
 力強く決めつけはするが、根拠は言わない。
 というか、根拠を言わずに済ませるために、あえて力強く決めつけたように見えるのです。

 ベルンカステルは、「未知の犯人Xや未知の薬物Yはノックス十戒に違反しているから、最初から考慮する必要がない」というようなことを断言します。
 でも、この事件がノックス十戒に準じているかどうかなんて誰にもわからないし、誰も保証していません。
 この発言をちょっと見ると、
「この事件はノックス十条の範囲内で行われている」
 という保証のように読めますが、でもよく考えたら、
「未知の犯人Xや未知の薬物Yはノックス十戒に違反しているから、最初から考慮する必要がない、“と私は見なす”
 という以上のことを、言ってはいません。

(この、“と私は見なす”は、これ以外のさまざまな謎にも通用するキーワードだと思えました。これ以後のエントリにも出てくる予定です)

 ここで彼女が言っているのは、「このゲームをミステリーだと見なし、私はミステリーの手法で解こうと思う」という、個人的な意志だけです。
「この事件がミステリー準拠であり、ミステリーの解法が有効であるという根拠」を、何一つ示していません。何の保証にもなっていません。

 ある殺人者がいたとして、彼もしくは彼女が、ミステリーのお約束を守らねばならない理由がいったいどこに?
 ミステリーのお約束に抵触しないような状況での犯行をあえて選ばねばならない必然性はどこに?

 彼女が言ってるのは、事実上、「現実は、フィクションの約束事に準ずるべきだ」というむちゃくちゃな主張です。

 これは一種のミスリードといって良いのではないかと思えます。
 この後、ミステリーのお約束「ノックス十戒」を文字通り伝家の宝刀として振り回す強力なキャラが出てきます。
 ベルンカステルのアンチファンタジー否定、ミステリー肯定発言があるために、ノックス十戒の有効性を疑いづらい下地が作られた。
 十戒にもとづく赤字が正当なもののように感じられる誘導がなされた。
 そういう感じがします。


●「ノックス十戒」を懐疑する

 まず、似たような例として「ベアトリーチェの密室定義」の話から。

 密室定義は、隠し扉の存在を否定します。その点、十戒に似ています。
 密室定義が宣言されるまでは、「犯人は未知の隠し扉から出入りしたんだ!」という青字推理が可能ですが、宣言以降は、隠し扉を使った推理はすべて無効になります。

 ところが「ノックス十戒」は、不思議なことに、
「この事件(この密室)は“ノックス十戒”に準ずる」
 という宣言が、一切ないにもかかわらず、有効であるかのように扱われます。

 このゲームが、ミステリーの約束に順ずるミステリー作品であるという提示がない。
 にも関わらず当然ノックス十戒が守られているという前提で話が進む。

 大まかに、ふたつ考え方があります。
「そういう前提で話が進んでいるのだから、このゲームはノックス十戒に準じているのだ」
 という考え方と、
「ノックス十戒とは無関係であるにもかかわらず、準じているかのように誤認させようとしている」
 という考え方です。

 わたしは、3:7くらいの確率で、後者が有望と見ます。

 ドラノール・A・ノックス(ロナルドの逆さ読みですね)が振り回す、ノックス十戒系の赤字は、極論すればすべて、
「私(ドラノール)は、この事件をノックス十戒に準じたものだと“個人的に見なす”
私が勝手に準じると見なしたノックス十戒に照らせば、隠し扉はないべきだ」
 というだけの、単なる個人的主張にすぎないと見ることができます。

 だから、ドラノールのノックス十戒系赤字は、
「俺はこの事件をノックス十戒に準じたものとは“見なさない”ッ!」
 と言うだけで、すべて迎撃できるはずです。

 つまり、
 合意が取られていないルールを大声で振りかざして、それが成立しているかのように振る舞っているだけなのではないか。
 例えるなら、アメリカ合衆国に行って、
「銃を持ってはなりませんッ! なぜなら、銃の所持は日本の法律では禁止されていますッ!!」
 と、大声で叫び続けている。そんな状態なのではないのか。


 いくつか具体例を挙げます。金蔵の書斎バトルからです。

「赤:ノックス第3条。秘密の通路の存在を禁ず。」

 ノックス第3条は、秘密の通路の存在を禁じていますから、命題としては真です(だから赤で言えます)。ですが、金蔵の書斎がノックス十戒に即しているかどうかは誰も知りません。
 だからここは、
「青:ノックス第3条は、秘密の通路の存在を禁じているが、そのことと金蔵の書斎とは何の関係もない」
 これでOKだと思うのです。
 単にベアトリーチェが、
「金蔵の書斎に秘密の通路が存在することを禁じられ、それに抵抗することができない」
 と、勝手に思いこんだだけだと思うのです。


「赤:この部屋に、隠し扉が存在することを許しマセン」

 ドラノールは、それを許さないという意志を持ってるのでしょうから、命題としては真です(だから赤で言えます)。
 これに対する答えは、
「青:ドラノールが許すか許さないかは、この書斎の現実とは何の関係もない。ドラノールの許可不許可に関わらず、隠し扉は存在しうる」
 でいいのでは?
「許されない」と力強く言われたから、ベアトリーチェがああ駄目なんだと納得してしまっただけでは?


「赤:繰り返しマス。神の名において、そのような薬も機械も存在させマセン。未来永劫、存在することも許しマセン」

 これも。ドラノールの「存在させないという意志」や「存在を許さないという意志」は、金蔵書斎の物理的現実に影響を与えない。


 例えるなら、こうです。
 明日は大事なデート。でも空は曇り模様だ。わたしはどうしても、雨が降って欲しくない。
 だからこう言います。
「明日、雨が降ることを許しマセン」
 けど、わたしが許すか許さないかに関わらず、雨は降りえます。


 これって、以下のような問いかけだと思うのです。

 偉そうな肩書きを持った、何だか偉そうな人物が、「許しマセン」と言ったら、ああ許されないのだなと納得して受け入れるのか?
 あなたの意志や、あなたの主張や、あなたの願いは、
「偉そうな肩書きを持った、何だか偉そうな人物」が、大きな声で、ダメッと言ったくらいのことで、ひっこめるような程度のものなのか?

 何が「真実」かは、あなたが決めるのではなく、偉そうな人物の大きな声が決めるのか?


 逆に言えば。
 こうなります。
「存在させないという意志」「存在を許さないという意志」をドラノールは主張し、押し通し、認めさせることで、
 彼女は、「金蔵の書斎に隠し扉は存在しない」という「真実」を、作り出してしまったのです。


●赤字懐疑論再び

「赤字というのは、叙述トリックというより、物理的な事実とは真っ向から異なることを言っているかもしれないよ」ということを、わたしはネットの虚空にときどきそっとささやくのですが、ep5では、ずいぶん赤字を疑いやすい環境が揃ってきたな、と感じます。

 どういうことをわたしがふだん言ってるのかを、カンタンに説明しますと、「6本めのマスターキーがある」「ep3の南條は(赤字で否定されてるにも関わらず)朱志香が殺した」「ep1の夏妃は(生存者全員のアリバイを赤字が保証しているにも関わらず)朱志香が殺した」とか、そういうことを悪魔のようにささやいています。

 ミもフタもない言い方をすると、こう。
「“妾が赤で語ることは全て真実”というベアトの主張は、わたしの真実とは何の関係もない」
 もうちょっとふみこんで極論すると、
「“赤字の全てが真実だとは、認めない”という意志を明言し、主張することで、“赤字は必ずしも真実でない”という“真実”を作りだそうとしているのがわたし」
 みたいなことにも、なりますね。後者はあまり、力強くやってはいないんですけど。


 わたしはある時期から、
「赤字にはウソが混じってる」
 という言い方を、やめました。その言い方には愛がないからです。

「赤字には、やさしい嘘が混じってる」
 これならば、わたしはOKです。

 戦人は、
「魔法ってのは、やさしい、嘘、なのか?」
 と尋ねて、ワルギリアはそれを否定しませんでした。


 ベアトリーチェの魔法は、やさしい真実を作るための優しい嘘なんだと、わたしは考えているのです。

 子供を喜ばせ祝福したい。だからプレゼントを枕元に置いて、いないサンタクロースをいるものとして“見なす”
 さくたろうとお話したくてたまらない。だから命を持たないぬいぐるみを、生きてお話ができるものと“見なす”
 金蔵翁の望みに応じてあげたい。だから使用人みんなが、六軒島の夜の主ベアトリーチェが本当にいるのだと“見なす”
 なんとしても夫の危機を救ってあげたい。だから使用人たちと協力して、金蔵翁がまだ生存しているのだと“見なす”

 それが、魔法で。
 魔法とは、愛をもって“見なす”ことで。
 愛がなければ、“見なさない”……見えない。

 そして、
 魔女を存在させるために、不可能現象を存在させるために、6本以上あるマスターキーを、5本しかないと“見なす”。

 これもまた、魔法だと、わたしは考えて良いと思っているのです。
 これを魔法だと“見なす”のならば、
「ベアトリーチェは、魔法で密室を作った」は、命題として真です。

“赤字は必ずしも真実でない”ことを認めてあげることで、逆説的に、この物語を、
「どうしても手に入れたい望みを、“真実”にするために、必死になっている、ひとりの人間の物語」
 と“見なして”あげることができるようになるのです。
 そして、その人物に、「その真実を手に入れる手段」を与えてあげられる。
 わたしは、密室の謎よりも、「望む真実を手に入れる方法」のほうが存在して欲しいと思いました。

     *

 さて、先ほど、
「“妾が赤で語ることは全て真実”というベアトの主張は、わたしの真実とは何の関係もない」
 と言いました。

 わたし(=Townmemory)の真実とは関係ありませんけど、戦人の真実とは大いに関係があります。
 なんでか。
 わたしは、「赤が真実のみを語る」とは認めていませんが、戦人は、認めたからです。
 ep2で、ベアトリーチェが「赤は真実のみを語る」というルールを提案したとき、戦人は、
「ようし乗ったぜ、受けてやるぞそのルールッ!!」
 と言っています。つまりこのルールに合意しています。「赤は真実のみを語る」ことを認め、承認しています

 たとえば、将棋のルールを熟知したベアトと、将棋をまったく知らない戦人が、将棋で対戦するとします。
 ベアトが、「妾は二歩ができるが、そなたは二歩をしてはならない。そういうルールだ」と、ウソっこを教えたとします。
 もし戦人がバカで、「そうなのかー」と納得し受け入れたとしたら、その場では、そのルールが適用され、それでゲームが進みます。ホントのルールがそんなんじゃないとか、そういうことは、この場では意味をなしません。

 それって、以下のようなことと、相似ではないでしょうか。
 ep5の、幻想大法廷にて、
 古戸ヱリカが「自分は一晩中、壁に耳を当てていとこ部屋を監視していた」という真実を「提案」し、
 ベルンカステルが、「午前3時以降、いとこ部屋には不審なことが一切なかった」と赤字で「承認」した。
 そのことによって、それは「真実」として通用するようになった。

 提案され、合意されたことは、真実となる。



 わたしは、
「赤は真実のみを語る」の「真実」とは、その場における合意のことである。
 だから実際の物理的事象と一致しなくてもかまわない。
 という説を提唱しています。これです↓
 http://blog.goo.ne.jp/grandmasterkey/e/d289d6af1b438aabf7c43607825109dc

 そして、
「この物語は、“真実”という概念の正体を問うもの」
 という考え方で、うみねこを読んでいます。ここです↓
 http://blog.goo.ne.jp/grandmasterkey/e/4e3589905dba3c2579c4141e229bce4d


 ep5クライマックスの幻想大法廷のシーンで、
「この物語において、“真実”という言葉が、どういう概念で使われているか」
 が、かなり明らかになったと思うのです。

 あの幻想法廷における「真実」の定義とは、
「否定されなかった主張で、なおかつ、成立した対抗主張がないもの」
 くらいの感じじゃないでしょうか。

 夏妃は犯人ではないのに、夏妃犯人説が「真実」と呼ばれ、真実として通用するようなのです。
 ヱリカは、夏妃犯人説を主張し、細部にわたって検討された結果、否定されませんでした。
 それに対抗する戦人の対抗主張は、否定され、不成立となりました。

 ヱリカの主張は否定されず、対抗主張は不成立となったため、ヱリカの主張は真実であると“見なされ”ることに決まりました。

 ヱリカの主張が「ほんとの真実」であるかどうかは、問われないのです。
(というか、正確には、問う方法なんてない)
 真実とは、常に「我々はこれを真実と“見なす”が」という意味です。
 犯人ではない夏妃を、ヱリカが願望によって「犯人にしてしまう」のも、魔法です。だから彼女は、一時的に魔女の列に参加することを許された。

 ep2での、赤字のことも、これと同じだと思えるんです。

 ベアトリーチェは、「妾が赤にて語ったことは全て真実だ」と、主張しました。
 その主張は、戦人によって否定されませんでした。
 戦人は、「赤字は真実とはいえない」という対抗主張をしませんでした。むしろ「使用人を疑いたくないから、赤字が真実であり、マスターキーが5本までであってほしい」とすら願望したのです。

 これにより、「赤字に虚偽が混じっていたとしても、“赤で語られたことは真実だ”が、真実であると“見なされ”る」ようになった。それは唯一の真実として、通用するようになった。のだと思うのです。


 だから、ポイントは対抗主張なのです。
 ep5幻想大法廷において、オーラスで戦人は、「俺が犯人である」という対抗主張を提示しました。
 これは夏妃犯人説とは真っ向からぶつかるものです。
 戦人は人を殺していませんから、戦人犯人説は物理的な事実ではありません。
 けど、それは問題ではありません。

「戦人犯人説」は、検討された結果、否定されませんでした。つまり成立しました。
 ヱリカの夏妃犯人説も、否定されず成立してはいますが、同レベル以上に成立した戦人犯人説という対抗主張が存在する以上、「真実」の定義を満たしません。
 よって、ヱリカの夏妃犯人説は、真実ではなくなったのです。
(正確には、唯一の真実ではなくなり、採用されなくなった)

 ということは、
「赤で語られたことは必ず真実だ」という主張に対して、「赤で語られたことは必ずしも真実でない」という対抗主張をする者がいたら、それは唯一の真実としては通用しなくなります。
 ep2のあの段階で、戦人がそれをしていたらきっとよかった。
 でも、戦人はそれをしなかった。
 だから、彼の代わりに、遠くから、その対抗主張をしているのが、わたしです。
 そして、なんと、仮に「赤で語られたことが全部ホントにマジで真実だった」としても、そんなことは問題ではないのです。
 マスターキーが本当に5本しかなかったとしても、6本目の存在を真実にしてしまう方法を、わたしは実行しているのです。


 ネット上のいたるところで、何人かの人が、
「赤字を信じられないとしたら、真実を推理することなんてできない。だから信じる」
 というスタンスを表明しているのを見ます。

 でも、「真実」が、上で述べたような性質のものだとしたら、どうでしょう。


 戦人は、幻想法廷で、いみじくもこうつぶやいています。

「本当の真実なんて、存在するのか…? そしてそれは、必要なものなのか……?」


 前に書いたことを、もう一度。
 何が「真実」かは、あなたが決めるのではなく、ドラノールとかいう偉そうな人物の大きな声が決めるのか?

 真実は、あなたが決めるのではなく、ドレスの女の赤い文字が決めるのか?
 真実は、妾が決めるのではなく、冗談みたいな髪型をした赤いシャツの男が決めるのか?
 真実は、探偵気取りの女の子が決めるのか?
 真実は、裁判官気取りのピンクの魔女が決めるのか?

 つじつまの合ういくつもの真実の中から、あなたは何を選びたいか。

 それが問われており、それがこのゲームの「推理」だというふうに、わたしは理解しています。


 さて、ここまでの大量の赤字論議を、なんでわざわざ書き付けたかと言いますと、

 次以降のエントリで、「古戸ヱリカは犯人ではない」という赤字をガン無視して、「古戸ヱリカ犯人説」を検討していきたいからです。


 続きます。


 続き→ ep5初期推理その3・新たな連続殺人者
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ゲームとしての本作の解釈についてなど (Erlkonig)
2009-08-22 14:34:15
 はじめまして。ブログでうみねこの考察などをしている者です。
「さいごのかぎ」はときどき拝見させていただいています。単独でこれだけ大規模な考察を構築している論者はなかなかいないと思うので、凄まじさを感じつつ追いかけさせていただいています。

 この記事だけでも膨大な要素があるので、総論は押さえきれませんが、気になった一点についてコメントいたします。

 まず前提として、作中「今回のゲームマスターはラムダだから、ベアトも真相を知らない」という説明があります。また、駒を配置し、「愛のないゲーム」を演出したのがラムダである以上、今回のゲームの展開を創作したのはラムダだと言えます。つまり、上位世界の認識というレイヤでは、個々のゲームで発生する事件は「ゲームマスターが創作するもの」であるわけです。

 そして、ベアトのゲームにはルールがあるため、ゲームマスターはそのルールに沿って駒を配置する=事件を創作することになります。ルールに沿わなかった場合、それはGM側のルール違反ということになります。あくまで魔女たちの視点からこれを見るなら、「現実はフィクションの約束事に準ずるべきだ」とするのは話が逆で、「ゲームのルールを元に、ゲームの駒を配置した」となるわけです。
(もちろんこれは上位レイヤの認識の話なので、下位世界の登場人物が「現実はフィクションの約束事に準ずるべきだ」とか言いだしたらそれはフィクションと現実の区別の付かないただの間抜けです。けれど下位世界では、古戸ヱリカすらそんな無茶は言っていません。彼女が下位世界のレベルでしているのは、「もの凄く頑張って証拠をかき集める」という地道な作業だけで、ノックスに関して無理矢理議論をねじ曲げたことはなかったと記憶しています。この辺りは、慎重に「出来ることと出来ないこと」を区別した結果のように思います)

 よってノックスの十戒については、「ベアトの創作したルールの中にノックスの十戒が織り込まれていたかどうか」が争点となります。そんなルールはなく、ベルンが一方的にそれを主張しているだけなら、ベルンの言動は暴言ということになるでしょう。

 本題です。十戒を赤字で真実と宣言するのはベルンの一方的な決めつけだとありますが、EP5作中にはベルンカステル以外がノックスについて重要な言及をするシーンがあります。幻想法廷での敗北後、一人ノックスの十戒について思索する戦人のシーンです。

 ここで語られる内容の論旨は、「読者と作者の間」=「戦人とベアトの間」に信頼がなければ、推理ゲームは成立しないという主張です。(これは当然、「プレイヤーと竜騎士07の間」の関係をも暗に示しています。あまり何でもかんでも作者の意図を断定的に読み取るのはよろしくないと思いますが、今回はこれだけあからさまに書いてあるのでまあいいかなと)

 作者には「読者に謎を解いてもらいたい」という意思があるはずで、読者の側もそれを信じる必要があります。作者を信じることができない読者は、たとえばEP2でちょっと幻想描写が出てきただけで「作者は何も考えておらず、推理しても無意味な作品なんだ」と推理を放棄するわけです。そこで思考を停止しなかった読者だけが「シュレーディンガーの猫箱」等、その先の段階に辿り着くことができる、このシーンは本作のそういう構造のことを言っているのだと読み取れます。それが最終的に、両者の間に愛がなければゲームは成立しない、「愛がなければ視えない」という本作のテーマにも繋がるわけです。

 二人の間にある信頼とは何か、というところで引き合いに出されるのが、ノックスの十戒です。「ノックスの十戒が常に真相に適応されるとは限らないが……」との断りを入れた上で、ですが、ワルギリアは次のように説明します。「少なくともベアトリーチェは、戦人に"解いてもらいたい"と思ってこの謎を提示した」はずだと。そして戦人は、その謎を解く手掛かりとして(常に正しいという保障はないものの)ノックスの十戒を前提に推理するのは有効な手段だろう、と考え、その結果として黄金の真実に辿り着きます。

 つまり、ノックスの十戒はベルンが勝手に持ち出した横槍ではなく、ゲームの創作者であるベアト自身が最初からルールの中に組み込んでいたもので、それをベルンが応用したと考える余地があるのかなと思います。少なくとも拡張ルールとして、ドラノールが登場してノックスの十戒を振るう余地はゲーム設計段階でベアトが用意していたのかなと。
 ついでに言えば、これは赤字に関しても同様で、「ベアトの作ったルール」である赤字を信じることが、つまりベアトの「解いてもらいたいという思い」を信じることになるのかなと。

 インタビューの竜騎士さんの言によれば「六軒島の現実はひとつ」なので、そういう意味では相矛盾するEP1~EP5のうちの最低4つは現実に反するものであり、それについて述べた赤字は明らかに「真実でない」ということになるでしょう。そういうレベルで、赤字が虚構なのは明白です。ただ、Townmemoryさんが繰り返されているとおり、本作が「嘘か事実か」だけを重視する作品でないのは合意が得られるところと思いますし、その上で想像する「猫箱の中身」のバリエーションとして各ゲームが設定されていると考えれば、「赤字が真実に反するかどうか」という問題意識と異なる視点が展開できると思います。

 ひぐらしの部活パートから分かるとおり、竜騎士さんはかなりのアナログゲーム通です。うみねこでも本作をゲームにたとえる描写は多々あり、EP5でこれまで以上にその概念が重要視されはじめ、おおっぴらにゲームマスターという言葉まで出てきました。そういうレイヤからの視点を持てば、ここで提示されているいくつかの疑問点が解消されるかなと思いコメントいたしました。なお、以上のEP5に関する内容は全て私の記憶を元にした解釈なので、「」内の言葉は作中の原文をそのまま引用したものではありません。ご了承ください。
返信する
コメントありがとうございます!(長いですすいません) (Townmemory)
2009-08-23 01:52:16
●Erlkonigさんへ

 はじめまして。魔王14歳さんですね。存じております。ブログも拝見しておりますよぅ。Erlkonigさんがはてなブックマークに入れてくださったことで、このブログ(さいごのかぎ)はかなり読者数が増えたような感じがします。ありがたいです。


 まずルールについて。そもそも、ルールというのは、所与のものなのでしょうか。たとえば「ベアトリーチェのルールブック」といったもの(確定されたルール)があらかじめ存在し、ベアトもラムダも、それに従ってゲームを構成しているのでしょうか。
 わたしは、その考え方を採りません。
 ルールというのはすべて、提案され、合意されることで初めて有効になるものだと、わたしは理解しています。
 野球にはルールブックがあって、書店に売られていますが、あれはプレイヤー全員が、「ルールブックに従う」という暗黙の合意をしているから、初めてそこに権威があるのだと思うのです。法律もそうで、新しい法律は、「この新法に従う」という社会的合意があって、初めて有効になります。

 麻雀や大富豪にはいくつか特殊ルールがありますが、それはゲーム前に「これとこれがアリ、これはナシ」と、あらかじめ合意を取るのが普通です。不合意のままゲームを進めて、「実はこのルールありだもんねー」と誰かが言ったら、ふつう抗議される(つまり対抗主張が生じる)はずです。

 戦人は、「固定されたルールが、ルールブックみたいにあらかじめ存在する」というふうに、どうも思いこんでいます。そのように思いこませたことが、トリックだと思うのです。
 そうではなく、このゲームのルールは、対話の中で、随時作り出されていく(成立していく)ものだと、わたしは認識しています。

 戦人には、ルールが開示されていないのだから、戦人は(ゲーム開始時には)まだ、どのルールにも合意していなかったのです。
 いくつかの局面で、「こういうルールがあるんだもんねー」という意味のことを誰かが言い出したとしても、戦人が合意しない限り、無効です。あくまでも、相手が「そういうルール」を提案しただけのこと。ミモフタもない言い方をすれば、「そう言い張っただけ」です。
 でも、戦人はわりと素直で、「畜生、そうなのか……」みたいにするっと受け入れます。(ep5では、戦人がプレイヤーでない・不在であることによって、いくつかのルール提案が素通しになりました)

 そこでベルンカステルなのですが、彼女は、
「このゲームはミステリーである」
「六軒島における現実は、フィクションの約束事に従う」
 というルールを「提案」したのだと思うのです。

 ベアトリーチェのルールブックに、「このゲームはノックス十戒に従う」という条項があったかどうかはわかりません。でも、あってもなくても、どっちでも良かったのだと思うのです。
 ベルンカステル(あるいはドラノール)は、自分のターンの自分の行動を通じて、そういうルールを提案し、ラムダデルタに認めさせた。だからそれ以降、このゲームは、ノックス十戒に従うものとして進むようになった。金蔵の書斎に隠し扉があろうとなかろうと、「ない」ものとみなして話が進むことになった。

 そういうことだと思うのです。
 もし、ゲームマスターがベアトリーチェだったら、そんな提案はしりぞけたかもしれないし、マスターがラムダであっても、プレイヤーが戦人なら、それに疑問を抱けたかもしれない。

 ついでに思いついたので書きますと、「黄金の真実」も、そうだと思うんです。
 あれは、ゲームを理解した戦人が、
「黄金の文字は真実を語るッ!」
 というルールを「提案」したのだと思うのです。

「カケラの領主のみが使用を許される黄金の真実というものがある」
 という条項が、ルールブックに記載されていたわけじゃないと思うのです。

 戦人は、黄文字について、何も語っていません。ただ彼は黄色い字で言いたいことを言っただけです。
 黄文字を最初に有効だと認めたのはドラノールで、次にラムダデルタでした。
 この2人は、「黄文字の権威(真実性)」をまず認めた。つまり、「黄文字は真実を語る」というルールに合意しました(ルールとしての成立)。
 そのあと、この2人はよってたかって、「これは領主の特権である」とか「時として赤字にまさる力を出す」とかいう解説を加えました。つまり、「黄色い字」という単なる現象に対して、幻想描写を上書きしたのです。

 そもそも、ドラノールの言う、「この質問に限り、赤字による保証を禁ずる」が、不自然です。そんなことをして良いのか? そんな権限が存在するなら、事実上すべての裁判で、何が真実かをドラノールが決定できます。
 だから、まずこの禁止は、ドラノールが吹いてるだけで権威のあるものではない。
 その上で、何でそんなフカシをしたか。
 これは、「本当に戦人が、このゲームの真実に到達しているのだとしたら、必ず別の色の字を使って反論してくるはずだ」というテストだったんだ、とわたしは考えてます。

 ルールというのは、提案と合意によって、随時追加が可能である。
 真実は、提案と合意によって、随時上書きが可能である。

 この島の真実に到達したのなら、そのことを認識しているはずだ。認識しているなら、それを使用して危機を脱することができるはずだ。
 そのテストへの合格を、ドラノールとラムダデルタは認めた。のだと思うのです。

 ラムダは戦人に、「これ以上の論述はヤボだから不要、戦人犯人説は詳しく聞くまでもなく成立していると認める」みたいなことを言いますが、これは、戦人の説をラムダが読み切ったという意味ではなく、
「真実を自らの手で作り出す、という境地に到達しているのなら、戦人犯人説は聞くまでもなく成立しているだろう。なぜなら真実を作り出せるのだから」
 という意味に理解しました。


     *


 余談にズレた結果長くなっちゃいましたね、すいません。
 以降、「本題」について。

 ドラノールがいったい誰の幻想なのか、という点については、正直わからなくて、まだ判断していないのですが(ベアトベルンラムダの三択だとは思うのですが)、「作者と読者の信頼関係」「ベアトと戦人の信頼関係」というくだりについて、これは疑っていません。かなりの部分、作者の本心が出たシーンだろうと思います。

 ただ、「ベアトと戦人の信頼関係が、必ずノックス十戒のかたちを取らなければならない」という必要もないかなと思うのです。信頼関係のことと、ノックス十戒のことを、イコールでつなぐには、もう一つ二つ、補助線が必要になりそうです。
 われわれの現実世界の、探偵作家と読者との信頼関係も、べつに常にノックス十戒ではありません(そうでない場合のほうが多そうです)。同様に、ベアトと戦人のことも、別にそうでなくてもいいかなあ、と、ぼんやり考えてます。

 たとえばこうでもいいんじゃないでしょうか。
 戦人は、「自分とベアトの間の信頼関係」について考えた。その信頼関係って具体的にどんな形だろう。仮にそこに「ノックス十戒」を当てはめてみる。そうすると間尺が合わないところが出てきた。「ノックス十戒ではない」という情報が得られた。にもかかわらず十戒が正しいように話が進んでいるのはなぜか。十戒のかわりに代入すべきものとは何だろうか。考えた末答えにたどり着いた。
 赤字についても、
 戦人は、ベアトを信頼しようと思った。そこで赤字をすべて信じるという仮定で思考を進めた。すると平仄が合わない。どこが合わないのか。どうすれば合うようになるのか。そう考えた結果、「赤は常に真実」という仮定に代わる代入物を思いついた。

 これはまさにわたしが辿った思考の流れなのですが、これはこれで、「信頼のなせる結論」と呼んで、さしつかえないとわたしは考えています。
 信頼を軸に、思考を進めた結果、「解であるように提示されたものが実は謎であった」という結論が得られた。そういう理解なんです。ちょっと素直でない理解だなあと自分でも思うのですけれど。


 さらに余談に流れますが(ごめんなさい)、わたしは、「うみねこは解ける」ということを疑ったことは一度もないし、同時に「赤字はときどき事実を言ってない」と思っているのです。作者を信頼し、同時に赤字を疑っています。そのふたつをイコールにしていないのです。
 わたしがささやいているのは、一言にまとめると、
「疑う余地のない条件、とされているものは、本当に疑わしくないのか?」
 ということなんです。
 その「疑う余地がない」という保証は、誰が、何の権威によって与えたのか。その権威に、わたしが従わねばならない義理はあるのか。境界条件を決定する権利を、その権威に明け渡してもいいのか。
 これは、「見えないところに、より深い謎がある」ということを、わたしが「信じた」結果、見いだせたものだと自負しているんです。
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お返事ありがとうございます。 (Erlkonig)
2009-08-23 10:56:24
お返事ありがとうございます。

>ただ、「ベアトと戦人の信頼関係が、必ずノックス十戒のかたちを取らなければならない」という必要もないかなと思うのです。信頼関係のことと、ノックス十戒のことを、イコールでつなぐには、もう一つ二つ、補助線が必要になりそうです。

 これはその通りで、作中でもノックスの十戒を保障するということは断定されておらず、むしろ「それが保障される場合もあるかもしれない」という作者からのエクスキューズが強調されていたように思います。

 ルールの同意についての不鮮明さについても同様で、これも今以上に何かを断定できるようなところはなさそうです。私としては、

・ゲームは厳密なルールに従って運用した方が面白い
・竜騎士07士には「作品を面白くする」という目的がある

 というあたりで、「赤字を信じないと推理の手掛かりがない」というよりは「両者の同意の下にあるルールに従った方が、遊びとして面白い」という考えがあります。けれどこれも、いくらでも別の考えを提示できる話ではありますし、それ以外の可能性を全く度外視するのもよくないだろうとも考えています。

 ゲーム盤上で後から配置された個々の事件のの話に限定すれば、ルールに反する事象は単に「ルール違反」という扱いになるのだろうと思いますが、特に「1986年の六軒島の唯一の事実」自体はゲームのルールに先行して存在するはずです。最終的にはルールの枠外のことに考えを及ぼさざるをえない展開になることが予想できます。ですので、ある段階でゲーム盤の上の理論から離れた考察は後々必要になってくるのろうと思っています。
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Unknown (Townmemory)
2009-08-23 21:32:40
●Erlkonigさんへ

|・ゲームは厳密なルールに従って運用した方が面白い

 あ、この差違はおもしろいなと思ったのですが、わたしは正反対で、竜騎士07さんという人は、
「こんな方向に話が展開していったら面白いな」
「じゃあ、そういう展開を許す新ルールを導入しよう」
 というタイプの作り手だと認識していました。

 所与のルールの中で解法を探すアプローチは古手梨花・ベルンカステル式解法で、自分の望む解を手に入れるためにルールを変更するというアプローチが鷹野三四・ラムダデルタ式解法なんだ、というエントリをいつだったか上げたことがあります(どこだったかな)。
 Erlkonigさんとわたしの(ルールに対する)アプローチの差は、たぶん、ゲームの中にすでに想定されている気がします。


 些細なことながらもうひとつ。わたしは「六軒島の現実はひとつ」という認識をもっていません。
 これは、たとえばep1が現実なら、それ以外は現実ではないというような立場は取らないという意味。全エピソードは、それが起こった時点で全部現実、という見かたです。
 ep1~5までとも内容が異なる、「原・六軒島連続殺人事件」というものは存在していいと思っていますが、それの扱いは、ep1~5とまったく同じ(優位性がない)と考えています。竜騎士さんが言う「六軒島の現実はひとつ」は、これとは別の意味だろうと思っています。
 カケラ世界シリーズはお読みになったかしら。もしご興味があって、お時間があれば、長いですけど、どうぞ。
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Unknown (Erlkonig)
2009-08-24 21:10:47
>「じゃあ、そういう展開を許す新ルールを導入しよう」
 これはあると思います。私のサイトの方でもEP5を「拡張ルール投入」と表現したので、カードゲームのエディションが増えるごとに新ルールが追加されていくような趣向がうみねこにはあると考えています。

 ただし、「ジャンケン一本勝負」と最初に「約束」した上で負けた側が、後から暴力をちらつかせながら「やっぱり三本勝負な」とか言い出すのはつまらないな、と思います。ルール拡張は面白いですが、それ自体も両者の信頼・マナーの上で、という感じです。
(ですから、ノックスとか黄金文字とかの話が出てきた時は、後付ルールですが面白いなと思いました。相応の面白さを伴うなら、赤字の否定という展開も期待したいし、そのうち何らかの形でそういうことはありえそうだなと思ってはいます)

>「六軒島の現実はひとつ」
 これは語の用法の違いだけで、ほぼ同じ認識をしていると思いました。私が「六軒島の現実」と言ったのは、Townmemoryさんの言う「原・六軒島連続殺人事件」のことです。「カケラ世界」で主張されているとおり、カケラ世界は無限に存在し、しかも基本的に等価だと考えます。だからこそ、「赤字が真実に反するかどうか」という発想も一面で無意味になりうるとも思うわけです。(どんな命題でも、それが真実になるカケラ世界が探せばどこかにあるはずですから)

 そして、各エピソードの「現実」は、少なくとも魔女視点ではゲームマスターが駒を配置することによって生じる(ベルン風に言えば、無限のカケラ世界の内のひとつが選びとられる)ということが作中で繰り返し説明されています。(これは、下位世界の誰かの視点で、その人が主体となって行動した結果として物語が生まれるという考え方と矛盾しません。作中の幻想シーン同様、写像的に重なった同一の因果関係を説明する際の描写方法の違いです) ですから、「"この現実"はルールに合わせて存在する」というベルンの見方は、この場合おかしな論法というわけではないのだろうなと推測したわけです。
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偽赤字 (fragment)
2010-02-28 15:00:54
はじめまして。
いつも楽しく拝見させて頂いております。

「妾が赤で語ることは全て真実」とベアトが宣言したことについてはどうお考えなのでしょうか?
ベアトの赤字だけが正しくて、それ以外の人物が語る赤字には虚偽が存在するというルールはあると思いますか?

EP5は、ラムダとベルンがゲーム盤を乗っ取るため、本来のルールには無かったノックスを持ち出して戦人を負かそうとしたのではないかと考えています。
偽赤字を使用したマッチポンプの可能性もあるのではないでしょうか。

エリカがEP5の真犯人だった場合、偽赤字で元々無かった偽ルールノックスを用いると絶対に真犯人にはたどり着けません。
EP1~4も戦人が犯人だった場合、ノックスを用いると絶対に解けません。

EP5もノックスも、ベアトが関与していない偽赤字によって作られたものであり、最初から解けないように作られていたものではないでしょうか?

戦人が辿り着いたものは、
ゲームはノックスでは解けない。
ベアト以外の発言には嘘が混じっている(もしくは全て嘘)
ベアトが相手じゃなければ自分でも金字などのルールを作れる。
ということではないでしょうか?

この考えだとベアトが相手でなければ、
ゲームを理解したと嘘がつける。
筋が通ればゲームマスターとしてゲームを作れる。
真実を欺く偽ルールを作れる。
ということになってしまいますけど。


推理に本格的に参加したのが最近なので、既に議論し尽くされた話題だったら申し訳ないのです。
長文作成は苦手ですので説明不足がありましたら付けたします。
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Re:偽赤字 (Townmemory)
2010-03-04 05:17:15
●fragmentさんへ

 こんにちは。わたしは、ベアトが「妾が赤で語ることは全て真実」という「嘘」をついたと思っています。赤字は、誰が言ったものであっても嘘混じりだと思います。

 ベアトと戦人のゲームは、「赤字で嘘を言っていることが見破れるかどうか」というゲームだった、というのが、わたしの基本的な考えです。
 ベアトリーチェは、「赤で語ることは真実」と保証しておいたうえで、赤で嘘を言う。
 このギミックを使えば、ベアトリーチェは存在しない真実を作り出せます。存在しない真実を作り出せるということは、現実を変えられる、夢を叶えられるということになります。赤字は、ベアトリーチェが自分の夢を叶えるためのギミックだったという解釈です。

 Ep6のゲームマスター戦人は、ベアトリーチェがついたはかない嘘を、身を挺して守ろうとしている優しい男だ、というのが、わたしの見方です。
 ところがベルンカステルなどは、「自分の意見を押し通す道具」として赤字を使っています。そのへんで、ベアトの赤とベルンの赤は印象が違う、という手触りが生まれていると思います。


「このゲームはノックスに準じていない」は、その通りだと思います。このゲームは基本的に「存在しないルールを存在するかのように見せかける」というのがメイントリックだと思います。「赤字は真実」も、実際には存在しないルールだと思ってます。


 より詳しくは、目次2の「赤文字論」の項目をどうぞ。
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愛を信じたい (fragment)
2010-03-04 14:50:12
「赤文字論」を改めて読み返しました。

「真実とは、その場における合意である」
確かにその通りだと思います。
相手が信じてくれさえすれば嘘でさえも真実となる。
つまりは幻想描写の文字化ですね。
絵は信じないのに文字は信じる。
確かにおかしな話ですね。

ベアトと戦人のゲームは、「様々なノイズが存在するがそれに惑わされずにベアトを信じることができるか」というゲームだった、というのが、わたしの考えです。

それは、ベアトが戦人に認めてほしいと願っているからです。
ベアトは戦人に認めてほしい、歩み寄りたい。つまりベアトから戦人には愛がある。
愛してほしいと願うならば自分が愛していることを相手に知ってもらわなければならない。

ベアトから戦人への愛の証明が赤字であったと考えています。

ベアト以外の赤字に嘘が混じっていると考えるよりも、ベアトだけは最初から嘘をついていなかったと考えると奇麗じゃないでしょうか?

ちなみに私なりの結論が出るまでEP6はやらないつもりなので戦人が戦人とベアトの愛についてはまったくわかりません。


逆に存在するのにしないように見せかけているルールはあるんですかね?
事件が発生するルールがひぐらしでも重要でしたし。
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Re:愛を信じたい (Townmemory)
2010-03-04 16:05:21
●fragmentさんへ

「ベアトだけは最初から嘘をついていなかった」というアイデアですが、わたしはこの考え方をとりません。相手を信じる、相手を信頼するというのは、必ずしも「相手のことばを額面通りに受け取る」ことを意味しないと考えています。
 これは重要なトピックだと思っているので、そのうち記事化する予定があります。
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