NHKの朝ドラになった「アンと花子」の主人公村岡 花子氏は、大東亜戦争の前に、東京のあるミッションスクールで苦学して英語を学んだ。 そのドラマに当時の英語の授業が再現されていた。 詳しくは覚えていないが以下のようなものだった。 生徒達に教師が「過去形で、未来形で、進行形で、現在完了形で」などと指示していた。 生徒達は、あらかじめ配られた以下のような英文を元にして声をあげていた。 以下の英文はこの場面の正確な記憶がないので私の想像だ。 I get up early. I take off my clothes I put on his pajamas. I wash my face. I have breakfast. など10個の英文を変化させていた。 教師が、「過去形で」「未来形だ」「進行形で」「現在完了形で」、あるいは「主語をSheに変えて」といったものもあったと想像する。 ミッションスクールでの彼女たちは、これらの英文を丸暗記せざるを得なかった。日本人の英語教師からはその日本語の意味を教えてらったりすることらあっただろう。あるいは友達から「先生が朝にやってきてGet up!とかTake off your clothes!と言っていたよ。get upは「起きる」という意味だよ」などと教えてもらったり・・・・。 一方ミッションスクールでない、大半の公立学校では英語教師は五文型理論で教えていた。ちなみにこの理論は、アメリカ人のOnion氏によって創られたが、すでに明治時代に日本の英語教育に導入されていた。 彼の教えを守る英語教師は、get up、take off my clothesなどは、「熟語だ、慣用句だ」言って丸暗記しろと逃げる。理由はこれら方位語でなる動詞フレーズは五文型では説明がつかないからだ。そもそも英語の日常会話の70%以上が方位語を含んだ表現なのにその説明を放棄したということだ。
さらに強調したいのは五文型理論がもたらした弊害だ。 wash my face やhave breakfastのフレーズに注目して欲しい。 この文型になると、英語教師はやたらと元気になる。 I wash my face.はSVOの文型で、「私は 洗う 私の顔を」となるのだ、と。 英作する場合もこの順序でするなり、と教える。 いつの間にか、英語発想を教える場から日本語発想を教える場へと変わってしまっていることに気づくべきだ。 ここで私たちの先人のことを思い出してほしい。日本は昔、漢文の影響を受けてきた。しかし彼らは漢文の語順(英語も同じ)である「我は 読む 書を」を「読書する」にした。つまりread a bookにしたのと同じだ。あるいは「商いを営む」を「営業する」といったことだ。
さて五文型理論の弊害は、「何かをゲットする」「何かをキープする」「何かをメークする」といったおよそ英語発想とし異なる日本語の発想を持ち込んだことだ。 まさに「緑の小池」や「ルー大柴ヶ状態だ。 簡単に言うと、英語の発想であるget somethingが身についていればget money、get the first prize、get a young girlなど表現が増えていく。 一方て、make somethingでは、make moneyだと「金儲けをする」、make a face「顔をしかめる」、make a long face 「渋い顔をする」、make up one's face 「化粧をする」など。 ちょっと考えても、いくらこれらはSVOの文型だと説明されても、これらの日本語訳から英語表現をするのはほとんどムリだろう。