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地中海珍道中31~スリ現場

2013-07-20 | 日記
当ブログ、地中海の旅写真を遡って新たにドンドン挿入しています。
携帯からのコラムだったので、舌足らずの部分は加筆訂正しています。
良ければ、遡って再読していただければ、と思っています。
    ◆    ◆    ◆
9900㌔離れたオランダ・アムステルダムから11時間。
地球1周が4万キロというから、約4分の1周して日本に帰ってきた。
正直、まだまだ徘徊したかった。
あの忌まわしいスリ事件がなければ、だ。
【写真下は我がバッグ】
だが、人生は旅そのもので「レバ、タラ」はつきもの。
「まあ、そろそろ、アンタも日本に帰った方がよろしかろう」ということだったのだ、と理解する。
【写真下は被害現場?】
まあ、この齢64なので「もう一度」といっても、なかなか経験できる徘徊ツアーではなかった。
今回は二女のハネームーンをきっかけに飛び出た。
次回は長女と「アメリカはどうや」と。
出発前は快い返事だったが「行こう!行こう!」から「遠慮しとくわ」に今ではなってしまった。
家族に大いなる不安を抱かせたようだ。

アムステルダム→リスボン→コインブラ→ベレン→リスボン→マドリッド→バルセロナ→タラゴナ→フィゲラ→シッチェ→バルセロナ→パリ→ニース→ベネツイア→ローマ(バチカン市国)→ナポリ→ポンペイ→フィレンツエ→ローマ→バルセロナ→アムステルダム

ひと月余。バチカン市国を入れれば「6か国」の徘徊だった。
娘にもらった高級財布をやられたので、イタリア・フィレンツエでは本社ボッタカベネッタを訪問した。
「アホやなあ、お父さん」
日本で嘆く長女への”罪滅ぼし”(なっていないか)
やはり、64歳の徘徊旅でのハイライトは、niceニース事件だった。
イスマエル・アギラ・フェルナンデス、ナオコ夫妻がいなかったら、どうなっていたか。
【▲ニースのビーチ前のレストランから】
ポッケには10ユーロ札と小銭。
いくら数えても日本円にして1700円ほどしかない。
日本まで1万3000㌔の距離をどうしらいいのか。
途方に暮れていた。
当ブログ「月光仮面」の中でも記したが、今思い返しても寒気がする。
日本に帰って喫茶店でさえ、隣の椅子にカバンを置き思わず膝に戻した時は自分でも笑ってしまった。
業界の大先輩カメラマンに、このことを話すと笑うどころか、体験談を話してくれた。
「列車の個室(コンパートメント)で一人寝ていて、起きたらカバンごとなくなっていた。探したら隣の部屋にカバン。財布だけ抜かれて置いてあった。隣は空席で鍵がかけてあった。開けられるのは車掌だけ。どうしようもなく、イタリアからアムスのキャノン支店へ行って20万円借りたよ。日本人はええカモになってるなあ」
【▲ニースのビーチ】
よくある話のようだが、今回はネットと旅に詳しいイスマ君の素早い動きで助かった。
被害に遭って即、バルセロナからニース駅前の郵便局ウエスタンユニオンに送金された。
一度の海外送金限度額は500ユーロ(約6万円)。
【▲受け取った〒局】
翌日には同額を送金してくれた。
イスマ君は、自身がアフリカ出張の際にも、夫人にアドバイスして3度目の送金に骨を折ってくれた。
徘徊を続けられたのは、まさにこの「月光仮面」のお蔭だった。
「日本にはこのウエスタンユニオンという組織はないけれど欧州にはある。僕も初めて試みたけど、うまく行ってよかった」
再会した時、自分のことのように喜んでくれた。
バルセロナで滞在したHOSTAL HILL上村正巳オーナー夫妻の日本口座には、家人に頼み「40万円」を緊急に振り込んでもらった。
受け取る術がなかったからだ。
緊急避難とはいえ、一時的とはいえ、出金は申し訳なく早く返したかった。
あちこちに、迷惑をかけての長逗留は忍びなかった。
もっと、もっと、徘徊を続けたかった。
ギリシア、カンヌ、カプリ、グラナダ、スペイン北部、ベルリン・・やまほど行きたかった所があった。
それが本音だったが、あのスリ事件はハートにも堪えた。
帰国後も、カード復活、口座、運転免許証、保険証などの再発行手続きに走り回っている。
ニースのスリ野郎!
「ええカモだったなあ」と今頃は美味いもん食ってるんだろうな。




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