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阪神大震災21年 神戸は本当に復興したのか?

2016-01-17 | 日記
戦争を知らない世代だけれど、震災を知る世代ではある。
1月17日と3月11日。
日常が突然に破壊される恐怖。
阪神淡路大震災は45歳の95年。
東日本大震災は61歳の11年。
当時、産まれた神戸の子供たちはもう成人した21歳。
メディアは鎮魂の記事で溢れる。
若い記者たちは、もうリアルな記憶はない。
古い資料をひっくり返し、残る映像でにわか勉強しただろう。
人生が一変する、という意味で震災ほど怖いものはない。
神戸元町で米穀商を営む叔父(母の弟)も悔しさを隠さない。
自宅ビルは損壊を免れたが商売は、右肩下がりとなった。
なぜか。
米を仕入れてくれていたお得意様の飲食店が壊滅したからだ。
老舗であればあるほど結び付きが固い。
震災がそれを断ち切った。
神戸は復興した、と、いう。
だが、コツコツ経営していた老舗飲食店は立ち直れなかった。
高齢の経営者にとって再建は苦渋を極めた。
後継者がいればいいが、大抵は気力をなくし手放した。
もろに打撃を受けたのが叔父の商売だった。
古い付き合いが一転してしまった。
順調に暮らしていた日常が崩れ去る。
付け加えていうと、叔父は疎開先の長崎で被爆している。
「いやあ、ピンピンしてるよ。悪いところはない。お酒だけが楽しみ」
今でも大きな米袋をかつぎ、自動車を運転している。
母のきょうだい(5男3女)8人のうちで一人残った。
被爆、大震災を潜り抜けた叔父は、すでに米寿。
生きているだけが丸儲け。
奇跡の復興の陰で、なお引きずる人たちがいる。
地震予知とはいうけれど、いざ、となれば動けない。
「こんな大地震はもう二度とない」
阪神大震災の時に思った。
ところが、それからわずか16年後。
1000年に1度という、あの大震災に遭遇した。
叔父の店に程近いメリケンパークに震災当時の港が保存されている。
地面を突き上げた1月17日5時46分で時計は止まっている。
神戸市役所南側の公園入り口。
震災発生時を刻む時計を抱えた像を、保存している。
写真がその痕跡を今なお、とどめている。
火山列島、地震列島に住んでいる。
そのことを思い知らされる忌念日でもある。


1 コメント

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Unknown (ボス)
2016-01-17 16:34:44
思い出したくないけど、忘れてはいけない出来事だと思う。

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