日々礼讃日日是好日!

まほろ界隈逍遥生々流転日乗記

九月の都電、小さなセンチメンタル・ジャーニー

2017年09月29日 | 旅行
 ことしの九月が過ぎていこうとしている。先月末からいつになくいろんなことがつぎつぎと起きては過ぎ去っていった日々だった。なんだか慌しくもあり、そのなかで忘れない情景の中の時間と記憶を振り返ってみる。

 ほんとうに久しぶりで都電に乗って、雑司kヶ谷鬼子母神を訪れる機会がああった。遠路はるばる友人が来てくれて、新宿駅南口構内のドトールコーヒーショップ前で待ち合わせる。さきに到着していた友人は、髪を短くしえてさっぱりと、白いrシャツにロングスカート姿がまぶしい。お互いに笑顔をあわせると「急いできて暑かったの」と、背中にいっぱいの汗。それからいっしょに山手線で恵比寿へと向かう。前から訪づれてみたかった東京都写真美術館で開催中の「荒木経惟 センチメンタルな旅 1971-2017-」を見てまわる。途中のコーナーには、自宅ベランダから見える豪徳寺周辺の空が日々写されてあって、そのモノクロームの世界に込められたせつない情感と人間臭さに胸がツンとふるえた。
 美術館をでて、中庭で開催中の物産市を覗いてから、山手線をまたぐアメリカ橋のすぐ脇にある古いアメリカンブリッジビルの階段を上って、二階のお店「ローカルインディア」へ入った。座ったテーブル側の窓からは、行きかう電車を眺めることができる絶好のポジション、友人はお気に入りでここにくると寄るらしい。ここからの眺めととりとめのない会話を楽しみながら、カレーランチをとる。

 食事の後は電車に乗り目白まで行き、建築家吉村順三のオフイスだったギャラリーで「葉山 海の家」展をじっくりみる。それからバスに乗って目白台の和敬塾前で降り、そこの洋館を横目でみながら新しく整備された肥後細川庭園を巡ったあとは、神田川沿いをぶらぶら歩いて駒塚橋を渡り、正面にリーガロイヤルホテルを見て右方向、早稲田通りの停留所から都電に乗り込んだ。

 ゆっくりと動き出した二両編成の後方車両座席は進行方向とは反対向きで、ふたつめの停留所「面影橋」を過ぎると大きく右方向に曲がって、明治通りと並行した専用軌道勾配をゆるやかに上っていく。このすこし勾配のある学習院脇を通り抜けるときの高揚感が、なんとなく小学生の遠足気分に誘われるようでわくわくとしてくる。
 やがて目白通りにかかる千登世橋の下をくぐったかと思うと、明治通りをそれてあっという間に「鬼子母神前」停留所に着く。ここから歩いてすぐに欅並木参道入口アーチが迎えてくれる。都会のど真ん中ににありながら鄙びた雰囲気が漂い、鎮守の杜へとつながるなんとも懐かしいアプローチだ。

 (2017/09/10 撮影)
 
 欅並木参道の両側には、ふるい長屋を利用したカフェや金工細工・アクセサリーの店、仕立て屋、陶器金継ぎのお店など、こんなところこんな雰囲気のショップがあったらいいなあと思えるような佇まいに、ふたりあちこちと覗き込みながらのそぞろ歩き。友人によると家探しをテーマにしたテレビドラマシリーズの舞台に取り上げられたことがあって、いちど訪れてみたいと思っていたんだそうで、横顔がうれしそう。このあたりのアパートなら、いちど住んでみたいなあ、と話しながら。
 
 参道の並木が終わるところで左直角方向に曲がると古い家屋の先に、銀杏の大木が四方に大きく枝を伸ばしている。ここは村の鎮守、そんなことばが鬼子母神にはよく似合う。最近できた立派なトイレがあった。境内中央にはトタン屋根の駄菓子屋さんが変わらずに佇んでいて、田舎のこどものころに戻ったような懐かしさが溢れる。ここで駄菓子をおねだりされてみたり、店番のおばあさんのことばがとってもやさしいよ。
 正面本堂へ進んでのお参り、それからたくさんの赤い鳥居が奉納されたちょっと不思議な雰囲気の一角を通り抜けて、ふたたびさきほどの参道にもどる。
 
 ようやく目白駅の方向に向かって歩きだせば、日が暮れてきたことに気がついて、いままですごした時間と情景にノスタルジックな気分、夢みたいだ。やがて辿りついた駅舎の向こうには、新宿の高層ビルのあかりが摩天楼のことく瞬きはじめている。
 
 九月の夕暮れ、虫の声、季節はもう秋。いつか眺めた風景をみたび行ったりきたり、無口になるふたりのセンチメンタルな旅、1984-2017-。

小田原城は小雨降り

2017年09月16日 | 日記
 週末の朝、台風の影響で雨が降り出していた。小雨降りのうちに小田原まで出かけることにして、家をでたのが九時過ぎ。小田急江ノ島線で藤沢乗換え、JR東海道線で相模湾沿いを一路、西方へと移動する。途中相模川の鉄橋を渡り、大磯の手前あたりから高麗山、湘南平と続く緑がグンと迫ってきて、海と山の距離が近くなってくる。二宮、国府津、鴨宮と過ぎて酒匂川手前あたりからは新幹線と並行して走り、このあたり小田原市街が近くなる。アマゾンの巨大な物流倉庫が川べりのすぐ脇、旧日本たばこ工場跡地に見えている。インターネットで注文した品物は、ここから届けられるのかと思うとちょっとため息が出る。

 小田原駅北口を出るとおなじみの二宮金次郎像、その右手の先に小雨に降られた小田原城が見える。雨の城下町風情、すこし湿った懐かしい匂い、新しくなった天守閣もしっとりとしていいものだ。お堀端通りを歩いて市民会館へ向かう。この通りを歩きながら、故郷高田城のお濠端の眺めを想い出していた。現在に見る小田原城を築き、小田原藩政を確立したといわれる稲葉氏は、1685年に越後高田藩主に転封されているから、両市は歴史的なつながりがあるとうれしく思う。

 午前11時すぎ、市民会館食堂で早目の昼食をとってから、新市民ホール整備プロポーザル公開プレゼンテーション会場へ入ると、最後の事業者提案の最中だった。この新市民ホールの整備計画は二転三転として、ようやく実施設計までいったものの、建設工事入札が不調におわり、振りだしに戻ったかたちとなっていた。こんどは、設計・施工一括発注方式へ仕切り直しての公募提案で、規模は異なるがあの新国立競技場と似たような経緯を辿ってしまっている。はたして今後どうなるのか、立地計画地が小田原城を正面にのぞむお堀端に面した三の丸地区という一等地だけに、広場的要素も備えた周囲の景観と調和した城下町のにぎわいと活性化に寄与する文化ホール施設となってほしいものだ。

 会館を出て駅前通りを、唐破風に瓦屋根が豪勢な割烹「だるま」の先まで歩く。探していた「平井書店」はすっきりとした構え、広々とした売場の地元老舗書店だった。入口の平台には、店長の見識なのか、南方熊楠MOOKと関連した文庫・書籍がおかれていて、いいぞこれはと、一瞬期待が高まる。
 ここで小田原を舞台としている村上春樹「騎士団長殺し」がどのように置かれているのか、興味があったのだ。しばらく店内を探すと見つかったが、書棚に上下二冊のみで、平置きではなく、ポップ書きもなしというシンプルさである。いたって普通、少々肩すかし、でもまあご当地の関心はこんなものか。小田原関連本も意外に少ないのではないか、もうすこし町の文化センター的店舗を期待していたのに残念、立地はいいのでカフェなどを併設して引き続きがんばってほしいな。

 まち中の建物のあいだに城郭遺構の土塁が残っていて、通り抜けられるようになっている。土塁には曼珠沙華の赤い鮮やかな花がいくつも咲いている。そこを歩いて、ふたたびお堀端から天守閣をまわりこみ、かなりの年季をへた中央図書館で、入生田にアトリエを構えた画家井上三綱(1899-1981)の画集と資料を探す。小田原関係者のなかでは、ひそかにあの雨田具彦のモデルと目される、いまとなっては一般には忘れられてしまった福岡八女出身の画家である。小田原では酒匂尋常小学校で美術を教えていたこともあり、戦後箱根湯本早雲寺から入生田に移り住んだとある。記録には、帝国ホテルでベン・シャーンと対談したり、イサム・ノグチの来訪も受けたことがあったとあるから、それなりに高名な画家であったようだ。
 その作風は具象から抽象へと変遷しているけれども、そのデッサン力は確かで、馬や牛を描いたものはどこかラスコー洞窟の壁画を思い起こさせるし、天平時代の美人を描いた肖像画もあって、どこかミステリアスな感じがする。もうすこし全貌が知れたらいいが状況から想像するに、まあ雨田具彦のモデルといっても、著者に真偽の確認の必要もないだろうから許容の範囲だろうか。これまた昭和の香りの濃厚な古びた隣接の郷土文化館で、平成24年8月開催特別展の図録を求める。
 
 郷土文化館をでた西側堀には、咲き終わったハスの実が茶色に枯れて幾本も立ちすくんでいた。夏の極楽浄土世界から、いまは秋枯れの侘しい情景である。ああ、栄枯盛衰、いろはにほへどちりぬるは。
 ここから、報徳二宮神社はすぐで、境内の「きんじろうカフェ」で片浦レモンサイダーを飲んでひと休み、天守閣を右手に見ながら、レトロなこども遊園地の脇を通って駅まで戻り、小田急線改札前の土産物屋で箱根ちもと「湯もち」と小田原銘菓「ういろう」を買って帰ることにする。
 
 小田原駅をでて蛍田、栢山あたりにくると両側にはあたり一面に黄金色の稲穂が実って広がっていく。ああ、懐かしくて心安らぐ風景、また何度も来よう、のんびりとこの城下まちに面影さがしと散歩しに。


 報徳二宮神社“きんじろうカフェ”から、雨空の小田原城天守閣を望む

 お彼岸近し、幸田門まえの土塁に咲く (2017/09/16 初校・撮影、09/17改定)