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まほろ界隈逍遥生々流転日乗記

箱根強羅、大正ノスタルジア残り香の洋館

2021年02月26日 | 旅行

 春まだ浅き如月初め、箱根へと出かけた。旅の目的地は箱根湯本から登って行った先の強羅、明治大正時代からの歴史ある別荘地だ。一昨年秋の台風による山崩れ被害から運休していた箱根登山鉄道が復旧したので、湯本駅ホームでロマンスカーから反対側の車両に乗り換えて向かう。向かい合わせのボックス席に座り、まだ眠りから半分目覚めたばかりといった山肌風景を車窓から眺めながら、途中大平台、塔ノ沢をスイッチバック方式で昇っていく。宮ノ下、小涌谷、彫刻の森と車窓は移り変わり、そのさまが次第に高まる旅気分と連動していくかのよう。

 午前十時前、標高六百メートルにある終点強羅駅へと到着する。山小屋風の駅舎外観は四十年と変わらない。駅前広場はひっそりとして、観光客の姿も見かけない。平日午前とはいえ、昔ながらの商店の様子も閑散としていた。それでも旧別荘地には、かつての老舗ホテルや保養所と入れ替わって、いくつかの新しい建物ができていた。まずは思いのほか急な坂道を強羅公園方面へと向かう。
 上りだしてすぐに「強羅餅 石川菓子舗」と書かれた看板が目に入る。初めて強羅を訪れたときにも、この店舗に立ち寄った懐かしい記憶が蘇り、レトロな木枠ガラス格子窓から中の様子をうかがう。狭い店内のガラスケースの中にその銘菓が並んでいる。ほのかなユズの香りのする求肥地に溶岩を模して小さく刻まれた羊羹の粒が入った地元の銘菓だ。別荘地・保養所時代華やかなりしころ、大抵のお茶請けはこの強羅餅だったという。これがいまどき手作り一個110円の良心的値付け、いま一度味わいたくなって今宵の滞在用に五個箱入れにしてもらう。

 強羅公園すぐ横の滞在先に荷物を預けたら、坂を転げるように下ってふたたびの駅前へとでる。登山電車線路沿いにあるレトロな看板が目印の「強羅花壇」へと向かう。ここの旧閑院宮別邸ですこし早めの昼食をいただくのがお目当てだ。
 駅から徒歩で三分ほど、線路を横切って敷地石段をくだって洋館の前にでる。学生時代以来だろうか、畏敬の旧友に再会できたみたいで気持ちは高鳴る。ここは屋根裏部屋を含めると赤瓦三階建てのハーフ・ティンバー様式、1930年六月二十日竣工だから、築九十年を超える。
 玄関口で来館を告げると、着物姿の女性が中へと招き入れてくれる。入ったとたんに感じる不思議な既視感、なんと凛とした品のある空間なのだろう。いくぶん天井は高めで、奥にある窓際のテーブルに案内される。ガラス窓の外には、傾斜にそって植えられ、丁寧に手入れのされたお庭が広がっていた。寒気の残る中ほころび始めた白梅、その清楚な立ち木姿がりんとしている。ランチ前菜に目の保養とはこのことかもしれない。
 ふたりして花乃膳の種類を変えてお願いし、蕎麦と炊き込みご飯、カキフライを分け合っていただくことにした。閑院宮様肖像画が掲げられた洋間、調度のしつらえも出される先付け器も結構、ビールで乾杯すれば自然と五感が満足して笑顔がほころぶ。

 食事の後に平成の始まりに改築された宿泊ロビーを見学させていただく。そのロビーへの手前、玄関口をすぎた洋館二階へ上る階段が目に留まる。踊り場のステンドグラスの外光を通してみる輝きがすばらしい。
 さらに進んで洋館と新館のあいだを天井の高い木柱格子でつないだ解放性のある長い回廊がのびている。この改修設計は竹山聖、京都大学および東京大学院原広司研究室出身の建築家で早い時期の代表作のひとつ。いまトレンドの木材をガラスとコンクリートと鉄のモダン建築に持ち込んだはしりではないだろうか。それをようやく目の当たりにできる喜び、思い起こせば三十年越しである。

 谷側にむかった傾斜には宿泊棟が伸びていて、すぐ山側脇が登山鉄道だというのに、世俗から離れた自然の別世界が広がるようだ。こんなところにいつか泊まってみたいと思わせるが背伸びしても届かない高値の華、八月の大文字のころは、ロビーや部屋からの眺めは素晴らしいのだろう。いただいた見通しの良い喫茶コーナーの割引券は次の機会の愉しみにとっておこう。お土産コーナーの品々もよく選ばれている。ちょっとしたミュージアムショップのようなオリジナル工芸品がおかれていた。
 ロビーには巨大な植木鉢があって、伸びた笹類に那岐の木が寄せ植えされていたが、これにもびっくり。鉢の後方、ガラス張りのむこうに白洲石を敷き詰めた庭のむこうが宿泊棟になるようだ。安易に全容がうかがい知れないところが旧宮家別荘の系譜をひく伝統とあいまって、正統的な隠れ宿の雰囲気を保持しているのだろう。

 強羅花壇をあとにして駅方面へともどる。駅の反対側から、函嶺白百合学園の正門前からの急坂を回り込んで、大正昭和別荘地の雰囲気が濃厚に残る路地を強羅公園方面へとむかう。
 箱根強羅において、フランスの聖パウロ修道女会によるキリスト教カソリック学園の存在は不思議な気がするが、そのルーツは戦前の疎開学校にあると知って納得した。幼稚園から高校までの学園として独立したのは戦後1949年のことだ。それ以来、箱根登山鉄道を通学手段(観光ではなく!)として、地元別荘氏族やふもとの小田原からの富裕層良家子女が、俗世界を離れてこの清浄な地に学び集ってきた歴史は、外部者からみても興味深いものがある。もちろん校章は白百合の花をシンボルとして、その精神は「従順・勤勉・愛徳」にあるというから、俗人にとっては制服姿に畏敬の念を抱くとともに、うーん少々恐れ多い。

 息をきらしながら、滑り止め用丸輪模様の刻まれたレトロな坂道を登っていくと、途中校舎から漏れ聞こえてくる卒業式練習の歌声とピアノ伴奏が聴こえてくるではないか。ここも少子化の時代の波に押され、1981年幼稚園が廃止となったことに続き、とうとう小学部も2020年四月を最後に新規募集を停止したという。
 今年の桜の季節には新一年生を迎えることが叶わなくなり、鉄道車両内の雰囲気と強羅駅前の通学風景も少しづつ変わっていくに違いない。月並みかもしれないが、明治大正時代からの古き良き別荘地としての強羅、大きな溶岩石に囲まれた区割りのあるまち並み風景の変遷とも重なって、それはもう決して戻ることのない郷愁の世界なのだろう。(2021.02.21書き始め、02.26校了)


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