碧川 企救男・かた のこと

二人の生涯から  

『拾有七年』を読む ⑬

2009年02月05日 14時28分59秒 | 『拾有七年』を読む

 ebatopeko

       

   

            『拾有七年』を読む ⑬

 

 

  (前稿まで)

 『拾有七年』は、米子の生んだジャーナリスト碧川企救男の紀行文である。庶民の立場をつらぬいた彼は、日露戦争時においても、民衆の立場からその問題性を鋭くつき、新聞紙上で反戦を主張した。

 碧川企救男は、鳥取中学(現鳥取西高等学校)を出て、東京専門学校(現早稲田大学)に進学するため郷里を出た。それから17年ぶりの明治四十五年(1912)、郷里鳥取の土を踏んだ。その紀行文である。

  明治29年(1896)碧川企救男が鳥取中学の学生であった頃の話に有名なものがある。それは、当時の鳥取中学において風紀の乱れが教員側からも生徒側からも大きな問題となった。

 そのとき学生に対して訓戒せよと演説者に推されたのが誰あろう碧川企救男であった。 碧川企救男が、酒を一滴も口にしたことがなかったのが、この際の最適任者と見られたのである。

 そして碧川企救男がこのとき演説したのは、自分らの教員がややもすれば酒を飲み、また生徒にも飲ましたりする実例を挙げて、「今日の風紀の乱れたるは、罪生徒にあらずして教師にあり」と結論して、昂然と壇を降りた。


 

 (以下今回)

 鳥取の町はその昔、三十万石の城下であったため、町はずいぶん広い。惣川内(そうかわうち)と惣門外(そうもんがい)を境にして更に大きな濠がある。町を北から南へ三つの街道が横切っている。

 東を若桜(わかさ)街道、中を智頭(ちづ)街道、西を鹿野(しかの)街道と称して三街道が並行している。碧川企救男は、内濠を散歩し、さらに内濠の脇に出て鳥取教会を仰いだ。

 その教会を仰いで、彼は薄命な閨秀(学芸にすぐれた女性)作家、河越照子女史の悲しい末路を思うのであった。

 明治25年(1892)、河越照子女史が神戸女学院から帰省したとき、この鳥取教会の安息日に、ちょっとの間教鞭をとっていた。当時の牧師は小樽にいる剣持省吾であった。

 照子女史は非常に強い近眼であったが、なかなか美人であった。そのうち、彼女は志を立てて、東京に出て外国人婦人の通訳などをしていた。

 やがて彼女の嗜む和歌がもとで、ついに『萬朝報』に身を投じた。『萬朝報』は、明治25年(1892)黒岩涙香によって創刊された日刊新聞である。

 明治32年(1899)には東京での日刊新聞発行部数一位にまでなった。大衆紙をもって看板としたが、黒岩自身が翻案小説『鉄仮面』や『厳窟王』さらには『幽霊塔』、『噫無情』などを執筆し人気を博した。

 また、家庭欄で「百人一首かるた」や「連珠」(五目並べ)を流行らせた。おそらく河越照子女史は「百人一首かるた」などを担当していたのではないかと思われる。

 『萬朝報』は日露戦争が始まると、はじめ「非戦論」を唱えた。ところが、世間が主戦論に傾くと、一転して黒岩涙香は「非戦論」を捨てて「主戦論」に転じるにいたった。

 あくまで「非戦論」を主張した幸徳秋水、堺利彦、内村鑑三らは『萬朝報』を退社し、『平民新聞』を新たに創刊するにいたった。これ以後『萬朝報』は凋落の一途をたどったのである。

 河越照子女史は、『萬朝報』に身を投じて以来、すべての縁談を断って独身生活を送っていた。ところがその彼女に京都第三高等学校(現在の京都大学の前身の一つ)のある教授から結婚談が持ち込まれた。

 しかるに河越女史は、その教授の手紙の中に、見ぬ恋に憧れたような文句が見えたとして、断然媒介者に破約を申し込んでこの良縁を断ってしまったのである。

 それ以来、川越女史の生活は実に淋しいものとなったという。貧しさと戦い、空想と戦い、新聞記者から雑誌記者となり、あらゆる奮闘のすえ明治44年(1911)遂に発狂したという。

 碧川企救男は、川越女史と深い交際はなかったが、東京で一、二回面会したことがあった。碧川企救男に対し弟のよう遇し、いろいろ話をしてくれたという。碧川企救男はその末路に涙を禁じ得なかった。

 碧川企救男は、鳥取に着いた夜は様々な事が追想されて座ってみても立ってみても堪らなくなった。そこで酒を呼び旅宿の二階で大いに飲んでいた。

 すると表の方で三味線が聞こえた。それは島根・鳥取に特有の安来節であった。その歌はこうであった。

 「安来千軒 名の出たものは 初日桜に十神山(とかみやま) 十神山から沖の方見れば 何処の船やら知らねども 三味の糸程帆を上げて 鉄積んで上(かみ)のぼる」

 企救男は、歌の内容はあまり良いものとは思わなかったが、三味線はすこぶる賑やかであった。浜の船頭衆が酒を飲んで騒ぐには好適であろうと碧川企救男は思った。



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