碧川 企救男・かた のこと

二人の生涯から  

『鐘は既に鳴れりー碧川かたとその時代』 紹介 2

2013年05月13日 18時55分39秒 | 碧川

        ebatopeko

  

  『鐘は既に鳴れりー碧川かたとその時代』紹介  2
      ー碧川かた研究の集大成および近代日本の歩みー


 

 このたび『鐘は既に鳴れりー碧川かたとその時代』が刊行された。発行は昨2012年12月26日(上巻)2,190円、今年2013年1月14日(下巻)2,190円である。自費出版となっている。

 著者は角秋勝治氏。新日本新聞社および鳥取ガス(株)広報室に勤めておられる。氏は著作の紹介によると、1938年、鳥取市に生まれでまさに鳥取県の生え抜きである。

 鳥取県を中心に多くの著作を刊行されているが、この『鐘は既に鳴れりー碧川かたとその時代』は、その総決算ともいえる著作である。

 この度の角秋勝治氏の著作は、三木露風の母としても知られる「碧川かた」研究の集大成ともいえるものである。

 『鐘は既に鳴れりー碧川かたとその時代』は、角秋勝治氏が15年という年月をかけて取り組んだ作品であり、別のところで「私の遺書となるでしょう」とも述べられたとも言う。

 角秋勝治氏が鳥取県民、さらには全国の方々に伝えたい思い。鳥取の近代史、いな日本の女性史、女性と政治とのかかわり、女性の政治参加を問いかけた実に素晴らしい著作である。

 角秋勝治氏は、ジャーナリスト出身者として、「伝えたいと思うものが見えなきゃ、ペンを執ってはいけない」。「ごまかしや借り物で、繕ってはいかん!」と、呑んだ席で若い人たちに語ったとも伝える。

 この角秋勝治氏の『鐘は既に鳴れりー碧川かたとその時代』は、碧川かたの生涯を克明にたどりながら、その時々の政治社会の動きを丹念に読み解いていることに大きな特色がある。日本の女性史の遅れを補うのに、これほどの名著はないと信ずる。

 とくに、明治初年生まれのかたを描きながら、彼女を取りまく多くの人物像が実にビビッドに描写されている点がこの著作の素晴らしいところである。

 また、「碧川かた」の婦人参政権獲得運動を中心にすえながら、明治時代から、大正・昭和の時代を通して、日本の近代史の表面だけでなく、裏面の様々な、ちょっとやそっとでは見ることの出来ない現場が記されている。

 さらに、読者がまさにそこに立ち会っているかのごとく活写されているところがジャーナリストとしての角秋勝治氏の手腕であり、なかなか手に入らない貴重な資料が網羅されているところも大きな特長である。。

 

 この角秋勝治氏の畢生の傑作『鐘は既に鳴れりー碧川かたとその時代』は、地方からの世に対しての警告の書である。

 人権が叫ばれ、女性の政治参加が、より進められなければならない現在において、多くの方々に読んでいただきたい著作である。

 この著作を、中央の大新聞が取り上げないことに、残念な思いをするのは私だけであろうか?その思いの日々強まる昨今である。

 

 自費出版の形であるが、印刷は中央印刷株式会社である。
            (Tel. 0857-53-2221)

 

  以下、(下巻)の内容を紹介してみたい。

 

    『鐘は既に鳴れりー碧川かたとその時代』(下)

 
   第九章 事件相次ぎ運動も低迷(1928~)

     婦人会変節/山宣死す
     
      (市川房枝とかたの批判、婦人会の政府協力)
      (代議士山本宣治右翼に刺殺さる)
       
          酷使と収奪/婦選の壁

      (『蟹工船』の世界、婦選衆議院可決→貴族院否決)

     「満州事変」/古都散策

      (関東軍の暴走、企救男とかたの古都散策)
      

    第十章 「日中全面戦争」に突入(1933~)

      多喜二虐殺/滝川事件

       (特高による小林多喜二への虐殺・拷問死)
       (京都帝大滝川幸辰著『刑法読本』の発禁処分)

      「十字」背に企救男逝く
     
       (かたの手により、墨で碧川企救男の背中に「十字」書く)
       (自由と平和を愛したジャーナリスト碧川企救男の死)

      「挙国一致」で大陸侵略

       (生田長江の死、二・二六事件、西田税処刑)
       (斎藤隆夫の「粛軍演説」、「盧溝橋事件」、南京事件)

  第十一章 「精神主義」で報国運動(1938~)

      人も物資も「国家統制」       

       (文化人の国家奉仕、東京帝大大内兵衛らの検挙)
       (国家総動員法、抵抗の歌手淡谷のり子、 

        (鳥取「中田正子法律事務所」)  

        (碧川かたの「刑法改正請願」、内田吐夢監督の名画「土」         

      戦時用語で「国策」推進

        (半島での「創氏改名」「従軍慰安婦」、

         戦時用語「八紘一宇」)
        

        (斎藤隆夫の反軍演説と国会除名、「大政翼賛会」)

 

       「戦陣訓」/隣組を監視

        (東条英機の「戦陣訓」、中国人虐殺、「配給制」)

        (賀川豊彦・碧川道夫の逮捕、「隣組」の監視ごっこ、

         真珠湾攻撃)


  第十二章 「太平洋」で世界を敵に(1942~)   

       銃後の護りで生活窮乏 

        (「バターン死の行進」、東京・神奈川・名古屋・神戸爆撃)
        (「ミッドウェー海戦」の敗北、碧川澄の結核手術)

        (動物園の猛獣処分)
        (杉原千畝ユダヤ人を救う、鳥取大地震)

      命を軽視「玉砕」「特攻」

        (竹やりで爆撃機に対抗、「対馬丸」撃沈・

         学童多数海中に)
      

        (エスペランチスト碧川澄、水木しげるへの玉砕命令、

         特攻隊員の死)

       東京大空襲/沖縄決戦

        (東京死者10万人、沖縄島民への集団自決命令、

         20万人の死)
                

    第十三章 戦禍の果て「主権在民」(1945~)


       原爆投下/飢餓と棄民 

        (広島・長崎原爆投下33万人の死、報道機関の責任、

         満蒙での飢餓・棄民)         
         

       婦人参政権ついに実現

        (12月15日婦人参政権成立、日本国憲法と第九条)
        (碧川澄の結核療養者支援、

         「赤とんぼ」国民的愛唱歌に) 
       

   第十四章 人間を蝕む戦争の病理

              悪魔の手先/「受難曲」

        (「第七三一部隊」の恐怖、アメリカの「枯れ葉剤作戦」)
        (「ホロコースト」の恐怖、バッハの「受難曲」人類の懊悩)

       人権蹂躙の餓死と虐殺

        (第二次大戦の死者数6,500万人、日本の死者310万人、

         内128万餓死) 

        (ナチスの狂気、ユダヤ人殺害600万人、)  

      「諸刃の剣」言葉と忠誠  

        (大衆動員のスローガン、「愛国」「報国」のオンパレード)
        (人間のロボット化と忠誠心、レジャー施設への大衆盲動)

 

  第十五章 「赤とんぼの母」永遠に(1947~1962)

        戦後の混乱と闘う人々

         (澤田美喜の「エリザベス・サンダース・ホーム」)
         (「下山事件」「三鷹事件」「松川事件」の謎、

          人権弁護士布施辰治)         
           
                 (峠三吉『原爆詩集』、原民喜『水ヲ下サイ』)

       請願80歳、家族も活躍

          (碧川かたら、市川房枝を国会に送る、

           かた等の請願「狂犬病撲滅」)
         

         (「療養のママさん」碧川澄の全国結核療養者への放送)

         (碧川澄、盲目の長島愛生園ハンセン病者の自伝出版)    

                  (碧川道夫撮影『地獄門』カンヌ映画祭グランプリ)

      「安保反対に行ったか」

               (見えない碧川かた、国会議事堂前で泣き崩れる) 

        (内田吐夢監督『飢餓海峡』、賀川豊彦の死)

        (碧川清、重度心身障害児施設「島田寮育園」の総婦長に)

 

   終 章

 

      碧川かたの死 
        
         昭和37年(1962)1月14日、碧川かたの永眠

         通夜 市川房枝・高橋千代ら多数の参列

         73歳の長男三木露風、はじめての添い寝

 

     告別式 (1月16日午後1時)

         前奏 『赤とんぼ』    
  

                 はじめのことば(碧川かたの略歴)

                  賛美歌合唱 505番「たえなる恵み」
                  母上をおくる詩 朗読三木露風

                  賛美歌合唱 476番「ややにうりきし」
                  母上愛唱聖句 「山上の垂訓」
                            マタイ伝 第五章第一節~第十六節
                            マタイ伝  第五章第三八節~第四八節
         賛美歌合唱 三二〇番 「主よみもとに近づかん」
   

         『献詞』 三木露風

         我母よ おんみは逝きませり 
                 その逝きますや
                 いと安らか
                 天国に至ります
                 げにその感あり

         性篤実にして堅
                 健全なる思想を有し
                 女権擁護に尽す
                 花に似たる詩歌をつくり
                 其の資性を
                 我れに思はしめたり
                 こと終わりたる如くにして
                 終らず
                 此の世にありても
                 生ける如し

 

    碧川かたの菩提寺は、東京杉並区、
     浄土真宗西本願寺派の築地本願寺

      和田堀廟所である。碧川道夫が提案した言葉を

    三木露風が揮毫した。

     「赤とんぼの母 此処に眠る」 露風

 

   二年後の1964年12月29日、三木露風がタクシーにはねられ、

   急死した。



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