Open your eyes

クルマに関する妄想集(+その他のことも少し)

ジャッキー・リン&パラビオン

2005年03月25日 01時02分08秒 | Weblog
このあいだ、風呂に入っているときのこと。
いつのまにかジャッキー・リン&パラビオン(アクエリアス)の「Strenger's Dream」を口ずさんでいる自分を発見して、われながら不思議な気分になった。 なぜって、ここ10年以上思い出したことのない曲だったから。
「ジャングル」が放映されていた当時、僕はまだ小6だったけど。 エンディングで流れていたこの曲には、確かに強烈な印象を抱いた覚えがある。
で、結局、買っちゃったわけですよ、林哲司の手がけた曲がまとめられたアルバムを。 苦労のすえAmazonで発見して。
今日、そのCDが家に届いた。 「Strenger's Dream」、ずっとリピートモードで聴きっぱなし。 この透明感、いいなあ。なんだか涙ぐんでしまいそうになる。 これって大げさにいえば、小6の時の自分を鏡に、今の自分を見つめ直す作業なのかもしれん。

80年代懐古趣味がメジャーな波になってきてから数年たつ。 CCBもCMで復活したし(あのCMを初めて見たときは、なぜか嬉しくて電気が走った)、時代が1周したことを感じる。 そして、自分もまた。
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考え直してくれ

2005年03月21日 02時18分16秒 | Weblog
ジュネーブショーで発表された次期型シビックを見て、最初に驚き、次に怒りを感じた。
僕にとってシビックとは、徳大寺有恒の言葉を借りれば、「健康で文化的な最低限度の生活」を保証してくれるクルマだった。
過剰を廃した大きすぎないボディで、4名の大人とその荷物を収容してどこへでも行くことができる。 環境や安全の課題を技術でクリアし、そのイメージはあくまで知的かつスポーティであり、ベンツを買えるカネがあってもあえて選ばせるクルマ、という。

確かにここ数代のシビックは、肥大化したボディをはじめ、初代が持っていた上記のコンセプトからだいぶ乖離してきていた。 けれど僕は、いつも心のどこかで期待していたのだ。ホンダがその高い技術と見識で、世界を一変させるインパクトを持った理想的なシビックを出してくれることを。 困難な状況に前向きに立ち向かう力を、クルマという商品で世に問うてくれるのを。

今回発表されたシビックは、もはや世界市民の良質な移動の具であることをやめている。今回のシビックは、北米のYジェネレーションを狙った単なるスペシャリティカーであり、単なる若者のオモチャに過ぎないと思う。この大きく傾斜したフロントスクリーンはどうだ。乗員の乗り降りが難しそうな小さなリアドアは。 そこには、クルマのカッコよさを表層的な部分に求めたホンダの安易な姿勢が見えてしまう。クルマの本当のカッコよさって、低いボディや大きく寝たフロントスクリーン、つり目のヘッドライトだけじゃないでしょう? 製品の背景に流れる「思想」こそがクルマ本来のカッコよさであり、同時にクルマと白物家電を分かつ要因だったはずだ。

ホンダには、このクルマを市販するのを思いとどまってもらいたいと思う。せめて、このクルマをシビックの名で売るのだけは勘弁してもらえないだろうか。フィットで見せた理想的なクルマ作りを、どうしてシビックではやめてしまったのだろう。


(後日追記)
なんか、シビックへの思い入れが強かったせいか、生硬な文章になってるな・・・ あえてこのまま直さずにupしますが。
でも、僕はシビックというクルマに単なるクルマ以上のものを感じていたのだ。乗る人の考え方を主張するはじめての日本車だと思っていたのに、残念。
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エクサ・キャノピー

2005年03月12日 01時22分56秒 | Weblog
以前乗っていたクルマ、日産エクサ・キャノピーType B。

このクルマ、カタチがキレイで大好きだったのだが、2002年5月の夜、事故で廃車にしてしまった。
もしあの時の事故がなければ、僕はまだこのクルマに乗っていたと思う。それぐらい気に入っていた。
(逆に、エクサが事故で廃車になったから、あこがれだった306に乗れることになったとも言えるが)

僕のエクサは5速マニュアル仕様だった。こいつを買った時は教習所を出てから5年が経っていたが、このクルマに乗ることで僕はやっとマニュアル車の運転を覚えることができた。
CA16DEエンジンは、低回転域では軽のターボに置いて行かれるほど非力だったが、そのかわり、見られることを意識したその赤いヘッドカバーは大層カッコよく、僕は洗車の時には欠かさずそれを磨いて悦に入っていた。
走行中、キャノピー部からのドラミングやキシミ音がひどかったが、そんな時はコンビニの駐車場で一服しつつこのクルマの外観を眺めて、「この美しいデザインと引換えだ」と自分を納得させた。
屋根を外してTバールーフにし、秋の軽井沢の山道を走ったときの爽快感。勇ましい排気音が直接聞こえる楽しさは、今でも鮮烈に記憶している。

今思うのは、S13シルビアと迷ったけど、あの時エクサを買って正解だったなということだ。
「オレ昔、リトラクタブルヘッドライトのクルマに乗ってたぜ」 と言えるだけでも価値がある。それに、こんなクルマ、もう二度と出てこないだろう。 こんなコンセプトで、こんなにキレイなクルマは。
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異端ではなく

2005年03月07日 23時51分11秒 | Weblog
ジュネーブショーでシトロエンC6が発表された。
これ、イイ! シトロエンらしいヘンタイさがしみ出ている。こういうの、大好きなんですよ。
C6の良さをあらわす言葉が、僕の語彙ではなかなか見当たらないのが残念。分かってもらえるか心もとないが、しいて言うなら「美輪明宏」っぽさというか。アブノーマルなのに、爆発的に美しい。美しさゆえの孤高っぷりがたまらない。

以前、日本にC5(MC前の)が導入されたときの広告で、僕のココロにいたく刺さったコピーがあった。いわく、

「異端ではない。真実を走らせている」

こんなに独善的な、シトロエンの真髄をついたコピーがあるものかね。このフレーズ、僕が考えたかったなあ。
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携帯電話です

2005年03月02日 00時20分44秒 | Weblog
ここ最近、頭を悩ませる問題。新しいケータイが欲しい。

いま使っている機種はSH505i。昨年の7月に機種変更したものだが、機能的にはなんの問題もない。
液晶はほんとにキレイだし、200万画素のカメラは紙に出しても鑑賞に耐える写りだし。僕はあまりメールしないからわからないが、おそらく漢字変換も他機種と比べ遜色ないはずだ。

だが… いかんせん絶望的にカッコ悪い。カッコ悪いというよりも、あまりにポリシーのないデザインなのである。

たとえば、電車の中でノキアのケータイを持っている人を見たら、僕はきっと見知らぬその人に一目置くだろう。おお、ケータイが好きなんだな、日本メーカーの端末はどこか子供っぽいと思ってるんだろうな、というように。

反対に、ボロボロになった古めのNを使っている人を見たら、次々出てくる新機種には目もくれず、ケータイを本来の用途に淡々と使い続けるオトナな人だな、と、やはり清々しいものを感じるにちがいない。

ひるがえって、SH505is。モノを通して、持ち主のキャラクターを想像させてくれる何かに決定的に欠けている。機能が優秀なだけに残念。
そこで、ドコモの現行機種ラインナップを見てみた。すると、SH700i(黒)というのが、なにやらケータイ玄人っぽい感じをかもしだしていて刺さった訳だが。

今日の昼、会社の近くで実物を見た。ボディは梨地仕上げのソリッドブラックで、使い込んでいくとその梨地がなくなって、イイ感じにテカりそうだ。欲しい。 「俺仕様」になるまで使い倒したい。
ケータイ好きなくせに、人からはそう見られたくないひねくれ者には、激しく気になる機種である。
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