グッド・バー

多くの方に愛されている老舗バーの物語

間違えた言動

2006-04-28 | 特別編
前回の記事で、僕の友人Nのことについてお話した。

当店のお客様や友人、知人、
多くの方にご意見ご感想を頂いた。

そして、僕のブログにいつも素敵なコメントを
頂く、あいさんという方がおられる。

前回の記事でもコメントを頂いた。

”高校時代スター的存在だったNさん、
互いに成功を誓いあい、夢に向かって進んでいた
仲の良いおふたり。そして、バーマンさんは
ご自分の夢に突き進み、
三年ぶりの再会でバーへの熱い思いを、夢を、
Nさんに語りかけていたそうですが、
そのときにNさんのお気持ちを考えられたでしょうか?

その時、Nさんは
どんな表情でバーマンさんを見つめられていたでしょうか?

夢を捨てていなくても、
どうしようもすることができない自分にNさんは
憤りを感じている状況ではなかったのでしょうか?
ましてや、友人のバーマンさんは成功の一歩を歩みだしている。
スター的存在だった人だけに、
自分の力のなさに焦りを感じたのではないでしょうか。
渇を入れてくれる友人に頭では嬉しいと思ったでしょうが、
心は辛い気持ちが溢れていたのではないでしょうか。
落ち込んでいるお友達には、渇を入れるより、
ご自分の夢を熱く語るより、
よく話しを聞いてあげるのが真のお友達としての
思いやりなのではないかと思うのですが・・・。
バーマンさんのお仕事は、
「サポート役に徹すること」でしたよね。
でも、「仕事人バーマンさん」としてではなく、
相手を思いやれる「お友達」として
逢って話しを聞いてあげて欲しいと思うのですが・・・。”

あいさんのおっしゃる通りである。

僕は2年前、東京へ行き友人Nと再会している。
その際、Nのあまりにも情けない状況に
勝手に腹をたて、渇をいれた。

Nは高校3年の時、生徒会長に立候補し、圧倒的支持で
他の候補者を突き放し当選。

文化祭の時も3年生は演劇を発表するのだが
僕達のクラスは「きっと忘れない」という映画を
上演。勿論クラス全員が主演にNを推薦。(ちなにみに
僕は監督)文化祭当日も
どこのクラスよりも来場客を呼び立ち見続出。
最優秀主演賞を受賞。卒業式の際、生徒代表で
Nが答辞を。卒業生すべてが答辞を感情を込め読むNに
胸うたれ高校生最後の涙を流す。

そんなスターだったNのあまりのギャップに腹をたて
再会したときは、本来言うべきではない言葉を
発していた。

今週始めにNの母親から連絡を頂いた時には
「あの時の僕の言動で僕がNを追い詰めていたのだ。」
と確信する。本来、一番辛いときにこそ的確なアドバイスを
できる友人こそ親友と言うものではないのか。

なんとも情けない。何故あの時、Nの表情で、心境が
わからなかったのか?誰よりもNの成功を信じていた
はずなのに。

”外見強く見えていても弱い人が沢山います。
色々な事情で強い人が弱くなってしまうこともあります。
特に過去輝いていた人ほど崩れると弱くなるかもしれません。
Nさんが弱い方だとは申しませんが、
もしかしたらNさん、今は「夢」という文字を
見るだけでも辛いかもしれません。
『がんばらない』ことが、必要なときもあります。
どんなお気持ちでいるか、
心の声を聞いてあげてほしいと思っています。”

あいさんからアドバイスを頂く。



今度はとことんNの話を聞こうと思う。

今、Nの心境を悟ると、本当に辛い。
辛すぎる。情けない親友である。

今、何もできずにいる。何かできることは
ないだろうか?今はただNからの連絡を
待っている。

Nの母親から連絡を頂いて今日で4日経つ。

まだNからの連絡はこない。

早く ”がんばらなくていいんだぞ” と言ってやりたい


笑顔

2006-04-26 | 特別編
僕には、たくさんの友人や知人がいる。
特にこの世界に入ってからは、本当に多くの方に
出合っている。

この記事をご覧になって頂いている方もまた、
たくさんの友人、知人をお持ちだと思う。

当店のお客様で地位も名誉も手に入れた
凄い方がおられる。その方から

「すべて手に入れることができたら、その次に
 時間が欲しくなる。そしてまた、時間を手に入れたら
 その先に、その時間を共に過ごす、友人が欲しくなる」

そんな言葉を聴いたことがある。


僕には高校時代からの友人で、
かなり付き合いの深い友人がいる。

その友人はN君。
(いつも呼び捨てにしているので以降はN)

Nとは高校時代、同じバスケット部に所属していた頃からの
付き合い。何と身長が当時から190cm以上あったので
校内でも注目の的であった。
しかもNはユーモアがあり、いつも部活でも
グループの盛り上げ役であり、高校時代Nは
スター的存在であった。

高校3年生の時、同じクラスになり、今まで以上に
付き合いが深くなる。時には恋の相談をしあったり、
進路について明け方まで、語り明かしたり。
やんちゃをしていた頃が懐かしくなる。
卒業式の時もNは後輩から「写真撮って下さい」の
連続で、今でもその人気は鮮明に覚えている。
まさに僕が通っていたK高校のアイドルであった。

お互い進路が別れたので自然と合う回数が減ってきた。
そんなある日、Nから連絡があり、(当時は
ポケットベル。なつかしい~!!)河原町(観光地)で
会うことに。久々に出合ったせいもあってか
話が尽きることなく、この日も語り明かした。

その年の12月から翌年の3月まで僕達は時間を作り
社会勉強の意味も込めてペンションでリゾートバイトを
することに。

当時は何の計画性も無く行き当たりばったりで
新潟まで行き、観光案内所をひたすら周り、
アルバイトを募集しているペンションを探した。

偶然にも素敵なご夫婦が経営されているペンションと出会い
お世話になることになった。一日中、共に過ごすと
相手の嫌な部分がたくさん見えてくるもので、お互い
イライラした時期もあった。が、始めの約束事で
「喧嘩だけは絶対にしないでおこう」という約束を
していたので何とかなっていた。



今思い出すと、すべてのことがいい思い出となっている。
たくさんのおもしろエピソードがあるが、
このお話をしだすと、終わらないので話を戻します。

シーズンを終え春先にペンションともお別れ。
ペンションでアルバイトしていた頃から
僕は「人と話をする、ということに非常に興味を
持ち自分の進路を決める。しばらくしてお酒と出会い
数年後、今僕が勤務しているバーと出会う。

友人のNはペンションでアルバイト中、ファッションに
興味を持ち「ファッションデザイナーになる」という
夢を持ち最新の情報発信地、東京へ。お互い成功を
誓いしばらくお別れをする。

それから何度か同窓会で再会するしたときはお互い
近況を報告しあい、夢に向かって突き進んでいた。

そして2年前。

Nと共通の友人から「最近Nと連絡がとれへんけど
あいつどないしてんの?」と。
おや?と思いNに連絡をとる。

僕は遊学で東京へ。時間を作り、Nとも約3年ぶりの
再会をする。僕はバーテンダー。今もそうであるが
バーマンとしての誇りプライドも持っていた。
バーへの熱い思いを、夢をNに語りかけていた。

N自身は夢に近づくどころか、毎日平凡に暮らし
アルバイト生活をしていた。勿論ファッションデザイナー
になる夢は捨てていなかったが・・・。
僕は渇をNに入れ大阪へ戻ってくる。

しばらくしてNに連絡をとるが、ついに僕とも
連絡が途絶えてしまう。それから週に2,3回は
連絡をし続けたが結局連絡は取れないままであった。
それでも連絡し続けていた。時には、つながるのだが
Nからは返事も聞こえてこない。

そして昨日。僕の携帯に一本の電話が!

Nの母親からであった。

「T君(僕)ごめんな~。ずっと連絡してくれてた
 みたいやね~。息子もわかってたみたいやねんけど
 話できなかったみたいやねん。T君に合わせる顔が
 ないって、落ち込んでるねん。夢だけ追い続けて
 今もふらふらしてる自分が嫌みたいやねん。ほんま
 ごめんな~。GWにはこっちに戻ってくるらしいから
 話聞いてやってくれへんやろか~。ほんまごめんな~。」

泣きながらお話なさるNの母親の辛さ、切なさが
僕の心に突き刺さる。昨日と今日は僕自身も仕事が
手につかない。

Nのことばかり考える。GWに何処に連れて行こうか
悩んでいる。どこかに飲みに行こうと思っているが
店一つ選ぶのにも悩んでしまう。
高級な店に連れて行くとかえって逆効果になるのか?
公園のベンチにでも座って話を聞いてあげるのいいのか?
夜景の綺麗な場所にでも連れて行き落ち着かせればいいのか?

Nと僕は親友である。

そして僕はバーテンダーである。

Nの笑顔を取り戻さないといけない。


今、Nに奇跡を起こしたい。

   僕が今一番見たいものは

      
        ”Nの笑顔である”



ブリオ

2006-04-25 | バーへの思い
皆さんは今回のタイトル「ブリオ」という
男性誌をご存知だろうか?

40代50代の方をターゲットにしている
生活にゆとりのある方が読む雑誌である。
ファッションや今のトレンドを紹介している雑誌。

僕はまだ40代ではないので雑誌の記事を
読んでいても僕ではまだまだ行くことのできない
お店や、絶対に高価すぎて買うことができない
高級ブランドを紹介している。

がこの雑誌は個人的に好きである。
その理由は、
全国のバーをよく紹介してくれるからだ!

そして今日発売のブリオ6月号で

”プレミアムウイスキーを愉しむ
   
        東京X大阪 Bar Book "

という別冊が付いている。

全国の名だたるバーやバーテンダーが80件載っている。

僕のお気に入りのオークスドラム(北新地)や
ゼックスウエスト(西梅田)も載っている!!

他にも2年前、東京へ遊学へ行った際、おじゃました
数々のバーも勿論載っている。

当店を贔屓にしていただいている方も是非
気になるお店をこの別冊で探し、ホッピー(バーを
はしごする人のこと)になってみては?

バーに興味をお持ちの方も運命のお店を
見つけられてみては?

とにかくこの別冊、写真といい、コメントといい
取材された方のセンスの良さには脱帽である。


がんばらない

2006-04-24 | 特別編
昨日、僕が必ず観ているテレビ番組の
「世界一受けたい授業」で
諏訪中央病院 名誉院長の鎌田實さんが登場。
今回のタイトルでもある「がんばらない」の
大ベストセラー著者でもある。



鎌田先生は、
誰よりも患者に優しい医者を目指しておられる。
お話を聞き僕は涙してしまう。

今日の日本の死亡原因の上位は
1位がん2位心疾患3位脳血管疾患
である。今、日本の300万人の方が、
がんとたたかっている。まさに国民病である。

鎌田先生は「生き方や死に方は多用であっていい。
一人一人の生き方を、できるだけ実現させてあげたい」

そんなことをおっしゃっていた。それは”告知”と
いうことにこだわっている、ということである。

「たとえ、なおることのない病であったとしても
 告知しておかないと、
 できないことはたくさんある」と。

三井の森の蓼科に、
ご夫婦でレストランをやっておられる方が
癌におかされた。婦人の余命は残りわずか。
先生は、ご婦人に告知される。”あなたは癌です”

するとご婦人は
「料理を作ることでたくさんの人に喜んでもらった。
 限りある命ならばもう一回料理を作りたい。」

お世話になっている先生や看護婦さん達にレストランの
フルコースを、ご婦人はプレゼントする。

1回では作れないのでボランティアに応援してもらいながら
何回かにわけて皆に振舞っていたそうだ。

それは今まで食べたことのない本当に忘れることのない、
素晴らしいフルコースだったそうだ。

いよいよ最後の料理をだしてくれるという数日前、
先生はご婦人から
「先生ごめんなさい。私は全部わかっている。
 もういよいよだということが、わかっている。
 一番好きな料理を最後まで作れて
 本当にありがたかった」と。

「ご婦人は告知されたことによって、生き方の総まとめを
 ご自身でなさり、夫婦の思い出にもなった。確かに
 告知は受けた本人にしかわからない苦しみもある。
 でも本当の話は知っていたほうが絶対にいい」

先生はお話なさった。

皆さんはどうだろうか? ”告知”。


痛みというものは4つ存在するらしい。

体の痛み、心の痛み、社会的痛み、スピリチュアルな痛み。
スピリテュアルな痛みとは、
この世の中から自分が消えてゆくという不安の痛みである。

この4つの痛みで病におかされている方は苦しんでいる。
この4つを理解さえすればその先には
笑顔が出てくるのだと・・・。

”丁寧に生きた、生き方の最後が死に方で
  いい死に方とは、一生懸命、誠実に生きた結末、
    いい死に方が待っている” とお話なさった。

最後に先生は「優れた技術と支える奉仕の心と
癒すという、すべてのものをものを待ったものが
医者であると」

何とも興味深いお話であった。


バーにある数々の謎

2006-04-23 | バーでのお話
先日、僕がまだ初々しかった頃から可愛がって頂いている
Nさんがお連れの方とご来店。

いつもはK氏とお見えになるのだが今回は仕事でお付き合いが
あるというアパレル関係の若いお客様。

30代の若いお客様はバーに非常に興味をお持ちで
特にバーの空間を好んでおられるお客様。

こんな方に出会うとたまらなく嬉しくなってしまう。
Nさんに感謝である。

若い方は当店に興味津々。

「どうしてテーブル席が
 カウンターに向いているのですか?」と。

以前にもお話しているし、当店のお客様は
当然ご存知だと思うが、当店はスタンディングバーである。

「当店は昔、ほとんどの方が立ってお酒を嗜んで
 おられました。今日のように始めからテーブル席で
 お酒を飲まれる方はほとんどおられず、昔は
 テーブルに座られて、カウンターが開くのを
 待ちながらテーブルで飲まれたいました。
 カウンターが開くとテーブルでお待ちになっていた
 お客様がカウンターに。今では考えられませんけど・・・。
 ですのでテーブルからカウンターが開いた場所が
 すぐ、わかるようにテーブル席がカウンターを
 向いているのですよ!」とご説明。

「お~、歴史をかんじますね~。じゃあ、どうして
 BGMがかかっていないんですか?」

当店は音がない。お客様にしてみればBGMのないバーは
ある種新鮮かも知れない。

「当店はお客様の話し声、笑い声、グラスの音、
 シェーカーの音、氷の音がBGMなんですよ。」

「さすがオーセンティックバーですね~。ちゃんと
 理由があるんですね。じゃあ最後にこれは何ですか」



お客様はカウンターの下を指差しておっしゃった。

「これは、たんつぼです。昔の飲食店は衛生法の
 関係で、たんつぼを置かないといけなかったんです。
 今は名残で置いています。実際に利用される方は
 いらっしゃいません。」

「う~ん!さすがです!凄いです!」

「せっかくですから、もう一つ面白いことを
 お教えしましょう。当店の時計は何処にあると思いますか」

「えっ、えっ、あれ何処だ?何処だ?あっ!あった!どうして
 こんな目立たないところに置いているのですか?」

「バーは非日常の空間です。普段の生活から、ほんのひと時、
 日常を忘れて楽しんでもらうための、ほんの心使いです」

Nさんが連れてこられたお客様は、大変満足されて
ほんのひと時の非日常を楽しまれた。



バーでは様々な謎がある。が、すべて理由がある。

バーテンダー

2006-04-21 | 偉大なグッドバーマン
今日、僕達のグループで3年間、勤務されていた
Mさんが退職された。

同じ看板を守り続けてきた3年間。長いようで
短い、そんな3年間であった。

Mさんはもともと、流通業(お酒の)をされていた。
サービス業に興味を持たれ、この世界に。

当時は、初心者ということもあり、見ているこちらも
ひやひやするシーンが何度もあった。

お客様からも「今度は入ったM君大丈夫?
長続きしそうにないね~。」など、批判の声を
よく聞いたものだ。(誰が入店してきても
始めは、このような意見をされることが多い。
勿論僕も入店当時は、様々な方から、すさまじい
批判の数々を頂いていた。現在は当時の僕を
笑いのネタにお酒を飲まれている方もいらっしゃる。)

日に日にMさん自身の前向きな努力で、素敵な
バーマンになっていかれた。今では当時、物静かだった
Mさんも、ジョークを飛ばし笑いを取っておられる。

そんなMさんが退職されるのは、個人的には
非常に残念であった。

先日、若い連中でMさんの送別会を開いた。
総勢12名。お店を貸切、多いに盛り上がる。

Mさんは、サービス業を続けられるのではなく、
違う職業に転職される。僕はてっきりお店を
変えられるのだと思い込んでいた。

非常に残念で、「この世界からまた一人、バーマンが
去っていくのだな~」と思っていた。

しかし一時的な転職であるらしい。

「どうしても自分の城(店)を開く前に製造業の
仕事をしておきたかったから、今回退職を決めました」と。

Mさんは「自分で作ったお酒を自分のお店の
店頭に並べたい。それが今の僕の理想です」と。

素敵なお話である。

いつか夢が現実となる日が来るだろう。

楽しみである。

それぞれバーマンでも考え方や価値観は全く違う。
ユーモアたっぷりのバーマンや寡黙にひたすら仕事を
こなしていくバーマン。いつもニコニコしているバーマン。
白い歯を絶対に見せないバーマン。

様々なバーマンが世界中には存在する。
そんな世界中のバーマンはある一つの目的のため
日々仕事をこなしていく。

 
  ”すべては顧客満足である”


僕が勤務するグループの若い連中だけで
たまに飲みに行く。理想論をぶつけあい、
刺激しあう。時には熱くなることもある。
そんなグループの一員だったMさんも今日で退職。



昼間、当店の庭園で、バラのつぼみを観ていた。
これから立派に咲くであろうバラのつぼみが、
様々なバーマンと重なった。

うつ病

2006-04-20 | 特別編
当店の馴染みのお客様が今日、一月ぶりにご来店。
このお客様は普段週に1,2回お越しいただくので
我々バーマンも心配していた。団塊の世代の方である。

扉を開けられた途端、僕達は一瞬時間が止まった。
顔が非常にやつれており、以前のような生気が全く
感じられない。当のご本人は、重い口を開けられた。
 
「うつ病でしばらく、お酒を絶って生活しててん。
 精神安定剤を飲んでいたからお酒は飲めなかってん。
 副作用を起こしたらあかんからね」

こちらも言葉に詰まってしまう。

皆さんは、うつ病という言葉は勿論ご存知だと思うが
はっきり理解されているだろうか?

”うつ病”とは、

自分だけの努力では、どうにもならない病気の状態。
脳の機能障害として起こってくるうつ病や、
そううつ病、ストレスや環境要因によって起こされる
うつ状態などがある。その他、甲状腺など身体的な
要因によって起こってくるものもあるらしい。
国際的な調査では、世界人口の3~5%が「うつ」に
かかっているといわれている、
誰にでも起こりうる病気と言える。

お客様はストレス性のうつ病と診断されたそうだ。
一部上場企業の経理を担当されておられるのだが
昨年の年末から大忙し。12月頃は、今振り返ると
ほぼ毎日いらしていた。この時期から症状は
出ていたらしい。

3月の決算時期でも毎日想像を超えるほどの
書類に目を通され、ストレスはピークに達していたそうだ。
ある日突然、何もかも嫌になり・・・。

僕もストレスはあるが、自分でコントロールできる
範囲である。時にはお酒を飲んだり、親友と語り合ったり。
すべて翌日には「今日も頑張ろう!」と思える。

皆さんはいかがでしょうか?

次のような症状があげられるらしい。

 睡眠障害
 身体症状
 気分、感情の障害
 意欲の障害
 思考・判断力の障害
 行動の障害

心当たりのある方は一度、精神科診療をしている
医療機関へ、ご相談下さい。

家の近所の場所で、落ち着く場所がある。
映画のワンシーンにも出てきそうな場所である。
今回紹介した画像の場所である。


スタンディングバーと立ち飲み居酒屋

2006-04-15 | バーへの思い
今日、当店を贔屓にしていただいている
I氏とEさんがご来店。
このお二人は僕が前の店で勤務している時から
当店のグループのバーをご利用頂いている。

僕は前の店で、現在同じグループのお店で
チーフをされているF氏と、
現在銀座で独立し、当店とは違う看板でお店を
経営されているM氏の二人の下で、
それぞれ一年、計2年勤務していた。

今日ご来店いただいたI氏とEさんは今銀座で
商売しているM氏が店長をしていた頃からのお客様。

当時のM氏と僕と二人でお店を切り盛りしていた頃の
バーの空気を気に入って頂き、週に2、3回いらしていた。

僕が今の店で勤務するようになり、ちょくちょくとお越し頂き
現在は週4回ほどいらして頂く。

銀座へ主張されることがたまにあり、その時は必ずM氏のお店、
バーRへ行かれている。

バーRは現在銀座で、注目を集めているお店の一つで、
飲食の雑誌にも最近は必ず載っている。数日後には
テレビ出演するそうである。

オープンした頃は閑古鳥が鳴いているほどの静かな店であった
そうだ。2年前に僕も銀座へ行き、当然バーRには立ち寄っているが
その頃は活気があった。

バーRは今年開店6年目。しばらく前に
I氏やEさんも「すごいですよ~。こないだも
行きましたけどほんと、忙しそうでした。」と。
M氏の努力の結晶である。

今週始めにI氏が銀座のバーRに友人と行かれたそうだ。

I氏は僕にこんなお話をされた。

「いや~ほんと、すさまじかったですよ!バーRの忙しさは!
 次から次にお客がどんどん。普段12人くらいしか
 入れないお店なのに、30人くらい入ってましたよ~。
 みんな立って飲んでました。しかも女性がほんとに多かったです。
 Mさんに聞いたら最近、立ち飲みブームきてるらしいですよ!
 でもあれだけ、入れるだけ詰め込んでしまっら、ゆっくりは
 できないですね。僕達もすぐ、飲んで店を変えました。
 あそこはもう、バーじゃないですね。立ち飲みですね」

I氏は少し残念そうにお話なさっていた。

バーと居酒屋は何が違うのか?

やはり空間が違うと僕は思う。ホテルのような
高級なバーであれ町場のバーであれバーの空間は
非日常の空間。その中にそれぞれの思いを抱いた
バーマンがカウンターに立つ。

日常をほんの少しの間、置き去りにしてバーの
扉を開ける。素の自分自身と向き合い、カウンターに
座るあるいは立つ。

    それがバーであり、
        一期一会の時間を過ごす。

 今宵もバーの扉を開ける

18年ぶりのお客様

2006-04-13 | バーでのお話
当店の歴史は古く、僕が生まれるずっと前から
初代、先代や当時のスタッフ達が数々の奇跡を
起こし続けている。

お客様の中には何十年も通い続けて下さっている
方も少なくない。よく当店では先代の思い出話や
初代の思い出話を耳にする。

お客様はサラリーマンの方が多くスーツ姿の
ジェントルマンが多くお見えになる。

残念ながら中には当店を贔屓にしてくださって
いたのに東京へ転勤や地方への転勤などで
数年、数十年通っていただいた当店とお別れすることも
ある。僕がお世話になり、早7年。短い間ではあるが
数名のお客様が引退や転勤などでお会いできなくなった。

ある方は数年前、海外へ転勤になり「次回お会いするときは
T君(僕)が独立した時ですね!」と約束している方もおられる。

また別の海外へ栄転された方はお盆の時期に必ず日本へ
帰国され遠路はるばる当店へ来てくださる。

そして今日9時ごろに来られたお客様。

当店へ入るなり店内をジロジロ見渡す。何処か懐かしんで
おられたので「同業の方ではないな~」と思う僕。

「この辺は随分変わりましたね~。久々なので
 迷っちゃいました。
 何せ18年ぶりにお邪魔したものですから」

「そうでしたか!ここ数年でもだいぶ様変わりしたので
 18年ぶりでしたら迷ってしまわれますね!
 ようこそいらっしゃいました」

どうやら18年前に社会人になりたての頃上司に
連れてこられたらしく、当店は思い出のお店だったそうだ。
それが、入社まもなく東京へ転勤になり以来、今まで
ずっ~と東京。今回はバカンスで大阪に。あったら
いいのになぁ~という思いで、当店にご来店だった。

しかし先代のマスターに会えなかったことを残念がられていた。
以前にも数回触れているが僕の師匠でもある先代は3年前に
他界している。お客様は18年前によく先代に注意されて
いたそうである。お酒の飲み方にはうるさい方であった。

その思い出話をされ昔を懐かしんでおられた。
少し小腹がすいたようで当店の自家製レバーペーストを
ご注文。当時のシェフが、現在も厨房を切り盛りしている当店は
18年前と同じ味である。今回のお客様は大変喜んで
おられる。僕も歴史の重みを改めて痛感。

すると「せっかくなのでこのレバーペーストに合うカクテルを
一つ作ってくださ」というオーダーを受ける。

本来ならレバーペーストにも入れているブランデーを
使ったカクテルを作るのだが、お客様に懐かしんで
もらおうとラムベースのバカルディをお出しする。
(バカルディ ラム酒 ライム グレナデンシロップ(ざくろ)
 をシェイクしたショートカクテル)

なぜバカルディか?それは僕が先代のシェイクを観たことが
あるは一度だけ。そのカクテルがバカルディ。
同じカウンターに入っていたのは短い期間で
しかも僕が現在の店で勤務するときは、ほとんどお酒は
作らずお客様とお話をされていた。ということで
僕自身の思い出のカクテルである。

そんなお話をしながらお客様にお出しする。大変喜んで
いただく。レバーペーストが残り少なくなってきたところで
お客様は僕に「実は18年前にもさっきと同じオーダーを
したんですよ。18年前、先代さんはオールドファッションを
出されました。
(オールドファッション ウイスキー 角砂糖 フルーツの
 スライスやマラスキーノチェリーを飾った華やかなカクテル)

はじめは残念だったけどあなたの思いが伝わり
18年前に戻ったようでした。楽しかったです」

帰られる時も「有難う!これからも変わらないでいて下さい」

18年ぶりのお客様はいい笑顔でお店を出られました。


 ”清く捨てなければいけないものがある反面、
   頑なに守り続けなければいけないものもある”

    

    ”それが長い歴史の中で生まれた伝統である”



あるひとつの出来事

2006-04-12 | バーでのお話
昨日、当店の馴染のお客様K氏がご来店。
先日K氏のお連れ様Mさんの、とあるセミナーを受けた僕は、
そのお話をK氏としていた。

するとそこへ、いつも明るいS氏がご来店。お二人とも顔馴染みなので
色々とお話をなさっていた。話題は料理。

最近行った何処何処が美味しかった~。など、聞いているこちらまで
食欲がそそられてしまう。また、歓楽街を豪遊されているだけあって
本当にお腹がすいてくる。自然と会話の中で、ご一緒にある
海鮮料理店へ行くことに。こういった風景は見ていて本当に
気持ちいい。

場所はS氏推薦のお店。数年前にあるママから紹介されて
以来贔屓にしているそうだ。僕もS氏に何度か連れて行って
頂いているが、そこで頂く料理は本当に新鮮で、すっぽんも
いただける。特にお出汁が絶品でコラーゲンをたっぷり摂取し、
翌日はお肌つるつるである。

S氏はK氏との話の中で、こんなことをおっしゃった。
「実は今から行くところへ行くようになる前に、贔屓に
していた割烹のお店があったんですけど、これから行く
海鮮料理店に比べると、鮮度が全然違うんですよ~。
以来そこへは行ってないんですけどね~。」

「そういうのありますよね~。僕もあるきっかけで
行かなくなったお店たくさんありますよ」

「そうですよね~。僕が最後にその割烹へ
行って刺身を食べたときに少し生臭い匂いが
して、それが頭に残っちゃって。それ以来です。
別に態度が悪かったというわけではないんですけど・・・。」

僕は実際、そこの割烹のお店の刺身を食べたことがないので
批判はできないが、ほんの、ふっとした気のゆるみが
そういった出来事につながったと感じた。

当店も定期的に、いらしていた方が当然ぴたりと、
いらっしゃらなくなったり、普段週三回ほどいらして
いただける方がその週いらっしゃらない。など、
必ず水曜日にお越しの方が水曜日にお越しにならないと
「なにか気分を害してしまったか?」と考える。

いやらしいが、馴染みになっていただくのは本当に時間が
かかるが、縁を切られるのは一瞬である。

幸い当店はぴたりと見えない方は旅行へ行っていた。
週三回見えていた方は風邪を引いていた。
水曜日に見えなかった方は曜日を間違えていた。
など、幸いにもこちらには、落ち度が無い場合がほとんど。

しかし、ある出来事が今後を左右しかねない、ということは
肝に命じておかないといけないと、このお話を
聞き痛感した。

S氏とK氏は、
昨日、なんと3時まで3件!はしごされたそうだ。

昨日の出来事を面白おかしく今日、当店でお話なさっていた。