五月が終わりました。
この春はとうとう新筍を食べず、ワラビも採りに行き損ないましたが・・・
冑だけは忘れず、お節句前に飾りました。
長男の初節句に亡き父から贈られた冑は21年前と変わらず今も凛として
5月を見守っているようでした。
摘みたての川根産の新茶をいただきました。
つやつやの茶葉が美味しそうだったので、
そのまま少しだけパリパリ食べてみました。
お茶の葉も入れて堪能します。言うまでも無く・・・
新茶ゼリーも作りました。
お茶とゼラチンだけで寄せました。それだけでも最高ですが・・・黒蜜ときなこを添えれば更に。
ありがとうございました。一服ごとに楽しみます。
帰省後、三田市と篠山市の市境にある愛宕山へ三田市の母子(もうし)側から登りました。
母子(もうし)はお茶の産地です。八十八夜が終わったばかりでしょうか、
茶畑の新芽がきれいでした。
新緑の尾根
愛宕山648m
登山口から30分ほどの登りで登頂。 篠山盆地もはるかに望める、静かな山です。
ここからさらに稜線を西に取ると、隣のピーク「△中の尾658m」へ行けますがまた後日。
△愛宕山(三田市)648m 2013.5月初旬
家=新田川(母子)―△愛宕山
実家から戻った翌日、無性に山へ入りたくて、すぐに登れる愛宕山へ行きました。
いつもは心が穏やかになる山中も、まだ気持ちが落ち着いていなかったせいか、
切なさが込み上げました。
それでも新緑まぶしい低山は優しくて、やはり山はありがたかったです。
実家に滞在中、昼間は諸事に忙殺されていたものの、
夜はなかなか寝付かれない一週間でした。
父のことはもとより、これからの母のことや、自分のことや・・・
悪い方にばかり考えてしまい、苛まれました。
朝は早く目が冷めて、父の散歩コースを歩き回りました。
日課だった朝の散歩には、何通りかのコースがあったことが
日記から解りました。
まるで犬の散歩みたいだなあと思いました。
父が毎朝参加していたラジオ体操の場所は新緑がきれいで、
以前に来たときよりも樹がさらに大きく高くなっていました。
ラジオ体操をする父をもう一度見たかったです・・・
父は、若い頃から日記を付けていました。
本棚には何十年間分の日記が並べられています。
数年前の帰省時、父は「お父さんが死んだら、日記を読んでいいよ。
お父さんがどんなことを考えていたか解るかもしれないね。」
と笑って言っていました。
葬儀の夜、居間の棚に置いてあった日記を初めて開いてみました。
懐かしい父の几帳面な字で、ほぼ欠かさず綴られていました。
が、今年に入ってからは空白のページが目立ち、
亡くなる10日前からは全て空白でした。
後悔と反省はもう償えず、私は最後まで愚かな娘でした。
父は五年前に大病を患い、主治医から「余命一ヶ月」と判断が下り、
一時は本人も家族も覚悟を決めました。しかしながら確率の低い手術が成功し、
奇跡的に長らえる幸運に恵まれました。
父の一生を思うに、
10歳で父親(祖父)を亡くし、戦争への出征、戦後の闘病生活・・と
若い頃は良いことばかりではなかった様です。
それでも、「母」という伴侶と巡り合い、それ以上に多くの素晴らしい方々に出会い、
助けていただいたお陰で、幸せに人生の幕を閉じられたのではないかと感じています。
最後の顔は生前よりもむしろ穏やかな、ちょっと昼寝している様な・・・優しい表情でした。
先月末に私の父が他界しました。
亡くなる前日まで元気に過ごし、翌朝の急逝でした。
初めて体験する親の死は、思っていた以上に辛く重かったです。
千葉から兵庫に戻ったものの、気持ちは半分実家に残したままですが、
それでも少しづつ心が落ち着き始めました。
少しの間、父のことを記す日記になるかもしれませんが、
自分の気持ちの整理を込めたいので、ご了解ください。