私、水廼舎學人です

久保憲一のプライベートな世界。なんでもありです。

水屋神社と君が代「さざれ石」

2007年08月13日 | 奉納
                      水屋神社の「さざれ石」と故久保良任名誉宮司

奉納者の小林文治氏や名誉宮司の父もいまや亡き人ですが、これが「さざれ石」と私の深いご縁が結ばれたきっかけとなりました。本当に有り難いことであったと思っています。

当時の新聞ニュースをもう一度見てみましょう。

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平成6年8月6日(水)「夕刊三重」

飯高町の水屋神社に2トン寄贈

岐阜県の人が「さぎれ右」 県内では4神社目

大クスに加えてまた一つ

「君が代の歌詞にもあるが岐阜県指定天然記念物「さざれ石」がこのほど、同県に住む人から飯南郡飯高町赤桶の水屋神社〔久保憲一宮司)に寄贈された。三重県内ではこれまで伊勢檸宮、多度大社,椿大神社の三社の境内にしかなかった貴重な石で、氏子らの話題になっている。

さざれ石は,岐阜、滋買の両県境にある伊吹山のふもとにあり..学名は「石灰質角礫(れき)岩」.長い年月で溶解した石灰石が粘親力の強い乳状液を生じ.付近の小石を接着して大きな固まりとなつたもの。昭和五十二年十一月に岐阜県の天然記念物に指定された。

平安時代にこの地を訪れた藤原朝臣石位左衛門という人が、さざれ石を見て珍しがり、「わが君は千代に八千代にさざれ石の巌〔いわを)となりて苔〔こけ)のむすまで」と和歌を詠んだのが「君が代」の歌詞の基になっている。

昭和三十六年に文部省.同三十七年明治神宮に一トン.同三十八年伊勢神宮内宮、外宮に三トンずつ、同五十二年に天皇皇后両陛下らに計四個などが贈られている。



今回,水屋神社にさざれ石を贈ったのは、久保宮司の知人で,岐阜県春日村のさざれ石研究家・小林文治さん(七三)。さざれ石の発見者といわれる小林宗一の二男でもある.同村内の採石工事中に、たまたま出てきた五個のさざれ石のうち一個を購人し.同神社に贈った、

このさざれ石は長ざ約一・五メートル、高さ約七十センチ、幅約八十センチ、重さは約二トンで同神社の鳥居前に殿置。砂利ほどの大きさから人の頭大の石までが一つに固まつている。大きな石の表面に付着している砂利程度の石は一見すると触っただけで払い落とせそうだが、触ってみると一つ一つが強固にくっついていてはがれない。

同神社では奉告祭を行い、総代や氏子ら約三十人の前で除幕。同神社にはこれまで、「水屋神社の大楠」として知られ,県の天然記念物でもあるクスの大木があるが,また一つ名物が噌えたと、氏子らは喜んでいる。

久保宮司は「意義、由来,自然石としての価値も高いさざれ石は.子供たちの郷土愛や愛国心を育てる良い教材となり.氏子らの宝にもなると思います」と話している。




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