バイブル探検隊

徒然なるままに、日々の出来事の中と、聖書の御言葉とを照らし合わせる中で、見い出したことなどを書いていこうと思います。

『あなたも招かれています』

2012-08-26 07:02:50 | Weblog
『あなたも招かれています』

創世記12章1~4節

 今日の聖書の箇所で、神様はお前を祝福すると言われています。合計5回も、祝福ということが出て来るのですが、創世記3章から11章には、呪いという言葉が5回出てきます。様々な問題を抱える世界にあって、神様はアブラハムに、そして私たちに対して、「祝福あれ」と言われているのです。

 祝福とは、どういうことでしょうか。まず第1に、人を肯定することです。相手を認めること、相手の存在を喜ぶことなのです。私たちの存在を喜ばれているでしょうか。人が何と言おうと、神様はあなたを愛しているよと言われるのです。第2に、一人一人に神様が与えている能力、賜物を愛おしく思い、30倍、60倍、100倍にすることを願っておられる。

 祝福は、ヘブライ語でバラークという言葉です。これは、祝福する、という意味があり、また跪く(ひざまずく)という意味があります。この二つ意味が、一つの言葉に込められているのです。イエス様は、弟子たちの足の汚れを拭い取られました。そして、その罪を背負って、罪人となられ十字架にかかられたのです。ドイツ語では、十字を切ると言う言葉がありますが、それは祝福するという意味でもあります。私たちは、ゆらゆらしているが、安定した錨が与えられているのです。それが神の祝福であるというのです。

 私たちが、天国に行けるというのは、イエス様が十字架に架かられて死なれ、復活されて初穂となられたからなのです。それに重ね合わせられて、私たちも天国に入れるのです。私たちも、祝福の列に加わるのです。アブラハムが、主の言葉に従って行ったのは、75歳の時でした。私たちもまた、神様の祝福の列に加わりたいと思います。

(以上、2012年8月26日の大野恵正先生による礼拝説教です)
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『ソロモン王の背信』

2012-08-19 07:01:25 | Weblog
『ソロモン王の背信』

列王記上11章1~13節

 私たちが生活する現代社会は、高度に文明が進んだ社会です。200年から300年前の人々ですら想像もつかないことが、できるようになりました。身近な所から、大規模な開発事業まだ様々な分野でそれを見ることができます。例えば、携帯電話は、遠くにいる人と話せるにようなりました。しかし、そのために、家族間の会話が少なくなるということも起きています。便利になったけども、大切なものが見失われることも起きます。

 ソロモン王は、神様から知恵を与えられたのですが、彼が行った事業を見ていくと、人間的な知恵を用いて、国を治めていったように思えます。12の地区に知事を置く、神殿建設に3万人の男性を従事させる、近隣諸国のとの関係を良好なものとするために政略結婚を用いる。これらの人間的な知恵によって、弱い立場の人々が、女性たちが犠牲となっていった。

 これに対して、神様の知恵は、どういうものでしょうか。第一に、人の思いを遥かに超えるものである(イザヤ55章8節)。使徒パウロは、何度も絶望的な試練に遭いますが、将来与えられる栄光に目を注いで、そこに希望をおいていました(ローマ8章18節)。そして、万事が益となるように神様が共に働いて下さることを確信していました(ローマ8章28節)。

 神の知恵を考える時に、神がどのような思いをもっておられるか、知っておくことは意義があります。聖書のはじめに「産めよ、増えよ、地に満ちよ」と言われます。神様は、命を生み出すことを、その命を養うことを願っておられます。また、人々の叫びに耳を傾け、救い出される方です。

 苦難の中から救い出されたイスラエルの民に、十戒を与えられますが、それは共同体として共に生きるための教えです。箴言とコヘレトの言葉においてのテーマは、「神を畏れよ」です。神の畏れ敬い、その教え、戒め、導きに従いなさい、と教えています。

(以上、2012年8月19日の礼拝説教の要旨です。)
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『神殿の建設』

2012-08-12 16:53:44 | Weblog
『神殿の建設』

列王記上8章22~29節

 今度の剥離骨折で、手術後に麻酔が切れてから、痛み止めがあまり効かず6時間もの間、激しい痛みを耐えることになりました。その痛みの中で考えさせられたのは、イエス様が、午前9時に十字架につけられて午後3時に息を引き取られるまでの6時間のことでした。激しい痛みに耐え、人々から罵られ、死と向かい合わされて、そのイエス様の痛みと苦しみを通して、私たちに救いがもたらされたのだということです。

 今回の骨折は、何とタイミングが悪いことかと思いました。しかし、このことを通しても、神様のご計画を見い出していきたいと思います。神様からのチャレンジとして受け止めて、信仰によって立ちあがることを、ステップアップすることを求められていると思います。

 ダビデ王は、様々な困難を乗り越えて、王様となった人でした。その試練、困難の中で、神様からの大きなチャレンジを受けながらも、神様に依り頼み、信頼して乗り越えたのです。そのダビデが、一つだけできなかったことがあります。それが、神の箱、契約の箱を治める神殿の建設でした。神様は預言者ナタンを通して、ダビデ王の後継者が建てると告げます。

 ダビデ王の後継者となったソロモン王は、即位して4年目に神殿の建設に取り掛かりますが、これはソロモン王にとって大きなチャレンジだったと思います。世代交代をして間もない時期である。後継者争いが起きたために、国が分裂しかかった。国を統治するのに12人の知事を立てたが、まだ十分に制度が機能していない。工事期間が7年間にも及び、3万人もの男性を動員する大事業であった。この神様からのチャレンジの中で、ソロモン王は、神様からの言葉を受けて、それに従っていったのです。また、12の部族をまとめるために、神殿の建設に協力をさせることで、協力と一致を生み出していこうとした側面があると思います。

(以上、2012年8月12日の礼拝説教の要旨です)
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『神様に祝福される教会』

2012-08-05 16:49:29 | Weblog
『神様に祝福される教会』

第1テサロニケ5章12~18節

 神様が喜ばれる教会とは、どういう教会なのか?第1に、神様が立てて遣わされたリーダーに対する姿勢です。12節で言われていることは、牧師と信徒たちは、互いに平和を保ちなさい。ある意味で高いハードルのように思えますが、それを目標にしなくてはいけない。その平和の力は、あなたがたが、イエス様から頂いた平和です。神様に喜ばれる教会となるために、主が立てられた牧師やリーダーを、リーダーとして認めることそして、そのリーダーに対して愛をもって、尊敬をはらう。そして、互いに平和を保つことなのです。

 第2に、集まる者たちへの勧めです(14~15節)。寛容の心を持つことを勧めている。クリスチャンは、罪に悩み、自分の弱さに苦しみ、そしてイエス様のもとに来た。イエス様の十字架の救いに預かったのです。しかし、クリスチャンになっても、まだ未熟さや人間的な弱さを、抱えている。それを見た時に、その人を裁くのではなく、その人の気持ちになって信仰において立ち上がらせるように導く寛容さが求められています。

 第3に、善を行う。すなわち、愛を行うことです。人を裁くのではなく、愛の心で話しかけて、その人を正しい方へと導く。イエス様は、天から降って来られて、わたしたちに愛を示されたように。

 「いつも喜びなさい。絶えず祈りなさい。全てのことに感謝しなさい。」これは、私自身がどうあれば良いかを教えています。私個人が霊的生活をすること、を教えています。①、罪をゆるされている。②変わらない喜びを、イエス様を通して与えられている。イエス様が十字架にかかることで、義とされた。神の子とされた。③この方が、いつも私たちと共にいて下さっている。これは、永遠の喜びです。使徒パウロは、牢獄の中にあって、喜びが与えられているのです。神様が喜ばれる教会となるためには、まず自分自身が神様が喜ばれる者となることです。

(以上、2012年8月5日の川内研二先生による礼拝説教の要旨です)

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