『主の生きておられる』第10回
列王記下23章21~30節
今度の東日本大震災の被災者が県外へ避難される場合に、新潟県に行かれる方が多いとのことです。それは、新潟県が、近年大水害や新潟中越地震などで被災したことで、日頃から避難所の開設などの訓練をされていたことがあります。また、受け入れ態勢も整えられていたことがあります。過去の経験が、今回の活動に生かされているのです。
この聖書の箇所は、ある意味で温故知新を想起させ、またあわせて過去のトラウマということが影響したとも思える話です。まず温故知新として、ヨシヤ王の宗教改革は、曽祖父のヒゼキヤ王が行った「主のみを礼拝する」という宗教改革を受け継いだものであり、律法の書の発見を通して、聖書が証しする神理解に立ち返ることができたと言えます。そして、律法の書を通して、過越し祭りの復活へと繋がって行きます。先祖のユダヤ人たちは、エジプトにおいて苦難を味わい、神から遣わされた指導者モーセを通して、エジプトから脱出します。その象徴的な出来事が主の過越しであり、その救いの出来事を感謝して過越しの祭りが祝われたのです。律法の書の発見を通して、自分たちの原点を再確認したのです。そして、神の恵みによって今日あることを再認識したのです。
ヨシヤ王は、宗教改革に成功して、自分の力を過信してしまったようです。ユダの国の再建も実現したのですが、エジプト王がアッシリアへと遠征するために、途中にあるユダ王国にやってきたので、ヨシヤ王はそれを迎え撃とうとしたのですが、戦争に敗れて戦死してしまいます。私達もまた、調子良くいっている時はいいのですが、一つ歯車が狂うとどうしようもなくなることがあります。わたしたちは、神によって生かされ、神の支えのもとにあることを心に留めたいと思います。主に依り頼む者であることが大切です。
(以上、3月27日の礼拝説教の要旨です)
列王記下23章21~30節
今度の東日本大震災の被災者が県外へ避難される場合に、新潟県に行かれる方が多いとのことです。それは、新潟県が、近年大水害や新潟中越地震などで被災したことで、日頃から避難所の開設などの訓練をされていたことがあります。また、受け入れ態勢も整えられていたことがあります。過去の経験が、今回の活動に生かされているのです。
この聖書の箇所は、ある意味で温故知新を想起させ、またあわせて過去のトラウマということが影響したとも思える話です。まず温故知新として、ヨシヤ王の宗教改革は、曽祖父のヒゼキヤ王が行った「主のみを礼拝する」という宗教改革を受け継いだものであり、律法の書の発見を通して、聖書が証しする神理解に立ち返ることができたと言えます。そして、律法の書を通して、過越し祭りの復活へと繋がって行きます。先祖のユダヤ人たちは、エジプトにおいて苦難を味わい、神から遣わされた指導者モーセを通して、エジプトから脱出します。その象徴的な出来事が主の過越しであり、その救いの出来事を感謝して過越しの祭りが祝われたのです。律法の書の発見を通して、自分たちの原点を再確認したのです。そして、神の恵みによって今日あることを再認識したのです。
ヨシヤ王は、宗教改革に成功して、自分の力を過信してしまったようです。ユダの国の再建も実現したのですが、エジプト王がアッシリアへと遠征するために、途中にあるユダ王国にやってきたので、ヨシヤ王はそれを迎え撃とうとしたのですが、戦争に敗れて戦死してしまいます。私達もまた、調子良くいっている時はいいのですが、一つ歯車が狂うとどうしようもなくなることがあります。わたしたちは、神によって生かされ、神の支えのもとにあることを心に留めたいと思います。主に依り頼む者であることが大切です。
(以上、3月27日の礼拝説教の要旨です)