大人に負けるな!

弱者のままで、世界を変えることはできない

日本史6 維新編

2011-04-18 12:11:38 | 若さが歴史を動かした(ノンフィクション)
写真 日本を植民地化のピンチから救った高杉晋作青年



 本編に登場する若き革命児……久坂玄瑞 桂小五郎 高杉晋作 伊藤博文 山県有朋 品川弥二郎



 処刑された松陰の亡骸は、門下生たちによって引き取られた。時に、門下生桂小五郎26歳、山県有朋21歳、高杉晋作20歳、久坂玄瑞19歳、伊藤博文19歳、品川弥二郎17歳。皆、青少年だった。彼らは涙にくれながら、師の仇討ちと、その遺志を継ぐことを固く心に誓った。

 最初に動いたのは、久坂玄瑞だった。3年間の江戸遊学から戻ると、藩を越えた『草莽の結合』を提示。さらに、高杉晋作や伊藤博文らと、イギリス公使館を焼き討ちした。桂小五郎も、時期を同じくして長州藩政に加わり、倒幕に動き出した。

 高杉は、全国を廻って情勢を見聞し、また上海に渡って、中国が欧米列強の支配下に置かれようとしている様を目の当たりにした。帰国後、身分に囚われない新たな軍隊である「奇兵隊」を組織し、自ら総監となる。24歳だった。25歳の山県有朋も、奇兵隊の軍監となった。久坂も、23歳にして「光明寺党」を結成する。

 この年、長州藩士は、京都から追放されていた。桂も、幕府から逃れるため、身を隠していた。高杉や久坂は、周囲に押し切られるかたちで脱藩し、翌年、諸隊を率いて京都に向かった。そこで久坂は流れ弾に当たり、観念して腹を切る。24歳の若さだった。


 高杉も投獄され、刑の執行を待つばかりの身となるが、長州は、続いて欧米連合艦隊の攻撃に見舞われる。伊藤は、留学先のイギリスから急いで帰国し、自らの見聞から、藩の首脳に、欧米と対決する無謀を説いている。
 伊藤の訴えが功を奏して、藩は全面降伏を決定した。国外に精通している高杉は罪を許され、藩の正使として、講和交渉を一任されることになる。外国相手の敗戦処理は、日本史上初めてのことだった。

 高杉正使はこの席に、なんと甲胄姿で登場する。さらに、日本書紀を延々と詠唱して、なかなか本題に入らせず、会議のペースをつかんだ。伊藤も通訳として同席し、交渉を有利に展開した。

 結果的には、相手に請求された300万ドルの賠償金は幕府に支払わせ、彦島を欧米の植民地とするという要求も断念させる。恐れ知らずの若者たちに全てを託したことで、長州藩は、日本史上初の敗戦処理を見事に成功させ、実質的に無傷で危機を脱することができたのだった。

 もし、この交渉が失敗していたなら、長州藩は歴史の舞台から消え、その後の日本史は、全く違った展開を見せていただろう。下手をすると、彦島を足掛かりに、日本が欧米の植民地にされていたかも知れない。日本の独立を死守した、この若者たちによる交渉は、もっと注目されてもいいように思われる。


 高杉や伊藤らの尽力でどうにか事態は収まったが、四面楚歌の長州は、今度は禁門の変の責任を問われ、幕府に攻められそうな情勢に立たされる。藩の保守派は、家老の切腹などにより、事を収めようとした。
 これに納得できない高杉や伊藤、山県らは、諸隊を率いて保守派と対決し、勝利を収めて、藩の実権を握った。時に、高杉わずか25歳、伊藤は24歳、山県は26歳だった。31歳の桂も、復帰して彼らに加わった。期せずして、長州の運命は、松下村塾出身の若者たちの手に委ねられたのだった。だが、幕府がこのクーデターを黙って見過ごすはずもない。

 高杉は桂らと共に、幕府軍に備えて軍事改革を推し進めた。伊藤は主に、他の藩や外国との交渉に当たり、イギリスから最新式の兵器を取り寄せた。翌年、桂は薩長同盟を成立させ、倒幕の歯車は一気に加速する。

 はたして、クーデターから3年後、幕府軍は、長州に攻め入ってきた。28歳の高杉は、海軍総督及び小倉口参謀として、幕府軍を迎え撃った。29歳の山県も、高杉の右腕として活躍した。23歳の品川弥二郎も、御楯隊参謀として軍功を挙げた。龍馬も、海軍を率いて、援護に駆けつけている。まさしく、青年らの手による、天下分け目の決戦だった。

 だが、無理がたたったのか、高杉はまもなく病に倒れる。それでもなお、病床から指揮を執り続けたが、勝利を見届けることなく、29歳の若さで世を去った。その年の暮れに、龍馬も暗殺される。維新が実現したのは、その直後だった。



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 維新後、伊藤は新政府の要職を歴任し、初代の総理大臣となった。桂も廃藩置県などを実現させ、新政府の基盤を築いた。山県も、陸軍の力を背景に、新政府の黒幕として君臨した。品川も、内相などを歴任した。


 松下村塾門下生の戦いは、現在の視点からすると、武力行使の濫用や、国家主義的な面など、欠点も目に付く。特に、晩年の山県の政策については、今日に至る官僚主義国家の端緒を開いたものとして、批判は免れない。

 だが、当時の日本が置かれていた状況からすると、開国を実現させた点で、彼らの功績を高く評価する必要はあるだろう。政府や藩の長老たちは、鎖国政策の行き詰まりに目をつむり、幕藩体制の維持に固執するばかりだった。恐れを知らない若者たちが、新たな時代に合わせて、日本を創り直す必要があった。



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 そして今、日本は再び行き詰まっている。不況は慢性化し、国債は膨れ上がる一方で、次代の担い手である子どもも減り続けている。だが、構造改革は遅々として進まない。

 その元凶は、世代交代の遅れにある。健康を保つためには、常に細胞が入れ代わらねばならないように、社会もまた、円滑に世代交代が進んでこそ、繁栄が保たれる。

 今ほど、若者の覇気が待望されているときはない。20歳代の議員、大臣、首相が、当たり前に出てくるようにならなければ、この国は変わらないだろう。また、必ずそうなっていく。

 政治経済の分野に限らない。あらゆる分野で、若者が新たな頭脳となり、顔となり、腕となり、また足となって、長老たちを退かせ、日本、いや世界の歴史を、創造していくべきなのだ。それが歴史の法則なのだから。









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1 コメント

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再度のトラックバック (エクセレントひろば)
2005-03-06 19:21:47
豊かな才能をお持ちですね。発表を楽しみにしていますよ。

前回の記事が、途中から消えてなくなるというアクシデントがありましたので、再度トラックバックさせて頂きました。
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