恥ずかしい歴史教科書を作らせない会

改憲で「戦争する国」、教基法改定で「戦争する人」づくりが進められる今の政治が
将来「恥ずかしい歴史」にならぬように…

「国民のため」の政治の「再生」を

2009年09月16日 | 国会・政党・選挙
■ 「悲鳴」

 16日に召集された特別国会で、麻生内閣が退陣、鳩山由紀夫氏が衆参両院で首班指名を受けました。
 これで正式に政権が交代し、自民党は野党になりました。
 その前日、自民党は「党再生会議」を開き、先の総選挙で落選した候補もまじえて、議論を行いました。
 しかし、そこで語られたのは、党の「再生」に向けた議論ではなく、「悲鳴」でした。

 「物心両面での配慮をしてほしい」(静岡5区・斉藤斗志二氏)

 「生活がどうなるのか不安がある。党はポスターや冊子をたくさんくれるが、そんなのはいらない。現金でいただきたい」(東京14区・松島みどり氏)

 「何か仕事が欲しい」(岡山2区・萩原誠司氏)

■ 「泣き言」

 「生活が不安だ」「金がない」「仕事が欲しい」
 こうした「悲鳴」は、今まで「痛み」の政治に苦しめられてきた国民から発せられていた声だったはずです。
 彼ら自民党は、こうした国民の悲痛な叫びに、一体どう応えてきたでしょうか。

 「改革」だと言っては、社会保障の削減を続けて国民に「痛み」を押し付け、何とか社会保障の拡充を求める国民の声に対し、「何かしてもらうことより、何ができるか考えろ」と言っていたのは、自民党でした。
 「国際競争力」や「成長」を振りかざしては、低賃金で不安定な非正規雇用を増やし、「格差」を拡大させながら、痛めつけられてきた人々に対して「自己責任」論を振りかざしてきたのも、自民党でした。
 彼ら自民党は、こうした国民に目を向けようとせず、また声を聞こうともしませんでした。
 そのような人々が、自分たちが落選した途端、「自分が第一」という本性を剥き出しにして、「金をくれ」「仕事をくれ」と言うのですから、「泣き言」としか思えません。

■ 「チャンス」

 しかし、こうした落選した候補は、あるチャンスを得ました。
 それは、自分たちが行ってきた政治が、いかにひどいものだったかを身をもって体験できるというチャンスです。
 現役世代の落選者は大勢います。ハローワークに行けば、再就職がいかに困難なものかが分かるでしょう。「雇用不安」「生活不安」「将来不安」が社会全体を覆っている現状をよく知ることもできるでしょう。
 彼らが今まで目を向けてこなかった光景も見えてくるでしょうし、今まで聞こうとしなかった声も聞こえてくることでしょう。
 これまでの自民党政治を真摯に反省し、「国民のため」にいま何が必要かということを考え直すには、この上ないチャンスです。

■ 「国民のため」

 日本国憲法前文では、「国政」の「福利」は「国民が享受する」と書かれています。
 つまり政治は「国民のため」にあるべきだということであり、それは「人類普遍の原理」であると書かれています。
 今回、政権を獲得した民主党もまた、今の勝ちに驕り、「国民のため」の政治を忘れるようなことがあれば、この先、いつ彼らの二の舞を演じてもおかしくありません。

 民主・社民・国民新3党による新政権がスタートしましたが、同時に自民・公明両党も久々に野党としての新たなスタートラインに立ちました。
 その他の政党も含め、それぞれが心新たに「国民のため」の政治を追求すれば、この国の政治そのものが「再生」できるでしょうし、ぜひそうあってほしいと願います。


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