恥ずかしい歴史教科書を作らせない会

改憲で「戦争する国」、教基法改定で「戦争する人」づくりが進められる今の政治が
将来「恥ずかしい歴史」にならぬように…

「後期高齢者医療制度」廃止に全力を

2008年06月02日 | 社会保障・税制
■ 審議入りした「廃止」法案

 後期高齢者医療制度の「廃止」法案の審議が、参議院の厚生労働委員会で始まっています。
 この「廃止」法案は、4月から導入された後期高齢者医療制度への批判が高まる中、野党4党が共同提出したものです。
 野党は、2月末にも「廃止」法案を衆議院に提出していましたが、衆議院で多数を占める与党の「審議拒否」により、一度も審議されないまま、制度が始まってしまいました。そこで法案を大きく修正した上で、今回の再提出となりました。
 「差別的な制度」「姥捨て山制度」と酷評されるこの制度の廃止に向けて、期待が集まります。

■ 野党に対する疑問

 しかし、これまでの野党の対応にも疑問が残ります。

 まず、2月の「廃止法案」について、なぜ参議院ではなく衆議院に提出したのか、ということです。
 もし、あのとき参議院に提出していれば、少なくとも一度も審議されないという状況に陥ることはなかったはずです。
 「政局優先」と言われる民主党としても、この問題について制度の導入前から与党との対決姿勢をもっと強く打ち出せば、より多くの支持を集めることができたでしょう。それを、わざわざ与党優位の衆議院に提出したことに、本気で制度を止める気があったのだろうかと疑いたくなります。

 また、なぜ再提出が今頃になったのか、ということもあります。
 通常国会は6月15日に会期末を迎えますので、残された日数はわずかです。
 しかも与党は、今回も既に衆議院で否決する姿勢を示しています。衆議院での審議入りさえ微妙な状況で、法案成立はかなり厳しいと言わざるを得ません。なぜ、もっと早く法案を出さなかったのでしょうか。

■ 「廃止」法案に消極的だった民主党

 実は、民主党はこの「廃止」法案提出に、あまり乗り気ではありませんでした。元々「2年後の見直し」を目ざしていたのです。
 07年の参院選のマニフェストを見比べれば分かりますが、民主党はこの後期高齢者医療制度については何も触れていません。参議院で民主党と統一会派を組む国民新党も同様です。
 共産党は、この制度の「抜本的見直し」を訴えていましたが、「見直し」の具体案は一向に見えてきません。
 一方、社民党はこの制度について「凍結」、つまり「導入しない」ことを掲げました。
 すなわち、制度自体を「廃止」しようというのは、元々は社民党の主張であり、政策だったのです。
 実際、この2度の「廃止」法案は、社民党が民主党に対して「こんな制度を2年間も放置するのか」と迫り、ようやく提出されたものでした。

■ 民主党内の事情

 ところが前述の通り、民主党は初め、与党優位の衆議院に提出し、結局は法案を「見殺し」にしましたが、これには民主党内の事情もありました。
 参議院に法案を提出するのは、参議院議員でなければなりません。
 法案提出者は審議の中で、質問に対する答弁にも立たなければなりません。政府の答弁ならば、官僚が原稿を用意してくれますが、野党は全て自分たちでやる必要があります。
 民主党は04年、07年の参院選で勝利し、ついに参議院で第一党となりましたが、その多くが新人議員で占められています。答弁にも立つとなると、新人議員には荷が重い仕事です。
 また、当時、民主党は他にも法案を提出しており、手が回らなかったということも、理由の一つとしてありました。昨年の臨時国会で、国民新党が主張していた、郵政民営化見直し法案の提出を渋ったのも同じ理由からでしたが、このように民主党は自分たちの主張ではない法案に手を取られるのを嫌ったのです。

■ 最後まで全力で

 民主党は、昨年の参院選で「国民の生活が第一。」と訴えたことは記憶に新しいところです。しかし、こうして見てみると、本気でそう思っているのか疑問です。
 いま、この後期高齢者医療制度、特に年金からの保険料「天引き」は、多くの国民を不安に陥れ、その生活が脅かされています。
 この「廃止」法案を提出した以上、何としても成立させてもらわなければなりません。
 今度こそ、法案も、国民の生活も「見殺し」にすることなく、最後まで全力で取り組んでもらいたいものです。彼らが「第一」と宣言した、多くの国民の生活が懸かっているのですから。

後期高齢者医療「廃止」法案から2ヵ月

2008年04月29日 | 社会保障・税制
 町村官房長官は28日の記者会見で、前日に行われた衆議院山口2区補選について、4月から始まった後期高齢者医療制度に対する国民の反発が、与党候補の敗因だと分析しました。しかし町村氏は、それは「一方的な報道」によるもので「説明が足りず」、「仕組みそのものは何らおかしい点はない」と語り、制度の見直しは行わないことを強調しました。

 この日は、ある法案が国会に提出されてからちょうど2ヵ月を迎えた日でした。その法案こそ、後期高齢者医療制度「廃止」法案です。
 この「廃止」法案は、民主・共産・社民・国民新の4野党が共同提出したものですが、この2ヵ月間、全く審議されていません。そればかりか委員会にもかけられていないのです。衆議院で多数を握る与党が、「たなざらし」にしてしまっているためです。
 
 もし、町村氏の言うように「仕組みそのもの」に「おかしい点はない」のであれば、国会での審議を通じて、誤解があれば正していけば良いのです。メディアもその説明を伝えるでしょうし、制度の理解も進むでしょう。しかし与党は、この法案の審議から2ヵ月間も逃げ続けているというのが実情です。
 
 今回の選挙結果や多くの世論調査が示す通り、この制度への反対の声、制度の撤廃を望む声は圧倒的です。政府・与党の、このような「ご都合主義」の「審議拒否」を許さず、真摯な法案審議を国会に求めていく必要があると思います。

ワールドカップと医療制度改悪

2006年06月12日 | 社会保障・税制
 唐突ですが、私はサッカーが好きです。私自身、サッカー部に所属していたこともあります。
 だからという訳ではありませんが、サッカーを政治利用する人々を歯がゆく思うのです。

 ドイツで行われているサッカーのワールドカップでは、日本時間の12日夜、日本対オーストラリアの試合があります。
 日本中が沸き立ち、メディアもこれを煽るでしょう。
 日本代表が勝っても負けても、報じられるのはサッカーの話題ばかりです。
 勝てば、その興奮を掻き立て、負けや引き分けならば、今後の展望について熱く語ることでしょう。
 「今サッカーの話題に触れない人間は、もはや日本人ではない」とばかりに騒ぐでしょう。
 そして18日のクロアチア戦に向けての話題でメディアは盛り上がり、その間に成立する医療制度改悪の話題など、多くの国民が「どうでもいい」と思わされてしまうでしょう。
 政府・与党の狙い目が、そのタイミングなのです。

 喧騒の中、与党は医療制度改悪法案を成立させてしまうでしょう。
 現在の高齢者の皆さんは声を上げます。しかし、サッカーの話題がその声を掻き消します。
 その声に耳を傾けようともせず、サッカーの勝敗に熱狂している「将来の高齢者」、つまり今の若い人々は、後で苦しむことになるのです。 
 舞い上がって「ライン」を上げ過ぎて、カウンター攻撃の危機に気を留めなければ、待っているのは「後悔」の二文字です。

 サッカーの勝ち負けも興味深いところですが、今行われようとしていることや、自分たちの将来のことにも目を向ける必要があるのではないでしょうか。

 政府・与党が、このように攻撃をかけてくるとき、大切なものを守る「キーパー」は私たち国民自身なのだということを、決して忘れてはならないと思うのです。

「格差」の拡大と「国政」の使命

2006年02月06日 | 社会保障・税制
昨日の朝、テレビでNHKの日曜討論を見ていました。
後段の各党若手議員による討論のテーマは、最近ようやく目が向けられてきた「格差社会」の問題についてでした。
「就学支援を受けているお子さん達が7割という地域もある」と、社民党の辻元清美氏が語っていました。驚くべき数字です。
「就学支援」は「修学支援」とも書きますが、子どもを学校に通わせるのに必要な、給食費や教材費、修学旅行などへの補助のことです。
こうした支援を受けなければ、学校にさえ通えない児童・生徒が、ここまで増えているというのです。
しばらく前に、あるラジオで支援を受けている小中学校の全国平均として、13%という数字が上がっていました。およそ8人に1人です。
40人学級で言えば、1クラスに5名、そういう児童・生徒がいることになります。
私は数年前から、小学生が「勝ち組」「負け組」という言葉を使いはじめ、親のリストラ・失業が「いじめ」の原因になっていると聞きました。
本当につらい思いをしている子どもたちが多くいるのではないか、と心が痛んでなりません。


何の罪も無い子ども達までもが「格差」という問題に苦しめられている現状に対して、自民党の石原伸晃氏は「競争は正しい。これで経済が良くなった。」と小泉改革を持ち上げた上で、いわゆる「セーフティネット」に関して次のように言い放ちました。

「『施し』の政治、『施し』の時代に戻すべきではない。」

私はその言葉に驚きました。国民から集めた税金を、予算を組んで事業を行なうことを「施し」だと言うのですから、驚くなと言う方が無理です。

これと似た話を、私は別の自民党議員からも聞いたことがあります。
医療・年金・介護を改悪した後、彼はこう言っていました。

「いろいろ批判はあるが、やはり国民の皆さんも、何でも国に頼ろうとするのは間違いだと気付かなくてはダメだ。」

そのときも私は驚きました。
医療・年金・介護に使われる金というのは、国民が納めた税金であり、国民が負担してきた保険料です。
それを集めるだけ集め、支払う段になって、「国に頼るな」というのですから、これほどいい加減な話はないと思いました。
国民から集めた税や保険料、そして「国政」を、自分達のものだと思い込んでいるとしか思えません。

日本国憲法前文には「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。」とあります。
つまり、「国政」は国民のためにあるということです。憲法ではさらにこれを「人類普遍の原理」としているのです。
しかし自民党の改憲案では、この条項がばっさりと削られています。
国民側の発想ではなく、明らかに「国家主義的発想」に基づくものと言わざるを得ません。


話を「格差」に戻します。
よく言われるものとして、完全失業者約300万人、パート・アルバイトなど非正規雇用1650万人という数字があります。
日本の労働力人口は約6000万人ですから、約3分の1が、こうした低所得・不安定な身分に置かれていることになります。
とりわけ正規雇用が減り、非正規雇用が増えたことで、1世帯あたりの収入は8年連続で落ち込み、生活保護基準以下と言われる年収200万円以下の世帯が18%にものぼっています。
与党の人々は、「そうしたことは政治の責任ではない」と逃げますが、私は違うと思います。
輸出産業の「競争力」のためとして、政府が、人員と人件費の削減を推奨してきたからに他なりません。
小泉政権下で行なわれてきた中には、解雇要件の緩和、有期雇用延長、派遣業種の拡大など、失業・非正規雇用化を積極的に促進させる施策もありましたし、数々の改悪で国民に負担増を強いてきました。
不良債権処理の過程にあっては、求められていた「セーフティネット」の整備などを全く行なわず、多くの国民を路頭に迷わせました。
与党の人々が言うのとは全く逆で、政治の責任は極めて重大だと言わねばなりません。

さらに今後、定率減税の全廃・消費税率引上げなどの増税策が進められれば、本当に国民生活はズタズタにされてしまいます。
自民党がさんざん税や保険料を私物化し、政治献金をくれる企業にばらまいて、積み重ねてきた借金を「『施し』の政治に戻らない」「国に頼るな」と言って国民に押し付けようとするのですから、国民を馬鹿にするにも程があります。


かと言って借金を増やし続けさせる訳にはいきません。5年近くの小泉政権下で、借金は新たに200兆円も増やされています。
私は発想の転換が必要だと思います。
税収を上げる方法には、自民党のように国民からさらに税金を毟り取るというものだけではなく、もう一つあります。
それは国民の所得を上げることです。
例えば、最低賃金法を改定し、現在6百数十円の最低時給基準を2倍にしたとしましょう。
労働力人口の3割まで拡大した非正規雇用の方々の、所得の底上げができます。
仮に時給1300円とし、1ヵ月150時間パートで働いたとして、月収19万5千円、年収234万円で、何とか一人でであれば生活できる額になります。
それでも、この年収では生活するのがやっとですから、この増加分のほとんどは消費に使われます。
冷え切っていた個人消費が上がれば、国内経済に与える影響はご想像がつくでしょう。
所得税も若干ですが、税収増を見込めますし、消費が増えるのですから消費税率を上げなくても税収は増えます。
政府が求める「自助努力」で生活できるようになりますから、長い間増えつづけ、100万件を突破したという生活保護も、その増加を食い止めることができるでしょうし、その分、歳出を抑えることができます。
つまり、国民生活を向上させ、国内経済を活性化させながら、税収を増やすことができるようになります。そして何より、子どもたちが学校に通えるようになります。

親の経済的理由から、学校を辞めなければならない子どもたちが増えています。時給が上がれば、アルバイトをして家計を支える高校生・大学生も勉強できる時間が増えます。
日本国憲法第26条は「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。」と定めています。
「能力」ではなく、「親の財産の多寡」によって「教育を受ける権利」を奪われるなど、あってはならないことです。
小泉首相は先日の国会答弁で、「格差」が開いていることについて「頑張れば報われる」「悪いとは思わない」と開き直りましたが、「金を得た側」しか見ていないからこそ、そのようなことが言えるのだと思います。
「頑張れば報われる」と言いながら、子どもたちから「頑張る機会」「頑張る時間」さえ奪っているのは、彼らではありませんか。
「何とか生活できるように」「子どもを学校に通わせることができるように」こうした願いは決して「贅沢な悩み」ではないはずです。
このような当然の願いを実現することこそ、本来の「国政」の使命ではないでしょうか。

お金のない人からばかり・・・

2005年03月18日 | 社会保障・税制
フリーターへの徴税強化

現在、正規雇用が大幅に減る中、このフリーターと呼ばれる方々を含め、非正規雇用が約1500万人もいます。
そして、6件に1件以上が、年収200万円以下という生活保護基準並みの収入です。
そうしたところへばかり、徴税強化・定率減税縮減という負担増を強いるのは、おかしくないですか。
ますます、貧富の差が拡大していきます。
昔は「貧乏人は麦を食え」と言った人がいましたが、今は「貧乏人は麦も食うな」と言わんばかりですね…